ひなどりは拾われた その8
寝落ちして投稿が遅れました。
申し訳ありません。
「そうか、助かる」
シャロンさんほっとした笑みを浮かべる。どきっとしてしまうくらいのキレイな笑顔だ。
僕はその笑顔を見てはっと我に返った。
りりしい顔つきのかげに不安そうな気持ちが見えたからだ。
心の底から笑えていないようだ。ボスを倒せるのかという心配より、何かおびえているような気がした。
シャロンさんだって人間なんだ。きっと不安なこともあるんだろう。僕が勇気づけてあげないと。ちょっとくらい怪しいからって見過ごすのも男としてどうかと思う。
「任せてください。僕がいれば三つ目オオカミなんてへっちゃらですよ。大船に乗ったつもりでいてください」
「セレニア号くらいのか?」
「ええ、だいたいそんな感じです」
シャロンさんは吹きだした。続けて周囲の人たちも笑い出した。
僕はわけもわからず、みんなの笑い声の中でぽかんと突っ立っていた。
セレニア号というのは大昔に沈没した伝説の船のことだと、後でスージーさんが教えてくれた。
出発は二日後、ということになり、ギルドを出た。
依頼も終わっているので、宿へと戻るだけだ。でもその前に寄りたいところがある。
虹の杖の『瞬間移動』で東門の前まで来た。門には今日も町へ出入りする人たちでごった返している。
詰所の衛兵さんたちも忙しそうだ。詰所は門の側にあるレンガ造りの小屋だ。小さな窓と入り口がある。窓からのぞくと、目的の顔を見つけた。
「どうも、こんにちは。トバイアスさん」
トバイアスさんは人相の良くない人たちと何事か話しているところだった。僕を見ると仏頂面をさらに不愉快そうにしかめた。
「帰れ」
「せめて用事を聞いてから言ってくれませんか」
「仕事のジャマだ」
「まあ、そう言わずに。トバイアスさんのお仕事にも関係のあることですから」
人相の悪い人たちと入れ違いに、僕は詰所の中に入り、空いているイスに座る。木製の机と、二脚のイスがあって、壁には槍や剣が立てかけてある。飾りっ気のない作りだけど、僕はこういうのも悪くないと思っている。質実剛健、というやつだ。
「勝手に入るな。そして座るな」トバイアスさんは僕の前にどんと座る。
「建物は中に入るもので、イスは座るためのものですから」
「出ていかないとしょっぴくぞ」
「牢屋行きですか? そいつは怖い。でも牢屋に入れるのは話を聞いてからでも遅くはないと思いますよ。ほら、仕事とはいえあんなに暗くて狭くておっかないところに行きたくはないでしょう?」
「お前、牢屋に入ったことがあるのか?」
「一般論ですよ」
伯爵の家の牢屋に入れられた、なんて言っても信じてくれないだろう。
トバイアスさんはため息をついた。
「何の用だ」
どうやら話を聞いてくれる気になったようだ。
「昨日、僕が捕まえた連中についてお聞きしたくて」
「ただのチンピラだ」めんどうくさそうに言った。
「お前さんが珍しい杖を持っていると聞いたから奪い取ってやろうと思ったんだと。それだけだ」
「当てが外れましたか?」
僕が当てずっぽうで言うと、トバイアスさんの目が険しくなった。
「それと、二人ともひびの入ったペンダントをしていましたね。おそろいの。あれが何かかもわかりましたか」
「お前、何を知っている?」
「僕は何にも知りません。だから色々と知りたくてここに来たんです。たとえば、あなたが冒険者ギルドを嫌っている理由とか」
「……話す必要はない」
「僕はあさって、シャロンさんたち『氷の大蛇』と三つ目オオカミ退治に出かけます」
「それで?」平静を装っているけれど、トバイアスさんの目がぴくりと動いた。少しだけ好奇心が動いたようだ。
「どうやら、シャロンさんたちがそこで何かをたくらんでいるようなので何かご存じではないかと」
やむを得ない事情とはいえ、引き受けた以上は行くしかない。でも手ぶらで出かけるのは危険すぎる。
今、僕が求めているのはシャロンさんたちの目的を知るための手がかりだ。
それを知るためにも僕は情報というものを集める必要がある。
トバイアスさんはうんざりって感じで頬杖をついた。
「あのペンダントはマジックアイテムだ。もう壊れているがな」
「効果は?」
「『痺れ』のまじないを防ぐ効果があるらしい」
ほう、という声が僕の口から出ていた。明らかに『虹の杖』の『麻痺』対策じゃないか。
「お高いんですか?」
「安物だ」トバイアスさんは自分の胸を指さす。
「首から提げているだけで、そこそこは防げるらしいが、あくまでそこそこだ。強い魔力を受ければ、壊れてしまうようなしろものだそうだ」
安物とはいえ、対策まで練っていたところをみると、行きずりではなく計画的な犯行だろう。
問題はあの二人の独断か、誰か後ろに命令した人がいるか、だ。
「そこまでして僕の杖が欲しいのかなあ。冒険者なら自分で稼げばいいのに」
「……この町の冒険者はろくでなしばかりだ」
トバイアスさんはいまいましそうに唇をかみしめる。
「卑怯でうそつきで怠け者で、ならず者の集まりだ」
「でも、シャロンさんは町のためにがんばったと聞きましたけれど」
「あの女こそ怪しいものだ」
トバイアスさんの声も目も冷ややかだった。
「妙だと思わないか? 多少腕が立つからといって、あんな二十歳そこそこの娘に冒険者どもがへいこらしているなんて、普通あり得ない。一人でダメなら何人、いや何十人でよってたかって袋ただきにしてしまえばすむ。なのにあらくれどもはシャロンにおとなしく従っている」
「単純にそれだけの力があるからでは?」
「お前、あいつがどうやって戦っているか見たことはあるのか」
「いえ」僕は首を振った。
「でも剣術ではありませんよね」
あの手のひらを見る限り、かなり練習してきたのはわかる。世間の基準というものをよく知らないので、もしかしたら一流といっていい腕前かもしれない。でも、あの腕で大勢の冒険者を力ずくで従えるというのは難しいだろう。だから魔法とかそっち方面の達人なのかと思っていたのだけれど。
「あの女はな、魔物使いだ」
魔物使いといえば、魔法の力で魔物を従え、魔物を戦わせる魔術師のことだ。
アップルガースの村にはいなかったけれど、似たようなことをエメリナおばさんがやっていた。僕もよく八本脚の軍馬に乗せてもらったものだ。
「けど、それなら何の不思議もないのでは?」
シャロンさん自身は弱くても従えている魔物が強ければ、それはシャロンさんの実力だろう。冒険者たちが言いなりになっていてもおかしくない。
トバイアスさんは首を振った。
「魔物といっても、ゴブリンとかコボルトとか小物ばかりだ。少なくとも俺が知る限りはな」
「なら、トバイアスさんの勘違いなのでは?」
腕のいい冒険者がゴブリン程度にびくつくとも思えない。なら従っているのは、純粋にシャロンさんにひかれたんじゃないのかなあ。
少なくとも僕はちょっとひかれている。
「この町は、確かに治安の悪い町だった」
トバイアスさんはくやしそうに言ってから窓の外を見た。
「ちんぴら、ごろつき、はねっかえりにろくでなし。場末でくすぶっているアホンダラばかりだ。だが、魔物なんかそうそう出やしなかった。あんな三つ目のけったいなオオカミなんぞ、俺がガキの頃は見たことがない。シャロンが、あいつがこの町に来てからだ。魔物がこの町の近くをちょろちょろするようになったのはな」
さっきから気になっていたのだけれど、トバイアスさんの言葉遣いがちょくちょく雑というか、乱暴なものに変わっている。多分、こちらの方が地なのだろう。普段のしかめっ面は衛兵隊長という仕事のための仮面というやつなのかもしれない。
「でも、この町は大きな壁に覆われていますよね」
「百年前のいくさの名残だ。魔物用に作ったものじゃない」
「つまり、トバイアスさんはこう言いたいわけですか。シャロンさんが自分の魔物を使って、お芝居をしていると」
自分の魔物に人や隊商や家畜をおそわせる。そうすれば、冒険者ギルドに依頼が入る。その依頼を自分が引き受ければ、解決するのは簡単だ。そうして報酬も入るし、名声も上がる。一石二鳥だ。
「半月前もこの町に来る予定だった隊商が、三つ目オオカミにおそわれて大勢がケガをした上に荷物を失った。俺たちが駆け付けた時には、食べ物に混じって金貨や宝石や売り物の絹織物がごっそりなくなっていた。三つ目オオカミが金貨の詰まった袋を持って行ったと証言したやつもいる。食えもしない金貨なぞ、何に使うつもりだ?」
メスの三つ目オオカミに貢いでいる、わけではなさそうだ。
「もちろん、シャロンにも問いただしたさ。俺たちが駆け付けるまでに野盗が盗んでいったのだろう、なんてとぼけていたが、冗談じゃない。足跡もほとんど残さないくせに気絶した娘っ子に手も付けず、指輪も剝ぎ取らないような盗賊団なんぞ、いるわけがない」
「でも魔物使いはシャロンさんだけではありませんよね。それに、今日だって『氷の大蛇』の人たちもケガをして……」
「ケガをするのは、たいていそれ以外のとりまきどもだ。連中はほとんどケガをしていない。せいぜいかすり傷や、転んで足をくじいたくらいだ」
確かに討伐には『氷の大蛇』以外の人たちも参加していた。仲間かそうでないかは、僕には見分けがつかない。
これでトバイアスさんの言葉の意味もはっきりした。「依頼はよく確かめて引き受けろ」というのは、いんちきの片棒を担がないように、という意味だったのか。
「俺の知り合いにまめなやつがいてな」トバイアスさんは視線を僕に戻すと、身を乗り出し声を潜める。
「シャロンが来る前と来た後とで、魔物が現れた数を比べてみた。そしたら、なんと四倍だぞ。四倍。しかも、どこからお引越ししてきたのかとんとわからないときている。あり得ないだろう」
魔物が大量に発生したり、別の魔物にすみかを追われて巣を変えることはある。でもそれだけの魔物が移動すれば必ず痕跡というものがどこかに残る。足跡にふんに食べ残し、臭いに近くに住む人たちの目。それらを全く残さずに移動するなんて確かにあり得ない。
「俺たちは独自に探ってみた。だが、あの女が以前どこで何をしていたかさっぱりつかめなかった」
「ギルドで調べればわかるんじゃないんですか」
「あいつが冒険者登録したのは、この町だ。それより前には各地を旅をしていたというだけだ。カルウィナの生まれだというから人をやって調べてみたが、孤児だったらしくて、七つか八つくらいの頃に町を出て以降はどこで何をしていたかはわからない」
シャロンさんの正体はやぶの中、か。
「そんなに疑うなら『氷の大蛇』の荷物なり泊まっているところを調べてみては?」
「調べようとしたとも。それこそ総隊長には毎月上申している。だが、シャロンは町の人気者だ。うかつに手を出せば、とんでもないしっぺ返しを食らう」
「シャロンさん本人には言ってみましたか?」
自分に後ろ暗い点がないのならむしろ自分から調べてくれ、と言うんじゃないかな。
「それも言った。だが、痛くもない腹を探られるのはゴメン被るだとさ」
断られたわけか。
詰所の外からトバイアスさんを呼ぶ声がした。夕暮れが近いせいか、町に入る人も増えてきたようだ。夜になれば門は閉じられ、朝になるまで町には入れなくなる。駆け込んで来る人も多く、衛兵さんたちもてんてこまいのようだ。
「それでは、僕はこの辺で失礼します。どうもありがとうございました」
用件もだいたい終わったので、おいとますることにした。長っ尻は嫌われるからね。
「出来れば、その知り合いの方にもお話をお伺いしたいのですが」
「ムリだな」
「お忙しいのは重々承知しています。少しでも構いませんので……」
トバイアスさんは寂しさのこもった目をした。
「俺が言ったのはな、時間はいくらでもあるだろうが、話は絶対に聞けないという意味だ」
僕は次の言葉が出る前にその理由を悟った。
「コンスタンスなら死んだよ。一か月前に誰かに背中から切られた」
詰め所を出た後、僕は『知恵ある黒蛇亭』に向かった。三階建ての宿で冒険者ギルドの近くにある。百歩も歩けば着くくらいだ。冒険者が大勢利用しているらしい。一階では、傷薬やロープやナイフのような冒険で役立つ道具も商っている。『氷の大蛇』がいつも泊まっている宿でもある。
店構えも立派で、扉には剣や盾のレリーフがほどこされている。僕の泊まっている宿よりも一回りも大きい。両開きの扉を開くと、店にはたくさんのイスやテーブルが並んでいて、大勢の冒険者が日も沈む前から陽気な顔でお酒をあおっている。『氷の大蛇』のメンバーも混じっているようだ。
僕は鼻をつまみながら二階への階段を上がる。階段を上り切ろうとしたところで、見知った顔に出くわした。僕がこの前冒険者ギルドで気絶させたあの男だ。さっきまでは不機嫌そうだったのに、今はにやにや笑いながら階段を降りようとしていた。
僕があわてて道をゆずると、鼻歌なんかを歌いながら僕のすぐそばを横切り、階下の冒険者たちに手を上げる。
「ちょっと俺の分も残しといてくださいよ」
「お前が遅いんだよ、ロッコ」
『贈り物』を使っていると、誰も僕に気づかないから平気でぶつかって来る。うっかりしていると僕も相手もケガをしてしまうから気を付けないと。
もし、シャロンさんたちが何かを企んでいるなら本人たちに聞くのが一番早い。僕の『贈り物』でもぐりこめば、みんな平気な顔でしゃべってくれるから楽なものだ。
三階はすべて『氷の大蛇』が貸し切っているらしい。三階まで上がると、見張り役らしき冒険者の横を通り、一番端の部屋から順番に扉を開けていく。
今日は休みにしているらしく、みんな思い思いに過ごしていた。下で飲んでいる人もいれば、布で剣を磨いたり、手紙を書いていたり、ケガをして寝ている人もいた。
一番奥の部屋に来た。見張りが二人もいる。どうやらここがシャロンさんの部屋のようだ。
ノブに手をかけたが、カギがかかっている。部屋の中に人の気配がするのでいるのは間違いなさそうだ。
さて、どうしようかな。
『贈り物』を使っている間はノックしても気づいてもらえない。かといって使うのをやめると、すぐ後ろの見張りに見つかってしまう。
しかし、僕はかくれんぼの名人だ。かくれんぼで大事なのはいかに鬼に気づかれないようにするか、だ。逆に言えば、見つかりそうなら何か別のもので気を引いてやればいい。僕はカバンから金貨を取り出し、指ではじいてやった。金貨は僕の手を離れて階段近くまで転がる。
「あれ?」とあくびまじりの声を上げて見張りたちが顔を上げる。
「もしかして金貨か?」
「どうしてここに?」
口々に言いあいながら見張りたちは金貨へ近づいていく。僕は先回りして金貨を軽くつま先で階段下まで蹴飛ばす。ちゃりんと音を立てて金貨は転がっていく。
「あ、おい待て!」
見張りの男たちは金貨を追って階段を駆け下りていった。
僕はそのすきに扉のノブに手をかける。中からカギがかかっているようだ。ムリヤリこじ開けるのは気が引けるので、一度『贈り物』を止めてからノックする。
「どうした?」
中から扉が開いて、シャロンさんが顔をのぞかせる。
僕はその隙間から部屋の中にすべりこむ。
ここがシャロンさんの部屋か。なんか甘い匂いがする。かいでいると夢見心地って感じで、ぽーっとしてしまいそうなので気を引き締めて部屋の中を見回す。
もっと豪華な部屋かと思っていたけれど、窓が一つきりで家具も簡単なベッドと小さな机とイスだけだ。リーダーだから特別豪華な部屋、というわけではないらしい。部屋の隅に置かれた鎧はキズこそあるものの丁寧に磨きこまれている。マントもしわを伸ばして壁に掛けられていた。
シャロンさんは扉を閉めると、険しい顔で部屋の隅に立てかけていた剣を取る。どうやら見張りの姿がないので警戒しているらしい。剣を抜き、二度、三度と振り回す。まるで透明な敵でも相手にしているみたいだ。でも僕のいるところとはまるで見当違いの場所だから全然当たらない。
外であわてたような足音が近づいてきた。見張りがもどってきたらしい。
何かあったのか? と扉越しにシャロンさんが尋ねると、何でもありません、と取り繕ったような声が返ってきた。金貨につられて持ち場を離れたのが、やましいのだろう。
シャロンさんはそうか、とだけ言ってまた剣を鞘に戻した。それからベッドに腰を下ろし、ベッドわきの麻袋から酒ビンを取り出した。てっきり飲むのかと思ったら空っぽの黒いビンに中身を移し替えている。何のマネだろう?
ちゃぽちゃぽと酒ビンを振ってからシャロンさんはまた麻袋の中に戻した。麻袋の中にはほかにも金貨や宝石がたくさん入っていた。うわ、すごい。それも一袋だけじゃない。いくつもの小さな袋に小分けにしている。
これ、みんな冒険者として稼いだお金なんだろうか。それとも、旅人や行商人から奪ったお金なのかな。
シャロンさんは麻袋の中を見つめ、さびしそうな眼をしている。
正しい手段で稼いだお金ならもっと誇らしそうにするはずだ。でも、お金が欲しくて手に入れたならもっと悪そうな顔をしていてもいいはずだ。自分のしでかしたことが後ろめたいのかな。
物語なんかだと主人公が忍び込んだ時に悪者が悪だくみの相談をしていたり、恐ろしい魔物や兵器を前に独り言をつぶやいていたりするものだけれど、そんな様子は全くない。タイミングが悪いのか、やっぱり無実だからなのか。一応『失せ物探し』で『シャロンさんの魔物』と探してみたけれど、何の反応もなかった。なかなか物語通りにはいかないようだ。
あ、そうだ。
いいことを思いついた。僕はカバンから何枚か金貨を取り出し、じっと表と裏を見つめる。それからぎゅっと握りしめた後、こっそりと麻袋の中に入れておいた。金貨のこすれる音がしたけれど、シャロンさんは特に不思議に思う様子もなく、麻袋の口をひもで縛りあげた。
これでよし。
今、あの金貨には僕の目印を付けておいた。あんな大金を持ちながら冒険に出るとは思えない。きっとどこかに隠すか預けておくかしているはずだ。もし、シャロンさんが盗賊のまねごとをしているのなら、そこには魔物を使って奪い取ったものもあるはずだ。これで『失せ物探し』を使えばどこにあるか、見つけ出すことができる。ものを黙って盗むのはドロボウだけれど、金貨を増やすのはドロボウじゃあない。へへっ、僕って頭いいな。
ほかに証拠になりそうなものはないかな、と思った時、ノックの音がした。
「シャロンさん、よろしいですか。そろそろ……」
見張りの声だ。どうやら夕食の時間らしい。
「わかった、今行く」
扉越しに声をかけると、シャロンさんは麻袋をベッド脇に戻し、窓を閉める。それからボタンを外し、上着を脱ぎ始めた。
部屋のすみっこにいた僕の目にシャロンさんの背中があらわになる。白いうなじから背中にかけてかかる長くつややかな金髪が腰のあたりでさらりと揺れる。
頭の中で真っ白な光が爆発した気がした。ダメだダメだ。ここにいちゃまずい。あわてて扉の外へ飛び出した。勢いよく開けたせいか、見張りの顔に思い切り扉をぶつけてしまった。ごめんなさいと謝りながら駆け抜けて階段に足をかけたところで扉が開けっ放しなのに気づいて、閉めに戻ると、脱いだ上着で胸元を隠したシャロンさんが見えてしまい、なだらかな肩や、ひきしまった二の腕やほっそりとした腰の線に僕はもう頭の中がぐるぐるになった。扉をばたんと閉めて、這うようにして一階まで駆け下りた。
そのまま『知恵ある黒蛇亭』を飛び出し、裏口に回ったところでようやく息をついた。
まったく危ないところだった。あやうくチカンになるところだった。女の人の裸をのぞくなんて最低の行為だ。絶対に『贈り物』をそんなことには使わないようにしようと戒めていたのに、油断していた。のぞきなんて絶対に許されることではない。いくらシャロンさんがキレイだからといって、確かにキレイだったけれど、良くないことだ。見たいという欲望に流されるのは弱い男のすることだ。キレイな裸だったからといって見続けるようないやらしい奴に成り下がっては母さんに申し訳が立たない。しっかりしろ、リオ。柔らかそうな肌だったけれど、じろじろ見たりましてやさわろうだなんて卑怯者のすることだ。お前は働き者に生まれ変わったんだろう? それから美人のお嫁さんをもらって裸を……いや、そうじゃない。僕がのぞいたのは、シャロンさんたちの不正を調べるためであって、シャロンさんが裸かどうかなんて関係がないけれど、でも調べるためにはもっと色々なことを見ないといけないわけでたとえば裸とか……。
うん、ダメだ。僕は今、冷静さというものを欠いている。酒場の裏口にあった井戸から水をくみ上げ、頭からひっかぶる。顔を振って水滴を払い飛ばすと数回、深呼吸してようやく頭が冷えていくのを感じた。
今日はおとなしく帰ろう。このままじゃあシャロンさんをいやらしい目でしか見られなくなってしまう。マントで頭を拭いて、宿への帰路についた。
お読みいただきありがとうございました。
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次回は11月8日午前0時頃に開始の予定です。