隠れ里へ その5
バートウイッスル伯爵の館に『贈り物』で気づかれなくなってから忍び込む。
ハンナの部屋を探してうろつくけれど一階には見当たらず、二階に上がると、奥にカギだらけの部屋を見つけた。外から錠前がいくつも掛けられている。
宝物でも守っているのかとも思ったけれど、中に人の気配がする。もしや、と思い一度外に出てその部屋の窓をのぞいた。案の定だ。小さな部屋にハンナがいた。
質素なベッドに腰掛け、うなだれている。イスやタンスなど、一通りの家具はそろっているようだけれど、どれも伯爵家のお姫様とは思えないくらい古びている。
とりあえず窓をノックする。ハンナは振り返るとはっと笑顔をほころばせる。立ち上がって窓に駆け寄ろうとして伸ばした手を止める。開かないのだろう。実際、外から板が打ち付けられている。
「やあ、どうも」
でも僕は『瞬間移動』で部屋の中に入れる。
「リオ!」
ハンナはうれしそうだ。話し相手が欲しかったのかも知れない。ひとりぼっちはつまらないからね。
「それで、母さんについて何かわかった?」
たわいない話をいくつかしてから本題に入る。ハンナは困った顔をした。わからなかったのかな? と思ったけれどむしろ切り出すべきか迷っているようだった。
「そうね、あの……あんまり、マジメに働いてはいなかったって」
元々母さんが伯爵家に来たのは偶然らしい。行き倒れていたところを通りかかったのが伯爵家の馬車だという。それが縁で伯爵家で働き始めたそうだけれど、母さんはなまけてばかりだったそうだ。
「だろうね」
アップルガースにいた時だって、あれこれ手を出してはすぐに飽きてしまう。そういう話は聞くまでもない。よくクビにならなかったと感心する。伯爵は意外に心が広いのかも知れない。
「ほかには?」
そこでハンナが気まずそうに目をそらした。
「その、わかったのはね。どうしてお父様が、あなたの母親を憎んでいるか、その理由」
母さんは昔、バートウイッスル伯爵家で働いていた。その時にあの人と出会い、僕を身ごもったのだという。
「フェリシア様とお父様の駆け落ちをジャマしたのよ」
それからハンナはぽつりと話し始めた。
フェリシア様というのは、エルドレット……バートウイッスル伯爵の親戚で恋人だった。けれど、偉い人たちの命令であれの側室にさせられてしまった。そこまでは僕も知っている。
「思い詰めていたのね。王宮からの使いが来る前に、何もかも捨てて逃げてしまおうって」
あの伯爵がそんなに情熱的な人だったなんて信じられない。僕の知る伯爵はいつも顔色が悪くて不機嫌そうだった。
「そこである夜に、二人は館を抜け出そうとした。そこに立ちはだかったのが、あなたのお母さん。そのせいで二人は追っ手に捕まり、引き離された。お父様はこの部屋で謹慎させられ、フェリシア様はそのまま王宮へと連れて行かれたそうよ」
その時の様子を偶然、伯爵家に古くから仕えている侍女が目撃していたという。ハンナが聞き出したのもその人からだ。
駆け落ちしようとした事実はもみ消され、使用人をはじめみんな口止めされていたらしい。
「……」
確かにそれなら母さんを恨むのもムリはない。『魔女』と呼びたくなる気持ちもわかる。僕だって許せないだろう。
けれど、母さんがそんな野暮なマネをするだろうか。むしろ逃がすだとか食べ物でも渡すとか、積極的に応援しそうな気がする。権力やお金でいいなりになるような人なら、僕はこんな風に育ってはいない。
仮に恨みがあって、仕返しのつもりだったとしてもやり方が母さんらしくない。僕の知る母さんなら、落とし穴にでも落として泥まみれの伯爵を指さして笑うだろう。
考え込んでいると、ハンナがためらいがちに付け加える。
「その時の話なんだけれどね、あなたのお母さんが妙な話をしていたそうなの」
真夜中、館の裏庭を出たところで二人の前に母さんが現れて二人を足止めする。
「そこをどけ!」
伯爵が剣を突きつけたけれど、そんなもので引き下がる母さんではない。
「いやね、アタシも見逃してあげたいのはやまやまなんですよ。短い間とはいえ、お坊ちゃんには世話になりましたし、フェリシア様にも大変良くしていただきました。本当なら路銀でも渡してハンカチ振って二人の門出を応援したいところなんですけどね、そうもいかないんですよ」
「何故だ?」
「お二人が出て行くと、この国が滅ぶからです」
呆気にとられる伯爵とフェリシア様に、母さんが続ける。
「お二人が出て行くことで、バートウイッスル一族と王家との仲が悪くなります。特に王妃様はカンカン。飼い犬に手をかまれたってんで、当然こちらだって黙っちゃいない。親戚一同、それから近隣諸侯を巻き込んで騒動は収まりが付かずに、内乱が起こります。当然、お隣の帝国だってそんなチャンスを逃しません。東から国境を越えて攻めて来ます。同時に南西の『黒刃』に、北の『大災害』なんて連中が王国からの独立や打倒を宣言してあっちこっちで大騒ぎ。王宮内も責任のなすりつけ合いや責任逃れでドロドロ。王妃様が生むはずだった男の子も生まれずに、後継者争いはさらに泥沼。王国はその後、何十年もの戦乱に巻き込まれます」
「何を言っている……?」
伯爵も困惑顔だったそうだ。ただの予想や予測にしては、まるで見てきたかのようにきっぱりと言い切っている。それが恐ろしくも気味が悪かった、とはその一部始終を見ていた侍女の言葉だ。
「本当なら両方とも助けてあげられたらよかったんでしょうけれどね。今のアタシじゃあこれが精一杯で。多分、この子なら何とかしてあげられるんでしょうけどね」
そこで母さんが自分のおなかをなでさする。
伯爵はそこで何かに気づいたらしく、怒りの形相で歯を食いしばる。
その時に屋敷の中が騒がしくなる。二人の駆け落ちに気づいたのだ。
「どけ!」
とうとう伯爵が切りかかる。すさまじい速さで剣を振り回す。けれど、母さんは軽やかに全てかわしてのける。
「申し訳ございません」
そう言ったとたん、伯爵は剣を振り上げた体勢のまま、動かなくなった。まるでがんじがらめにしばられたみたいに。
母さんはひょい、と剣を取り上げるとあさっての方向に放り投げた。
代わりに伯爵の手に紙を握らせる。
「あ、今日でここ辞めますんで。紹介状は結構です。行くあてもありますから」
「待て!」
背を向けて去って行く。入れ違いに伯爵家の兵士や使用人たちが伯爵とフェリシア様を取り囲む。
「離せ!」
「エルドレット!」
二人は力ずくで引き離される。
「何もかも貴様のせいだ! 戻って来い! 冥界へ叩き落としてやる! 呪ってやるぞ、『魔女』め!」
母さんは振り返りもせず、どこかへと去って行き、戻って来なかった。
話をしている間、ハンナが妙におどおどしていた理由がよくわかった。僕が怒り出すと思ったのだろう。
「なるほど、妙な話だね」
今の話は、おそらく事実だろう。ハンナにしてもその侍女にしてもウソを付く理由がないし、付くにしてももっと適当な内容にするはずだ。母さんが未来を予知しただなんて言うよりもっとわかりやすい。
「どう? その、役に立った」
「十分だよ」
伯爵が母さんを恨む理由がわかった。それだけでも収穫だ。それともう一つ。母さんはやはり僕と同じような能力……『贈り物』を持っている。普通に考えれば、占い師や予言者のように未来の出来事を予知できる、というところか。
けれど、それだけではないような気がする。以前、ナディムからも似たような話を聞いた。誰にも話していないはずの夢の話を母さんに言い当てられた、と。
それだと未来を言い当てられるのとちょっとずれている。僕が気づかれなくなったり、気絶させたりできるように、どちらも母さんの『贈り物』の一部なのかも知れない。
「本当にありがとう。おかげで役に立ったよ」
そこで僕は部屋の中を見回す。
「どうする? 出る?」
外に連れ出すくらいは楽勝だ。ハンナは首を振った。
「これ以上はお父様にご迷惑は掛けられないもの」
「そうか」
下手に連れ出せばまたおしおきが増えるかも知れないからね。これは僕がうっかりしていた。
「それじゃあまた来るよ」
「約束、ね?」
ハンナと別れ、僕とスノウは改めて隠れ里へと向かう。
ふもとの森に戻り、『瞬間移動』を使いながら空を飛んでいるといきなり下から矢で射かけられた。
不意を突かれてバランスを崩し、森の中に落っこちた。かろうじて木の枝に引っかかったからケガはしなかったけれど、そこに現れたのは怪しい格好をした人たち。あれよあれよという間に捕まり、今僕は岩牢の中にいる。
え、どういうこと?
『隠れ里へ』 了
これにて『隠れ里へ』は終わりです。
次回は一週間お休みして8/28から再開予定です。




