柔らかい牢獄 その10
僕の問いかけにロードリックさんは大きく口を開けてポカンとする。しばらく見つめ合った後、情けないと言いたげにため息をついた。
「あのですね」
小馬鹿にするというより、むしろ心配する様子すら感じさせる声だった。
「冗談にしてはタチが悪いし、本気で言っているのなら笑われますよ」
「ですよね」
全くその通りだ。どうやらロードリックさんはバラを操る力を持っているようだ。『見つからない者たち』もまた、特別な力を持っているという。だからといって、特別な力を持つ人が全て『見つからない者たち』とは限らない。
そもそも『見つからない者たち』なんて、世間ではただの民間伝承だ。真面目に聞いたら、バカにされても仕方がない。僕自身、ちょっと前まで全く信じていなかったくらいだ。
「申し訳ありません。少し前にそういう本を読んだせいか、気になってしまって」
僕は素直に頭を下げた。今、戦っている最中だけれど、それとこれとは別だ。
「まったく、失礼な方ですね」
ロードリックさんが笑い出したので、つられて僕も笑ってしまう。
「そうですよね。『赤の王家』だの『黒の王家』だの、全然関係ないですよね。いやー、すみません」
声がピタリと止んだ。ロードリックさんの顔から笑いが消えている。代わりにその目には、おそろしい殺気が宿っていた。バラのことで怒っていたのとは、また違う。研ぎ澄ました刃のように、鋭くて冷たくておっかない。
空気を切り裂く音がした。
とっさにしゃがむと、ムチのようにしなったイバラが頭の上を駆け抜けていった。ぴしり、と弾けた音がする。振り返ると、壁に大きなヒビが入っていた。
「おや、まあ」
「どうやら、あなたには色々聞かなくてはならないようですね」
ロードリックさんの袖からイバラが一本、また一本と増えている。意志があるかのようにのたうちながら、壁と言わず天井と言わず、周りを手当たり次第に打ち据え、叩いている。
よくわからないけれど、僕の発言がロードリックさんを怒らせてしまったようだ。どうしてこうなるのかなあ。
「落ち着いて下さい」
僕は誠心誠意、思いやりを込めて言った。
「それでは、『見つからない者たち』だと認めたようなものですよ。何より、そんなにあちこち叩いたらこの建物が壊れてしまいます。修理代だってバカになりませんよ」
くるりと辺りを見回す。
「ここ古い建物なんでしょう。歴史がありそうじゃないですか。建物のあちこちに昔の人たちの思いだとか生きた証だとか、たくさん染みこんでいるんです。それを台無しにしたらかわいそうじゃないですか」
「ここの修道院が建てられて二百年ほどになりますが」
ロードリックさんはイバラを振り回しながら、気味の悪い笑みを浮かべる。
「当時は、異教徒や教会に反発する連中の牢獄も兼ねていましてね。今では禁止されているような拷問も行われていたそうです。なるほど、昔の人たちに思いをはせるのも悪くありませんね」
「歴史なんて関係ありませんよ。僕たちは今を生きているんです。目指すのはいつでも愛と平和と幸せな未来に決まっています」
まったく、なんて修道院だ。
「第一、そんな武器みたいな使い方をしたらバラがかわいそうじゃありませんか。キレイな花を咲かせて、僕たちの心をなごやかにしたり明るくしてくれるというのに」
「それはあなたの感想です!」
しなるイバラの間からバラの花びらが飛んできた。赤や白や黄色の花びらがひらひらと舞い上がってキレイだなあ、と一瞬見とれたけれど嫌な予感がしたので転がってかわした。床に落ちた花びらを見て、僕は短い悲鳴を上げた。
赤い花びらは一瞬で燃え上がり、白い花びらは小さく破裂し、黄色い花びらは焼けるような音を立てて床石を溶かした。
「バラが花を咲かせるのは虫を使って花粉を運ばせるためです。キレイだの美しいだのとは、人間の言い分に過ぎません」
「だとしたら余計に、武器として使うのは間違っていると思うんですが」
「それが何だというのですか!」
ロードリックさんの声と同時に、たくさんのイバラが僕に向かってきた。今度はバラの花びらも同時に放ってきた。
「『支配』こそ赤の『王権』! これこそが始祖より与えられた我らの摂理です!」
「わけのわからないことを!」
今度はただ振り回すのではなく、工夫を付けてきた。ヘビのように床を這いずり回るかと思ったら、竜巻のように大きく回転しながら飛んでくる。かと思えば矢のように一直線に飛んでくるのをかわしたらお次は、トゲトゲだらけのイバラが前後左右同時に向かってくる。
僕はそいつをかわしながら剣で防ぎ、受け止め、弾いていく。イバラに気を取られていると、おっかない花びらが僕に降り注ぐ。飛び退いたところにまたイバラが僕を捕まえようと音もなく忍び寄る。厄介だなあ。
さっき気絶させられたのがよっぽどイヤだったらしい。僕を近づけないようにして、遠くから仕留めるつもりのようだ。
「まあ、だったらやりようもあるけどね」
足を止め、あらゆる方角から飛んでくるイバラを確実に切り落とす。とにかく手数を減らさないと、何にも出来やしない。
「バカめ!」
見上げれば、頭のすぐ上に色とりどりのバラが祝福のように降りてきた。足下に転がるイバラがジャマで、かわすのはちょっと難しい。
「粉々に吹き飛ぶがいい!」
「おことわり!」
僕はカバンの『裏地』を開けて、頭上にかざした。『裏地』には、生き物以外は何でも入る。ちぎれ飛んだ花びらはもう、生きてはいない。おっかない花びらが吸い込まれていく。
ロードリックさんがのどをつまらせたような声を上げる。動きが止まったすきに僕は剣を構え直しながら突っ込む。
「ちぃっ!」
舌打ちしながらたくさんのイバラを足下から出現させる。まるでイバラの壁だ。でも関係ない。踏み込むと同時にまとめて切り払う。
トゲやイバラが飛び散る隙間からロードリックさんのびっくりした顔が見えた。と思ったとたん、次の壁が現れる。それを切り飛ばしたら今度は巨大なイバラが生えてきた。
天井にぶち当たるほど大きな、トゲトゲだらけの緑色の柱が立ちはだかる。今までのよりもずっと太い。見た目にも硬そうだとわかった。
なので僕は斧のように剣を振り上げ、体重を掛けて一気に切り倒そうとした。そのとたん、柱のようなイバラはあっという間にすぼまり、僕の指より細くなった。目標を失い、空振りしてしまう。勢いが付いて転んでしまい、あわてて立ち上がると、ロードリックさんの姿はなかった。
「ありゃ?」
見れば天井に大穴が開いている。なるほど、さっきのイバラの柱で穴を開け、そこから上に逃げたのか。よっぽど僕に近付かれたくないようだ。
天井の穴からまたイバラが伸びてきたので、あわてて飛び下がる。
少し離れると、僕を見失ったらしく、穴の付近で止まっている。
けれど、参ったな。時間が経てば経つほど僕が不利になる。なにせここはロードリックさんの庭のようなものだ。そのうちどこからか援軍が来るかも知れない。そいつも『見つからない者たち』で、また特別な力を持っているとしたら大ピンチになるのは間違いなしだ。
どうにかして距離を詰めるか、ロードリックさんよりも遠くから攻撃するかの二択だ。『贈り物』で近付けば簡単なんだろうけど、僕を見失ったロードリックさんがスノウやハンナの方に向かう可能性もある。つまり僕は、オトリ役もこなしつつ、ロードリックさんを止めなくてはならない。面倒だけれど、スノウたちを危険にさらすよりはるかにマシだ。
足下にはたくさんのちぎれたイバラやトゲが落ちている。つついてみても変化はない。操れるのは生きているバラだけのようだ。
「いたぞ!」
振り返ると部屋の入口にはたくさんの修道士と修道司祭たち。
「あいにくナディムはさっき出て行ったところでして。僕はおるすばんなんですよ」
「あいつだ。捕まえろ!」
声を掛けると、血相を変えてなだれ込んできた。ははあ、さっそく援軍か。
「あいつを捕まえれば、金貨百枚だぞ!」
「ここからだって出られるぞ!」
大盤振る舞いだなあ。
「申し訳ありません」
捕まってあげるつもりはないし、何より僕はかくれんぼとおにごっこでは村一番だ。
ひょいと放り投げた煙玉が床に当たって、もくもくと煙を吹き出す。あっという間に、部屋の中は黒い煙だらけだ。
飛びかかってきた人たちはせきこんだり、むせたりと苦しそうだ。
「すみません。あ、窓開けときますね」
開けた窓から風が入り込んだので、入れ違いに僕は外に出る。
「いたぞ! あそこだ!」
窓から見下ろせば、修道士たちが僕を指さして叫んでいる。
「やあ、どうも」
あいさつしてから僕は建物の壁をよじのぼる。指さえ引っかかれば登るのは簡単だ。誰かさんには山猿のようだなんて言われたっけ。
下から飛んでくる石をかわしながらどうにか屋根の上に這い上がった。
さすがにここまで追いかけてくるには時間も掛かるだろう。腰掛けると、腕組みして今後の作戦を考える。
「『星虹のバラ』も探さないといけないし、スノウやハンナは絶対に守らないといけない。そのためには、まずロードリックさんを説得しないとムリかなあ」
一番難しいようだけれど、逆に考えればいい。そこさえ乗り越えたらあとは簡単なはずだ。苦手な食べ物を先に食べてから好物を食べるようなものだ。
「だとしたら、目指すのはあそこかな」
立ち上がったところで、長いハシゴを登って修道司祭たちが屋根の上に登ってきた。ベンジャミンさんまでいる。
「いい加減、逃げ回るのはやめていただけませんか? こちらも余計な手間が増えて大変なんです」
「お察しいたします」
僕は深々とうなずいた。おにごっこだって、いつまでも捕まえられないと飽きたりうんざりするものだ。ましてや、今回のオニは僕なのだ。捕まえろと命令する方がムチャというものだろう。
「ですが、僕にも事情というものがありまして。もう少しだけ失礼いたします」
僕はそのまま後ろに倒れ込む、縁に立っていたので、僕の体は屋根から真っ逆さまだ。あっと誰かが声を上げる。
もちろん、このまま地面にぶつかるほどバカじゃない。途中で回転して二階の壁を蹴る。反動で浮き上がり、正面にある木に向かっていく。そこでまたくるりと回って木の幹に足の裏を付け、一気に飛び上がる。隣の木に飛び移ると、しなる枝の反動を利用し、隣の建物へと飛び移った。
二階にある窓の縁に手を掛け、そこから忍び込む。向かいの建物から「捕まえろ」とか「逃がすな」なんて声が飛ぶ。まるでどろぼうみたいだけれど、僕はどろぼうではないので、多分山猿の方だろう。




