柔らかい牢獄 その5
ついに来たか、という感じでナディムが渋い顔をした。できるのなら話したくはないのだろう。額に汗をかき、目線が部屋のあちこちに動いて落ち着きがない。誰かに聞かれるのを恐れているようだ。
場所柄を考えたら誰かが盗み聞きにしていても不思議ではない。気配はしないけれど、どこかに仕掛けがあって音を拾ったり何をしているか見られている可能性だってある。
「ちょっと失礼しますね」
僕は手袋を外すと、ナディムの後ろに回り、目隠しをした。
「な、何のマネだ?」
「別に傷つけるつもりはありません。目を閉じて、落ち着いて。何も気にしないで。神父様への許しの秘跡みたいな感じで」
かくれんぼの『贈り物』を使えば、僕もナディムも気づかれなくなる。これで何を話しても聞かれる心配はない。脂っぽい顔に触るのは気持ち悪くてちょっとイヤだけれどここはガマンだ。
「それではお願いします。母さんとあの方について」
母さんが伯爵の家で働いている時に、まだ王子だったあの方が遊びにやって来た。それから何かしらがあって、母さんは僕を身ごもった。知りたいのは、その何かしらが母さんの生まれと関わっているかどうかだ。
「……正直に言えば、私も詳しいことは知らん。あの女がいなくなってから、エルドレットにおっしゃったそうだ。『あの女に例の短剣を渡したと。もし子が生まれた時の目印になるように』と」
「何かその、母さんがあの方と親しくなるようなきっかけとかは?」
「さあな」
王様から言い寄ったのか、母さんが一目惚れしたのか、それすらもわからないという。
「あの方はたいそうな色男だからな。そこらの貴族の娘など、見飽きていたのだろう。ああいう女は色々な意味で珍しかったのかもしれんな」
僕はうんざりしながら聞いた。
「あの方はそんなに、女の子が好きなんですか?」
時期的に考えれば、伯爵がフェリシアさんと引き裂かれたのとほとんど同じだ。第一夫人である王妃様と結婚していながらフェリシアさんとも結婚して、その上母さんとも何かしらがあったことになる。あまりにもひどい。ひどすぎる。もし顔を合わせたらもうぶん殴る以外の選択肢が思いつかない。
「まさか、王族だから好き勝手に女をはべらせていると思っているのか?」
口元だけでせせら笑う気配がした。
「貴族ともなれば結婚もまた政治だ。誰を妻にするか、夫とするか。貴族同士の駆け引きやバランスで決まる。身分が高くなればそれだけ結婚出来る相手も限られるからな」
政略結婚というやつだろう。王様といえばこの国で一番偉い人のはずだ。それなのにお嫁さんすら自分の好きに決められないなんて、全然自由じゃない。それとも、周りの貴族のいいなりになるようないくじなしなのだろうか。
「気に入った相手がいれば、愛妾とすればいい。過去には王妃とて恋人を作っていた。結婚と恋愛は別だ」
だから母さんと? いや、違うな。それだったら王都に連れ帰ればよかったはずだ。まさか、平民だから、身分が低いからもてあそんだのだろうか。
考えれば考えるほど、気分が悪くなる。頭の中でナベでも煮込んでいるようだ。
「ほかに、母さんとあの方について何かご存じありませんか」
「さあな。あの女、ほれっぽいというか。見てくれのいい男を見かけたら目の色を変えるからな。特に気にもしなかった。さっきも言ったが、そういう仲になっていることすら気づかなかった。エルドレットなら何か勘づいていたかもな」
うーん、これ以上新しい情報は出て来ないかな。
「もう終わりか? 言っておくが、金は返さんぞ」
ちゃっかりしているなあ。まだ質問できるんだから、この際だ。気になることを聞いておこう。
「そうですね……『見つからない者たち』について何か知りませんか?」
「これはまた唐突だな」
ナディムが吹き出した。
「あんなものは伝説だよ。生き残った者もいたかもしれんが、あれから何百年も経っているのだ。とうに絶滅している」
「先日、それらしい遺跡発掘に関わりまして。それ以来、気になって調べるようにしているんです」
「特別なことなど何も知らん。興味もない。せいぜい、赤の話くらいだ」
僕の片眉がびくりと跳ね上がる。
「他愛もないウワサ話だ。『魔王』ルカリオが倒され、逃げ延びた生き残りの何人かが、とある貴族にかくまわれた、とな」
かくまわれた『見つからない者たち』たちは貴族が用意した隠れ里に移り、そこでひそかに暮らした。その貴族はかくまうのと引き換えに彼らを密偵として雇い、敵対する貴族の秘密を探らせたり、城を破壊させたり、暗殺もやらせたという。
「その連中は自分たちを『赤の王家』とか『赤の末裔』と呼んでいたらしい。彼らのリーダーが赤毛だったとか、そいつらの歩いた後は真っ赤な血が流れるからとか、まあ、どれも根拠がなさ過ぎて信じるに足りない話だ」
この前、『見つからない者たち』の遺跡に残されていたのが『黒の王家』で、今度は赤か。まさか本当に虹色くらいいるのかな?
「その貴族というのは?」
「知らん。知っていてもうかつな話は出来ん」
『魔王』を生み出した『千億冥星』の討伐には、多くの国が協力した。大陸の外からもたくさんの騎士や傭兵といった戦士が駆けつけ、命がけで戦ったという。
その生き残りをかくまったとしたら、それはもう各国への大きな裏切りだ。戦いに参加した国から責められるだろうし、その貴族の家は間違いなく取りつぶしになる。だからこそめったなことでは言えない。最大級の悪口になるからだ。
その後もナディムは『見つからない者たち』について話したけれど、目新しい情報はなかった。
「あとは、そうだな……ここの修道院について教えてくれませんか」
「お前も見た通りだ。ここは貴族の流刑地。特別な事情でもない限り、死ぬまでここを出られん」
「その、特別な事情というのは?」
「風向きだよ」
たとえば、対立する二人の貴族がいるとする。どちらかが負けてここに流されてきた。でもずっと勝ち続けることはあり得ない。派閥の親分や家族が勝てば修道院から引き上げてもらえる、場合もある。どうなるかは政治の風向き次第だ。
「親戚同士で戦う場合もあるからな。そうむごいことも出来ん。いわば、敗者復活までの待機場所だよ。出られるかどうかは運次第だ。本当に危険な者や罪深い者は、ここには来ない。本物の牢獄やこれだ」
ナディムは首の後ろを自分でトン、と叩いた。
「あなたはここから出たいですか?」
「半々だな」
「意外ですね」
てっきり一日も早くここから出たいと思っていたのに。
「色々と不便な場所だが、それでも身の安全は保証されている。ここへ暗殺者を送り込むのはタブーだからな」
修道院を血で汚せば、次に自分の身内が狙われても文句は言えない。だからここに流された人には手出しをしないのが貴族たちの不文律になっているらしい。修道司祭たちは監視役であり護衛でもあるのだ。
裏返せば、ナディムは暗殺を恐れているのだろう。伯爵か、別の誰かからの。だからここにいようとするのだ。
「まあ、しばらくは養生のつもりで待つことにするさ。まだ未来は決まっていない。逆転の目は残っている」
次の王様がウィルフレッド殿下か、スチュワート殿下かはまだわからない。もしスチュワート殿下が勝てば、ナディムもここから大手を振って出られるというわけだ。領地も身分もなくなったというのに、余裕があるなあ。僕なら放っておくけれど、よっぽど自分に価値があると信じ込んでいるのか。
僕はナディムから手を離した。
色々興味深い話は聞けたけれど、僕の知りたい話はわからなかった。やっぱり伯爵に聞くしかないのかな。
「にゃあ!」
扉の外からスノウの可憐な声が聞こえた。続いて扉を閉める音がした。僕はあわてて面会室を出た。
「何かあったのかい?」
控えの間に入るとスノウが僕の足下にすり寄ってきたので、目線の高さまで抱え上げて聞いた。
「にゃあ」
鼻先を向けたのは、僕のカバンだ。もしかして、どろぼうが来たのかな。お金に困っている人もいるようだから、出来心で盗みに来たのかも。
「ありがとう、僕のカバンを守ってくれたんだね」
念のためカバンの中身を確認したが、特に盗まれたものはなかった。良かった。
「さて」と話の続きをしようとしたら外からベンジャミンさんが入ってきた。
「お時間です」と、砂の落ちきった砂時計を見せる。
「すみません、今ここに怪しい人が来ませんでしたか?」
ずっと外にいたベンジャミンさんなら見ているはずだ。
「さあ、そのような者は見かけませんでしたね」
「本当に?」
「ええ」
「修道士もですか」
「ここに盗みを働くような者はおりません」
きっぱりと言い切られてしまった。聞き方がまずかったな。仮に誰かを見ていたとしてもこれ以上追及するのは難しいだろう。
「それより、面会はもう終わりです。すみやかに退出してください」
ここは見物に来るところではありません、と言われては出ていくしかなさそうだ。でもハンナがまだ戻って来ていない。
「ええと、まだもう一人戻ってなくて。まだかな」
「きゃっ?」
廊下をのぞこうと扉を開けると、ちょうどハンナが戻って来るところだった。
「おどかさないで」
「ゴメン」
「話は終わったの?」
「もう時間切れだって。どうする?」
ふと見れば、ベンジャミンさんがにんまりと手を差し出している。お金を払えばもう少し、話せるみたいだけれど。
「……いいわ。聞きたい事は聞けたから」
ぷい、と背を向けて歩き出す。全然話していないみたいだけれど、良かったのかな。
「外まで送りましょう」
ハンナと並んで帰ろうとすると、ベンジャミンさんが後ろから付いてくる。送るというのは、寄り道させないための方便だろう。粘っこい視線を感じながら元来た道を引き返す。
「その猫、スノウだっけ」
肩に乗せたスノウと遊んでいると、ハンナが聞いてきた。
「かわいいだろ。僕の親友だからね。でもあげないよ」
たとえ金貨一千万枚積まれてもお断りだ。
「あなた冒険者なんでしょ。子猫なんて連れているけど、何の役に立つの? 戦えるわけじゃないでしょ? 今もカバンの横でずっと寝ていたけれど」
「スノウは僕よりずっとかしこいからね。いつも助けてもらっているよ」
その上、ふしぎな力も持っている。スノウがいなかったら僕なんかとっくの昔に行き倒れだっただろう。何よりそのかわいらしさで僕はいつも心をおだやかに、温かくしてもらっている。世の中には魔物を操って戦わせる魔物使いもいるけれど、いかついオオカミだのトカゲだのよりスノウの方がよっぽど僕には必要だし役に立つ。
「要するに、あなたのかしこさは子猫並みってことよね」
小馬鹿にした感じでふふん、と笑う。笑いたければ笑えばいい。僕の事ならいくらでも耐えられる。
「にゃあ!」
スノウが歯をむいてうなり声を上げる。今にもハンナに飛びかかりそうな勢いだ。僕のために怒ってくれている。
「ああ、大丈夫だよ。僕は平気だからね」
おまけに友情にも厚い。ケンカはダメだけれど、この子の友情にはうれしくなってしまう。顔もほころぶというものだ。ふへへ。
「……変な奴」
ぷい、とそっぽを向いてしまった。そんなにあちこち向いているとそのうち真正面を向いて歩けなくなりそうだ。
外へ出た。ここをまっすぐ進めば、修道院の門だ。
次はどこに行こうかな。やはり伯爵と直接話すしかないかなあ。でも絶対まともに答えてくれないだろう。交換条件というか取り引きならまだ可能性はあるかも知れない。どうしよう。またブラックドラゴンでも倒して、その手柄をゆずればいいかな。
考えながら歩いていると、不意に悲鳴と何かの壊れる音が聞こえた。
「侵入者だ、捕まえろ!」
「外へ出すな!」
「院長に連絡しろ!」
修道司祭さんたちが血相を変えて建物の向こう側へと走って行く。何かあったのだろうか。
「もしかして、殺し屋でも来たのかな」
ナディムはここは安全だと言っていたけれど、しょせんは貴族同士のルールだ。世の中には思い切った手を打つ奴だっている。自分の都合のためならなりふり構わずに、殺そうとしたっておかしくはない。ハンナもぴったりと身を寄せて、僕の袖をつかむ。
「いえ、あれはおそらく『花盗人』ですね」
ベンジャミンさんが落ち着いた口調で言った。
「なんですか、それ」
「この修道院ではバラを育てているのです。あちらにバラ園がありまして」
と、目線で指し示す。調度入口とは反対側の方だ。
「特に修道院長の育てたバラは美しい花を咲かせる、と国内外でも評判なのです」
「だからわざわざ盗みに?」
バラ一輪のために高い石塀を乗り越えて入ってくるなんて、信じられないな。
「院長は品種改良にも力を入れていまして、つい先日、珍しいバラを咲かせることに成功したのです。これです」
ベンジャミンさんが懐から紙包みを取り出し、丁寧に開いていく。僕は目をみはった。
バラの花びらだ。落ちてしばらく経っているらしく、水気も抜けている。でもすごいのはその色だ。赤や白、紫に黄色、青や緑まである。まるで虹がバラに貼り付いたみたいだ。
「『星虹のバラ』」といいます。夜中に咲いているのを見かけたので名付けたそうです」
「こんなの見た事がありません」
ハンナもとなりでバラの花びらに見入っている。
「この花を咲かせられるのは今のところ修道院長ただお一人。ですからこのバラも咲いているのはベックウィズ修道院だけ、なのです」
「なるほど」
こんな珍しいバラならお金を積んでも欲しい、という人はたくさんいるだろう。
「ですが、まだ研究途中なのでよそに売ったりゆずることは考えておられません。それで、盗み出そうとする愚か者がここのところ増えていまして。困ったものです」
全然困った風ではない。
「おそらく、どこかの貴族か商人にやとわれた者たちが塀を越えて忍び込んだのでしょう」
「今日は慰問日だからそれを狙ってきたのね」
ハンナがうなずく。
「だったら大変じゃないですか。すぐにでも捕まえないと」
ぼやぼやしていたら貴重なバラがどろぼうに盗まれてしまう。
「ああ、心配いりませんよ」
ベンジャミンさんが手を振る。
「ここの守りは鉄壁です。バラの一輪とて持ち出せはしません」
「ですが……」
バラも大変だけれど、ならず者なら修道士を傷つけるのもためらわないだろう。やっぱり放ってはおけない。走り出そうとしたその途端、耳をつんざくような、おぞましい悲鳴が上がった。まるで断末魔のような声に僕は嫌な予感がした。もしかして、誰かが犠牲になったのか?
急いで声のした方に向かう。建物の角を何度か曲がると、そこは花壇になっていた。
塀と建物に挟まれるようにして、たくさんの色とりどりのバラが咲き誇っていた。その細長い花壇の上で、黒ずくめの男が逆さまで宙吊りになっていた。足首にはとげとげのツルが巻き付いている。近くの木の枝をまたいで花壇の中へと続いている。
それだけではない。地面にはやはり黒ずくめの男がツルでぐるぐる巻きにされており、その隙間から赤い血が流れている。
なんだこれは? 魔法か?
「くそっ! バケモノめ!」
振り返ると、花壇の側で二人の男が向かい合っていた。一人は大柄な黒ずくめの男、もう一人はここの修道司祭だ。僕はその人に見覚えがあった。さっき花壇におしっこをしようとしている酔っ払いを止めていた、細身の修道司祭さんだ。
年の頃は三十歳をいくつか過ぎたところだろう。短くてくすんだ金髪に人の良さそうな顔。体つきだって肉がついていないから戦い向きとは見えない。
黒ずくめの男がほえるなり手に持ったナイフを構えて突っ込んでいく。大柄に似合わず、動きが速い。
「あぶない!」
僕が叫んだとたん、花壇から緑色のツルが伸びてきた。とげとげだらけのツルがあっという間に黒ずくめの腕に巻き付き、体ごと浮き上がる。別の場所からもツルが伸びて、両手両足を縛り上げてしまう。
「た、助けてくれ」
修道司祭は哀れむように首を振る。
「あなたの不快さが私を悩ませる」
いつの間にかその手には一輪の赤いバラが握られている。そのバラを黒ずくめに放り投げた。
その瞬間、赤いバラが一瞬で人の背丈よりも大きく膨れ上がった。悲鳴を上げる間もなく、黒ずくめの男は赤いバラの花弁に飲み込まれた。花の隙間から赤い血が滴り落ちる。
巨大なバラが地面に落ちると花びらはまた一瞬で散って枯れ、後には血まみれになった黒ずくめが横たわっていた。
「不幸中の幸いでした」
バラのトゲを抜き取りながら背を向ける。
「おや、もう片付きましたか」
追いついてきていたベンジャミンさんが、僕の後ろからのぞき込むようにして言った。
「やはりお一人で事足りましたか。まあ、ここにいる限り負けるとはつゆほどにも思いませんが」
「あの人は何者なんですか?」
花壇からツルが出て来たりバラが大きくなったり、訳がわからないことばかりだ。
「あの方は、ロードリック・スレンジャー」
ベンジャミンさんが言った。
「ベックウィズ修道院の番人にして修道院長ですよ」
その言葉には、まるでおもちゃを自慢する子供のような優越感がふくまれているように聞こえた。




