柔らかい牢獄 その11
建物の中に入ると、薄暗い部屋に本棚がたくさん並んでいる。図書室のようだ。天井まで伸びた本棚には、革張りの大きな本が隙間なく敷き詰められている。
窓際には本を読むための机とイスが、備え付けてある。僕の好きな物語がないか探したいけれど、時間もない。それに読書中の人が僕を見て口を大きく開けている。ジャマしちゃ悪いので、頭を下げて部屋を出る。僕の探している部屋はどこにあるんだろう。
階段を降りて吹き抜けの廊下に出る。丸くなった天井の横にはたくさんの柱が立っている。女神様とか天使といった彫刻も彫ってある。見事なものだなあ。
「いたぞ!」
廊下の向こうから修道士たちが走ってきた。おや、見つかったか。僕はまた来た道を戻って階段を上がり、二階の廊下をひた走る。
「おや?」
廊下の角を曲がったすぐ左手に扉がある。名札も書いてある。良かった、ここだ。カギがかかっている。剣でこじ開けると、急いで飛び込み、後ろ手で閉める。
「お、お前何者だ! こいつらの仲間か?」
修道司祭がイスから立ち上がるなり詰め寄ってきた。
「すみません、ここは危ないので」
謝りながら外へと連れ出し、中からカンヌキを掛ける。お仕事中、申し訳ないけれど説明しているヒマはない。
思っていたより広い部屋だった。部屋にはベッドがいくつも並んでいる。向かいには大きな窓が開いていて、明るい日差しが差し込んでいる。
壁際にある、白い布の垂れ下がった棚からは薬のニオイがする。その側には小さな机と本棚が付いている。その脇にはまた扉が付いていて、隣にある薬の調合室へと続いている。
ここは、医療室だ。
ベッドは四つ、ふさがっている。『星虹のバラ』を盗み出そうとした黒ずくめたちだ。ロードリックさんにやられて、寝込んでいる。まだ傷が治っていないらしく、包帯が赤くにじんでいる。
「失礼します」
僕はカバンから虹の杖を取り出すと、先っぽの『核』を黒ずくめたちに向ける。
「『治癒』」
『核』から緑色の光が薄衣のように広がって黒ずくめたちの傷をみるみる治していく。
「やった、思った通りだ!」
この修道院とその周りでは、魔法が使えないように結界を張っているという。でも、まったく使えないのは不便だ。特にケガ人が出た時に回復魔法が使えないと、助かる人も助からなくなる。
だからどこか特別な場所……たとえば医療室だけは魔法が使えるようになっている、と踏んだのだけれど、正解だったようだ。ついでだからほかの黒ずくめたちの傷も治してあげる。
「……ここは?」
黒ずくめたちが次々と目を覚ます。しばらく呆然としていたけれど、逃げだそうとしたり僕におそいかかってきたりしたので、おにごっこの『贈り物』で気絶させてから、調合室の方に放り出す。
どろぼうだけれど、このまま放っておいたらまたケガをしそうだからね。
『治癒』が使えることはわかった。ほかの魔法も使えるかな、と虹の杖を振り上げた時、窓の外にいる人と目が合った。
「やはり、ここでしたか」
ロードリックさんがうれしそうな口調で言った。
一瞬、空に浮いているのかと思ったけれど、窓の外に緑色のトゲトゲがちらちら見える。イバラの上に乗っているようだ。
「そこ危ないですよ」
注意しながら虹の杖を向ける。杖の先っぽからバチバチと弾ける音を立てて『麻痺』の稲光がほとばしる。
当たればしびれさせる電撃は、ロードリックさんに届く寸前でかき消える。まるで見えない壁にはばまれたようだ。でもロードリックさんが何か魔法を使った様子はない。
「あなたの読みどおり、医療室の中では魔法が使えるようになっています。ですが一歩外に出れば、結界の範囲内。魔法は通用しません。残念でしたね」
「ええ、まったく」
できれば、これで決着を付けたかった。
「どうでしょう。ここは一つ、温かい飲み物でも飲みながら落ち着いてお話でもしませんか。僕、おいしいたんぽぽコーヒーを淹れますよ」
「遠慮しておきましょう」
招き入れようとしたら、断られた。
「窓の外から入るのは無作法ですから」
「気にしませんよ」
たまに僕もやるからね。訂正、さっきやったばかりだ。
「それに問答など無用でしょう。『星虹のバラ』を渡すか、死ぬか。二つに一つです」
「それなんですけどね」
僕は思い当たることを口にする。
「もしかして、『星虹のバラ』はまだ修道院の中にあるんじゃありませんか? 色でも塗ってほかのバラと一緒に花壇にでも植えられているとか。ほら、『金貨は金袋の中に隠せ』といいますから」
一輪だけなら素晴らしいバラも何百何千のバラに混ぜれば目立たなくなる。物語でも見た事がある。『獅子の剣、竜の盾』では、どろぼうが盗み出した宝剣を武器屋の中に隠した。
「あり得ません」
とっておきの思いつきは、ロードリックさんに一蹴される。
「私を誰だと思っているのです? この修道院のバラは全て私が育てたのです。色を塗りたくったところで、『星虹のバラ』を見間違うなど、絶対にない。この修道院のどこにも、我らの神に誓って、『星虹のバラ』はありません!」
そこまで自信たっぷりに断言されると「本当ですか?」と言いづらい。僕の思いつきはハズレのようだ。だとしたら、やっぱりあそこしかないか。
「ちょっと心当たりがありますので、少し席を外したいのですが」
「それこそ、あり得ません」
ロードリックさんがにやりと笑った。その途端、医療室のあちこちからイバラが飛び出して来た。天井から、窓の外、扉の隙間や床の割れ目からも飛び出してくる。長々と話していたのは、イバラをこの部屋に集めるためか。
「あなたはここで、イバラに押しつぶされます。一滴残らず血を流して干からびるのです」
イバラはまだまだ入り込んでくる。イスや机、ベッドの足に絡まり、這いずり回る。まるで緑色のミミズのようで気味が悪い。床もイバラが這い寄ってきたのでベッドの上に避難する。床はもう、バラとイバラの海だ。草のこすれる音がする。草と花の香りが部屋中に満ちる。
僕は剣を抜いて壁や床のイバラを切り裂く。何本も何十本も、切り落としたバラは散り、イバラは動かなくなる。けれど、その上からのしかかるように新たなイバラが増えてくる。キリがないや。僕が切っていくよりイバラの増える方が早い。
ならこっちだ。僕は手に持っていた隠し武器を放り投げた。
「ムダですよ」
急所は外したつもりだったけれど、一瞬で伸びたイバラに弾き飛ばされる。
「あなたに勝ち目はありません」
ロードリックさんが手を上げると、トゲのとれたイバラが包んでいく。まるで卵か鳥の巣だ。
隙間もなく包まれ、球のようなイバラが完成する。外周りはトゲトゲだらけだ。『贈り物』で気づかれなくなったとしても、触るどころか近付くことも出来なそうにない。
中からロードリックさんの高笑いが聞こえる。狂ったような笑い声が響く中、窓の外にあるイバラが上昇していく。万が一にも、僕の攻撃を受けないように避難したようだ。その間にも医療室のイバラは増え続けている。窓からも侵入してきたので、もうどこにも逃げ場はない。
ベッドの上にも這い上がってきた。僕はジャンプして、天井のシャンデリアにしがみつく。
足下はもうイバラがさざ波のように波打ち、医療室を満たしている。下だけじゃない、天井からも伸びたイバラがシャンデリアをつたって迫っていた。
「これが最後です。『星虹のバラ』を渡しなさい。それとも、あの娘を先に血祭りにあげましょうか?」
ロードリックさんの声だ。上から聞こえたということは、上の階にでもいるのだろう。
「あの、ですね」
どうすればこの局面を打開できるか必死に考えを巡らせる。何とかして思いとどまるように説得しないと。
「多分、あなたは今とても気分がいいのだと思います。世界一カワイイ子猫を連れているからと、調子に乗っているナマイキな男を追い詰めて、やっつける寸前です。作戦もうまくいったとほくそ笑んでいるのかと思います。でも違うんです」
「何がです?」
「今、追い詰めているのは僕なんです。僕がこの部屋に来た時点で勝負は付いていた。ゲームでいうところの『詰み』なんです。騎士だか司教だかが、喉元に食らいつこうとしている。ただ、あなたはそれに気がついていないだけなんです。物語ならここで『リオ君カッコイイ!』とか言われちゃう場面ですよ、ええ」
「ほう」
食いついて来た。いいきざしだ。
「悪い事は言いません。降参してください。さもないと、とても痛い目を見ることになります。これはおどしではありません。きっと後悔する羽目に……」
頭上から笑い声がした。見えないけれど、腹を抱えて笑い転げているって感じだ。
「ええ、よーくわかりましたよ」
「わかっていただけましたか」
良かった良かった。
「あなたが底抜けの大バカ者だということがねえっ!」
全然良くなかった。あざけるような声とともに床から、壁から、天井から、トゲトゲのイバラが一斉に僕に向かってきた。
「いや、バカではないんですけどね」
僕はちょっとふてくされながら虹の杖をひょいとイバラへ向ける。
「『治癒』」
イバラに当たった緑色の光が一瞬で広がっていく。
絶叫が上がった。僕の眼前まで迫っていたイバラが勢いを失い、へなへなとしなびたように垂れ下がっていく。医療室の中を所狭しと這い回っていたイバラもぴたりと止まる。まるで干からびたミミズのようだ。
「おっと、こうしちゃいられない」
僕は体を振り、シャンデリアの揺れを利用して窓まで飛び移る。窓枠にあったイバラを踏んづけてしまったけれど、ぴくりとも動かない。イバラは医務室の外壁にも広がっていた。ちょうどいいので、それを利用して上の階に登り、窓から中に入る。
ロードリックさんはその部屋にいた。卵のようなイバラの球から赤い雫がにじんでいる。僕は駆け寄るなり剣で切り払う。
あらわになったイバラの中をのぞいて、僕はほっとした。
「急所は外してくれると信じていましたよ」
イバラの内側から伸びたトゲが、ロードリックさんの全身を突き刺している。修道司祭の服が赤くにじんでいて、まるでバラの花びらに埋もれているかのようだ。逃げ場のないところでうまくかわしてくれたのはさすがだ。
「き、さま……さいしょから、これを……」
血まみれになりながらも憎々しげににらみつけてくる。
「僕があれだけイバラを切り落とせば、用心して防御を固めると思っていましたよ」
さっきロードリックさんがイバラに包まれる寸前に見えたのだ。僕が切りつけたイバラの傷跡が。
『治癒』の光を浴びると、たいていのケガはたちどころに治ってしまう。人間だけでなく、植物もだ。僕が切り落としたり、傷つけたりしたイバラのダメージも治る。
傷はふさがり、元通りトゲトゲが伸びて、内側にいたロードリックさんに突き刺さったのだ。僕の攻撃に対抗しようと、硬くしておいたのがあだとなった。
「失礼しますね」
やわらかくなったイバラを切り払う。支えを失って倒れ込むロードリックさんを受け止めると、今度は床に穴を開けて医療室にそろって降りる。イバラを払いのけたベッドに寝かせて『治癒』で傷をふさいだ。これでいい。
おにごっこの『贈り物』を何重にもかけたのでもう動けないだろう。
形だけ見れば僕の勝ちだし、作戦どおりなのだけれど、気分は晴れなかった。別にロードリックさんに恨みがあるわけではない。むしろバラを盗まれた被害者だ。
それなのに、やむを得ないとはいえ、傷つけてしまった。こうならないように説得もしてみたけれど、失敗してしまった。うれしいというよりも罪悪感ばかりが込み上げる。
勝者のいない戦いとはこういうものか。医療室に散らばったイバラや花びらを片付けながら僕はがっくりとうなだれた。




