柔らかい牢獄 その1
今回の話を読む前に第一話【王子様、あらわる】を読み返すことをオススメいたします。
第十七話 柔らかい牢獄
魔物よけのお香が白い煙を上げている。木々の隙間をすり抜け、青空へと溶けて消えていく。
僕がいるのは、街道から少し離れた森の中だ。木立が薄くなっていて、近くに小川が流れている。落ち葉がじゅうたんのように積もっている。背丈ほどもある岩に背中を預けながらカバンの『裏地』に手を突っ込む。
旅に出て以来、ブラックドラゴンの爪だの牙だのとヘンテコなものばかり出し入れして、全然整理をしていないのを思い出したのだ。
まだ四ヶ月くらいだというのに、いらない物が増えて困る。
いくらでも入るからと適当にしていると、中身がわからなくなってしまう。片付けは大事だからね。
料理用のナイフにロープに水袋、火打石、手鍋に木のコップと木のお皿、革袋、魔物よけの香草、手製のランタン、焙煎したたんぽぽコーヒーの葉に、保存用の食料、スノウと遊ぶための猫じゃらしに小さなボール、替えの下着にせっけんは三種類。洗濯用と僕とスノウを洗うためのものだ。旅の間に買い換えたものもあれば、ずっと使い続けているのもある。
『裏地』に入っているのは日用品だけではない。
目の前には、旅に出てすぐに倒したブラックドラゴンの牙が山と積んである。ほかの爪やウロコなんかはだいたい売り払ったけれど、まだ処分できずに残っている。
あとはビン詰めにした血と、切り取った肉くらいだ。持っていても使えないしジャマなだけだ。どこかで処分したいんだけど、うかつに手放して変な奴が手に入れると、また竜牙兵をたくさん作られると厄介だ。仕方がないので、これは後でカバンに戻す。
ほかにはギルド長からもらった手紙だ。四つ星と五つ星に昇格するための推薦状だという。これも捨てたいけれど、何かの時に必要になるかも知れないから一応残しておく。
あとライブメタル製の大剣。『大災害』の幹部・『轟雷』のコーネルからの預かり物だけれど、まだ取りに来る気配はない。来ればいいのに。
ほかにも道端で拾ったきらきら石やキレイな花は残しておきたい。アップルガースから持って来た物語は捨てるなんてとんでもない。特に子供の頃から読んでいる『七竜亭千夜一夜』四冊は絶対に捨てられない。絶対に。
「こんなところかな。えーと、ほかには……」
まだ入っているものはないか、と手探りで『裏地』をあさると、硬いものが指先に触れた。
「おや」
引っ張り出すと、それは短剣だった。
「なんだこれ」
一瞬またか、と思ったけれど飾りや凝った彫刻もない。木の柄に白い布を巻いただけだ。鞘も鹿の革で出来ている。どこかの王族や貴族が持つような由緒ある品ではなさそうだ。
恐る恐る抜いてみた。光沢のある刃に赤い線がいくつも枝分かれしながら伸びている。まるで血の流れのようだ。さわってみると、ほんのりと温かい。おかしな短剣だ。
僕はこんなもの入れた覚えがない。そもそも買った覚えもなければ見た記憶もない。
『裏地』に物を出し入れできるのは僕と母さんだけだ。
僕がねぼけてそこらに落ちていた短剣を突っ込んだのでなければ、入れたのは母さんということになる。
一体何のために?
そもそも母さんは何者なのだろうか。僕が知っているのはアップルガースにいる母さんだけだ。名前はアイラ。黒髪で、まあ美人な方だろう。好きな言葉は『人生どうとでもなる』。好きな食べ物はサケの皮の裏のところ。寝る前にはいつもベッドに寝転がりながら鼻歌を歌っていた。
だらしなくって飽きっぽくて口が悪くっていい加減で、適当な事ばかりで、物語に出て来る聖母みたいな人とは全然違う。
おなかに僕がいるのに、山奥にあるアップルガースを目指し、普通の人には入れないはずの罠や仕掛けをあっさりかいくぐって、村の住人になった。母さんによると、是非にとひざをついてお願いされたそうだが、村長さんやジェロボームさんいわく『勝手に居座った』のだそうだ。
その前にはバートウイッスル伯爵の屋敷で侍女として働いていた。そこで当時王子だったテオボルト様と出会い、僕を身ごもったという。
侍女になる前はグリゼルダさんと一緒に『付与魔術師』の修行をしていた。たまに二人でマジックアイテムの材料を取るために冒険にも出ていたらしい。
では、その前は? どこで何をしていたのだろうか。あちこち旅をしていたらしいけれど、故郷はどこなのだろう。母さんの両親、つまり僕のおじいさんとおばあさんはどこで何をしているのか。生きているのか死んでいるのか。
子供の頃、気になって何度か尋ねてみたけれど、答えはいつも適当なウソではぐらかされていた。どこかの王様だったり名のある剣士だったり旅芸人一座のピエロだったり。天使や木の精霊だったこともある。
一体母さんは、何者なのか。
アンカーリッジの町で賢者様に言い残した『見つからない子に会いに行く』とはどんな意味なのか。その子には会えたのだろうか。会えなかったのだろうか。わからないことだらけだ。
僕は何者かなんて正直どうでもよかった。ただ、旅に出てわかったことがある。僕と母さんには『見つからない者たち』……つまり『魔王』ルカリオとその仲間たちの血が流れている。母さんが自分の素性を話さなかったのは、そのせいかも知れない。
だとしたら、僕が軽々しく首を突っ込むべきではない。教えまいとしていた母さんの気持ちをないがしろにしてしまう。
ただ、何も見ず、聞かずに過ごすことが許されていた時代は終わっている。問題は、どんな事実であろうと、それを受け入れる覚悟があるかどうかだ。僕はもうオトナなのだ。
それにもし『見つからない子』に会えなかったのだとしたら、その心残りを引き継いであげたい。
「うーん、ちょっとわからないわね。少なくとも私は見た事がないわ」
とりあえず、マッキンタイヤーにいるグリゼルダさんに赤い短剣を見せたが、結果はかんばしくなかった。母さんと同門だったグリゼルダさんなら何か知っているかと思ったのだけれど。
「でも、これ作ったのは間違いなくアイラね。ほら」
と、指さした先を見ると、鞘の内側に小さな印が付いている。
「『付与魔術師』って作ったアイテムに自分の印を付けること多いのよ。アイラもそうしていたから」
そういえば、このカバンの内側に付いているのと同じ紋様だ。
「多分これ、マジックアイテムね」
刃筋の赤い線を指先でなぞりながらグリゼルダさんが言う。
「どんな魔法がかかっているんですか」
「どうも複雑なのよね。切れ味が良くなるとか火が出るとか、そういうわかりやすいものじゃないのは確かだけど」
ひねくれ者の母さんだからな。短剣と見せかけて実はトンカチだったとしても不思議じゃあない。
「とりあえず調べておくから。三日くらいしたらまた来て」
「お願いします」
僕は立ち上がった。
「あら、ロズに会っていかないの」
「僕の耳はそんなに丈夫じゃないんですよ」
留守の間に上がり込んでグリゼルダさんと話をしていたなんて知ったらまた耳を引っ張られてしまう。
「それに、少し立ち寄りたいところもありますから」
母さんのことを調べるには、母さんを知っている人から話を聞くのが一番だ。
グリゼルダさんとアップルガースのみんな。それ以外となると心当たりはあと二人。
うち一人はちょっと話を聞けそうにない。となると残るはあと一人だ。
ただ、ちょいとばかり問題があって、僕はその人と少しばかりもめたことがある。牢屋にも入れられてしまった。断られる可能性も高い。何より母さんのこともこころよく思っていないみたいだ。どこまで話を聞けるかわからないけれど、ほかに心当たりもない。やるだけやってみよう。
領地を取り上げられた上に貴族でもなくなったそうだけど、真心を込めて話せば、いとこさんも心を開いてくれるだろう。




