『白』と『黒』のラビリンス その2
先週は更新できずにすみませんでした。
すみません、またサブタイトルを変更しました。
やはり男とも女ともつかない声だ。格好はそっくりだけれど、僕を見てもお医者様は特に気づいた様子はない。コルウスさんでもコラックスさんでもコモンさんでもなさそうだ。
「やはり、貴様ら仲間だったか」
僕の反応を見たのか、ジュディスが冷ややかに告げる。
「仲間ではありませんが、その人はお医者様です」
多分、と心の中で付け加える。
「そうだ、その通り」
お医者様がすがりつくように声を上げる。
「ワタシはノア。『レイヴンズ』の医師だ。この近くで患者がいると聞いて行く途中で道に迷ってしまったのだ」
「たわけたことを」
ジュディスは鼻で笑った。
「お前のような医者がいるものか」
いるんだよねえ。
「とにかく、ワタシは迷ってこの村にたどり着いただけだ。カルネルの村に行かねばならない」
「あそこか」
ジュディスが渋い顔をする。その村とは仲が悪いようだ。
「ならばなおのこと、帰すわけにはいかないな」
隠れ里、というくらいだから他人に知られたくないのだろう。物語でも秘境に住む一族が出て来る。幻の宝を守っていたり、伝説の土地への行くための番人をしていたり、異教の神をあがめていたりするのだ。
僕たちに気づかれないようにしているつもりのようだけれど、さっきから少しずつ周りの人が増えている。みんな剣や槍や弓を持っている。もしかして、ジュディスが気を引いている間に人を集めて取り囲むつもりかな。いくら僕でも一度に掛かってこられたら厄介だ。
「君たちのたくらみに興味はない。ここで見た事を話すつもりもない。誓ってもいい」
「こうまで言っているんですから、行かせてあげたらいいじゃないですか」
ノアさんがあまりに切羽詰まった様子なので、つい口を挟んでしまった。
「黙れ」
「いやです」
静かにしろと言われて口を閉じるはずがない。僕は母さんの子どもなんだぞ。
「あなた方はこの村について他人に知られたくない。僕もそこのノアさんもこの村について誰かに話すつもりはありません。ここは平和的にですね、僕たちを村の外まで出してお互い会わなかったことにするというのはどうでしょうか」
「却下だ」
ジュディスはにべもなくはねつける。
「そんなにこの村のことを知られたくないんですか? 一体この村に何があるんですか?」
「話す必要はない」
「もしかして、そこの祭壇の裏にある花畑ですか。あれ、『オリテの花』ですよね」
それまで黙っていた人たちがざわつく。
『オリテの花』というのは紫色の小さな花だ。五つの花弁がキレイでアップルガースにも生えていた。根っこをすり潰して煮詰めると、傷薬になる。傷に塗ると血止めになるし治りも早くなる。けれど、ある草と混ぜて焼くと白い煙が出る。それを吸ってしまうとありもしない幻を見たり、体がふらふらになったりと酔っ払ったような状態にになるらしい。
使い方次第ではおそろしい毒にもなる花だ。だから王国では特別に許された土地以外では、栽培を禁止しているそうだ。
禁止されているからこそ、ひそかに高額で取り引きされている。
「自然に生えたものではないな。間引きもされているし、明らかに人の手が入っている」
ノアさんが花畑を見ながら感心したように言った。
「村ぐるみの違法栽培か。見つかればタダでは済まないな」
「僕、法律には詳しくないんですが。どうなるんですか?」
「少なくとも栽培に関わった人間は全員、しばり首だろうな」
「ははあ、それでか」
僕が村の上を飛んだものだから花畑を見られたと勘違いしたのか。少なくともそれを疑ったからおそってきたのだろう。
「どうだ、満足か」
ジュディスは立ち上がると背中から手斧を取り出した。
「殺される理由がわかったんだ。悔いはなかろう」
「大ありですよ」
こんなつまらない理由で死にたくないよ。
「お前たちはそこの怪しい黒ずくめをやれ。私はこぞうをやる」
失礼な指示に応じて男たちが近付いてきた。くわえて『闇の霧』がまた濃くなってきた。これでは『瞬間移動』で逃げるのもムリだ。さて、どうしたものか。『贈り物』で姿を消してから一人ずつ倒していくのは簡単だ。
問題はノアさんだ。この人をかばいながら戦うのはちょっと厳しい。まずどこかに隠れてもらうしかないかな。どこがいいかな。いくら僕がかくれんぼとおにごっこで村一番だといっても初めて来た村だし、相手はその村の住人だ。『贈り物』で一緒に姿を消しながら、というのは最後の手段にしたい。隠せる場所はあるだろうか。
頭を悩ませていたその時だった。
苦しげな女の人の悲鳴が聞こえてきたのだ。その場にいた男たちがさっと顔色を変える。
「大変です、ジュディス様!」
駆けつけてきたのは三十歳くらいの女の人だ。
「メイジー様の陣痛が始まって……」
「バカな、まだ予定まで半月はあるはずだ」
「ですが、破水も始まって今にも生まれそうなんです」
「よりにもよっておばば様の留守の時に……」
ジュディスの顔に焦りと苛立ちが浮かぶ。男たちもどうしたものかと顔を見合わせている。なにやら大変なことになっているようだ。赤ちゃんが予定より早く生まれそうだという。早産というやつか。
どうしよう。助けようにもお産となれば僕にはお手上げだ。物語ではちょくちょくそういう場面が出て来るけれど、「お湯を沸かす」とか「清潔な布を用意する」とか準備くらいで、実際に何がどうなっているのか、どうすればいいのか、何も書いていない。さっぱりだ。『贈り物』も使いどころがない。
「とにかく、湯を沸かせ。あとは洗い立ての布も用意しろ。私もすぐに行く」
ジュディスが指示を出す。先に言われてしまえばもう僕の出番はない。
「待ちたまえ」
声を掛けたのは、ノアさんだ。
「妊婦にそのなりで近付くのは感心しない。殺しに行くようなものだ」
「黙れ」
ジュディスがノアさんの胸倉をつかむ。
「貴様の戯れ事に付き合っているヒマは……」
「破水が始まっているとなれば感染の危険が高くなる。そんな汚れた格好で妊婦に近付けば毒を近づけるようなものだ」
「なんだと?」
「言ったはずだ。ワタシは医者だと」
ノアさんの声は、いつの間にか騎士様のような威厳に満ちていた。さっきまでびくついていたのに、背も伸びてたたずまいも堂々としている。ジュディスも気圧されたように喉を鳴らす。ノアさんは黙ってジュディスの手を払いのけると、乱れた服を整える。
「私も行こう」
「何を言っている? 貴様、自分の状況が」
「早産となれば、子どもはもちろん母親の身も危険だ。破水も始まっているとなれば分娩も近い。長丁場になるぞ。湯は存分に沸かしておくことだ」
返事も待たず、ノアさんが里の方へ歩いて行く。数歩歩いたところで振り返った。
「この中で回復魔法を使える人間は?」
誰も返事をしない。手を挙げていいか迷っているのだろう。
「一応、この杖があれば使えますが」
なので僕が手を挙げる。
「でもこの霧ではマジックアイテムは使えなくって」
「問題ない。策はある。付いてきてくれ」
言われるまま後を付いていく。
「あそこか」
ノアさんは里の中に入ると小さな小屋の方へ大股で近付いていく。人だかりが出来ていた。みんな心配そうな顔をしている。小屋の奥から女の人の苦しげなうめき声が絶え間なく聞こえる。
「そこをどきたまえ」
「何だお前は」
里の人たちはノアさんにうさんくさそうな目を向ける。小屋をのぞき込めば、奥のベッドではおなかの大きな女の人が辛そうに身悶えしている。あれがメイジーさんだろう。
「問答をしているヒマはない」
ノアさんは小屋の中に押し入ると、ふところから白い筒を取り出した。底の方をぽん、と叩くと小屋の中に転がす。反対側から白い蒸気が勢いよく噴き出してきた。
あっという間に小屋の中を満たしていく。悲鳴が上がり、中にいた女の人が飛び出して来た。続いてノアさんは自身にも筒を向け、白い蒸気を浴びる。
「ただの消毒液だ。害はない」
早く言ってよ。おかげでノアさんに飛びかかろうとした人を取り押さえる羽目になっちゃったじゃないか。
「ひとまず消毒はいい。あとはこれだな」
今度はマントを外し、内側から透き通った布を取り出し、高々とひるがえす。布が大きく広がる。端にはヒモと金具が付いていて、メイジーさんを取り囲むように吊り下げる。
「ここはホコリっぽいからな。この中なら余計なものは入ってこない」
「そのマントにこんなものが入っていたんですか」
「『レイヴンズ』の仕事は屋外がほとんどなのでね。こういう道具も用意してある」
独り言のようにつぶやくと、ノアさんは手袋を取り替え、薄い布で囲ったベッドに近付く。妊婦さんの枕元に立つと、顔をのぞき込み、静かにマスクを外した。僕は声を上げそうになった。マスクの下から出て来たのは、また同じ形のマスクだったからだ。
ノアさんは取り外したマスクを妊婦さんに被せる。
「何をしている!」
追いかけて来たジュディスが抗議の声を上げる。
「何のマネだ! 邪教のまじないか。メイジーから離れろ!」
「心配ない」
振り向くと自分のマスクを指さす。
「彼女が息苦しそうだったのでね。こいつの先端にはキレイな空気を発生させる石を埋め込んである。これで少しはマシになる」
そういえばコルウスさんもくちばしの中に薬草や毒消しを入れていたっけ。空気の中にただよう毒を清めているんだ。
「形は変だが、これで色々と役に立つ。そうでなければ、こんな珍奇な格好などしない」
ノアさんはちょっとイヤそうに言った。本当は着たくないんだろうな。
「陣痛も始まっている。生むしかなさそうだ。見たところ腰も小さいから難産になりそうだな。幸いにも道具は持って来ている。なんとかしよう」
「用意が良すぎませんか?」
「言わなかったかな。私の専門はね。産科だよ。まあ、任せておきたまえ。君はその間持ちこたえていてくれ」
「承知しました」
さっきからノアさんを追い出そうと里の人たちが小屋の中に次から次へと飛び込んでくる。なるべく傷つけないようにしているけれど、思っていた以上に数が多い。向こうもメイジーさんを傷つけないように武器を持っていないから楽だけれど。
ただジュディスだけは何も言わず立ち尽くしていた。




