見えない王子様 その19
「ゴメン、リオ……」
声の雰囲気から察するに、ジェラルドに捕まっているらしい。
「スーをどうするつもりだ」
「動かないでくれよ、ぼうや」
忠告するような口調でジェラルドが言った。
「見えていないから教えてあげるがね。今このお嬢さんの喉元に冷たくて鋭い刃物が突きつけられている。ちょっとでも動いたら真っ赤なお花が咲き誇る。哀れ、少女の命は朝日とともにはかなく消え去る。まるで夜霧のように」
詩人みたいに言うけれど、全然心に響かない。
「また人質か。つくづく卑怯な奴だ」
「しかし効果的だ」
ここに来たのがコーネルじゃなくて良かったよ。絶対に無視していただろう。
「スーに何をするつもりなんだ?」
まさか、外の空気を吸わせるためでもないだろう。
「大魚を吊り上げるためには、小魚をエサにする。小魚を釣るためには、虫やミミズを捕らなくてはいけない。そういうことだよ」
「なるほど、モーリン姫様をおびきよせるための人質か」
スーが虫やミミズっていうのは気に入らないけれど。
「おとなしくしていてくれないか。そうすれば君もこの子も傷つけやしない」
「わかりました。言うとおりにしましょう」
僕は両手を挙げた。
「……」
沈黙が流れる。
「動かないのか? 君はこのお嬢さんが大切なんだろう。さっきの煙玉はどうした?」
「そうしたいのはやまやまなんですが、さっきので本当に品切れなので」
また作っておかないといけないな。材料はまだ残っていたかな。
「それに、今のスーはあなたに操られているんでしょう?」
さっきのリタと同じだ。さっき「耳が聞こえにくい」と言っていたし、まだ完全にジェラルドの支配から抜け切れていなかったのだろう。だとしたらそういうこともあり得るはずだ。
「ほう」感心したようなつぶやきが風に乗って届く。
「よくわかったね」
「スーならお姫様をおびき出すって時点で叫びますよ」
彼女の忠誠心は散々見てきたからね。
「小魚を捕まえる前に、タチの悪い野良猫をなんとかしようと思ったが、仕方がない。やはり正攻法でいくとしよう」
立ち上がる気配がした。
「目の見えないぼうやがどこまで粘れるか。試してみようじゃないか」
「それは……趣味が悪いですね」
弱い者イジメ、と言いかけて止める。こんな奴相手に弱い者だなんてなんだかシャクにさわる。
「やれ」
非情な命令とともにこちらへ向かってくる足音がする。見るまでもなくスーとわかった。足の運びがやや右に傾いている。右手に剣を持っているようだ。
「にゃあ!」
スノウが教えてくれた間合いで、体を傾ける。
遅れて風を巻きながら細長いものが通り抜けていく気配がした。続けて足を踏みしめる音。ここか、としゃがみこむと、頭の上で冷たい風が駆け抜けていく。それから足下に脇腹に、右肩、左手。嫌な予感のするところを動かしながら攻撃をかわす。
いつもならもっと引き寄せてから紙一重でかわすんだけれど、見えていないからどうしても距離を大きく取ってしまう。だから反撃もしにくい。まずいな。
ジェラルドは一歩も動いた気配はない。ただ、僕とスーの戦いを観察しているようだ。僕が反撃も出来ずに逃げ回っているのを楽しんでいるのか。あるいは、僕のすきを狙っているのだろう。
ちょっとでも体勢を崩したら一気に詰め寄ってくるに違いない。長引けば僕の体力が減って、不利になるばかりだ。
「ゴメン」
思い切って前に出ると攻撃の来るところを予測して腕を伸ばす。とらえた。そのままスーを引き寄せて、おにごっこの『贈り物』で肌に触れる。
一瞬、体がふるえて動けなくなる……はずなのに、スーの動きは止まらなかった。まずい、と突き飛ばそうとした時には遅かった。スネの辺りに痛みを感じる。後ずさりながらよろける。血が出ているのは触らなくてもわかった。
「そうか」
僕は自分の失敗を悟った。スーは今、あいつに操られている。きっと最初に倒れた時と一緒で、痛みがない状態なんだ。だからおにごっこの『贈り物』が通用しなかったのか。痛みを感じないのだから、ニセモノの痛みなんて感じるはずがない。
悔やむ間もなくスーが再び、向かってくる。よろめいてひざをつく僕の頭上めがけて振り下ろす気配がした。
僕は転がってかわしながらカバンの中に手を突っ込む。足音と気配を頼りにスーにしがみつくとカバンからロープを取り出す。それからスーの体をぐるぐる巻きにして動けなくする。イモムシのようにもがいているであろう、その首筋に手を当てる。スーは抵抗を止めて動かなくなった。
痛みを感じなくっても頭に血が通わなくなれば意識を失う。乱暴だけれど、虹の杖もない以上、今はこれしかない。
「ご苦労さま」
ジェラルドが嫌みったらしい声で言った。作戦通り、って得意げな感じだ。
「その足ではもう逃げ回れないだろう。あとは君の能力……おそらくは『透明』かそれに近いもののようだね」
勘違いしているようだけれど、わざわざ訂正してあげるほど僕はお人好しではない。
「ならば話は簡単だ。近づけさえしなければいい」
尾を引くような金属のこすれ合う音。剣を抜く音だ。何をするつもりだ?
ジェラルドが剣を振り上げる。あいつと僕との距離は、まだ四フート(約六・四メートル)は離れている。けれど踏み込んでくる気配も足音もない。どうするつもりだ。
スノウの鳴き声が聞こえた。同時に空気の弾ける音がする。悪寒が全身を駆け巡る。痛む足をムリヤリ動かして飛び退く。地面のこすれる音がした。倒れながら困惑する僕の耳が、空気を切り裂きながらジェラルドの元へ戻って行く物体の音を聞いた。
「なるほど、『柔鞭剣』ですか」
物語で読んだ事がある。柔らかい鉄を使った、ムチのようにしなる剣だ。曲がったり巻き付いたりと、普通の剣ではあり得ないような速さと動きをする。その分、受け止めたり硬いものを切るのは苦手だ。けれど人間の体くらいなら簡単に切り裂いてしまう。
「そんなものまで持っていたんですか」
柔らかいから体に巻き付けて持つ人もいるらしい。でも、おかしいな。さっき確かに鞘から抜く音を聞いたはずなんだけれど。
「こいつは特別製でね。『迷宮返り』さ。普段は普通の剣だが、魔力を込めればこんな風に早変わりする」
今度は横に転がってかわす。耳たぶに耳障りな音が叩き付けられる。
「状況は理解したかな」
「イヤと言うほど」
この足では逃げられない。飛び込もうとしてもその前に『柔鞭剣』のエサだ。おまけに僕の攻撃方法は限られている。虹の杖もない以上、剣の間合いより外からの攻撃も出来ない。せめて目さえ見えたら何とかなるのに。
「さて、聡明な君ならば俺が次に何をするか、わかるだろう?」
「うんざりするくらいに」
動けなくなったスーを狙うつもりだ。
「殺しはしない。多少傷つくことになるだろうが、まあそれも戦場のさだめだ。甘んじて受け止めるべきだろうね」
「ふざけるな」
そんなことさせやしない。
「なら防いでみるといい」
大きく振りかぶる音がした。まずい。僕が立ち上がりかけた時、スノウの鳴き声が聞こえた。こつん、と何かが転がっていく。
大きな音がした。
「ぐうっ!」
ジェラルドのうめき声が聞こえた。『柔鞭剣』が変なところに当たって跳ね返る。もしかして、今のは光玉か?
「にゃあ……」
スノウが僕に近付いてくる。
「そうか、君が助けてくれたんだね」
僕のカバンから取り出した光玉をジェラルドに投げつけたのか。
「ありがとう、やっぱり君は僕の……」
「にゃあ」
言い終わるより早く、スノウがいつものように僕の体をよじ登り、肩の上に乗る。
それから僕の額に体をこすりつける。くすぐったい。気持ちいいけれど、今はそんな場合じゃあ……。
その途端、僕の頭が激しく揺さぶられた気がした。一瞬気分が悪くなって、つい目を開けてしまった。
「あれ?」
目が見える。お城になってしまった砦も、夜明け前の空も、名残惜しそうに薄れる月も、全部見えている。
でもおかしい。ジェラルドの術が解けたのなら、どうして僕は僕の顔を見ているんだ? それもものすごく間近で。
「にゃあ!」
ふと視界の端を見れば、白くてふわふわした猫の手。
「もしかして……」
今僕が見ているのは、スノウの景色なのか? つまり、僕とスノウは今、同じものを見ているんだ。手探りでスノウの向きを変えると、顔を押さえてうめいているジェラルドが見えた。向きを変えれば倒れているスーもいる。やっぱりそうだ。今、僕とスノウは目を共有しているんだ。
「にゃあ……」
急に視界が下向きになった。スノウの肩が揺れている。疲れているのか。きっとスノウはこの時のために、ふしぎな力を温存していたんだ。
「ありがとうスノウ。やっぱり君は僕の『大親友』だよ」
頭を優しく撫でてあげると僕はスノウを懐に入れる。ちょうと頭だけ出ている格好だ。
「苦しいだろうけれど、もう少しだけガマンしてね」
スノウが目を閉じたら僕までまた見えなくなってしまう。
「クソ、なんだ。その猫は? ただの子猫じゃないな」
「当然だろ」
ジェラルドのいまいましそうなつぶやきをかき消すように、僕は剣を抜き放つ。
「奪い取ってばかりのお前なんかより、分け与えられるスノウの方が何万倍もすごいに決まっている」
「にゃあ!」
目の位置がいつもと違うけれど、見えないよりはるかにマシだ。これで戦える。今僕たちは、二人で一人だ。
「さあ、来い。『いないいないばあ』。僕たち『白猫』のリオの力を見せてやる」




