最後の『王権』 その4
「護衛はどうした? ブリジット」
ルカリオの声には心配よりもやっぱりという、呆れたような気持ちがあった。
ブリジット、というのが女の人の名前らしい。記録では『黒』のジュリオを産んだのは名もなき踊り子、ということになっている。名前は伝わっていなかったけれど、彼女がそうなのだろう。
背の高い人だけれど、大柄なルカリオと並ぶと頭半分ほども低い。
「いらないわ」
ブリジットはうざったそうに首を横に振った。
「アタシに必要なのはこの子だけ。あなたの部下も家来もいらないわ」
「一人でジュリオを守れるのか?」
「母は強し、よ」
それよりも、とブリジットは赤ん坊のジュリオを差し出してきた。まるで押しつけているみたいだ。
「抱いてあげて。それが済んだらもう行くわ。アタシが最後だもの」
ルカリオは恐る恐るジュリオを受け取る。何千何万の人間を殺し、何百万もの魔物を従える『魔王』がおっかなびっくりって感じで自分の息子を抱いている。
優しくも儚い温もりが僕にも感じられた。
「あやつらはどうしていた?」
「今更心配?」
ブリジットは鼻で笑った。
「ムリヤリここに連れて来られた上に、ムリヤリ妻にされてムリヤリ子供まで作らされた。どこかの非情で卑怯で非道な『魔王』のせいでね。自分の命が残り少ないかも、って思ったら情でも生まれたのかしら。ねえ、『魔王』様」
皮肉っぽい口調にルカリオは返事が出来なかった。
ルカリオにはほかに三人の妻がいる。とある王国のお姫様は『赤』のキリオを、女海賊は『青』のアーシュリオを、聖女は『白』のトゥーリオを産んでいる。
けれど、言い伝えでは三人ともルカリオの死後、非業の死を遂げている。お姫様は故郷の王国を頼るも拒絶されて、辺境の地で飢えと寒さに苦しみながらこの世を去った。女海賊は『魔王』の残党狩りに捕まって処刑された。聖女はひそかに地下深くの牢屋に閉じ込められ、最後は自ら命を絶った。『魔王』の妻になった女性を、当時の人たちは許さなかった。
三人とも子供はいないことになっているけれど、子孫が生き残っている以上、誰かに託すか匿うかして逃したのだろう。
不幸かどうかは本人に聞いてみないとわからないけれど、三人ともひどい死に方ばかりだ。その原因を作ったのは、紛れもなく『魔王』ルカリオだ。
もちろん、ルカリオは彼女たちの最後は知らないけれど、不幸な目に遭うのは想像できたのだろう。だから何も言えなかった。
元々ルカリオにしてみれば、人間なんて敵かエサだ。子供を作ったのも実験のようなものだった。あちこちから女の人を連れ去ったのもそのためだ。
それもこれも創造主である『千億冥星』の命令だ。それでもルカリオの犯した罪は消えない。
「操り人形だろうと、『魔王』なら『魔王』らしく、潔く戦って死になさい」
改心なんかするな。最後まで罪を背負って裁きを受けろ。それがお前の運命だ。
ブリジットはそう言っているのだ。ひどいことを言っているはずなのに、言葉からは何故か労るような感情が見て取れた。少なくとも、ルカリオはそう受け取った。
「……そうだな」
この時、ルカリオの中で決意が固まる。
「位だけの『魔王』とはいえ、なすべき事は果たさねばならぬか」
それからじっとブリジットの瞳を見つめる。緑色の瞳に映ったルカリオは、子供のために戦う父親のそれだった。
無言で赤ん坊のジュリオを渡す。
そして懐から小さな水晶玉を取り出した。
「それは?」
「この子に渡しておこう。余には扱えなかったが、その子の『王権』であれば扱えるはずだ」
水晶玉から蛍のような小さな光が抜け出て、ジュリオの額に吸い込まれる。
「……成功か」
「何をするの!」
ブリジットが怒り狂った顔をしながらジュリオを腕でかばう。
「まさか、前に言っていた『星獣』の秘術? そんなものを渡されて、この子が幸せになると思っているの?」
ルカリオは『千億冥星』の命令で、この世界そのものを支配するための方法を探っていた。ほかの『迷宮』から奪わせてきた『迷宮核』を使って、『星獣』の知識と記憶を探り、最強の秘術を作り上げた。水晶玉に入っていたのは、その完成品だ。
「これしかないのだ」ルカリオは弁解を口にする。
「いずれこの世界にも魔神どもは現れる。そうなれば人間どころか、世界そのものが崩壊してしまう。それまで、勇者殿は健在であればいいがな」
魔神といえば僕が思いつくのは、魔神ダルクカッセルだ。悪魔の軍団を率いてエインズ王国に攻め入った。悪魔の親玉だ。伝説では『星獣』以上の力を持っていたとされている。リオンの孫・リオールが悪魔の軍団もろとも封印したけれど、ルカリオの記憶では、魔神はほかにもたくさんいるらしい。
実際、ルカリオも魔神どもと言った。『千億冥星』が秘術を作らせたのも、魔神へ対抗するためらしい。
「世界の心配とは、お優しい『魔王』様だこと」
「この子の中に封じておけば、いつか魔神が現れた時、子孫の中に力が目覚めるだろう」
「自分が何を言っているかわかっているの? この子の子孫に魔神と戦う運命を背負わせたのよ!」
「神にも等しい力を得る」
「悪魔の力よ」
ブリジットは忌々しそうに吐き捨てた。
「これしか方法がなかったのだ。ほかの人間に渡せば、より大きな混乱と破滅を生む」
ほかの三人の子供たちにも渡そうとしたけれど、失敗している。力が大きすぎて耐えきれなかったのだ。
けれど、ジュリオには異変はない。すやすやと静かに寝息を立てている。
「人間に扱える力じゃないわ。待っているのは、破滅よ。それとも、今のが『魔王』の継承式ってわけ?」
「秘術はともかく、『魔王』になるかどうかはジュリオ次第だ。あるいは、この子の子孫がなるやもしれぬ。この子の『王権』はそういうものだ」
「なってもいいし、ならなくてもいいって? まるで芝居の端役ね」
「似たようなものだ」
ルカリオは苦笑した。
「余は真の意味で『魔王』ではなかった」
ルカリオの気持ちが痛いほど伝わってくる。
しょせんは『千億冥星』を守るための番人にすぎない。『迷宮』のために生まれて、『迷宮』とともに死ぬ。囚人と紙一重の『魔王』だ。むしろ『魔王』という称号自体、ルカリオを縛り付け、苦しめてきた。
「そして最低の父親よ」
ブリジットは付け加える。
「知っている」
「夫としてはゴミ以下」
「弁解のしようもない」
「地獄に落ちろ」
ブリジットが急に背伸びをしてルカリオと唇を重ねた。
僕は目の前が真っ白になった。
ルカリオの中に驚きや淋しさ、悲しみ、そして炎のように熱く、日だまりのように温かい気持ち。色々な感情が渦巻く。
ブリジットは唇を離した。ジュリオを抱えながら後ずさる。
「さようなら、ルカリオ。あなたが死んだら祝杯を挙げてあげる。それからすぐに忘れて、もっといい男を捕まえて世界一幸せな女になるわ」
「そうするといい」
「……救いようのない男」
ブリジットは寂しそうに笑った。
それじゃあ、と背を向けて歩き出した。抱きしめたい気持ちをこらえながらルカリオはその背中に呼びかける。
「気をつけろ。外はすでに人間であふれている。そなたが見つかれば、ただでは済まぬぞ」
「大丈夫よ」
ブリジットは顔だけ振り返って言った。
「アタシ、かくれんぼとおにごっこには自信があるの」
☆☆☆
気がつけば村長さんの家だった。机に突っ伏したままだ。僕の頬をスノウがざらついた舌でなめている。
どうやら記憶の世界から戻ってきたらしい。
「……くすぐったいよ」
僕が声を掛けるとスノウは嬉しそうに頬ずりをしてきた。ふわふわの白い毛が気持ちいい。
そこで僕の名前を呼ばれた。顔を上げると、ネズミの顔をした村長さんがキスするみたいに顔を近づけてきた。
「どうだった? 何が見えた?」
切羽詰まったような、興奮したような様子だったけれど、反対に僕は白けた気持ちだった。
だいたいのことがわかったからだ。
僕は言った。
「村長さんは、僕を次の『魔王』にするつもりなんですね」