白猫と虹の杖 その9
もしかして、あの馬車に乗っていた人たちか?
あの馬車のそばにはスノウが入っていたらしいオリが落ちていた。
つまり、この人たちがスノウの飼い主?
「そいつにはなあ、大金がかかっているんだよ」
「七日ほど前に山でグレートライノーにおそわれてな。その時に逃げ出しちまったんだよ」
「悪いことは言わねえ、返してくれねえか」
なだめすかすように三人の男たちが僕に近付いてくる。僕はスノウをぎゅっと抱きしめる。
「そいつはよくねえ料簡だぜ、兄ちゃん」
僕の気持ちを読んでか、先頭の男がおおげさに眉をひそめてみせる。
「ちゃんと証明書だってあるんだ。こいつを出すところに出せばどっちがドロボウかってのは明らかだぜ」
そんなものまであるのか。自信たっぷりに話しているのはそのためだろう。スノウがこの人たちのところにいたのは事実のようだ。
「そうだそうだ」
側の男が大きくうなずく。
いつの間にか、僕たちの周りに野次馬が集まりだしている。
どちらが正しいかを大声で言って、野次馬を味方に付けるつもりなのだろう。
まずい、まずいぞ。
首筋に冷や汗が流れる。
この人たちはきっと旅の商人で、スノウをどこかの貴族にペットとして売りつけるつもりなのだろう。スノウのかわいさなら充分あり得る。
証明書とやらがある以上、僕の立場は圧倒的に不利だ。
けれど、それがなんだというんだ。胸の中ではスノウが爪を伸ばして僕の服をつかんでいる。僕を見上げる瞳も不安そうに揺れている。この人たちがスノウを僕よりかわいがっていたようには思えない。なにより、僕はスノウを渡したくない。
「拾ってくれた礼くらいはしてやるよ。けどな、それ以上望むのは」
「いくらですか」
男の話をさえぎって僕は言った。
「あん?」
「あなたはこの子に大金が掛かっていて、証明書もあるといいました。つまりこの子は『商品』ということですよね。僕はこの子が気に入りました。僕、買います。この子が欲しいです。お金なら払います。ですからいくらだと聞いているんです」
スノウと別れたくない一心で早口でまくしたてる。
友達をお金で売り買いするなんて、まるで友情をお金で買っているようで気分が悪いけれど、逆に考えればいい。お金で解決できるなら安いものだ。
「バカ言っちゃいけねえな。お前さんみてえな子供に払える額じゃねえよ」
「払えますよ。僕はオトナですから」
男はげらげらと笑うと、首をひねりながらスノウを気持ち悪い目つきで見つめる。やめろよ、スノウが怖がっているじゃないか。
「そうだな、金貨百枚はもらわねえとな」
「わかりました、払います」
僕は『裏地』から金貨百枚の入った袋を取り出す。この前、ブラックドラゴンの爪や鱗を売った残りだ。大金かもしれないけれど、スノウと一緒にいられることを思えば惜しくはない。
ペットの相場なんて知らないけれど、猫一匹が金貨百枚もするはずがない。僕が山奥育ちの世間知らずでもそのくらいはわかる。
きっと、この人たちは最初からスノウを売るつもりなんてなかったんだ。法外な値段をふっかければ僕がなきべそをかいてあきらめるとでも思っていたんだろう。おあいにくさま。
「手を出してください」
袋から金貨を十枚ずつ取り出すと、しきりにまばたきしている男の手のひらに、きちんと数えながら乗せていく。
お金が足りないとか言われてはたまらない。
「……九十九……百。はい、これで金貨百枚です。いいですよね、ちゃんとありますよね。確認してください」
「あ、ああ」
三人とも目を丸くしている。僕が大金を持っているなんて思わなかったんだろうな。
「はい、金貨百枚です。確かに払いました。では、証明書というものを出してください」
「へ?」
「この子の証明書ですよ。あなたがさっき持っていると言ったんじゃないですか。出してくださいよ。僕は今、金貨百枚払いましたよ。なら、この子と一緒にいられる権利は僕のもののはずです。それとも証明書とやらはウソなんですか? 持ってもいないのにこの子を渡せと言ったんですか!」
「いや、ある。あるぞ!」
あわてた様子で懐から折りたたんだ紙を取り出す。男の手からひったくると、折り目の付いた紙を開く。
なんだこれ、ただの商品目録じゃないか。要するに、スノウがこの人たちの商品だというカタログだ。瞳の色だとか、尻尾の長さだとかスノウの特徴も描いてあるし、ものは間違いなさそうだ。
けれど雑な目録だなあ。スノウのかわいさを半分どころか、百分の一も表してない。僕なら今すぐにでも五十枚は書く自信はある。
目録の一番下にはコードニー商会と書いてある。
「このコードニー商会というのはあなたたちのことですか?」
「ああ、そうだ」と、小さな銅の板を見せる。
旅商人ギルドの組合証だ。
旅商人ギルドは一言でいうと、冒険者ギルドの旅商人版だ。各地を回る旅商人が、旅の途中の困りごとをお互いに助け合うための組織だ。冒険者ギルドのものとは形も違うけれど、前に同じ組合証をつけた旅商人を見かけたことがある。身分は確かなようだ。
「いいでしょう、では僕はこれで。どうもありがとうございました」
目録だか証明書だかをカバンにしまいこむと、お礼を言ってその場を早足で後にする。気が変わらないうちにスノウを連れて行くのが一番だ。
何度も振り返り、誰も追いかけてこないのを確認してからカバンから目録だか証明書だかを取り出す。そいつをぐちゃぐちゃのびりびりに破くと、薄汚れたおじさんたちが暖を取っているたき火の上に降り注いだ。悪魔の契約書は一瞬で黒焦げの灰になる。
ふう、と僕は大きく息をはいた。
一時はどうなることかと思ったけれど、終わってみればすべてうまく行った。
馬車の人たちとも話が付いたし、僕もドロボウにならずに済んだ。これで誰に恥じることなくスノウの側にいられる。
「これでずーっと一緒だね、スノウ」
うれしくってスノウに頬ずりする。
スノウの声も喜んでいるように聞こえた。
幸せな気持ちのままグリゼルダさんの家に着いた。
ノックするとロズが出て来るなりあら、と言った。
「どうしたの? なんだかすっきりした顔をしているけど」
「そうなんだ」
自分では気づかなかったけれど、悩み事が一つ解決したからかな。
「いいことでもあったの?」
「まあね。後で話すよ」
今はグリゼルダさんの方が気になる。
「それよりグリゼルダさんの様子はどう? 杖の方は」
するとロズはしっ、と指を自分の小さな唇に当てる。
「ママなら今寝ているわ。だから大きな声出さないで」
ゴメン、と僕は自分の口に手を当てる。
「杖なら完成したわ。今持ってくるから」
「あらリオ君」
奥の階段からグリゼルダさんからあくびをしながら降りてきた。とても疲れているようだ。目の下にあざみたいなくまができている。髪の毛も寝ぐせだらけだ。
「ちょっと待っててね。今持って」そこで言葉が途絶えた。グリゼルダさんが足を滑らせて階段から転げ落ちたからだ。
「ママ!」ロズが血相を変えて駆け寄る。「だから寝ててって言ったじゃない」
「平気よ、リオ君には私の方から説明しないとね」
僕たちはお店のカウンター横のイスにグリゼルダさんを座らせる。
「ママはそこで休んでて。私、持ってくるから。アンタ、ママをお願い」
ロズはそう言い残して階段を駆け上がっていった。僕はスノウにグリゼルダさんのことをお願いすると、台所へ向かった。ロズが沸かしたのだろう。お湯があったのでたんぽぽコーヒーを淹れる。熱いコーヒーを飲めば目も覚めるだろう。おいしいたんぽぽコーヒーならなおさらだ。
「大丈夫ですか?」たんぽぽコーヒーの入ったカップをグリゼルダさんに手渡す。
「平気よ」グリゼルダさんはにこっと笑った。「完成したわ。さすが『迷宮核』ね。あれはね、私の最高傑作よ」
「けど、こんなにふらふらになって」
「バカね、こんなのへでもないわ。私はね、今幸せなのよ」
グリゼルダさんはまるで熱に浮かされているみたいだ。
「私はね、最高の素材を使って最高のものを作ったの。世界中の『付与魔術師』が望んでも手に入らない幸運を私は手に入れた。そして私はやってのけた。それもこれもあなたたち親子のおかげよ。自分の満足いくものを作れるってね、とても珍しいことなのよ。リオ君、わかる?」
「よくわかりません」
僕にわかるのは、グリゼルダさんがとても喜んでいるということだけだ。
「とりあえず、今のグリゼルダさんに必要なのは温かいベッドに入って目を閉じることだと思います。母さんも言っていました。『世間の問題の半分は、寝れば解決する』って」
「寝るわよ。くまさんのぬいぐるみでも抱っこしながらね。けど、今はこの幸せに浸らせてよ」
寝ぼけまなこで変な笑い方をする。まるで酔っ払った母さんだ。飲んでないよね?
そこへロズが階段から降りてきた。
「はい、これ。アンタのよ」
僕に神霊樹の杖を差し出す。
見た目はちょっと変わっていた。白い杖の先が曲がって輪になっていて、その真ん中には黒い水晶玉が付いている。これが『迷宮核』かな。色も変わり今までより一回り小さくなっている。
僕は杖を受け取り、軽く振り回してみる。杖の形が変わったので取り回しがちょいと悪くなったけど、感触は悪くない。
「あとは最後の契約よ。『核』のところを触って契約の言葉を言ってみて」
グリゼルダさんに言われるまま、手袋をはずして『核』のところを触る。教わった契約の言葉をゆっくりとつむぐ。
「汝は我が力、汝は我が魂。これより汝の願いは我の願い。我が心のままに刃であれ、盾であれ、宝石であれ、土塊であれ、炎であれ、水であれ、空であれ、大地であれ、光であれ、闇であれ! 我がリオの名においてここに血と魂の縁を取り交わさん。『契約』」
言い終えると同時に『核』が光った。赤、青、黄、緑、紫、白、黒と一瞬ごとに色を変えながらお店の中を照らし、明滅を続ける。明滅はだんだんと早まり、人の目ではとらえきれない速さになっていく。色は混ざり、絡まり、最後には白だけが『核』に残る。
そして目のくらむようなまばゆい光を放った瞬間、光は消えて元の『核』に戻った。
「契約は終了ね。これでその杖を使えるのはリオ君だけよ」
「よかった。ぴかぴか光っていたら夜も眠れなくなるところでした」
「それじゃあ、さっそく付けた『魔法』を試してみようか」
グリゼルダさんは立ち上がって工房の方を指さす。
「工房の裏が空き地になっているのよ。そこで試してみましょう」
グリゼルダさんが勢いよく立ち上がる。まだ体がふらついている。
僕が支えようとした時、グリゼルダさんが声を上げた。
誰かに押されたみたいに急にバランスを崩して、カウンターに倒れ込む。その拍子に持っていたコーヒーカップを手放してしまう。
飛ばされたコーヒーカップは宙に浮き、湯気の出た中身ごと僕の顔に飛び込んで来た。こげ茶色の液体が一粒一粒、熱気を上げながら僕の頬や額に迫る。グリゼルダさんに気を取られていたせいで、かわすこともできず、これから毒蛇のようにおそい掛かって来る熱さを覚悟しながら目を閉じた。
長い鳴き声が聞こえた気がした。
暗闇に青白い光がまたたいた。思わず目を開けると、カウンターの上に座っていたスノウの目の前に不可思議な紋様の魔法陣が、輝きながら宙に浮かんでいるのが見えた。僕の顔の真横では、コーヒーカップが波打ったたんぽぽコーヒーとともに空中で止まっていた。
跳ね上がったこげ茶色の粒も舞い上がった湯気もすべて固まっている。カップの中の嵐の海のように荒れ狂った表面から、ふちからこぼれたしずくまで、全て凍りついたみたいに静止していた。
なんだこれ?
何が起こったのか理解するより早く、魔法陣が陶器のような音を立てて砕け散る。
同時にコーヒーカップが動き出した。こぼれたたんぽぽコーヒーが注ぎなおしたかのように自分からカップの中に戻る。宙に浮いたカップは飛ばされた時と全く同じ軌道を描いてグリゼルダさんの手の中に納まった。
魔法陣の破片は光りながら宙に溶けるように消えてゆき、しんと夜の海のような静けさが部屋の中を浸した。
僕たちは声もなく立ち尽くしていた。グリゼルダさんはコップを手にしたまま固まっているし、ロズは腕を伸ばしたままお化けみたいな体勢で止まっている。
二人ともすがるように僕を見る。僕は黙ってかぶりを振る。
説明を求められたんだろうけど、僕だって何が何だかわからない。
今のは何だったんだ?
僕が熱いたんぽぽコーヒーをかぶる寸前に、スノウが魔法を使って助けてくれた? まるで夢でも見ているみたいだ。
スノウは僕に歩み寄り、鼻先を僕の腕にこすり付けている。
僕たちの中で最初に動いたのはグリゼルダさんだった。カップをカウンターに置いて、スノウをまじまじと見つめる。
「もしかして、この子、『猫妖精』なの?」
『猫妖精』? なんだそりゃ。
「一言でいうと猫そっくりの妖精ね。見た目は普通の猫だけど、とても高い魔力を持っていて、人間には使えないような魔法をいくつも使うそうよ。その様子だとリオ君も知らなかったみたいだけど」
ただの猫じゃなかったのか。どうりで、普通の猫にしてはかしこいなと思っていたんだ。
「やっぱり君は特別だったんだね」
僕はスノウを抱え上げる。
「君が僕を助けてくれたんだね。ありがとう、スノウ」
僕がお礼を言うと、スノウはくてん、と魂が抜けたみたいにうなだれてしまう。
「え、どうしたの、スノウ!」
「大丈夫よ、多分疲れているだけだと思うわ」
グリゼルダさんがスノウのあごの下を指先でなでる。
「きっと力を使い過ぎたのね。まだ子猫みたいだし。休んでいれば治ると思うわ」
僕はスノウをカウンターの上に戻した。スノウは白くて小さな体を丸めてそのまま寝息をたてはじめた。
「信じられないわね、こうしていると普通のかわいい子猫なのに」
ロズがあきれ顔で言った。
「『猫妖精』に関してはまだわからないこともたくさんあるわ。人間の前に出て来ることも珍しいし、出てきてもこんな風に普通の猫のふりをされたらまず見つからないもの。見つかった『猫妖精』は、何百枚もの金貨で取引されるそうよ」
金貨百枚というのは適正な価格だったわけか。ごうつくばりじゃなかったんだ。
「気を付けてね、リオ君」グリゼルダさんが真剣な顔で僕の方を見た。「この子が『猫妖精』だとわかったら、きっと欲の深い連中が奪いに来るわよ」
「大丈夫です」
僕はうなずいて、眠っているスノウの体をなでる。小さくてふわふわしてて暖かい。心臓がとくとくとくと鳴っている。小さな命の鼓動を感じながら僕は反対の手で拳を握った。
「スノウは僕の友達です。絶対に守ります。誰にも渡しません」
かしこいスノウなら魔法を使えば正体がばれるくらいわかっていたはずだ。それでも僕を助けるために魔法を使ってくれた。
なら今度は僕の番だ。僕がスノウを守る。
「ならこのことは私たちの秘密よ。リオ君もスノウちゃんに魔法を使わせないようにね。ロズ、あなたも誰にも言っちゃダメよ」
「わかったわ、ママ」
ロズが神妙な顔でうなずいた。グリゼルダさんが満足そうに笑うと手の中のたんぽぽコーヒーを飲み干した。
「それじゃあスノウちゃんを起こさないよう、外で試しましょう」
工房の勝手口を抜けると草もまばらに生えた広場になっていた。家一軒は建てられそうな広さだ。
そこで僕は杖に付けた『魔法』を全部試してみた。
問題なく、全て使えた。
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次回は9月21日午前0時の予定です。