迷宮と竜の牙 その12
振り返ると階段を下りたところにデリックがいた。デリックの手にはナイフが握られている。
鋭い刃先は、隣のカレンの首筋にぴたりと付けられていた。
「早くそいつを戻せ。今ならまだ薬液がムダにならずに済む」
「えーと、カレン。どうしてここに?」
どうしてここにカレンがいるのか。そいつが不思議でたまらなかった。
「さっきギルドに行ったらあなたが、このお店のことを聞いてから飛び出して言ったって聞いたから気になって……」
「えーと、気にしてくれたんだ」
「当たり前じゃない! だって兄さんを助けてくれたし……それに、あの約束もあるし……」
「そうなんだあ」
カレンが気にかけてくれたというだけで僕はうれしくなってしまった。ふへへ。
「いい加減にしろ!」
デリックが怒鳴ったので、僕はいい気分がすっかり冷めてしまった。せっかくいいところだったのになあ。
「さっさとその牙を元に戻せ。さもないと……」
ナイフを持った手に力を込める。
「わかったよ」
「ダメ!」
カレンが叫ぶ。でも仕方ない。
これだけ人目のある前で『贈り物』は使えないし、取り押さえようにも手に持っている牙がジャマだ。こいつをぶん投げてデリックのすきを作ることも考えたけど、ナイフの刃がカレンの首に近すぎる。ぶつけた拍子に手元が狂ってざっくり、なんてことになったら一大事だ。それにペラムとヘイルウッドがどう動くかもわからない。
僕は手を離した。牙をちゃぽんと箱の中に落っことす。それから両手を上げ、壁の方まで後ずさる。
「そうだ、それでいい」
デリックはにたりと笑った。ペラムにナイフを手渡すと、薬液の中の牙に向かって何やら呪文を唱え始めた。
ぶくぶくと箱の中で泡が立ち始めた。
ぴかっと箱の中から緑色の光が立ち上がる。
やがて、光は止まり、しんと地下室が静まり返った瞬間、箱の縁に指の骨が見えた。
水音を立てて箱の中からそいつは現れた。
人型をした真っ白な骨だった。首から下は人間の骨そのものなのに、頭の骨だけが馬のように突き出している。頭の横に牛みたいな二本の角が生えている。衣服らしきものは何も身に着けていない。
「おお、ついに完成したか竜牙兵!」
ツノボネこと竜牙兵は返事をするようにかくかくとあごの骨を鳴らす。
「さあ、こいつを持て」と部屋の隅にある大きな箱を開ける。中には剣と盾が入っている。竜牙兵はこくんとうなずくと、言われるまま剣と盾を持つ。
竜牙兵を作ったのはデリックだからデリックの命令に従うようだ。
「さて、どうするこいつら」
「見られた以上生かしておくわけにはいくまい」
デリックの質問にペラムが答える。
まあ、そうなるよねえ。
悪い人というのは悪いところを見られたら、その人を殺してしまうものだと物語で読んだことがある。
「ペラムさん……」カレンは悲しそうに唇をふるわせる。ぺラムはデリックから引き継いだナイフをカレンの首筋にぴたりと当てている。
子供の頃から世話になっていた人が、自分にナイフを突きつけ、悪いことに手を染めているんだ。きっと心は張り裂けそうになっているんだろう。かわいそうに。そう考えるとますますペラムたちを許せない。
「ならば竜牙兵の『試し切り』といこうではないか」とデリックが僕を指さす。
おや、こいつはまずいことになってきたぞ。
竜牙兵が剣をだらりと持ちながら近づいてくる。
さて、どうしようかと頭をひねっている間にも竜牙兵は近づいてくる。
「さあ、竜牙兵よ、そいつを……」
「『試し切り』か、そりゃいいな」
その声は僕やカレンはもちろん、ペラムでもデリックでもヘイルウッドでもなかった。
見ると、ペラムの首に後ろから大きな剣が突きつけられている。
「ブラックドラゴン用にと取り寄せたばかりの名剣でな。まだ人間は斬ってないんだ。ちょうどいい機会だからお前で試してやろうかと思うんだが、どう思う? ナイフを捨てたら俺の気も変わるかもしれんぞ」
トレヴァーさんが階段の上からちょっと気取った口調で言った。
ペラムが身をすくめながら、熱いもののようにナイフを放り捨てた。
「え、トレヴァーさん、どうしてここに?」カレンが目を白黒させている。
「そこの新人が妙なことを言っていたので後を追いかけてきたんだよ。そうしたら、お前さんがここに入るのを見てな。しばらく待っても出てこないから乗り込んでみたらこのありさまだ」
「無事か、カレン!」
トレヴァーさんの横からケネスが階段を駆け下りてきた。どんと、ペラムを突き飛ばすとカレンを自分の方に抱き寄せる。
「良かった、お前が無事で」
「え、ちょ、なにしてるの!」
人前で女の子に抱きつくなんてまるでチカンじゃないか。なんて恥知らずなんだろう。
「ケネスさん……」
ダメだよ、そこはきっぱりイヤだって言わないと。え、どうして顔を赤らめているの? 恥ずかしいからだよね、ねえ?
まずいぞ、なんだからよくわからないけど、ものずこくまずい。
ああ、どうして僕はこうも焦っているんだろう。
「後にしろ、ケネス。とにかく、竜牙兵作りの現行犯だ。お前さんたちには衛兵に引き渡す。全員おとなしくするんだな」
ケネスがカレンから離れるのを見て、僕はほっとする。さすがトレヴァーさんだ。
「おい、何とかしてくれ」
ペラムが弟に助けを求める。
けれど、デリックはふんと冷たく鼻を鳴らした。
「そんな無能は知らんな、好きにしろ」
「な、なんだと! お前、兄貴を裏切る気か」
「何が兄貴だ。冒険者時代は俺のことなど相手にもしなかったくせに、落ちぶれたとたん、野良犬みたいにすりよってきやがって」
兄弟ゲンカか。みにくいなあ。カレンとイアンのところとは全然違う。
「あきらめな。いくら竜牙兵がいるとはいえ、この人数ならお前を倒す方が早い」
ケネスが剣を突きつける。この人数って、僕も入っているのかな?
「そうか、そうかもなあ。確かにこの人数ならムリかもな」
平然とするデリックに、僕のいやな予感が膨れ上がる。
あれ、確かブラックドラゴンの牙って……。
ざばっ、と水音がした。
箱の中からもう一体の竜牙兵がはい出て来るのが見えた。
「バカめ、魔法は完成済みだ。あとは私の意志ですぐに呼び出せる」
一体だけじゃない。一体、もう一体と、次々にわき出て来る。
棒立ちになる僕たちをあざ笑うみたいにデリックは、剣や盾を次々と竜牙兵たちに放り投げていく。
「行け、竜牙兵ども。こいつらを切り殺せ」
そう言って、デリックはブラックドラゴンの牙を抱え上げると階段に向かって走り出す。どさくさにまぎれてヘイルウッドも逃げ出した。
ペラムは置き去りだ。自業自得だけれど、ちょっとかわいそうだ。
追いかけようとする僕たちの前に六体の竜牙兵が立ちはだかる。手には剣と盾を握っている。
「俺から離れるなよ」とケネスが剣を抜きながらカレンを背中にかばう。ああ、僕がやろうと思っていたのに。
「何とか粘れよ、新人」
余計なお世話だ。
僕はカバンの『裏地』から神霊樹の杖を取り出す。数も多いし、振り回したり突いたりできる杖の方がいい。
先頭の竜牙兵たちが動いた。ひらりと飛び上がるとケネスに切りかかる。骨だけのせいか、身のこなしが軽い。
ケネスも剣を振り上げる。がきんと、二本の剣がぶつかる。そのまま金属音を立てながら剣をぶつけ合う。
こうしてみるとケネスもなかなかやるじゃないか。剣の先っぽを下げたり、剣の持ち手を変えて振り下ろす角度を変えたり、小技を使いながらうまく竜牙兵の気をそらし、一撃を叩きつける。どうやら引っかけを使って、相手のすきを誘うのがケネスの戦い方のようだ。
けれど全部盾に防がれ、攻めあぐねている。回転の力が乗った、重そうな一撃なのに防御を崩しきれない。
竜牙兵というのはここまで厄介なやつなのか。骨しかないのに、腕っぷしでケネスと互角に渡り合っている。いや、互角じゃない。次第にケネスが押され始めた。
「しっかりしろ、ケネス」
トレヴァーさんが声援を送る。応援に行きたいのだけれど、別の竜牙兵に通せんぼされて焦っているようだ。
トレヴァーさんの剣の腕は、ケネスより一枚も二枚も上手だった。防御を固めながら厚みのある剣で体重を乗せた一撃を放つ。まともに当たれば盾を弾き飛ばし、骨ごとぶち壊れるだろう。
竜牙兵は別段、あわてた様子もなく盾で受け流す。知性のない奴には出来ない芸当だ。骨だけのくせにこんなこともできるのか。
しかも全然疲れた風には見えない。
「くそ、そこをどけ!」
トレヴァーさんが盾の上から竜牙兵に体当たりをする。バランスを崩した竜牙兵の上体が浮く。おたけびを上げながらトレヴァーさんが渾身の一撃を振り降ろす。かわせるタイミングじゃない。
竜牙兵がバラバラになった。
そうバラバラになったのだ。自分から。
トレヴァーさんの剣はバラバラになった骨と骨の間を通り過ぎ、勢い余って地下室の床に深々と突き刺さる。力を入れ過ぎたせいで引っこ抜くのに苦労しているようだ。その間に竜牙兵の骨はまた動き始める。骨と骨との間に糸で結ばれているみたいに、再生を始める。
元通りになった竜牙兵は剣と盾を持ち、トレヴァーさんに切りかかる。トレヴァーさんもかろうじて床から引っこ抜いた剣で受け止める。再び剣の打ち合いが続く。でもさっきのバラバラが頭に残っているせいか、思い切って攻めきれないようだ。
トレヴァーさんが苦戦している間にケネスの方が耐え切れなくなってしまった。
金属音とともに剣を弾き飛ばされる。あわてた様子で剣を拾おうとしたその頭上に向かって、竜牙兵が剣を振り下ろす。
次の瞬間、首が胴体から離れた。
二本角の生えた頭が宙を舞い、棚の縁に当たる。乾いた音がして、頭の骨がこっぱみじんに砕ける。
頭を失った竜牙兵の体は獲物を見失ったようだった。鋼の剣はケネスの眼前に振り下ろされて地面に当たって止まる。
今度は自分からバラバラになったわけじゃない。
僕が後ろから杖でぶん殴ったからだ。
続いてトレヴァーさんと竜牙兵の間に割って入る。骨ばかりの両足を薙ぎ払うと、地面に落っこちるより早く角ごとしゃれこうべを叩き割る。
「やっとわかったんだ。こいつの倒し方」
杖を肩に担いでカレンに向き直る。
「頭をかち割ればいいんだよ」
「リオ!」
「ケガはない? ゴメン、何度叩いても復活するからちょいと手間取っちゃって」
頭の骨の破片を拾い上げる。頭の内側、角の根元辺りに奇妙な紋様が見える。
「なるほど、こいつが弱点か」
ゴーレムみたいな魔法生物は体のどこかに魔法の紋様があって、そこを壊せば倒せると聞いたことがある。念のためにおにごっこの『贈り物』でさわってみたけれど、一瞬動きを止めるだけで、壊れる様子はなかった。やっぱり単純なのはダメだな。
「待てよ、それ……お前が一人で倒したのか?」
ケネスが信じられないって顔で僕の足元を指さす。僕のブーツの周りには四体の竜牙兵の破片が転がっている。パキッ。あ、ふんじゃった。
「まあね。すぐに元通りになるから手間取ったけど、コツさえつかめばそうたいしたことはないよ。ただのやせっぽちのひょろひょろさ」
トレヴァーさんたちが苦戦したのもコツをつかめなかったからだろう。
「信じられねえ……お前何者だ? この前、ギルドに登録したばかりって……」
「長話をしている場合じゃないぞ」
トレヴァーさんが注意する。いつの間にか地下室の隅に転がっていたロープでペラムを縛り上げている。トレヴァーさんは仕事も早いなあ。
「早くデリックを追いかけるぞ。あいつを野放しにするのは危険だ」
僕たちに竜牙兵のことがばれて追い詰められている。何をしでかすかわかったものじゃない。ヘイルウッドも逃げたし、ここに長居は無用だ。
「僕行ってきます」
理由はどうあれブラックドラゴンの牙を渡したのは僕だ。僕のせいでみんなに迷惑をかけるなんて耐えられない。
急いで階段を駆け上がった。
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次回は8月10日午前0時の予定です。