王子様、あらわる その5
僕とミルは夜の街を並んで歩き出す。どこに向かっているのは知らない。けれど、城とは反対の方向に進んでいる。
道行く人もだいぶ少なくなってきたようだ。
三人の男たちもまだ付いてきている。面倒くさいなあ。
まいてしまいたいけど、道はよくわからない。それに、ミルの前で『贈り物』は使えない。
「もっと明るいうちに行けば良かったのに」
「夜じゃないと会えないのよ」
「会えないってことは、誰かに会いに行くの?」
「黙ってて」
僕の疑問には答えてくれない。では質問を変えよう。
「君、歳はいくつなの?」
「十五歳よ」ぶっきらぼうだけど一応返事はしてくれた。
「ああ、僕と同じだ。僕ね、たんぽぽコーヒーが好きなんだけど、この町に売っている店あるかなあ」
「知らない。たぶん、この町にはないんじゃない?」
こんな大きな町でも売ってないのか。
「というか、たんぽぽコーヒーってなあに? 普通のコーヒーと何が違うの?」
よくぞ聞いてくれました。
「あのね、たんぽぽコーヒーの美味しい作り方はまず……」
「やっぱりいいわ。興味ない」
自分から聞いたくせに。
「そういえば君、あのお城で働いているって言っていたよね。伯爵ってどんな人?」
「立派な人みたいね。立ち居振る舞いも堂々としていたし、この国では有数の貴族だそうよ」
「でも怖そうじゃない? 目付きなんかすっごい悪そうだし」
「あなた、伯爵と会ったことがあるの?」
この話題はダメだ。僕の赤っ恥をさらすことになる。
「まあ、ちょっとだけね。遠くからちらっと見ただけだよ」
第一、女の子との会話があんなおっかない人のことだなんて全然うれしくない。
ミルはちょっと疑わしそうな顔をしたけど、詳しくは聞いてこなかったのでほっとする。
その横顔を小さな町明かりがいくつも彼女の白い顔を照らし出しては消えていく。
まるで彼女の周りを光の精霊でも飛び交っているようで、僕の心臓が高鳴る。
夜の町を女の子と歩くなんて、いけないことをしているみたいでドキドキする。
まるでオトナみたいだ。いや、僕はもうオトナなんだけど。
これで後ろから付いてくる人がいなければもっとわくわくするんだけどなあ。
そうこうしているうちに周りの風景がだんだんと静かな……というよりさびれた雰囲気になってきた。
さっきまで立派だった石壁にひびが入っていたり、変な落書きが書いてある。道にしても石畳がところどころ割れていたり、はしっこの方に枯葉やごみが落ちている。かと思えば洗濯物が道の外に吊るしてあったり、変なすっぱい臭いがそこら中から漂ってきている。
こんなところに何の用なんだろう。いつになったら着くのかと口を開きかけた時、ミルが足を止めた。
僕たちの目の前には古びた木の扉がある。扉の上には、仕立物屋さんの看板が出ている。おつかいなのかな?
「いい、あなたは何もしゃべらないで。質問もなしよ。でないと、その口を縫いつけて、二度とたんぽぽコーヒーを飲めなくしてあげるから」
僕は唇をきゅっとすぼめながらうなずいた。ミルは大きく息を吐くと意を決したように、二回扉を叩いた。ややあって扉が開くと中から燭台を手にした女性が出てきた。
歳の頃は僕の母さんと同じくらいだろう。黒髪を後ろで束ねて、優しい目元をしている。あまりご飯を食べていないのか顔色は青白く、少しやつれているみたいだ。スカートの裾につぎはぎが当ててある。
女性はミルを見て、はっと息をのんだ。おどろきととまどいが顔に浮かんでいる。目の前の光景を幻とでも疑っているようだったけれど、やがて眼に涙を浮かべてミルを抱きしめた。
「どうしてここに……こんなに大きくなられて……」
「元気そうね。サンドラ」
ミルがサンドラさんと呼んだ女性の背中に手を回した。僕に背中を向けているので表情までは分からないけど、多分、すっごくうれしいんだと思う。
僕は少しずつ後ずさる。二人のジャマをしちゃあ悪い雰囲気だ。
二人は抱き合いながら小声で喜びを語りあったり、近況を聞いていたりしている。
サンドラさんが涙声で家の中に引き入れようとした時、ミルが体を離した。
「本当はもっと色々話したいけれど、時間がないの。これを後で読んで」
ミルは懐から封をした手紙をサンドラさんに手渡す。そして一礼するとくるりと背を向け、野うさぎのように駆け出した。
僕は一瞬迷ったものの女性にあいさつしてからミルの後を追った。
ミルはすぐに見つかった。
角を二つ曲がったところで、ひびわれた壁に顔をうずめるようにして立っていた。
「えーと、泣いているの?」
返事はない。
「これで冒険は終わり? これからどうするの? 帰るのなら送っていくけど」
やっぱりミルは何も言わない。
夜の町のざわめきが遠く聞こえる。暗い海のような沈黙が僕たちの前に横たわる。
いつの間にか後を付けていた三人の気配もない。あきらめたのかな?
もしかしたら、ミルは今そっとしておいてほしいのかもしれない。
でも僕は、あえて気が利かないふりをすることにした。動き出さないと何も変わらないからね。
「今の女の人、君のお母さん? いや、違うな。顔つきとか違うし、けど。君の大事な人ってことはよくわかった」
ミルの肩がふるえた。
「君がここに来たのはあの人に会うためだよね。だからわざわざ侍女の服まで借りてここまで来たんだろ? 貴族のお嬢様」
「どうして、そこまで?」
ミルが振り向いた。泣いてはいないようだ。
「君のその服、背丈と合ってない。本当はもう少し背の高い人の服だ。君ときたらしょっちゅうスカートの裾を引きずっていたし、走る時もスカートをつまみながらだからね。サイズの合わない服を伯爵家の侍女が着続けるなんて考えにくい。不格好だからね。つまり君は伯爵家の侍女じゃあない。多分、君は伯爵家のお客さんで、何かの理由であの女の人に会うために侍女の服を借りて城を抜け出して町へやってきた。こんなところかな」
「ほかの子の服と間違えただけかもしれないじゃない。それにどうして伯爵家の客だと?」
「間違えたのならスカートのサイズを詰めるなりなんなりするはずだよ。歩きにくいからね。そうしないのは後で返さないといけないから。それと、裾の詰め方がわからないから、じゃないのかな。伯爵家の客だっていうのは簡単。伯爵のことを『堂々としていた』なんて言えるのは直接会った人だけだし、『この国では』なんて言い方も外国の人っぽかった。違う?」
外国のお嬢様がこの町に訪れるとしたらまず伯爵のお城だろう。
ミルは観念したように大きく息を吐いた。
「あの人は私の乳母……育ての母なの」
さっきの人はサンドラさんといって、夫婦でミルの家のお屋敷で働いていたらしい。小さなミルは彼女になついていたそうだ。
ところが彼女の夫が主人に不義理を働いたらしく、夫婦ともども辞めさせられてしまった。
それからサンドラさんの行方はわからなかった。けれど先日、サンドラさんが夫と別れてこの町に住んでいると知り、いてもたってもいられず会いに来たのだという。
「もちろん、あの城で働いているというのもウソ。あの城でその……人と会う約束をしていたの。本当は王都で会う予定だったんだけど、ムリを言ってこの町にしてもらったの」
「そうやってチャンスを見つけて、侍女の格好をして抜け出してきたってわけだ」
「本当はすぐに帰るつもりだったのよ。けどお昼に行ったら留守で、近くの者に問いただしたら夜にならないと戻らないらしくって……」
それで町の中をうろうろして時間をつぶしていたわけだ。
「さっきの手紙は?」
「会ってしまったら色々言いたいことがあり過ぎて言葉にならないと思ったから、私の思っていることを前もって手紙にしたためておいたの」
「かしこい判断だと思うよ」
肝心な時に言葉に詰まるのはよくある。僕も今朝やらかしたところだ。
「それじゃあまだここにいるかい?」
「いいえ、もう帰るわ。迎えも来ているみたいだし」
「迎えってもしかして、君の後を付けてきたあの三人のこと?」
「国から連れてきた護衛よ」
「なんだ、やっぱり知っていたんじゃないか」
僕の言葉を合図にしたかのように、奥の路地から三体の黒い人影が、近づいてくる。
僕は手を上げかけたところで違和感を覚えた。影の形がさっき見たのと違う。
現れたのは見たこともない男たちだった。
隻眼の男と、大柄なはげ頭の男と、頭にバンダナを巻いた男。
みんなうす汚れた皮鎧に、皮の手袋とブーツ、そして腰には長剣。まるで山賊だ。
僕たちをまっすぐ見据えながら少しずつ距離を詰めて来る。ただの通りすがりというわけではなさそうだ。
「君の知り合い?」
念のためにミルに聞いてみたけど、緊張した面持ちで首を振った。
「えーと、どちら様ですか?」
今度は男たちに尋ねてみるが、返事の代わりに、はげ頭の男がへらへら笑いながらミルに向かって手を伸ばしてきた。
「よっと」
僕はミルの手を取り、自分の方に抱き寄せる。
はげ頭の手が空を切る。体勢を崩してつんのめりながらどうにかこらえると、僕を怖い顔でにらみつけてきた。
「テメエ、ジャマをする気か? ガキのくせに」
「ええ、夜ですからね。見間違えるのもムリはないと思います。けど、僕はオトナですから」
「そんなこたあ、どうでもいいんだよ!」
全然よくない。
「子どもを手にかける趣味はねえが、オトナなら仕方ねえな」
バンダナの男がそう言うと腰の剣に手をかける。
僕たち、いや僕をバラバラにしてしまうつもりのようだ。
それにひきかえ僕は丸腰。剣も杖も宿に置いたままだ。
『贈り物』を使えば逃げるのもやっつけるのも簡単だけどミルに僕の力を知られることになる。かといって、派手に大立ち回りを演じればミルを巻き込んでしまうかもしれない。
さて、どうしたものか。
「誰か、強盗よ! 盗賊よ!」
ミルが突然、火のついたように叫びだす。騒ぎを起こして人を呼ぶつもりのようだ。
あるいは護衛の人たちに自分の位置を知らせようとしているかもしれない。
けれど窓や扉の奥からは出てくる気配どころか、起き出す様子もない。真っ暗なままだ。
男たちがせせら笑う。
「この辺りの連中が盗賊ぐらいでおたつくタマかよ。盗まれるものなんか母ちゃんの下着くらいしかねえところだぜ」
どうやらこの辺りは、僕が思っていたより貧しいところみたいだな。
隻眼の男が近付いてきた。僕はミルをかばいながら彼の前に立ちふさがる。
「やめておいたほうがいい。大けがをすることになるよ」
「ほう、やるつもりか?」
「違うよ、やるのは彼女の方だ」
僕は後ろのミルにちらりと視線を送る。
「こう見えても彼女は足くせが悪くてね。僕は何回も蹴り飛ばされている。おかげで僕の足はくし焼きみたいにはれ上がってしまっているよ、ホラ」
僕はズボンをたくしあげ、彼らに見せつける。
「僕だからまだこの程度で済んでいるんだ。君たちが蹴られでもしたら骨まで砕けてしまうかもしれない。歩けなくなるのはイヤだろう」
「ちょっと何言っているのよ。そんなに強く蹴ってないわよ」
「けどさっきのは痛かった。僕は泣いてしまうかと思ったよ。ほら、そこの人も見ただろ? 赤くなっていたよね」
「ああ、よくわかるぜ」
隻眼の男が大きくうなずいた。
「お前がただのバカだってことがな!」
長剣をあざやかに抜き放つと肩にかつぐようにして振り上げる。
そのまま振り下ろせば僕は血しぶきを上げてあの世行きだ。
風のように切りかかってきた瞬間、隻眼の男はうめき声とともに手の甲を押さえ、剣を取り落す。
石畳に耳障りな金属音と、こつんと乾いた音が落ちる音が続けて響いた。
男たちがびっくりしたスキを見計らい、僕は大きく息を吸い込む。
「火事だあ! 火事だぞう!」
僕が叫んだ途端、町中が急にざわめき始めた。窓の向こうでいくつもろうそくの明かりが灯り、窓の開く音が立て続けにわき起こる。
「火事だ! ここに放火魔がいるぞお! こいつらが火をつけたんだ!」
三人組を指さしながら辺りに向かって叫ぶと同時にミルの手を取り、駆け出す。
走りながら町を見ると、あちこちの家の窓が開かれ、扉から何事かと顔をのぞかせる人もいる。
追いかけてくる気配はなかった。
その勢いのまま町の中を走り続け、町の大きな通りに出たところで振り返る。
まばらに道行く人はいるものの、あの三人の姿はない。
「よかった、どうやらまいたみたいだよ」
そこで僕は足を止める。
「ちょっと、あなた、足が速過ぎるわ……」
ミルはぜえぜえいいながら肩で息をしている。
「けど、どうして、あなたの時は……集まって、人……」
ああ、そのことか。
「盗まれるものはなくても火事になって家を焼かれたら住めなくなるからね。仮に焼け落ちはしなくてもベッドなんかは黒焦げで使えなくなる。だからみんな火事が怖いんだ。人を集めたい時はああ言うといいんだって、前に村長さんに教わったんだ」
「変な……こと……教えて……一体、どこの……」
「ムリにしゃべらなくてもいいよ。ちょっと休もうか」
僕はミルを連れて、お家の壁にもたれかかりながらしばらく休ませる。
もちろん、追手が来ないか目を光らせるのも忘れない。百を数える頃にはようやくミルも落ち着いてきた。
「一応礼を言っておくわ、ありがとう。けど、どうやってあの男の剣を落としたの?」
「石を投げたんだよ」
振り上げたタイミングで手の中に隠し持っていた石を手の甲に当てただけだ。
「石なんていつ用意したの?」
「ズボンのすそをめくった時に拾った」
ちょうど足元に良さそうな石が落ちていたので、しゃがみこんだ時に手のひらの中にしまいこんだ。
「だからと言って私をダシに使うのは許せないわね」
もう一度蹴られた。
「ひどいな、君は。とうてい貴族のお姫様とは思えない」
「だったら少しは言葉使いでも改めてはどうかしら、田舎者さん」
軽い口調だけどなんとなくわかる。ミルはそんなことを求めてなんかいないってことだ。
「止めておくよ。君にそんな口を利いた日にはおそれ多くて舌をかんじゃいそうだからね」
今度は踏まれた。
足を抱えながら飛び跳ねていると、こちらにむかって近づいてくる三人の影が見えた。
僕はとっさにミルを背にかばうけど、やってきたのは、ミルと再会した時に後を付けていた三人組だった。ミルの護衛役でもある。
「どうしたの、バクストン」
ミルが慌てて駆け寄る。
よく見ると、小柄の男が頭から血を流していた。白い布を巻いているが、額の辺りが赤くにじんでいる。
聞けばミルを陰から護衛していたのだけど、サンドラさんの家の近くであの三人組におそわれたという。
あいつらのしわざか。
ミルをねらうには護衛がジャマだから、先にバクストンさんたちをおそったのだろう。
申し訳なさそうに顔をするミルに、大柄の男が前に進み出てきた。筋骨隆々で一番押し出しも強そうだ。この人がリーダーらしい。
「ハンナには謹慎を命じております。あなた様の行動で今日は大勢の者が罰を受けることになります。どうかご自分の行動に責任をお持ちください」
「ごめんなさい、コネリー」
ミルが申し訳なさそうに顔を伏せる。
偉い人というのも大変なんだなあ。
やっぱり王子でなくってよかった。
「ところで、さっきの三人組に心当たりは?」僕はきいた。
「さあ、ただの物取りではなかったわね。誰かに頼まれたんでしょうけど、その誰かとなると見当がつかないわ」
護衛の人たちも同じようだ。
貴族だとしたらお家の騒動絡みとか、お金目当ての誘拐だろうか。どのみち僕の出番はなさそうだ。
「リオ、私はコネリーたちと戻るわ。あいつらも城まで来ればおそっては来ないでしょう」
「そうだね、それがいいと思う」
護衛の人たちは本当ならもっと早くミルを迎えに来ることも出来たのに、わざわざサンドラさんと会えるまで待ってくれて、そのせいでケガまでした。これ以上、迷惑をかけるべきではない。
夜のお散歩はこれで終わりだ。名残惜しいけれど、仕方がない。
「今日は本当に助かったわ。できればお礼がしたいのだけれど……」
「もうもらっているよ」
母さん以外の女の子と、こんなにお話したのは生まれて初めてだ。それがミルみたいにかわいい子なら僕にとっては金貨より価値がある。
意味がわからず目をぱちくりさせているミルと護衛の人たちに一礼し、その場を立ち去った。
それから程なくして、僕は宿屋に戻ってきた。
部屋にいたはずの僕が外から戻って来たからか、おかみさんがふしぎそうな顔をしていた。
さすがに疲れたので部屋に戻ると、飛び込むようにしてベッドに横になる。硬い感触に顔をうずめながらふふふ、と笑いが込み上げる。柔らかくて暖かったミルの手を思い出す。女の子の手を握ったのも初めてかもしれない。
宿を抜け出す前はしょんぼりしていたのに、我ながらゲンキンなものだと思うけど、しょうがない。うれしいものはやっぱりうれしい。
明日もいいことあるといいなあ。
翌朝、朝食を食べた後、おかみさんにあいさつを済ませて宿を出る。
天気は良好、抜けるような青空が広がっている。まるで僕の旅立ちを神様が祝福しているようじゃないか。昨日までのリオとはもうおさらば、今日が新しいリオの門出だ。
弾む足取りで目抜き通りに出ようとしたとき、急に路地から伸びてきた手に左腕を引っ張られる。
「おとなしくしな」
そういって僕の鼻先にナイフを突きつけてきたのは黒いひげもじゃの男だった。
「大声を出そうなんて考えるんじゃねえぜ。下手にさわぎたてればぶすりといくぜ」
どうやら祝福というのは、僕の勘違いだったらしい。
神様は僕にとことんいじわるをするつもりのようだ。
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