白猫と虹の杖 その5
「ふむ、こんなものかな」
フェーゼン鳥を七羽ほど仕留めたので背負い袋はもうぱんぱんだ。『贈り物』で近づいて首根っこをつかまえたり石を投げれば、簡単に狩ることができる。
血抜きもすませてある。『裏地』ならいくらでも入るけど、カバンを血で汚したくない。
時期外れというだけあって結構山奥まで来てしまったけれど、その甲斐はあったというものだ。
それにしてもあのカーティスというやつは許せない。
あんなに腹を立てたのも、声を荒らげてしまったのも旅に出て以来初めてだ。
あんなやつが領主の代理の代理だなんて世も末だ。
ああ、いけない。思い出したらまたむかっ腹が立ってきた。
早く帰ることにしよう。
もう夕方だ。昼間は日差しを浴びて生命力に満ちあふれていた草や葉もオレンジ色に染まり、やがて訪れる夜に備えて休息をしているように見える。辺りを見ればやぶや背の高い木ばかりだ。道もなく、乾いた落ち葉や名前もわからない草が地面を覆っている。
素人ならここで町への帰り道がわからなくなって困ってしまうところだけど、僕は狩りには慣れている。
町への道もちゃんと覚えているのだ。来た道をまっすぐ戻る。袋を背負い、やぶをかき分けて山道を下ると広い道に出た。
うん、完璧だ。あとはこのまま下っていくだけだ。怖い魔物も『贈り物』を使えばムダな争いはしなくて済む。
そういえばここに来る途中一匹だけ、熊の倍はありそうな大イノシシに出くわしたけれど、剣で仕留めておいたからほかの獣や旅人が襲われることもないだろう。僕はフェーゼン鳥を取るのに忙しかったので、血抜きや皮をはぐ余裕はなかったし、獣臭くて『裏地』に入れるのも嫌だったので、なきがらは通りかかった猟師さんの前に転がしておいた。これで肉も皮もムダにはならないだろう。
もしかして、あいつがヌシだったのかなあ、とぼんやり考えながら帰り道を歩いていた。
その時だ。
僕の目の前で草がガサゴソと動くのが見えた。この動きは、何か小さな動物が近づいているんだ。
ウサギなら、ついでに仕留めて夕ご飯にでもしようかと思った時、草むらの中からそいつは飛び出してきた。
真っ白な子猫だ。ぴんと張った耳、くりくりと水晶玉みたいな緑色の瞳、
しなやかな動きで、道の上に飛び降りると辺りを見回し、小さく鳴いた。甘くて、きれいな声だ。
かわいいなあ。
僕はとっさに背負い袋から手を離し、子猫を拾い上げた。にゃっにゃっ、と短く区切った声を上げる。わけもわからずびっくりしているのかな。
そういえば『贈り物』を使ったままだった。
子猫にしてみればいきなり抱えあげられて、僕が現れたのだからとまどっているのだろう。
おどろかせちゃってごめんね。落ち着かせるよう頭や首筋をやさしくなでてあげる。
子猫は気持ちよさそうにしていたけれど、はっと我に返ったようにあわただしく鳴き始めた。
そのとたん、地響きがした。ものすごい音を立てて、何か大きなものがこちらに向かっている。ばきばきと、木をなぎ倒す音がする。
僕は子猫を抱えたまま木の陰にかくれる。
「ごめんよ、怖いだろう。でも、大丈夫だから。おとなしくしててね」
今にも僕の腕から逃げたそうな子猫の頭をなでてあげる。僕の『贈り物』は僕のさわっているものや人も一緒に見えなくすることができる。今から逃げるより、僕と一緒の方が安全だ。
やがて木をなぎ倒してそいつは現れた。
体長は三フート(約四・八メートル)はあるだろう。白い巨体、鼻の頭に巨大な角を持ち、丸太のように太い四本の足、鎧のような分厚い皮、大蛇のように太く長いしっぽを地面に引きずりながら鼻を引くつかせている。どしん、どしんと一歩歩くたびに地響きがする。
間違いない、グレートライノーだ。
アップルガースの近くでもたまに出てきたから知っている。見た目通りに皮も分厚いので剣も矢も魔法もろくに通じない。
ふだんはおとなしい性格だけど、一度敵と判断すると、どこまでも相手を追いかけようとする。厄介な奴だ。さっきの大イノシシなんて問題にならない。
こいつが山のヌシか。
グレートライノーは道に出ると角のついた鼻でしきりにかいでいる。目が弱いので代わりに臭いで敵を追いかけるのだ。
けれど、よほどのことがないと敵だとは判断しないはずだ。ちょいとなまくらで切り付けたくらいじゃあ、皮も傷つかない。
おや?
よく見れば、鼻についた角の真ん中あたりがちょいと焦げ目がついている。
グレートライノーの角なんて鉄のように硬いのに。
僕の腕の中で子猫がふるえている。
もしかして、この子猫を敵だと思っているのかな?
いや、まさかな。こんな子猫じゃあ、ひっかいても爪の方が折れてしまうだろう。
「大丈夫、いい子だからね、こわくないよ」
僕は子猫にささやきながらをグレートライノーが通り過ぎるのを待つ。
倒すことは難しくないけれど、基本おとなしい奴だし、肉も硬いから食べてもおいしくない。
グレートライノーは僕が子猫を抱え上げた辺りでぐるぐると回っていたけれど、やがてあきらめたらしく、元来た道を引き返していった。
やっと行ったか、僕は胸をなでおろす。
「もう安心していいからね」
子猫を僕の顔の前まで抱え上げる。
うん、女の子だ。
「けれど、君どうしてこんな山の中にいるんだい? 迷子かな」
母猫とはぐれたのかなあ。野良猫にしては顔立ちにどことなく品がある。誰かのペットにしては首輪もついていない。
すると子猫は小さく鳴いて、鼻先をグレートライノーが戻った方に向けた。
白い巨体で踏み倒したせいで、木々が倒れ、背の高い草もぺしゃんこになっている。
視界の開けた木々の向こうに横倒しになった馬車が見えた。
馬車は無人だった。荷台には壊れた木箱が転がっている。中身は剣や盾や槍だ。どうやら馬車の持ち主は武器商人らしい。でもグレートライノーに踏みつけられたらしく、肩当てがへこんでいたり槍の柄が曲がっているものもある。これじゃあ商品にはならないだろうな、かわいそうに。
馬車は車軸が壊れ、馬もどこかへ消えている。壊れ方からして横っ腹から大きなものがぶつかったのが原因のようだ。
さっきのグレートライノーのせいかな。
グレートライノーにおそわれて馬車は壊され、乗っていた人と馬はどこかへ逃げた。そう思ったけれど、奇妙なことに気付いた。
馬の足跡はふもとの方まで続いているのに、人間の足跡がどこか途中で消えている。全部で三人……いや、少し離れたところでもう一人か。
全部で四人分だ。一体どこに消えたんだろう。
横倒しになった馬車の横に金属製の小さなオリが落ちている。ぶつかった時にひんまがったのか、ひしゃげて入り口が空いている。
僕がオリを持ち上げると、床の部分に白い毛が落ちている。
「もしかして、君ここに入っていたのかい?」
けれど子猫は僕に鼻先をこすり付けるばかりで返事をしてくれない。そりゃそうか。
何があったのか、と馬車を色々調べてみたけれど、ほかに気になるものは見つからなかった。
「さて、どうしようか」
もう日も暮れてきた。早く町に戻らないと。何の用意もなしに野宿なんてゴメンだ。
「君、どうする? 良かったら、僕と一緒に来るかい?」
誘ってみたら子猫は長く鳴いた。うん、よくわからないけれど、とりあえず了解したと思うことにした。イヤならとっくに僕の腕から逃げているはずだしね。僕は道に落ちていたフェーゼン鳥の詰まった背負い袋を背負い、腕に白い子猫を抱えながら町への道を歩いた。
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次回は9月7日午前0時の予定です。