柔らかい牢獄 その3
「おどろかれていますね」
予想外の光景にとまどっていると、ベンジャミンさんがくすくすと笑う。
「今日は月に一度の慰問日ですからね。ああやって、修道士たちを楽しませているのですよ」
「ここの修道院の人じゃあないんですか?」
「まさか」
とんでもない、と言いたげに手を振る。
「修道士たちは外出禁止の上に、日々の食事や生活も定められています。ですが毎日毎日、厳しい戒律を守っていたのでは息が詰まりますからね。月に一度だけ、芸人や遊女たちを招くのを許しているのです。あそこで食べている肉や魚も酒も外から持ち込んだものです」
「修道院で呼んだんじゃあないんですか」
許している、という言い方だとまるで元貴族の修道士たちが呼びつけたみたいだ。
「それこそ、まさか、ですよ。慰問は私たちの使命ではありません」
要するに自腹で呼びつけているようだ。元貴族だから実家から仕送りしてもらっているのかな。
それからベンジャミンさんはベックウィズ修道院について説明してくれた。ここにいる修道士は大きく分けて二つ。いとこさんのように押し込められた元貴族と、彼らを監視する人だ。ベンジャミンさんは後者だ。その多くは、教会から派遣されてきた司祭だという。修道司祭というらしい。
よく見ればベンジャミンさんと、遊んでいる修道士たちとでは服の色が違う。少し茶色っぽいし、服の袖に白い線が入っている。ああやって、見張る人と見張られる人を区別しているのか。
「ここに流されてくるのは貴族だけあって奔放な者が多いのです。あれやこれやと命令ばかりして、自分が何故ここに来たのかも理解していない方もいらっしゃいます。そんな態度ではここではやっていけませんし、許しません。そういう方々を監督し、正しい道へと導いていくのが我々の使命なのです」
「ああ、ダメですよ。そこはトイレではありません!」
声のした方を振り向くと、花壇におしっこをしようとしている酔っ払いを細身の修道司祭さんが食い止めている。
「ダメですよ。大切な花が枯れてしまいます。さあ、あちらに!」
言われてくるりと背を向けるけれど、五歩も歩かないうちにうつ伏せにぶっ倒れて、高いびきをかいている。その向こうでは、やはり上半身裸の修道士が酒瓶を片手に歌ったり踊ったりしている。
「酔っ払ったり、馬鹿騒ぎをするのが正しい道なのですか?」
いくら『柔らかい牢獄』といっても柔らかすぎではないだろうか。
「言ったでしょう。人は正しいだけでは生きていけないのです。ですが、それも過ぎれば人の道すら踏み外してしまいます。正しく生きるためには、不正を知り、適度に道を外すことも必要なのです。要はバランス、ですよ」
なんだかわかったようなわからないような。『賢者問答』みたいだ。
「長話もこのくらいにしましょう。さ、面会室はこの先です」
ベンジャミンさんはそれだけ言って一人で先に進む。
とんでもないところに来てしまった。ため息をついて追いかけようとすると、後ろから声をかけられた。
「あら、ねえ。そこの可愛いお兄さん。お兄さんもここの人?」
「アタシたちと遊んでいかない?」
キレイな女の人たちだ。昼間だというのに、まるで寝間着の様に薄くてしどけない格好をしている。うわ、肩なんか出ているよ。さっきまで脂ぎった修道士に抱きついていたけれど、酔っ払って眠ってしまっている。退屈だから僕を呼び止めたのだろう。
「いえ、僕は用事がありますから」
「あら、マジメなのね。今日は慰問の日でしょう。ちょっとくらいいいじゃない」
「だったら、アタシたちに神様のオハナシ、聞かせてよ」
断っても、まるでチョウチョのように薄い服をヒラヒラさせて誘ってくる。僕はここの修道士ではないというのに。どうやら勘違いしているようだ。勘違いは正さないといけない。
「では、ちょっとだけ……」
このまま勘違いさせたままではなんだか申し訳ない。やむを得ない事情というものだ。息抜きは大事だし、要はバランスだよね。
がぷっ!
「あいたあっ!」
スノウが僕の耳を思い切りかんだ。ダメだよ、強すぎるよ。こういうのはバランスが大事なんだから!
「道草食ってないで、ほら、行くわよ」
今度はハンナが僕の腕をつかんで引っ張っていく。僕はつんのめりながら建物の中へと入る。
「なるほど、あれが修行か」
普段からあんな誘惑をはねのける訓練をしていたとは知らなかった。想像以上に修道院の生活は大変なようだ。僕だからかろうじて潜り抜けられたものの、いとこさん、大丈夫かな。
「そんなわけないでしょ」
ハンナが一つ向こうの席からキツイ目を向ける。出会ってからずっと怒ってばかりだな。元からそうなのか、バートウイッスル伯爵の養女になって、そうなってしまったのか。どちらにしろ、もっと小魚を食べるべきだ。
「女の人にデレデレしたいのなら、今すぐ町に戻ったら?」
「誤解だよ」
バランスの結果でそう見えただけで、僕は別に女の人にデレデレしたわけではない。本当だよ?
僕たちがいるのは、控えの間というところだ。石造りの建物の二階にある、小さな部屋だ。扉を開けると奥にもう一つ扉がある。その両脇の壁際には小さなイスが三つずつ並んでいる。
ベンジャミンさんは僕たちにここで待つように言って、出て行ってしまった。天井近くに明かり取りの窓があるだけで薄暗い。その中で僕はハンナと席を空けて座っている。
いつもは肩の上やひざの上に乗ってくれるスノウも隣のイスの上でぷい、と顔を背けて丸くなっている。親友にまで嫌われて、僕は修道士ではないのに、どうしてこんな修行をしなくちゃいけないんだろう。
「お待たせしました」
すっきりしない気持ちで座っていると、ベンジャミンさんがやってきた。手には籐かごを二個持っている。
「お尋ねの修道士ナディムは奥の部屋にいます。部屋に入る前に、荷物をここに入れて下さい。食事や金品などの差し入れは構いませんが、渡す前に私どもで確認させていただきます」
「わかりました」
刃物や脱走のための道具を持ち込まれたら危険だからだろう。言われるままマントを外し、剣や虹の杖とカバンをかごに入れる。それからベンジャミンさんに身体検査もされる。
ハンナは何も持って来ていないので、かごは空っぽだ。
「ねえ」
ハンナがイスに座り治すと、そっぽを向きながら言った。
「今更だけどあなたは、男爵に何の用なの?」
「ちょっと母さんのことで聞きたい事があってね」
『見つからない者たち』にも関わるので詳しくは話せない。ハンナがキツイ目を更に鋭くしてこちらを向いた。
「もしかして、あなた……男爵の隠し子?」
僕は盛大にむせた。勘弁してよ。いとこさんと母さんが夫婦だなんて、想像したくもない。
「違うよ。母さんが昔、伯爵家で働いていたことがあってね。その時のことが聞きたいんだ」
「だったら、普通はバートウイッスル家に来るものじゃないの?」
「伯爵は母さんのことが好きではないみたいなんだ」
僕がいとこさんのところに来たのもそれが理由だ。いとこさんは母さんを嫌っている。けれど、伯爵はむしろ憎んでいる。おそらくまともに話してはくれないだろう。むしろウソやでまかせを言う可能性もある。
母さんと一緒に働いていた人もまだ残っていると思うけれど、伯爵のことだから口止めしていてもおかしくない。だったらいとこさんの方がまだ聞けそうな気がする。
「君のところは?」
「とてもおキレイな人よ。ただ、あまり歓迎はされていないみたいだけど」
「ああ、いや。伯爵の奥さんの方じゃなくって、その……」
「産みの親の方? だったら知らない。二歳の時に病気で死んじゃったから覚えてない」
あっけらかんとしたものだ。僕もそうだったらこんなにも苦しまなくて済むのだろうか。でも、それだと母さんとの思い出が全部なかったことになる。
「お父さんは?」
「私のお父様はバートウイッスル伯爵だけ」
きっぱりと言った。どうやら実のお父さんとは仲が悪いみたいだ。養子に出されたのと関係があるのだろうか。
「あなたのところは?」
「あいにく顔も知らないんだ」
「そう」
と、ハンナは当てが外れたみたいな顔でまたあさっての方を向いてしまった。
「それで、いなくなった母親の手掛かりを探しているの?」
「居場所はわかっているよ。ただ、もう二度と手の届かないところだけど」
むしろハンナの言う通りだったらどんなに良かったか。物語だと『山から山へ』のマークや、『ひとりぼっちのチョウチョ』のブリトニーみたいに、いなくなった母親を探して旅をするけれど、最後にはきちんと再会を果たす。子供の頃読んだときにはピンとこなかったけれど、今ならあの子たちの気持ちがよくわかる。そしてうらやましい。
「ワガママでいい加減でだらしがなくって困った人だったけれど、それでも母さんだからね。それでこうして母さんを知る人を訪ねて回っているんだ」
「バッカみたい」
ハンナは急にすねたように唇をとがらせる。
「母さん母さんって、まるで赤ちゃんみたい。オトナにもなってまだおっぱいが恋しいの?」
「……」
僕は唇を引き結んだ。母さんを侮辱したのなら許せない。かわいい女の子でも絶対に謝ってもらうところだ。僕の事なら何と思われようと構わない。好きなだけバカにすればいい。
別にオトナになったからって好きなものを嫌いになる必要なんかないし、母さんが父さんになるわけじゃない。むしろオトナと見られているのだから喜ぶべきなのだろうか。いや僕は元々オトナなんだから喜ぶのがそもそもおかしい。
怒りたいのに怒れない。もどかしいというか、ただ不愉快で、考えれば考えるほど胸の中がもやもやする。
「怒ったの?」
「別に」
そっけなくなるのも仕方ないところだ。
「にゃあ!」
スノウが急に僕のひざの上に飛び乗ってきた。甘えたいというより、どこか必死な様子で額を僕のおなかにこすりつけている。
「ははあ」
僕が怒ってハンナを引っぱたかないように、なだめようとしているんだな。スノウはかわいいなあ。首や額をなでてあげると、うれしそうな顔をするものだから僕の顔までほころぶ。
「ふん」
ハンナがまたそっぽを向いた。そんなに首を曲げてばかりいると、そのうちまっすぐ見られなくなりそうだ。
面会室の扉が開いた。
「どうぞ、準備が出来たのでお入り下さい」
外へ出たはずのベンジャミンさんが入ってくるなり、そう言った。
スノウを荷物番に残し、面会室に入る。
「私は外で待っていますので。時間になりましたら声をかけさせていただきます」
砂時計を掲げながらベンジャミンさんは扉を閉める。
面会室は控え室と同じような作りをしている。違いといえば、壁には小さな窓が三方向に一つずつ開いている。ただし鉄格子が入っているので子供でも出られそうにない。奥には別の扉がある。あそこからも出入りできるようになっているようだ。
そして、部屋の真ん中に木製のテーブルと向かい合って小さな丸イスが二つずつ。そのうちの一つにはもう座っている人がいる。僕を見て細い目を見開いている。
「ハンナともう一人と聞いていたが、まさか貴様とはな」
いとこさんことナディムは僕を見るなり苦々しい顔つきをした。細い目元やワシみたいに高い鼻、茶色い髪なんかは相変わらずだけれど、前に会った時より少しやつれた感じがする。ここの修行がつらいのかな。
「エルドレッドに命じられてワシの首でも取りに来たのか」
「やあ、どうも。お久しぶりです」
僕はにっこりと笑顔であいさつをする。ナディムが僕をこころよく思っていないのはわかりきっている。だからといって、僕までしかめっ面をしていたら余計に心を閉ざしてしまう。少しでも早く打ち解けるためにもあいさつは大切。笑顔も大切。
「……もっとやせて、骨と皮だけにでもなっていればよかったのに」
なのに、ハンナときたら出会い頭にイヤミを言うものだから弱ってしまう。
「帰れ」
案の定、ナディムはへそを曲げてしまった。
「お前たちに話す事など何もない」
おまけに僕まで追い出されそうだ。それで話は終わりだとばかりにナディムが立ち上がる。
「さっさと日の高い間に帰れ。ここはお前のような子供の来るところではない」
「何よ!」
ハンナがかっとなった様子でイスを持ち上げる。危ないなあ。
「ワタシだって、好きでこんなところに来たくて来たんじゃない!」
時の勢いというやつだろう。いきなりぶんなげたのにはたまげた。
ナディムも手で顔をかばうような仕草をするけれど、逃げる気配はない。あんなものが当たったらケガをしてしまう。仕方がないので当たる寸前で横からイスをつかみ取る。そのままぐるりと一回転すると、お尻の下にイスを置いてそのまま座る。
ハンナとナディムは呆然と立ち尽くす。その間に僕が丸イスに座っている格好だ。変なの。
「まあそうあわてないで。お二人とも会ったばかりなんですから。まずはゆっくりと旧交を温めませんか?」
「……相変わらず、山猿のようなこぞうだ」
ナディムはすっかり毒気を抜かれた顔でさっきまで座っていたイスに腰掛けた。




