白猫と虹の杖 その8
僕たちは町の南北を流れる川の川べりで休むことにした。近くの屋台で飲み物を買って、ロズに手渡す。生姜と蜂蜜の煮汁を冷やしたものだ。
「ママはね、工房を辞めさせられたの」
のどを潤してからロズはぽつりぽつりと話し出した。
二年前、グリゼルダさんたち『黒紡の針』は、とある貴族から『空を飛べる靴』を作ってほしいと依頼を受けた。
ところが、与えられた予算はごくわずか。『魔法核』や触媒なんかの材料費を考えればとうてい足りるものではない。それでもその貴族は『いいから作れ』の一点張り。
グルゼルダさんたちは素材や予算をやりくりして、どうにか完成させた。ただし一日に飛べる時間はほんの一時程度。
何度も説明を受けたのにかかわらず、その貴族は調子に乗って空を飛び続け、とうとう地面に落下してしまった。
命に別状はなかったものの貴族はかんかんになって『黒紡の針』の職人さんたちを責め立てた。作った人間を処刑するとまで言ったらしい。
困った『黒紡の針』の人たちはその責任をグリゼルダさん一人に押し付けた。
この町の領主様のとりなしでどうにか処刑は免れたそうだけど、グリゼルダさん一人が財産を没収されて『黒紡の針』を辞めることになった。
ほかの工房に入ることもできず、グリゼルダさんは、町の南側で自分一人の工房を開いた。
『黒紡の針』を離れても、腕のよさはすでに有名だったので仕事が絶えることはなかった。ところがグリゼルダさんの腕を狙って怪しい奴らが訪れるようになった。
グリゼルダさんと独占契約を結んで怪しいマジックアイテムを作らせようとする奴や、逆にグリゼルダさんにお金を渡して、粗悪品をたくさん作らせておおもうけしようとする奴がわらわら寄ってきたそうだ。中には誘拐しようとした奴までいた。ロズも何度か連れ去られそうになったらしい。
グリゼルダさんは病気といつわってその工房を閉めることになり、クロゴケグモ通りまで流れ着いた。今は仕立て屋として細々と暮らしている。
「バカみたいでしょ。マジックアイテム作りに人生をかけた結果がこの始末よ」
「そんなことはないよ」僕は首を振った。「悪いのはその貴族であって、グリゼルダさんは悪くないじゃないか」
「『黒紡の針』の時には警備を雇っていたし、前も領主様がママのことを色々かばってくれたけど、今は領主様もご病気で頭のおかしなのが代理の代理とかやっている。こんな時にママがまたマジックアイテム作りを再開したって知られたら……」
グリゼルダさんを利用しようとする奴らがまたぞろ狙ってくるかも知れない。だから僕の依頼も反対していたわけか。
「ゴメン、なんだか僕は色々厄介事を持ち込んだみたいだね」
「まったく、疫病神もいいところよ」
ロズがくすりと笑った。
「で、アンタはあのマジックアイテムで何をするわけ? 冒険者ギルドで七つ星でも目指すの?」
「いや、これまでどおり旅を続けるだけだよ」
ギルドの格付けなんかに興味はない。上げたくなったらその時に考える。
「旅って、何のために?」
「そうだなあ……」
もちろん、世の中を見て回りたいとか、例の勘違いに決着をつけるためとか、いろいろあったけれどきっかけは母さんだ。
僕は母さんが好きだった。物語で読んだ騎士のように、母さんを守れる男になりたかった。だからジェフおじさんに剣も学んだし、魔物を狩って腕も磨いて、内緒で『贈り物』の使い方もあれこれ研究してきた。
けれど母さんは死んでしまった。僕の人生の目的はそこでぽっかりと消えてしまった。
空っぽの僕は、何のために生きればいいかわからなくなってしまった。
「多分、『何のために?』を見つけるために旅をしているのかなあって」
何のために旅をするのか? 旅を続ける理由を見つけるために僕は旅をしているのかもしれない。
「何それ。わけがわからないわね」
「気にしないで。僕のことだけど、僕もうまく説明できないんだ。なんていうか、つむじみたいなものだよ」
見つけるためにも僕は色々なことを試してみたい。旅を続けるには力がいる。そのためのマジックアイテムのつもりだった。
「君はどうするんだい? お母さんの後を継いで『付与魔術師』とか」
「やめて」
ロズがうんざりって顔で首を振る。
「私はママとは違うの。才能なんてないし、継いでもママの名前にキズを付けるだけよ」
「やってみないとわからないんじゃない?」
『腕のいい鍛冶屋は炉を温める前になまくらを恐れない』という言葉もある。
「後悔するより失敗した方がいいと思うけどね」
「向いてないわよ。私はそれより違う世界が見てみたいわ」ロズが空を見上げる。「あちこち旅をして色々な物を見て回りたい」
「そいつはいい。素敵だ」僕はうわごとのようにまくしたてる。「旅はいいよ。きっと君も気に入る。見たこともない景色も見られるし、食べ物も食べられるし、何よりその……出会いもある」
「なにそれ、口説いているつもり? 十年早いわよ」
ロズはすっと立ち上がった。まるで物語の貴婦人みたいに僕を見下ろすと僕の頭に手を当て、顔を近づける。鼻息が頭のてっぺんをくすぐり、ぞくっとなってしまった。
びっくりする僕に、ロズはふふんと笑ってみせた。においとか大丈夫だったかな。昨日頭洗っておいてよかった。
「いいこと教えてあげる。アンタのつむじ、左曲がりよ」
「ああ、うん、そうなんだ……」
まったく旅はいい。色々な経験というものができる。
少なくともアップルガースにいたら、女の子の鼻息につむじをくすぐられるなんて経験できなかった。ふへへ。
かぷ。
「いたたっ!」
猫に耳をかじられる経験もきっと旅ならではのことなんだろう。
僕は結局、ロズの家まで荷物を運んだ。
「一応、お礼を言っておくわ。ありがとう。あと、飲み物もおごってくれたのも」
「お安い御用だよ」
本音を言えばもう少し一緒にいたかったけれど。
「グリゼルダさんにもよろしく言っておいて」
「なあに、ここまで来て水臭い。お茶くらい飲んでいきなさいよ」
ロズの声じゃなかった。
振り返ると、グリゼルダさんが扉の奥でほくそえんでいた。
「いつの間にそんなに仲良くなったのかな。若い子はいいわね」
「いえいえ、違いますよ。僕たちはたまたま偶然にそこで出会って、ロズが重そうに荷物を持っていたから僕はほんの親切心で一緒に運んであげただけであって、べつにやましい気持ちなんて全然これっほっちも……」
「下らない冗談はやめてママ」
うろたえる僕を尻目に、ロズは何の興味もありませんって顔で家の中に入っていった。
「ええと、まあ、そういうことです」きっと僕はばつの悪そうな顔をしているに違いない。
「なら、荷物持ちのお礼にお茶でも飲んで行って」
「いえ、でも……」
ロズも乗り気でないようだし、僕もさっき飲み物を飲んだばかりだ。用もないのにおジャマするのは悪い気がする。
なによりグリゼルダさんの顔色も悪い。寝ていないという話は本当のようだ。
「ちょうど今、休憩しようと思っていたのよ。息抜きに付き合ってくれないかな。そっちの猫ちゃんの話も聞きたいしね」
グリゼルダさんが僕の肩にいるスノウに指を近づける。スノウはすんすんと匂いを嗅いだ後、指先をぺろりと舐めた。
「ですが……」
「なんならたんぽぽコーヒーも淹れるけど」
「お湯は熱めにお願いします」
たんぽぽコーヒーはおいしかった。この前淹れてもらったのはちょいと焦げが不十分だったけれど、今日のは焦げの味が葉の全部に行き渡っている。たんぽぽコーヒーは焦げの付け方で味が決まる。淹れ方がうまい。
「どう、味は」
「おいしいですよ」
「そう、よかった」
グリゼルダさんがにっこりとほほ笑む。その顔には疲れの色が見える。
ロズは自分の部屋にこもってしまったので、居間には僕とグリゼルダさん、それとスノウの三人きりだ。テーブルには僕とグリゼルダさんのたんぽぽコーヒー。スノウはテーブルの下でミルクをおいしそうになめている。
「ゴメンね、お客様なのに荷物まで持たせちゃって。あの子ワガママだから」
「いいえ、僕から言い出したことですから」
つむじに手をやりながら僕は微笑む。
「それで、あれの調子はどうですか?」
「いやー、想像以上のきかん坊ね、あれは」
グリゼルダさんはお手上げ、とばかりに天を仰ぐ。
「桁外れの力があるくせに不安定でね。しょっちゅう暴走しかけるんだもの。難物だわ」
ははは、と乾いた笑い声を上げるので僕は不安がこみ上げる。
「あの、もしなんでしたら普通の『魔法核』でも……」
最後まで言い切ることは出来なかった。グリゼルダさんが僕のほっぺたを引っ張ったからだ。
「ムリだなんて誰が言ったかな、君。君は黙ってスノウちゃんと完成を待っていればいいのよ」
「でもグリゼルダさんが体を壊したら何にもなりませんよ」
「別にムリをしているつもりなんてないわ。私はね、やりたいからやっているのよ、アイラのためにね」
母さんのため? と僕が問い返すとグリゼルダさんが微笑みながらうなずいた。
「アイラから私のことなんて聞いている?」
「えーと、確か昔、同門の弟子だったんですよね」
急に話が飛んだので僕は考えながら言葉を紡ぐ。
「それで、母さんは何かやらかして破門になったけど、グリゼルダさんはそのまま師匠の後を継いで『付与魔術師』になったと……違いましたか」
「ええ、大違いよ」
グリゼルダさんはちょっとさびしそうに微笑んだ。
「やらかしたのはね、私の方なの」
「え?」
「あれは、私たちが君やロズと同じくらいだったかな。師匠が大事にしてた魔法の杖をね、師匠の留守中に、私があやまってへし折っちゃったのよ。当然師匠はカンカン。おしおきを覚悟してたらね、アイラがかばってくれたのよ。『ちょいと背中をかくのに使ってたら折れちゃいまして。いえ、心配ありません。今度はもっと出来のいい孫の手買ってきますんで』って」
いかにも母さんが言いそうなことだ。口調だけでなく身振り手振りまで簡単に想像がつく。
「で、師匠と大ゲンカになってアイラは破門されたの。どうしてって聞いたらあいつ言ったわ。『私は飽きっぽいからどうせあと二年もいられやしない。けど、アンタならあと十年は続けられるでしょ。だったらアンタが残った方が合理的ってものでしょ』って」
つくづく母さんらしい。
「つまり、今の私がいるのはアイラのおかげってわけ。いつか借りを返そうと思っていたけど、結局その機会も来ないまま、あいつは逝っちゃったからね。だからせめて、その息子に恩を返したいのよ」
「……」
僕は理解した。この人は僕と同じなんだ。今、僕がここにこうして生きているのも、母さんのおかげだ。少しでもその恩に報いたいけれど、その機会もないまま、もどかしい気持ちを抱えている。
そんなグリゼルダさんが母さんへの借りを息子の僕に返そうとしている。
なら僕は、母さんへの恩を母さんの友達であるグリゼルダさんに返すべきだろう。
僕がグリゼルダさんに出来ることは何だろうか。
杖が完成するまでまだ時間はある。考えてみよう。
「ごちそうさまでした」
たんぽぽコーヒーを飲みほし、立ち上がる。
「あら、もういいの。まだゆっくりしていけばいいのに。おかわりもあるわよ」
「いえ、もう充分いただきました。行こうか、スノウ」
スノウはミルクまみれの口元をぺろりとなめまわすと、僕の足にすりよってきた。僕は別れのあいさつをしてスノウを肩に乗せる。
「ああ、そうだ」階段の前で大事なことを思い出す。
「その……もしですね、ロズが旅に出たいと言ったら、その時は認めてあげてほしいんです」
グリゼルダさんが目を白黒させる。
「なあに、あなたたち。そういう約束でもしたの?」
「いえいえ、違いますよ。僕はそんな身持ちの軽い男ではありません。ただですね、ロズが色々将来のことも考えているようなので、できればロズの望むようにさせてあげるのがいいのかな、と思っただけなんですよ、ええ。本当に何かそんな約束だとか全くこれっぽっちもないんですよ」
しゃべりながらどんどん顔が熱くなっていく。なんだか汗まで出てきた。
「まあいいけどね。君ならあの子も任せてもいいかもね」
「いえいえ、そんなめっそうもありません。僕なんてそんな……それでは、失礼します! 行くよ、スノウ」
冗談だとはわかっているのだけれど、ついロズとの旅とかその後の生活というものを色々想像してしまって、最後には逃げるようにしてグリゼルダさんの家を出た。
別れた後、僕はグリゼルダさんたちがどうすれば幸せになれるかを考えた。
グリゼルダさんが安心してマジックアイテム作りを続けていくためには、誰かに守ってもらうのが一番だ。
でも今の領主は病気だし、代理の代理はあの弱虫カーティスだ。当てにならないどころか、逆にグリゼルダさんにムリヤリ作らせるのが関の山だ。
『黒紡の針』に戻るのは難しくても、別の工房ならいけるかもしれない。
そう思ってあちこちの工房を回ってそれとなく聞いてみたけれど、みんなグリゼルダさんの名前を出すと苦い顔をした。
いっそ別の町に引っ越した方がいいんじゃないかとも思うけれど、グリゼルダさんいわく、マジックアイテムを作るのに土地に流れる魔力を利用するらしい。この町の辺りはその魔力が豊かなのだという。加えて触媒もたくさん手に入る町、となるとそう多くはないらしい。
結局何も思い浮かばないまま約束の日は来た。
その日の朝、僕はスノウを抱えて宿を出た。今日は約束のマジックアイテムができる日だ。
「どんな杖になっているんだろうね。楽しみだね、スノウ」
にゃあ、とスノウが返事をする。僕も楽しみだよ。
『歌う赤山羊亭』のあるアオセキレイ通りから町の真ん中を通ってクロゴケグモ通りへ向かう。
大通りから屋台のある通りに出る。
「よう、兄さん」
声を掛けてきたのは、この前の屋台のおじさんだ。僕に向かって手招きしていた。
「ああ、こんにちは。今日もお仕事ですか」
屋台には焼き鳥が何本も火にかざしてあるのが見えた。おととい様子を見に来たけれど、きちんと商売も始められていたのでほっとしている。
「おかげさまでな。材料も生きのいいのを取って来てくれたおかげでだ。ありがとうよ」
「あのふざけた弱虫が来たら言ってください。僕が今度こそとっちめてやりますから」
「やめときな。あれでも領主様の代理だ。逆らったら何されるかわかりゃあしねえぞ」
「代理の代理ですよ。本物じゃあない」
あんなやつに領主なんて務まるもんか。
「まあ、あれ以来見てないね。この前まで、ほとんど毎日みたいにこの辺りを見回っていたのになあ」
どうせ飽きて昼寝でもしているんだろう。真面目に仕事をしているようには思えない。
「そっちの猫ちゃんは今日もかわいいね」
この前来た時にスノウとも顔を合わせている。おじさんもスノウにめろめろみたいだ。あんまり近づくと猫の毛が焼き鳥に引っ付いてしまわないかなあと余計な心配までしてしまう。
「ええ、僕の自慢の友達です」
「それじゃあ、こいつはおまけだ」
と、おじさんは鳥肉のかたまりを手のひらに乗せ、スノウに差し出す。味を覚えているのか、スノウはさして警戒した様子もなくかじりつく。
「ええと、おいくらですか」
「いいからとっておきな。君たちの美しい友情に」
「ありがとうございます」
それからおしゃべりした後、僕が食べる焼き鳥を二本買っておじさんと別れた。
「おいしかったね、スノウ」
スノウも鳴いた。
ほんの七日前まで全然知らなかったのに、今ではスノウは僕の『特別』になっている。不思議なものだ。
ずっとスノウと一緒にいられたらいいなあ。
クロゴケグモ通りの入り口近くまで来た時、後ろから怪しい気配が近づいてくるのを感じた。
「おい兄ちゃん」
振り返ると、ひげを生やした三人の男たちがいた。三人ともごつくて、黒いマントにぼろぼろの茶色いチョッキとズボン。旅人風の姿だけれど、目つきは険しくてどこか荒んだ感じがする。それに、なんだか疲れているみたいだ。
「何かご用ですか」
僕が問いかけるとリーダーらしき腹の突き出た男がおやあ、とわざとらしい声を上げた。
「なあ、兄ちゃん。その猫どこで拾った?」
「どこって……」
僕が答えるより早く、その男は僕の方を向いたまま、親指で後ろを指さした。
「もしかして、そこの裏山にある壊れた馬車の辺り、じゃねえのか」
僕は血の気が引くのを感じた。
お読みいただきありがとうございました。
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次回は9月17日午前0時の予定です。