白猫と虹の杖 その10
「本当にありがとう。グリゼルダさんにも伝えておいて」
グリゼルダさんは魔法がうまくいったのを確認するとすぐに二階へと上がっていった。きっと今頃くまさんのぬいぐるみを抱きながら夢の中だろう。
反対にスノウは僕が試し終える頃にはもう起き上がっていた。休んだらスノウもすっかり元気になっていた。今も僕の足に体をこすり付けている。よかった。
「ママから伝言。『新しい魔法を付けたくなったらまたウチに来なさい』って。今のアンタなら簡単でしょ?」
「うん、わかった」
杖の使い方に慣れたらまた新しい魔法を付けてもらいに来よう。その時はもっとお金も用意しておかないと。
「そうそう、もう一つママから伝言よ。『おつりはいる?』だって」
僕は苦笑した。
「いいよ、こんな素晴らしい杖を作ってくれたんだ。むしろ僕の方こそ、追加でお礼しなくちゃいけないくらいなのに」
「私もそう言ったんだけどね。今回はサービス料金だっていうから。まったく、家計を預かる身にもなってほしいものよ」
ロズはため息をついた。
「ところでこれからどうするの? もうこの町を出る気?」
「いや、杖の効果を実戦で試してみようかと思ってさ。今からさっそく向かおうかと」
「あっそ。気を付けてね。あそこの山ならグレートライノーとビッグボア以外は弱い魔物ばかりだから、アンタでも大丈夫なんじゃないの」
と、町の向こうに見える山を指さす。僕とスノウが出会った山だ。
「いや、今回は別のところで試してみるつもりさ」
「どこで?」
僕はにやりと笑った。
「この町の領主様の館」
物語なんかだと、大きなお屋敷に入るために変装したり、真っ黒な服を着て真夜中にドロボウみたいに忍び込んだり、色々苦労している。けれど、僕はそんな手間をかけなくてもいい。『贈り物』なら正門から堂々と入ればいいんだから楽なものだ。
僕はスノウと一緒に領主様の館の前に来ている。
「僕から離れちゃダメだよ」
腕の中のスノウがにゃあ、と鳴いた。
領主様の館はこの町の真ん中、高い壁とお堀に囲まれた石造りの三階建てのお屋敷だ。
正門の前にはもちろん兵士がいて、人の出入りを見張っている。今も四人の兵士が槍を持って立っている。
スノウを抱え、兵士たちの横を通って門をくぐる。
僕が領主の館に入る理由はただ一つ、この町の領主様に会うためだ。
グリゼルダさんが安心してマジックアイテム作りを続けるためには、悪い奴から守る人が必要だ。この町の領主様は体調を崩すまでは、何度もグリゼルダさんをかばってくれていた。だから、元気になったらまたグリゼルダさんの力になってくれるよう、お願いしようと思っている。
そいつを確認するためにも、一度領主様に会わなくてはいけない。もし弱虫カーティスがジャマしたらその時は思い切りぶん殴ってやるつもりだ。
門をくぐると奥に古びた建物が見える。あれが領主様のいる家だな。スノウを抱えながら館へ続く道をまっすぐ歩く。左側には馬小屋や、館で働いている人たちの家が建っている。反対側には騎士の練習場らしき広場もあったけれど、練習している騎士や兵士はいなかった。
館の側に来ると小さな庭が見えた。あちこち石が転がっているし雑草も伸び放題で、あんまり手入れもしていないみたいだ。
サビの浮いた取っ手をつかみ、両開きの扉を開けて屋敷の中に入る。
屋敷の中に入ると、しんと冷えた空気が顔に当たった。
ホコリとゴミは落ちていないけれど、にぎやかさというのは感じない。
一階は台所や兵士の詰所みたいなところで、領主様の姿はなかった。
もしかして、地下牢かな。
そもそも僕は病気だというのも怪しいと思っている。自分の妻と別れようとした時に病気で倒れるなんてあまりにもカーティスたちに都合がよすぎる。きっと臆病者で卑怯者のカーティスが何かしたに違いない。もしかしたら牢屋にでも閉じ込められているのかも。
そう思って地下牢を探してみたけれど、地下は食糧庫とか武器庫とかばかりで、それらしい場所は見つからなかった。地下牢はないみたいだ。
仕方ないので次は二階を探すことにした。
階段を上りると正面は壁で左右に赤いじゅうたんの廊下が続いていた。廊下の片側が壁になっていて、数フートごとに開いた小さな窓が丸い光を絨毯に落としている。もう片側には分厚そうな扉がやはり等間隔で並んでいる。
まず向かって右側の部屋を調べることにした。どの部屋も誰もいなかった。こっちはハズレかな、と思いながら突き当りにある扉の前まで来た時、女の人の声がした。
「まだ書く気にはなりませんか?」
僕は声のした部屋に近付き、耳をそばだてる。
「いい加減にねえ、書いてくれてもいいじゃありませんか。ねえ、あなたはあの子がかわいくないんですか」
「誰が、あなただ」返事をしたのは男の人の声だ。のどの詰まっているところから必死に絞り出しているような、苦しげな響きがある。
「貴様はもう他人だ。妻でもない」
僕は扉を静かに開けた。
薄暗い部屋だった。窓もカーテンを閉め切っていて、せっかくのいい天気なのに日の光も入らない。薄暗い中で目を凝らすと、タンスや机に混じって、すみっこのベッドに男の人が寝ているのが見えた。細面の男の人だ。薄暗い中でもわかるくらい青白い顔をして、何度もせき込んでいる。髪の毛もほつれ、息をするたびにぜえぜえとイヤな音をさせている。
見るからに弱々しいのに、どこか高貴な雰囲気がある。もしかして、この人が領主様かな。確か今年で三十六か七歳のはずだ。年のころもちょうどそれくらいだろう。
部屋に入ると、化粧の濃いおばさんが僕の方を見た。顔の造作は整っていて美人だけど、黒目がかったいやしい目つきや、小ばかにしたような口元が魅力を台無しにしている。
おばさんと一瞬、目があうけれど『贈り物』を使っている僕に気付くわけもなく、またベッドの方に向き直る。
「あなたがサインを書いてくれれば、すべてが丸く収まるのよ」
「黙れ、イモージェン」叫んでから男の人が激しくせき込む。「お前たちのたくらみなど……」
「たくらみなんてイヤね、まるでおとぎ話の魔女みたいじゃない」おばさんことイモージェンが薄笑いを浮かべる。
「あなたが正式な委任状にサインをしてくれれば、あとはカーティスがうまくやってくれるわ。あなたはウィリーがかわいくないの?」
「お前のような母を持ったが、あの子の一生の不幸だ」
どうやらこのイモージェンというおばさんが、例の離婚されそうになった妻らしい。
するとウィリーというのがこの二人の息子で、一歳の領主代理かな。
「この町のマジックアイテムをあいつのオモチャにするつもりはない。弟に言ってやれ。ごっこ遊びはもう卒業しろとな」
「まったく、強情な人」イモージェンは困ったわね、とでも言いたげに首をかしげると領主様の腕を思い切りつねった。
領主様の顔がゆがむ。けれど、イモ―ジェンの指を振り払うでも払いのけるでもなく、じっとに痛みに耐えている。
「あらやだ、ごめんなさい。痛かった? でもね、私も悲しいのよ」
イモージェンが芝居かがった仕草で首を振る。指はつねったままだ。
「あなたほどのお方がこんなかよわい女にすら手も足も出ないなんて。昔は、陛下にも認められたほどの剣の腕前だったのに」
「黙れ……っ!」
「本当、この大事な時にカーティスったらほっつき歩いて……まあいいわ。あなたに頼まなくても当てはあるもの」
そこでようやくイモージェンが手を離した。領主様のせきがまたひどくなる。
「まだ時間はあるわ。そこで汚いせきをはきながらゆっくり考えなさい。この町の……いいえ、マクファーデン家の将来のために」
「ま、待て……まさか、貴様……っ」
領主様は途中でせきがひどくなって最後まで言い終わることができなかった。
イモージェンは笑いながら扉の方へ歩き出した。
扉を開けて廊下を出たところでけつまづいて転んだ。盛大な音が廊下に響く。
もちろん、僕が足を引っかけたからだ。へん、いい気味だ。
イモージェンは鼻の頭を押さえながら立ち上がり、乱暴に扉を閉めた。
足音が遠ざかっていくのを確かめてから僕はベッドに近付き、『贈り物』を使うのを止めた。
「お初にお目にかかります、領主様」
「なっ、何者だ?」
領主様はせきこみながら枕元で何かを探すようなしぐさをした。もしかして、剣を取ろうしているのかな。
「御無礼のほど、お許しください。僕はリオ。旅の者です。お休みのところ失礼します。どうしても領主様にお会いしたくてはせ参じました」
あわてふためく領主様にぺこり、と一礼する。
「えーと、きょう僕が来たのはですね。グリゼルダさんの件でお願いがあってまいりました」
「グリゼルダだと?」
領主様の眼の色が変わる。
「ご存知だと思いますが、グリゼルダさんは、変な奴らに追い掛け回されてマジックアイテム作りができない状況なんです。そこで領主様にまた、グリゼルダさんを守っていただけるようお願いに参りました」
「ムリだ」領主様は首を振った。「今の私にそんな力はない」
「ええ、そうだと思います」
イモージェンにつねられても抵抗できなかったくらいだ。弱っているのは僕でもわかる。
つねられていたところを見ると、あざになっている。ひどいことするなあ。
「ですから、少し元気になっていただきます」
僕はカバンの『裏地』から杖を取り出し、『核』の付いた方を領主様に向ける。杖の使い方は簡単だ。僕がそう念じればいい。声に出す必要はない。
でも、声に出した方がイメージもしやすいから声に出してみる。
「『治癒』」
僕が杖に意志を注ぎ込むと『核』が緑色に輝く。『核』から緑色の光が薄衣のように広がってあっという間に領主様の全身をつつむ。
これが僕が杖に付けてもらった魔法の一つだ。
この光を当てると、ケガや病気を治してくれる。こんな風に解毒もできる。
この魔法があれば母さんも助けられたんじゃないかと思っていたけど、瀕死の人間をよみがえらせたり、あまりに強い毒や病気を治すことはできないらしい。
「つまらないこと考えないの。杖に付けられる程度の魔法でどうにかなるんなら、あいつは自分で治してた」
グリゼルダさんにもそうクギを刺されてしまった。まったく僕ってやつは考えていることがまるわかりのようだ。気を付けよう。
光を当てているうちに、領主様の顔に血の気がさしてきた。腕にも足にも生気というものがよみがえっているのが僕にも見て取れた。
「もう大丈夫そうですね」
すっかり良くなったようなので僕は『治癒』を止める。
「具合はどうですか?」
領主様は腰を起こすと、ご自分の体を撫でさすったりして調子を確かめる。信じられないって顔で僕を見る。
「一体何を……」
「やっぱり、毒を盛られていたんですね」
追放しようとした寸前に病気で倒れるなんて、あまりにもカーティスたちに都合がよすぎる。
毒を飲ませて、看病という建前で部屋に閉じ込めていたんだろう。
「お前、何者だ?」
「先程申し上げたとおり、僕はただの旅の者です。グリゼルダさんには大変お世話になりました。この杖もグリゼルダさんに作ってもらったんです。ですから、その恩返しがしたいんです」
領主様がはっとなる。
「待て、お前今何と言った。杖を作った……だと?」
領主様が急に僕の腕をつかんだ。ずっと寝たきりだったせいか、全然力は入ってなかったけれど、領主様の眼から必死なものを感じた。
「まずい。グリゼルダが危ない!」
「どういうことですか?」
「お前が言ったとおりだ。グリゼルダがマジックアイテム作りを止めたのは頭のおかしな連中に追い回されたからだ。そのうちの一人がカーティス……私の義理の弟だった男だ」
あの弱虫カーティスか。あいつならやりかねない。
「あいつはまだグリゼルダをあきらめてはいない。病気というのも最初から疑っていた。私の顔を立ててあきらめたふりをしてはいたが、お前の杖を作ったと知ったらすぐにでも自分のマジックアイテムを作らせようとするだろう。そして、マジックアイテムの力でこの町を乗っ取るつもりだ。私に領主代理の委任状を書かせた後でな」
「何故、委任状を書かせようと?」
確か委任状って、何かの「代理ですよ」という書類のことだったはずだ。こういってはなんだけれど、領主様が死ねば後継ぎは一歳の赤ちゃんだ。カーティスは正式に領主代理になれるはずなのに。
「私は一代限りの領主でな。私が死ねば領地は国に返さねばならない。後継ぎといってもこの町の領主になれない」
領主様が死ねば困るのはカーティスたち、ってわけか。領主様を殺さなかったのはそのせいだな。
「なしくずしにつかんだ代理の代理では、町の中はともかく、町の外へでは大した意味をなさない。やれることも限られている。そのための委任状だ」
委任状で正式に領主代理になれば、領主様が生きている間はやりたい放題、というわけか。
「でも、どうしてそこまでグリゼルダさんにこだわるんですか? あんなにすごい魔法使いなのに」
「あいつは魔法使いじゃない」
一瞬、頭の中が真っ白になる。
「いや、少しくらいなら魔法は使えるはずだ。だが、とうてい魔法使いとして戦えるような腕前じゃあない。三流以下だ」
「偽者ってことですか? でも僕は魔法を使っているところを見ましたけど」
「あれはマジックアイテムの力だ」
領主様が僕の杖に目線を落とす。
「杖や指輪、靴から服まで全てマジックアイテムだ。あいつの力は全て道具の借り物だ」
「でも普通、誰かが気づくんじゃないんですか?」
この町には『付与魔術師』が大勢いる。人前でバンバン使っていれば、誰か一人くらいは気づいてもよさそうなものだ。
「それもマジックアイテムの力だ。あいつの服には魔法の出所をごまかす力がある。それでマジックアイテムをさも己の力のように見せかけているんだ」
真っ黒なのはダテじゃなかったってわけか。
「でもグリゼルダさんをそこまで狙うのは、どうしてですか? マジックアイテム作りならほかの職人さんだっているじゃないですか」
「やつのうそっぱちだらけのウワサが王都にも届いたらしい。陛下の前で魔法を披露するはめになった。それがあと二か月後に迫っている。だが、陛下の前に出るのだ。当然持ち物は厳重に調べられる」
おかしなマジックアイテムを付けていれば当然見つかってしまう。真っ黒な服がどれほどの効果があるかはわからないけれど、王宮には一流の魔法使いがたくさん召し抱えられている、という話を聞いたことがある。いんちきなんてすぐばれるに違いない。
僕は魔法使いじゃないけれど、王様の前で魔法を見せるというのはとても名誉なことのはずだ。成功すればあいつはますます名前をあげることになる。けれど、実は魔法がいんちきだとばれたら、ただでは済まない。きっとしばり首だ。
「あいつはここ数ヶ月、陛下や宮廷魔導師たちをごまかす手立てをずっと考えていた。その一つがグリゼルダだ。グリゼルダに宮廷魔導師すらごまかせるようなマジックアイテムを作らせて、窮地をしのぐつもりだ。ほかの職人にはムリでも、グリゼルダなら可能だと。少なくともカーティスはそう思い込んでいる」
バカな奴だ。ウソをウソでごまかそうとするからだ。素直にごめんなさいって謝ればいいのに。でも一番許せないのは、自分のウソをごまかすためにグリゼルダさんを利用しようとしていることだ。
「あいつらが私を殺せなかった理由の一つだ。私を殺してしまえば、いざという時にグリゼルダに命令できるものがいなくなる。あいつがカーティスの命令など聞くはずがないからな。何より奴らの危機に変わりはない」
領主様に委任状を書かせて正式に領主代理におさまったとしても、カーティスは二か月後に陛下の前でおひろめしなくてはいけない。
そして失敗すれば身の破滅だ。
「でも、そんなにすぐにわかるものですか? 怪しい奴なんていませんでしたけれど」
見張りがいたのならグリゼルダさんの家を訪ねた時にすぐに気づいたはずだ。杖を受け取った時もそんなやつはいなかった。もちろん、僕は杖に魔法をつけてもらったなんて触れ回るようなうかつ者じゃあない。グリゼルダさんやロズだってそうだろう。
「触媒だ」領主様が遠くを見るような顔をする。
「この町で触媒を手に入れられる店は限られている。店の店員に金でも渡して、グリゼルダかその娘が来たら知らせるようにしておけば、一日中見張りを立てる必要はない」
「ママの代わりに夕飯の食材とか、頼まれた魔法の触媒とかね。大量に買わないといけないから大荷物よ。じろじろ見られてイヤになるわ」
ロズの言葉を思い出す。もし、ロズを見ていた人の中に、カーティスの手先がいたとしたら……。
「まずい!」
早くグリゼルダさんたちに知らせないと!
「すみません。僕はもう行きます!」
僕はスノウを肩に乗せ、杖を振り上げる。
「もし僕がカーティスを何とか出来たら、その、グリゼルダさんのことよろしくお願いします」
「あ、ああ……。だが、ここからグリゼルダの家までは……」
「問題ありません」
僕は神霊樹の杖に意志を込める。杖の『核』が紫色に輝く。
「あそこなら一瞬です」
そして僕は領主様の前から姿を消した。
お読みいただきありがとうございました。
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都合により、次回から更新曜日を変更させていただきます。
今までの水曜日と土曜日から火曜日と金曜日の午前0時頃に変更いたします。
※間違って次回分も投稿してしまったので、今回はもう一話あります。