『白』と『黒』のラビリンス その7
階段は石のように固くしっかりしている。体重をかけて一段一段上っても崩れたり底が抜けたりもしない。
狭くて真っ暗な通路だ。人一人通るのがやっとというところだろう。通路を触ると、岩肌みたいにごつごつしている。そのくせ切りつけても殴っても傷一つつかない。
「さすが『魔迷宮』の入り口だけあっておかしな場所ですね」
「いきなり剣で切りつけるお前の方が、よっぽどどうかしていると思うがな」
後ろから呆れたような声が聞こえてきたけれど気のせいだろう。その証拠に、スノウは何も言わずに僕の肩で大あくびをしている。
もう百段くらいは上ったけれどなかなかたどり着かない。
階段の遙か先、終点から光が差し込んでいる。日光のようだから、あそこが出口だろう。まだまだ先は長い。慎重に進もう。
もう五百段くらいは上った気がする。疲れたよ。後ろから聞こえる声が熱っぽい息切れに変わってきたところで出口が見えてきた。四角く区切られた空だ。風も吹き込んできた。少なくとも雪山や砂漠ではなさそうだ。
さあて、ゾンビが出るか悪魔が出るか。何が待ち受けていても僕はひるむものか。でも出来るなら何も出ないで欲しいなあ。
最後の階段を上る。暗い場所からいきなり明るい場所に来たものだから目の前が真っ白だ。強い風が吹きすさぶ。あわててスノウを懐に抱え、体がぐらつきそうになるのを踏みとどまる。
何度かまばたきをして目が慣れてくると、僕は目の前の光景を疑った。階段を上がりきった先は、雲の上だった。周りを見れば真っ青な空に白い大魚のような雲が風に吹かれ、流れていく。
幻でも見ているのかと思ったけれど、顔を叩いてもスノウにかんでもらっても痛いから本物のようだ。足下を見れば背の低い草が生えていて、隙間から黒い土も見える。僕たちが登ってきた出口もそこに立っている。地面まるごと雲の上に浮かんでいるようだ。まるで雲に浮かぶ島だ。
どうやらここは端っこらしく、十歩も歩けば地面が途切れている。僕はすり足で恐る恐る近づき、下を覗いた。
めまいがした。遙か下には青い海が果てしなく広がっている。木登りも得意だし、屋根の上も平気だったけれど、さすがにこれは高すぎる。落ちたら死ぬどころじゃない。バラバラのぐしゃぐしゃでこなごなだ。体の奥がぎゅっと縮み上がる感覚に内股になってしゃがみ込む。
「にゃあ……」
情けないって感じでスノウが鳴いた。そうだ、こんなところで怖がっている場合じゃない。
理屈はわからないけれど、ここが空飛ぶ島だというのはわかった。しかも少しずつ風に乗って移動しているようだ。まるで物語だ。本の中ならわくわくするところだけれど、さっき下を見てしまったせいで、どうにも落ち着かない。
みんなよくこんなところで戦ったり、島と島の間を飛び移ったりできるなあ。いざ自分が同じ状況に置かれてみると、主人公たちの偉大さがよくわかる。
ジュディスが気になって入り口に戻る。ちょうど出てきたばかりのジュディスと鉢合わせた。
「なんだ、ここは……」
ジュディスもびっくりしているようだ。当然だよね。
「うわっ……」
急に強い風が吹いてきた。バランスを崩してジュディスが吹き飛ばされそうになる。
「危ない!」
僕はとっさにジュディスの手を掴む。
「気をつけてください。落っこちたら命はありません」
「ああ、すまない」
僕は虹の杖を取り出してみた。一応は使えるようだ。ただこの雲の上で『瞬間移動』を使う気にはなれない。飛んだ瞬間に、風に吹き飛ばされそうだ。
ジュディスは辺りを見回しながら目をキラキラさせている。
「ここが、『魔迷宮』なのか? 信じられない。まるで神の国じゃないか」
「僕には冥界の入り口にしか見えませんけどね」
落っこちたら直行だからね。
「それにしても、人の気配はありませんね」
おそろしい怪物がわんさと待ち受けているかと思っていたのに、人っ子一人いない。それどころか、生き物の気配すらしない。
「いるとしたら、あそこか」
雲の切れ間から見えたのは、白い屋根だ。白い壁の上からとんがった屋根が伸びている。
「町、でしょうか」
「行ってみればわかる」
言うやいなや、ジュディスが大股で歩いて行く。さっき落っこちそうになったばかりなのに。いい度胸しているよ。
風に飛ばされないように慎重に後をついていく。
少し歩くと雲が晴れた。現れたのは巨大な鉄の門だ。壊すのは難しそうだ。よじのぼろうかとも考えたけれど押すと簡単に空いた。なんだか拍子抜けだ。
門をくぐれば、現れたのは石の町だ。四角い形の白い家が整然と並んでいる。建物は全部、白い石か何かで出来ているようだ。ほかに草や木も生えていないし、屋根まで白く塗りたくっている。同じ色ばかりで目がちかちかしそうだよ。いくら『白』の一族だからってここまでこだわらなくてもいいのに。
「なるほど、地上から気づかれにくくするためか」
ジュディスが家の壁をさわりながら感心したように言う。保護色というやつか。ちゃんと意味があったんだな、と少しだけ感心する。でも雲の中に建物があったらみんなびっくりするよね。
「誰もいないかな?」
大通りらしき道を歩きながら見回すけれど、誰もいない。気配もない。てっきりわらわらと悪魔みたいな連中が待ち構えていると思っていたから、張り合いがない。何かの理由で滅びたか引っ越したのかとも思ったけれど、『魔迷宮』は『隠れ里』の人たちをさらっている。絶対にどこかに潜んでいるはずだ。
「にゃあ!」
僕の懐に入っていたスノウが家の中を見ながら鳴いた。
「もしかして、何か見つけたのかい?」
気配はしないけれど、かこしいスノウのことだから何かに気づいたのだろう。窓も扉も閉まっていて、中は見えない。
「ごめんください、誰かいませんか?」
迷ったけれど、一応声を掛けてノックする。やはり、返事はない。押しても引いても扉は開かない。
「どけ」
ジュディスが僕を押しのけると、細い刃物を取り出した。どうするのかと思ったら扉の隙間に差し込み、引き上げる。扉の向こうでごとん、と音がした。かんぬきを外したのか。
「入るぞ」
扉を押すと、中から湿っぽい空気が流れてきた。真っ暗でよく見えない。スノウは闇の中に向かってまた切なそうに声を上げる。
手探りで窓を開ける。僕は息をのんだ。そこは居間になっていた。小さなイスに小さな子供が座っている。テーブルの向かいには母親らしき女性がいて、お皿を持っている。
でも僕たちが入ってきたのにも何の反応もなく。振り向くことすらしなかった。当然だ。だって、全部木の人形なんだから。
「間違いなく、人形ですね」
触ると木の感触がした。肌には木目が浮き出ている。でも顔の作りとかでこぼこなんかは本物っぽいし、髪の毛なんか一本一本細い枝でできている。どんな人形師が作ったらこうなるのだろう。でも服は人間のものだ。肌触りからして綿のようだ。
「見ろ」
と、ジュディスがお皿を指さす。何もないけれど、わずかに腐ったような臭いがする。
「乾燥して水分は飛んでいるが、スープの跡がある。いくら何でも人形のために本物の料理を用意はするまい」
何が言いたいのか、僕にも理解できた。
「つまり、こう言いたいわけですか? この人たちは元は人間だったと」
「そう考えればつじつまが合う。おそらく何者かの手で人形に変えられたのだろう」
物語だと魔法で動物に変えられたり、花に変えられたりするけれど、実際に見てみるとおっかない。
よく見れば子供と母親は笑顔だけれど、なんとなく寂しそうだ。
「一体誰が?」
「わからない。対立している者たちの仕業か、あるいは同士討ちか」
もしかして真犯人は別にいて、『魔迷宮』もまた被害者なのだろうか。
「元に戻す方法はあるのでしょうか」
「それこそわからんな。あの医者にでも聞いてみたらどうだ?」
つまらなそうに言ってジュディスは家の奥へ向かった。害はないと知って、興味をなくしたようだ。
その後も家の中を探したけれど、めぼしいものは見つからなかった。
「ほかの家も探してみましょうか?」
僕の提案にジュディスは首を振る。
「おそらくどこもここと変わらないだろう。探すとしたらおそらくあそこだ」
ジュディスが指さしたのは、白いとんがり屋根の建物だ。さっき町の壁越しに見えていた建物だろう。
近くまで来ると太い柱が何本も立っていて、扉だけでも背丈の三倍はある。
「お屋敷、というより神殿って感じですね」
「何かあるとしたらここだろう。もしかしたら町の人が人形になっている理由もわかるかもしれない。入ってみよう」
言うなり、ジュディスは扉を押して中に入っていってしまった。
「危ないよ」
もしワナがあったらどうするつもりなのだろう。あわてて後を追いかけようとすると、スノウが僕の足にすり寄る。
「どうしたんだい、スノウ」
「にゃあ……」
「そうか」
大親友の言うことだ。きっとのこの先にはとても恐ろしく危険なものが待ち構えているのだろう。
「でも僕は行かないといけない。母さんのこと、『見つからない者たち』のこと、それにジュディスやさらわれた人たちのことも気になるからね」
「にゃあ」
「もしもの時は頼んだよ。なんたって、僕たちは二人で一人の『白猫のリオ』だからね」
スノウはまだ納得していない感じだったけれど、おとなしく僕の肩に乗った。
そして僕は神殿の中に入った。
すみません、当分の間忙しくなるのでこれからは不定期更新とさせていただきます。
申し訳ございません。




