白猫と虹の杖 その3
たんぽぽコーヒーおいしいです。
しばらくして、僕はグリゼルダさんの家の居間でテーブルに座っていた。
グリゼルダさんの家は一階がお店と工房と台所、二階が居間と寝室になっているそうだ。
「今、ママが着替えているから。お茶でも飲んで待ってて」
女の子が仏頂面をしながらカップとお皿をもって二階に上がってきた。
本当は嫌なんだけど、お母さんの知り合いみたいだから仕方なしに家に入れてやったんだって顔に書いてある。
「いえ、おかまいなく。えーと……」
「ロズよ。でも名前で呼ばないで」
ロズっていうのか。かわいいけれど、どうにもそっけない子だ。
「さっき何かお母さんともめてたみたいだけど、何かあったの?」
力を利用するだの、おびきだすだの、おだやかでない言葉がたくさん聞こえてきた。もしかして、何かもめごとを抱えているのだろうか。
僕が力になれることなら何とかしてあげたい。
「そうね。他人の母親をお母さん呼ばわりした上に、家にまで上がり込む礼儀知らずに居座られて困っているところよ」
ろこつなあてこすりに僕は苦笑する。そうつっけんどんにしなくてもいいのに。
「はい、どうぞ」
かちゃんと音を立てて陶器のカップを僕の前に置く。おや、この匂いは……。
「アンタなんかにコーヒーなんて豆がもったいないわ。せいぜい……」
「たんぽぽコーヒーだ!」
コップを手に取り、鼻先に近付ける。存分に匂いを嗅いだ後、一口すする。ちょっと熱いけれど、僕は平気だ。僕の好みより苦みが強いかな。焙煎を少しやり過ぎたんだろう。けれど僕は感動していた。アップルガースを出て、はや二十日ばかり。ようやく外のたんぽぽコーヒーを飲めた。それだけでも充分満足だ。
「うん、おいしい」
「アンタ本気?」
ロズが信じられない、って顔で僕を見ている。
「もちろんだよ」
「もしかして、アンタ本物のコーヒーを飲んだことないの?」
「これも本物だよ」コーヒーはコーヒー、たんぽぽコーヒーはたんぽぽコーヒーだ。どちらが本物だの偽物だのという話じゃない。そして、僕はたんぽぽコーヒーが大好物だというだけの話だ。たんぽぽコーヒーを偽物よばわりする奴は僕が許さない。
「ごめんなさい、待たせたわね」
グリゼルダさんが出てきた。白いエプロンをつけてワンピースを腰ひもで巻いている。魔法使いというより、宿のおかみさんって感じだ。
「そっか、君がリオ君だったか。初めまして、グリゼルダよ」
正面に座ったグリゼルダさんが笑いかける。母さんの話によると、グリゼルダさんと母さんは同じ魔法使いの先生のところで学んだ姉妹弟子だったそうだ。ただ、母さんはへまをやらかして先生から破門されてしまい、流れ流れて最後は伯爵家のメイドになった。グリゼルダさんはそのまま先生の後を継いだと聞いている。
「あいつ今何しているの? この前手紙出したんだけど、もしかして君が返事持ってきてくれたの?」
とうとう来たか。ちゃんと言わなくちゃいけない。深呼吸して、僕は口を開いた。
「母さんは死にました」
グリゼルダさんの笑顔が凍りついた。
「絶対あいつの方が長生きすると思ってたのになあ……」
僕が話し終えるとグリゼルダさんは天井を見上げ、呆然とつぶやいた。
友達が死んだんだ。悲しいに決まっている。僕も辛い。あの日のことを思い出したら人前でも泣き出してしまうだろう。だから強引だけど、別の話に切り替える。
「今日、僕が来たのは母さんのことと、もう一つ。あの、マジックアイテムを作って欲しいんです」
僕は神霊樹の杖をマントの裾で拭いてから机の上に乗せる。
「グリゼルダさんはマジックアイテム作りの名人だと聞いています。できれば僕にも一つ作っていただけたらと」
「はあ? 何言っているのよ、アンタ!」
ロズが横から僕に食って掛かる。
「ママはね、もうマジックアイテム作りを辞めたの! 誰のためにも作ったりなんかしないの! だからね……」
「いいわよ」グリゼルダさんは笑顔で言った。
「ちょっとママ!」
娘の抗議の声にグリゼルダさんはめんどうくさそうに手を振った。
「アイラには借りがあるのよ。今の私がいるのもあいつのおかげ。だから、せめて息子に恩返ししないとね」
「仮にその、アイラさんに恩があるとしてもよ。こいつが本当に息子だとは……。初対面なんでしょ?」
「確かに、顔はアイラには似てないのよねえ。お父さん似かな」
「わかりません」
会ったこともない人なので答えようがない。
「ねえ、リオ君。アイラの好きな言葉って何?」
「『人生どうとでもなる』ですかね」
「好きな食べ物は?」
「サケの皮の裏のところです」
「初恋はいつ?」
「『好きになったらいつでも初恋』だそうです」
「寝る前にいつもすることは?」
「ベッドの上で寝転がりながら歌を歌います。たいていは『酔いどれカラスの畑荒らし』ですけど、時々は『ドワーフのヒゲ抜き』のこともあります」
「まだ歌ってたんだ、それ」グリゼルダさんがあきれたように吹き出す。
「そういうことよ、ロズ」
「でも……」とロズはまだ不満そうだ。僕が気に入らない、というよりグリゼルダさんがマジックアイテムを作ることを嫌がっているみたいだ。
「ねえリオ君、さっきも言ったけどアイラには借りもあるからね。作るのは問題ないわ」
ただし、と思わせぶりに唇をゆるめる。
「タダじゃないわよ。マジックアイテムを作るにはね、触媒とか色々材料をそろえなくちゃいけないのよ。で、それには大金が必要なの。本当なら後払いでも、と言いたいところなんだけど、見ての通りウチは貧乏でね。材料をそろえるお金もないのよ。だから前金で払ってもらわないといけないの」
「そうよ!」
それだ、と我が意を得たりとばかりにロズが僕に小ばかにした笑みを向ける。
「マジックアイテムはね、すっごい高いのよ。いくらママの友達の息子でもこればっかりは……」
「ええ、もちろんですよ」
最初からタダで作ってもらおうなんて虫のいい考えは持っていない。
「おいくらですか?」
「子供のおこづかいで買える額じゃないわよ。ものによっては金貨で何枚、いえ何十枚もするわ」
僕はカバンの『裏地』から丸い麻袋を取り出して机の上に置いた。お金のこすれる音が鳴った。
「とりあえず、金貨百枚あります」
グリゼルダさん親子が同時に目をみはった。子供のおこづかいにはちょいと過ぎた額にびっくりしたらしい。
「足りなければ、まだあります」
もう一袋テーブルの上に置いた途端、ロズが動いた。素早い手付きで麻袋をひっつかむと、袋のひもをほどき、中をのぞき込む。
「ウソでしょ……」
目を白黒させている娘のとなりからグリゼルダさんが金貨を一枚取り出し、ためつすがめつ見る。
「どうやら本物みたいだね」
そりゃそうだ。ブラックドラゴンの鱗や爪や骨と引き換えに、マッキンタイヤーの冒険者ギルドでもらったお金だ。
偽物だったら、ギルドの信用にかかわる。
「どうしてアンタがこんな大金持っているのよ!」ロズが金貨の袋を指さしながら僕にぐっと顔を近づける。
キレイな瞳に見つめられてついぽーっとなりそうだったけれど、気を取り直して胸に付けているギルドの組合証をロズに見えるように引き上げる。
「僕は冒険者だからね。僕の腕ならこのくらい安いものだよ」
「バカ言わないでよ。星もついてないかけ出しにこんな大金……まさか盗んだんじゃあ」
そこまで、とグリゼルダさんがロズの首根っこをつかんで、イスに座らせる。
「お金の出所はまあ、いいわ。怪しいお金じゃないんでしょ」
もちろんです、とうなずく。
「こんな大金ぽんと出すなんて、けちん坊なアイラの息子とは思えないわね。とりあえずこれで材料は買えると思うわ。で、ここからはマジックアイテム作りの魔法使いとして聞くんだけど」
グリゼルダさんは机の上に置いた杖を手に取り、なでたりさすったり匂いを嗅いだりしている。
「これ神霊樹よね。これをマジックアイテムにするの?」
「ええ、『痺れ』の杖にしていただこうかと思っているんですが」
『痺れ』は、かけた相手を少しの間しびれさせて動けなくする魔法だ。
おにごっこの方の『贈り物』とよく似ている。似た効果を持つマジックアイテムにすれば、僕の力のこともごまかしやすくなると考えての選択だ。
「いけませんか?」
「いけないというより、もったいない、かな。神霊樹ならそのまま魔法使いの杖としても最高の素材よ。『痺れ』の杖なら、そこらのカシの木でも充分ね。わざわざこんな一級品を使う必要がないわ」
そうなんだ。でもそれ以外に考えてなかったから、別の魔法と言われてもピンとこない。そもそもどんな魔法が付けられるのかもよくわからない。
僕の悩みを見越してか、グリゼルダさんが古びた羊皮紙を僕の前に差し出した。
「ウチの店で……というか、私が付けられる魔法の一覧よ。参考にね」
羊皮紙には、たくさんの魔法が書かれていた。火や風を起こす魔法、草木を操る魔法、動物と話をする魔法、人の心を読む魔法、少しだけ先の未来を占う魔法。色々あってどれにしていいか迷ってしまう。魔法の横には金貨八枚とか二〇枚とか金額が書いてある。どうやら料金のようだ。魔法によってかかる料金も変わってくるらしい。たぶん、ものすごい魔法ほど高価なんだろう。
「まあ、落ち着いて考えて。あと必要なのは……リオ君の血ね」
僕はイスごと後ずさった。
「いや、ちょっと待ってください。血なんて一体どうして……」
「君専用のマジックアイテムにするためよ」グリゼルダさんはあっけらかんとした口調で言った。
「血と魔術には強いつながりがあるの。血の盟約は魂の契約。血の契約をマジックアイテムと結ぶことでほかの人間には使えないようにするのよ。その方が君にも都合がいいと思うけど」
グリゼルダさんの言うとおりだ。旅を続けていれば何かの理由でマジックアイテムを盗まれたり、奪われたりするかもしれない。せっかく母さんのお友達に作ってもらったマジックアイテムが悪いことに使われたら僕も困るしイヤだ。つまり僕専用のカギを掛ける、ということなんだろう。理屈はわかる。
「でも、血なんて……」
「吸血鬼じゃないんだから君が死ぬまで絞り出せ、なんて言わないわよ。ほんの一滴でいいの」
なんだ、びっくりした。それを先に言ってほしい。
「情けないの」
ロズはげらげら笑っている。僕は恥ずかしくなった。
グリゼルダさんが乳鉢とナイフを持ってきた。僕はナイフの刃先で親指をほんの少しだけ傷つけ、三滴ほど血を乳鉢に落とす。乳鉢と引き換えにグリゼルダさんは白い布と血止めの薬を差し出してくれた。
「今のところはこんなところね。とりあえず、どんな魔法にするか考えておいて。私は今から『魔法核』や、さしあたって必要な魔法の材料を買ってくるから」
グリゼルダさんは立ち上がると金貨の袋を手に取る。
また聞き慣れない言葉が出てきた。『魔法核』ってなんだろう。
「『魔法核』というのはね、マジックアイテムの核となる部分よ」
僕の疑問を悟ったのか、グリゼルダさんが説明してくれた。
「そこに魔法を定着させて、ただの杖や指輪をマジックアイテムにするってわけ。主に特別な鉱石や魔核という魔物の心臓を使うこともあるわ。言ってみれば、マジックアイテムの心臓ね。ついでに言うと、一番値の張る部分でもあるわ」
それなりの素材を使えば安くあげることもできるけれど、もちろんできるのはそれなりのものだ。
すぐに壊れたり魔力切れを起こすのでおススメはしない、とグリゼルダさんは付け加えた。
マジックアイテムの心臓、という言葉で僕はあるものを思い出した。
「あの、これじゃあダメですか?」
カバンから取り出した麻袋を机の上に乗せ、封を解く。その瞬間、虹色のまばゆい光が部屋中を照らし出す。
僕が取りだしたのは『迷宮核』だ。『迷宮』自体、異世界の魔物という話だし、魔物の心臓も使うというくらいだから、これでもいけるかと思ったのだけれど、どうかな?
「まさか、これ『迷宮核』なの?」グリゼルダさんの声がふるえている。
「それ本当なの、ママ?」ロズもびっくりしている。
「昔、一度だけ『迷宮』の最下層で見たことがあるわ。その時は触ろうとしただけですぐに壊れてしまったけれど……」
グリゼルダさんがおっかなびっくりといった感じで『迷宮核』に指先を近づける。つん、とつつくと虹色の球体が少しだけ転がる。
「信じられない……安定している。一体どうして……」
「『迷宮核』って壊れやすいんですか?」
呆然とつぶやくグリゼルダさんに素朴な疑問をぶつけてみる。
「君の心臓よりもね」
グリゼルダさんはそう言ってもう一度『迷宮核』をつついてみせる。
ロズはわけがわからないという風に僕とグリゼルダさんを交互に見ている。
「『迷宮核』には桁外れな魔力が込められている。もし手にすることができれば、その力は計り知れない。けれど、無事な形で手に入れられたのは百のうち一つあるかないか、って言われているけど……」
そこで僕に向き直る。
「ねえ、これ一体どうやって手に入れたの?」
「えーと……拾いました」
手に入れた方法となると、僕が『迷宮』の一番奥まで行ったことを説明しないといけない。そうなると、どうやってブラックドラゴンを倒したのか、という話になる。さすがに正直に言う訳にはいかない。
「いや、拾ったって……」
「拾いました」
「……」
「拾いました」
グリゼルダさんが根負けした風にため息をついた。
「やっぱり、君はアイラの息子だわ……」
似ているのか似てないのかどっちかにしてほしい。反応に困る。
「えーと、それでこれは『魔法核』になりますか?」
「理論上は可能だけど……本当にいいの? これ売れば一生遊んで暮らせるわよ」
「僕はそんな怠け者じゃありません」
一生遊んで暮らそうだなんて、怠け者じゃないか。僕は働き者になろうと思っているし、そうなりたい。
第一、女の子がお嫁さんに来てくれるのは、怠け者じゃなくて働き者のところだ。
「まあ、君がそれでいいなら構わないけど、それならさっきの話も変わってくるわね」
グリゼルダさんはイスに座り直すと、魔法の一覧表を手に取り、僕に診せるように指差す。
「普通ならマジックアイテムに付けられる魔法は一つにつき一つだけなの。でも、『迷宮核』の力はそこいらの『魔法核』とは比べ物にならないわ。おそらく、たくさんの魔法が付けられると思う」
そいつはすごい。それなら『痺れ』の魔法だけじゃなく、便利な魔法をいくつも付けられる。
「十個くらいはいけますか?」
「百は軽いわね」
僕はイスから転げ落ちた。
お読みいただきありがとうございました。
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次回は8月31日午前0時の予定です。
たんぽぽコーヒーおいしかったです。