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『白』と『黒』のラビリンス その4

 ノアさんと一緒に里の中を探したけれど、今のところ人っ子一人見つからない。あちこちの家の中を覗いてみたけれど、どこも朝食の用意もしていないし、ベッドには寝ていた跡もある。いなくなったのは昨日の夜のようだ。


 捕まってすぐに岩牢に閉じ込められたし、昨日は夜だったから気づかなかったけれど、なかなかいいところじゃないか。背の高い木の根元にすがるようにして、小さな小屋がいくつも建っている。見上げれば太い枝の上には小屋も見える。まるで物語で見たような秘密の隠れ家だ。そういう場合ではないと知りつつもちょっとワクワクしてしまう。


 おまけに空は晴れ渡って、柔らかい木漏れ日が差し込んでくる。朝露もキラキラ光って気持ちのいい朝なのに、誰もいない里は耳が痛くなるほど静まりかえっている。気味が悪いや。スノウも僕の肩の上で心細そうに鳴いた。


「かくれんぼではなさそうですね」

 スタートどころか、僕はまだ参加するとも言っていない。


「かといって、自分たちの意志でいなくなったのではなさそうだ」

 ノアさんが家の中から布袋を見つけた。中は砂金だ。お金の代わりなのだろう。こんな貴重なものを置いていなくなるとは、よっぽどの一大事だ。


「考えられるとしたら誰かにさらわれた、というところだろうが」

 けれど、戦うどころか暴れた様子もない。百人以上も連れて行こうとしたら大騒ぎになっていただろう。いくら眠っていてもそんな騒ぎがあれば絶対に起きていたはずだ。


「生まれたばかりの赤子までいなくなるとは、尋常ではない。君は何か気づかなかったか?」


 僕は首を振った。犯人が誰かはわからないけれど、それよりも気になるのは連れ去った手段だ。仮に里の人たちを魔法か何かで人形のように操ったとしても、疑問は残る。


 当たり前だけれど、百人もの人間が一度に動いたら足音だって衣擦れの音だって百人分だ。けれど僕だけではなく、素晴らしく勘のいいスノウですら何も気づかなかったようだ。そんな方法があるのだろうか? もしあるとしたら……。


 ノアさんは見当が付かないようで、残念そうに首を振るばかりだ。


「まだ探していない家を手分けして探してみましょう。残った住人がいるかも知れません。いなくとも手掛かりくらいは残っているかも」

「そうだな、まずは……」


 とノアさんが言いかけた時、里の外から誰かが歩いてくる気配がした。とっさにそちらを振り返りながらいつでも剣を抜けるように身構え、しずかに手を下ろした。


「これはどうなっている。里の者はどうした?」

 野伏(レンジャー)姿のジュディスが困り果てた様子で頭を掻いていた。



「昨日そこの医者がカルネルの村に行きたいと言っていただろう。祭りが終わった後にその準備をしていたのだ」


 ここからカルネルの村へ行くには、川を下っていく必要がある。そのために舟を手配しようとした時に、舟底に穴が開いているのを見つけたという。朝までに修理しないといけない。けれど里の人はみんなお酒が入ってはしゃいでいる。それでジュディスが自分で治すことにしたそうだ。


「酒も入っていたし、修理が終わってほっとしたら眠りこけてしまってな。目が覚めたら朝だ。それであわてて帰ってきたらこの始末だ。どうなっている?」

「ええと」


 僕は今わかっていることを簡単に説明した。ジュディスの顔が曇る。不可思議な事態に戸惑っているというより、恐れていたものが現実になったという方がしっくり来る表情だ。


「心当たりがあるのかな」

「一応は、な」


 ノアさんがたずねると、ジュディスは目を閉じ、一度手をぎゅっと握り締めた。僕にはその仕草が、やむを得ないと決意を固めたように見えた。


「里の者はさらったのはおそらく、『魔迷宮(ラビリンス)』の悪魔どもだ」




 ここから山を越えた更に奥深くに、近隣の『隠れ里』の人間が誰も近寄らない集落がある。どの里とも交流を持たず、何人いるかどこから来たのかも定かではない。誰もその住人を見た者がいないのだ。わかっているのは、行って戻った者は誰もいないということだけ。近隣の『隠れ里』の人はその土地を悪魔の棲まう『魔迷宮(ラビリンス)』と呼んで恐れていた。


「時折、近隣の里から若い男女をさらうという言い伝えもある。ある里ではさらわれた娘を取り戻すために総出で『魔迷宮(ラビリンス)』に攻め入ったが、誰一人戻っては来なかった。その正体は私にもわからない。わかっているのは、得体の知れない連中が確実に『いる(・・)』というだけだ」

 まるで物語に出て来る魔境だ。


「では、この里の人たちも『魔迷宮(ラビリンス)』にさらわれたと?」

 ジュディスはうなずいた。


「お前たちの話では、里の者全員を物音も立てずに連れ去ったそうだな。おまけに昨夜は『闇の霧(ダークミスト)』も出ていた。魔法も使えないのにそんな芸当の出来る連中など、私の知る限り『魔迷宮(ラビリンス)』の悪魔くらいだ」


 もし可能だとすれば、『見つからない者たち(インビジブル)』の持つ不思議な力だろう。間違いない。『魔迷宮(ラビリンス)』こそ『白』の『隠れ里』……そして母さんの故郷だ。


「先代の里長の話ではここ二十年ほどおとなしかったそうだが、また活動を始めたらしいな。しかもこれだけの人間を一度にさらったとなると……」

「何か大きなことを企んでいる、ですか」


 くそっ、とジュディスが腹立たしげに拳を近くの木に叩き付ける。濃緑色の葉がひらひらと舞い落ちる。


「えーと、ジュディスさん」

 僕は深呼吸をして、覚悟を決めてから言った。


「僕を『魔迷宮(ラビリンス)』まで連れて行ってもらえませんか」



 小舟が苔色ににごった水面を静かに下っていく。曲がりくねった大きな川を帆もなく、オールが付いているだけで、何とも頼りない。元々は近くで貝や魚や川ウナギを取るために使うそうだ。


 けれど山を越えようとすると狭い道や谷底、更には恐ろしいワナを潜り抜けなくてはいけない。舟でゆっくり山を迂回して近くまで行くのが確実なのだそうだ。水面をのぞいても何も見えない。魚でも見えたら楽しそうなのに。


「うかつに手を突っ込むな。ここらの魚は肉食でな。人の指などあっという間に食いちぎるぞ」

 おっかないことを言うのであわてて手を引っ込める。ジュディスは小バカにしたように笑うと、また静かにオールをこぐ。


 川岸はどこも深い森ばかりだ。代わり映えのない景色が続く。退屈だけれど気を抜いている余裕はない。なにせここは敵の縄張りだ。どこに見張りの目が光っているかわかったものじゃない。油断なく周囲に目配りをする。スノウは僕の隣でおねむの時間だ。


 物語ならばここから大きな滝に飲み込まれそうになったり、川に住む魔物がおそってきたりするのだ。けれど、この川はほとんど高低差はないそうだし、魔物だって水越魚蛙(ウォーター・リーパー)や、水悪馬(ケルピー)みたいに弱い魔物ばかりだ。


「魔物をあっさりと片付ける君の技量にはおどろかされるよ」

 ノアさんはほめてくれるけれど、数も少ないからね。


「おかげで予定より早く着きそうだ」

 ジュディスは何故か呆れ顔だ。


「あとどれくらいで着くのかな」

「カルネルの村なら昼間までに着く」


 ノアさんは途中で降りることになっている。患者を待たせているらしいし、ここからは危険な旅になる。できれば巻き込みたくはない。


「舟の扱いにも慣れているのだな」

「里長だからな。いざという時のために訓練してある」

「必要に迫られて、か」

「そういうことだ」

 ジュディスが苦笑する。


「それにしては君の立ち居振る舞いは気品がある。昨夜のあれは、貴族の教育を受けた者の動きだ。このような山の中ではあまり使いどころがなさそうだ」


 オールを漕ぐ手が止まる。かすかな水音を立てながら舟は進む。


「何が言いたい」

「君たちの里に迷い込んだ理由をまだ言ってなかったね。実を言うと、私にはもう一人連れがいたのだよ。カルネル村への案内人だ」


 なるほど、こんな隠れ里ばかりのところに来てもらうのだから、案内人を用意するのが普通だろう。


「ところが途中で魔物の群れと出くわしてね。いや、あれは群れなどという生やさしいものではなかった。まるで『大暴走(スタンピード)』だ。案内人は魔物に踏みつぶされ、私だけは近くの洞穴に逃げ込んで助かった」


 つい先日、僕もふもとの砦で魔物の大群に出くわした。ノアさんもあれに巻き込まれていたのか。


「二、三日して魔物がいなくなったのを見計らい、カルネル村を目指した。が、道に迷って山の中をさまよい歩いている間に君たちに見つかったわけだ」

「それで?」


 ジュディスの反応は冷ややかだ。でもちょっとだけ、声に苛立ちと焦りが含まれている。


「思い出したよ。『ローセイル』といえば百年前、王国を二分する戦いを引き起こした『ローセイル公爵家』だ。その時にも魔物使いの軍団を率いて魔物をけしかけたそうだな」


 ノアさんはこう言いたいのだ。先日、僕たちをおそった魔物の大群は、ジュディスたちの仕業だと。


「証拠はあるのかと言いたげだね」

 ノアさんは僕の方を振り向いた。


「昨夜、私たちが見つけた『オリテの花』だよ。百年前にも『ローセイル』の一族はあれで魔物たちをまどわし、操ったそうだ」


「おっと」

 僕はとっさに舟の端をつかみ、オールを脇に抱え込む。ジュディスがびっくりした顔をする。


「話は最後まで聞きましょう。舟をひっくり返したって何の解決にもなりません」

「……」

「第一、困るのはあなたも同じはずですよ」


 機先を制されたせいだろう。ジュディスは悔しそうな顔をしたけれど、やがて乱暴に座り込んだ。舟がぐらりと揺れる。


「目的は演習だな。魔物を操る薬品を完成させて、隣の帝国にでも売り込むつもりだろう。ここの一族だけでは王都へ攻め入るにしても兵も何もかも足りない」


「それを手柄にして、あちらで爵位と領地を手に入れるわけですか。なるほど、すごいや」


 この国と隣のアーリンガム帝国は仲が悪い。何かあれば国境付近でケンカばかりしている。薬さえ完成すればうまくいきそうだ。一族再興も夢ではない。


「方法が間違っている点をのぞけば、ですが」

「ならどうすればいい。口では何とでも言える。キレイ事だけで一族再興など、成し遂げられるものか」


 僕ならジュディスたちの野望をくじくのも簡単だ。でも力ずくで押さえつけたって何も解決はしない。むしろ恨みをつのらせて百年後、二百年後にもっと恐ろしい計画をくわだてるだろう。


「一族再興って、別に貴族になったり領地を持ったりするばかりではないと思うんです」

 商人になってお金持ちになれば、下手な貴族より力を持てる。魔物をけしかけるのではなく、退治したり追い払えば、みんなに喜ばれる。『オリテの花』だって使い方次第では素晴らしい薬になる。


「薬を作ったり、ノアさんのように立派なお医者様になるのだって……」


 そこで突然、ジュディスが高笑いを始めた。あんまり大きな声だから僕は目を丸くして見つめるしか出来なかった。


「そこの医者を立派と言ったな」

 ノアさんを指差しながら皮肉っぽく口の端を歪める。


「私を山奥育ちの山猿とでも思ったか。知っているぞ、お前たちの善行(・・)は」


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