迷宮と竜の牙 その11
『デリック薬品店』は麦踏み筋の狭い裏路地にある、平屋の建物だった。壁のしっくいもひびが入っていたりはがれていたりして、ちょっとぼろっちい。『ツノボネ』を作るには特別に調合した魔法の薬も必要だとイアンは言っていた。薬屋なら手に入れるのも簡単だろう。
店の前まで来ると、見覚えのある馬車が止まっているのが見えた。大当たりだ。
入り口には『閉店中』の板が下がっている。カギも掛かっている。木の窓も閉じられていて、中の様子は何も見えない。
ムリヤリぶち破ってもいいけれど、裏口から逃げられるかもしれないし、なにより僕はどろぼうにはなりたくない。だから開けてもらうことにしよう。僕は窓の下に身をひそめると、大きく息を吸い込んだ。
「役人が来たぞ! そこの薬を持って逃げろ!」
大声を出すと同時に『贈り物』を使う。
しばらくすると中でどたばたと物音がした。ばたん、と勢いよく扉が開く。
「誰だ!」
怒鳴り声を上げたのはやせた中背の男だった。灰色のローブを着ている。肌の色つやも悪く、頬骨が不健康そうに浮き出ている。
この人がデリックかな。
「いない?」
きょろきょろしながらデリックは道ゆく人をにらみつける。しばらく様子をうかがっていたが、やがて首をかしげながら扉を閉め、中からかんぬきをかける。
もちろん、僕はとっくに店の中だ。
店の中は薄暗く、そこかしこからツンとした薬のにおいがする。カウンターの奥には四段の棚になっていて、ぎっしりと薬のビンやツボが並んでいる。ツボの中身は見えないけれど、ビンの中には薬の材料らしき草花が漬けられている。デリックは神経質そうに薬棚を調べている。盗まれたものがないか、確認しているようだ。
「おや?」
カウンターの下に四角い扉が付いていて、地下へと続く階段が見える。隠し階段ってやつだ。デリックはここから飛び出してきたらしい。なら調べるのはここかな。
僕はデリックの横を通り抜けて階段を下りる。普通なら気づかれないよう、足音を殺してこそこそと進むものだけれど僕には必要ない。階段を踏むたびにぎしぎし音がするけれど、誰も僕には気づかないんだから。
階段を降りきるとそこは大きな部屋になっていた。広さはカレンの家がすっぽり入るくらいはあるだろう。でも天井は低く、息苦しい。地下なので当然薄暗く、四隅の壁に備え付けてあるろうそくの明かりがほのかに光っているだけだ。四方の壁はやはり棚になっていて、ビンやツボや木箱が置いてある。中をのぞくと毒々しい色の草花や、ピンク色のイモ虫や七本足のトカゲがまるごと詰まっている。うえ。こんなの飲みたくないや。
けれど肝心なのは部屋の真ん中だ。
石棺のような大きな四角い箱が置かれていて、中に透明な水と大きな牙が入っている。
その横には向かい合うようにして、冒険者ギルドのおじさん……ペラムと、ヘイルウッドが立っていた。
「それで、この茶番はいつまで続くのですか」
ヘイルウッドがうんざりした顔で言った。
「この牙から魔物が出るまでですか? それとも、あなたの復讐とやらが完了するまでですか? まさか、この町のギルドを支配するとは言いませんよね」
「そう言うな、お前にも利のあることだぞ」
ペラムがなだめすかすように両手を広げる。
「無法者に殺し屋に傭兵団。竜牙兵を欲しがる奴はいくらでもいる。それに帝国では制限はあるものの販売も許されている。大もうけのチャンスだろう」
「そんな危ない橋を渡ろうとは思いませんね。特にあなたのかけた橋などね」
ヘイルウッドが顔をそむける。
「牙は約束通り渡したでしょう。もう用はないはずです。さっさとあれを返しなさい」
「そう慌てるなよ、大商人様」
ペラムは懐から羊皮紙を取り出した。紙の端っこには変な模様が書いてある。
「こいつの片割れが今頃帝国で泣いているだろうな。バカな取引先のせいでテメエらの首にもお縄がかかりそうなんだからな」
「……」
「こんな大切な物を使い走りの小僧に持たせるもんじゃねえなあ。旅芸人に見とれて落としたりすんだからよ。だから俺みたいな男に拾われたりする」
ヘイルウッドはくやしそうに唇をかんだ。
なるほど、あの紙の模様は割符というやつか。二枚の紙に重なるようにしてハンコを押して、取引をする相手同士に一枚ずつ紙を渡す。そして取引の時に紙を重ね合わせてハンコがきれいに合わさったら取引をする。本で読んだことがある。
密輸の取引なら相手も顔を隠しているだろうから、あの紙がないと取引ができない。おまけに密輸の証拠でもある。それでヘイルウッドはペラムに従っていたんだな。
「心配するな、こいつが終わったら返してやるさ。どうせコトがすめばこの町にも用はない。お前と違ってな」
ペラムは自分は心が広いんだぞ、って顔でうなずいてみせる。
「なんならお前も来るか? 骨董品に隠れて色々帝国へ横流しをするくらいだ。愛国心なんてねえだろ」
「私には生活というものがあります」
さっきから会話に出てくる帝国というのは、きっと東のアーリンガム帝国のことだろう。この国とは昔から仲が悪くて、何度も大きな戦をしたこともあるそうだ。
今も薬草や魔物から獲ったものの一部が、帝国へ売ったり買ったりしてはいけない、という決まりがあるそうだ。ばれたらしばり首もあるというからヘイルウッドが命令されているのもそのせいだろう。
「それより、あなたの弟君はまだ戻らないのですか」
「あれは昔から気難しい奴でな、少々の物音にもすぐに反応する。どうせ、子供のイタズラだろう」
「そうでしょうかね。私にはどこかで聞き覚えのある声に思いましたが」
「それってもしかして、こんな声かな」
僕が声を掛けると二人が同時に振り返り、違う叫び声を上げた。どうやら僕がブラックドラゴンの牙を抱えているのにびっくりしたみたいだ。水の中から引き揚げたせいで、牙から垂れたしずくがまるでよだれみたいにぽたぽた床にこぼれている。
「何故、お前がここに」
「そいつは僕のセリフというものですよ、ペラムさん」
僕は困った顔をして首を振った。
「どうしてツノボネなんて物騒なものを作ろうとするんです?」
「何のことだ? 俺は……」
「こんなものまで用意しておいて今更言い逃れもないでしょう」
腕の中の牙を一瞬だけ見てからペラムに視線を戻す。
「それに、あなたがツノボネを作ろうとしていることを教えてくれたのは、ペラムさん。あなたです」
ペラムはあっけにとられたような顔をした。
「冒険者ギルドであなたはこう言いました。『はめられたイアンは災難だった』と。確かにイアンははめられました。そこのヘイルウッドのせいでね。でもどうしてあなたがそれを知っているんですか?」
「みんな知っているさ。あんな都合よくツボが壊れるなんて、あり得ないからな。ワナにはめられたと考えるのが当然だろう」
「かもしれません。ですが、あなたはその前にこう言いました。『箱の仕掛けも見抜けない方が悪い』と。カレンはツボが割れたとは言っていましたが、箱に仕掛けがあったとは一言も言っていません。ツボが割れたのですから普通はツボに仕掛けがあったと考えるのが普通ではありませんか? 最初から割れていたとか。でもあなたは箱に仕掛けがあったと断言しました」
知っているのはイアンと、イアンから聞いたカレンとヘイルウッドだけだ。
「それにヘイルウッドは「厄介事を抱え込んでしまった」と言いました。もし、ヘイルウッドが自分で今回のことをたくらんだのなら普通は使わない言い回しです。「厄介事を抱え込む」というのは、誰かに頼まれたり押し付けられた時に使うものです」
実際、僕がブラックドラゴンの牙を持って行った時もおどろいてはいたけれど、喜んでいる風ではなかった。とうてい欲しがっている人とは思えない反応だった。欲しくもない牙をヘイルウッドは求める。一方、トレヴァーさんの話では『ペラム』は牙を欲しがっていたという。
ここまで考えれば、二人のつながりはたやすく想像がつく。ろくでもない手段で手に入れようとしているんだ。目的だってろくでもないものだろうとは思っていたけれど、でもまさか、本当にツノボネを作ろうとしているなんて。僕……いや、トレヴァーさんの最悪な想像が当たってしまった。
「なぜ、あなたはこんなおそろしいマネを。あんなに親切に、僕に色々教えてくれたじゃないですか」
ぺラムは開き直ったように声を荒らげる。
「ああ、そうさ。何も知らない田舎者を相手に、毎回毎回同じことを説明しなくちゃならない。それが今の俺だ」
「それがあなたの仕事なのでは?」
「下らないな」ぺラムは吐き捨てるように言った。「そんなものはそこらの小娘にでもやらせておけばいい。なぜ、と言ったな。なら教えてやる。それもこれも……全部、ギリアンのせいだ」
「どなたですか?」
「この町の冒険者ギルド長ですよ」
代わりに答えたのはヘイルウッドだった。
「そこのぺラムは、昔はギリアンと同じパーティだったそうです。一時は三ツ星まで行ったそうですが、ある冒険でギリアンをかばって大ケガをして冒険者を引退。稼ぎも使い果たして物乞いのマネまでしていたそうです」
「だまれ、ヘイルウッド!」
ぺラムが怒鳴り散らすが、ヘイルウッドは歌うように続ける。
「そこを助けてくれたのがギリアンです。ぺラムと別れた後も冒険者を続け、五つ星までいきました。引退後はこの町の冒険者ギルドに働き、今ではギルド長にまで出世していました。そして、ギリアンはぺラムをこの町の冒険者ギルドで雇うことにしたそうです」
「それのどこに恨むところがあるんですか?」
昔の友情と恩義を忘れることなく、困っている仲間を助けるなんていい話じゃないか。
「助ける方はそうでしょう。ですが、助けられる方はそうとは限りません。同じパーティにいながら、一方は落ちぶれて地べたを這いずり回り、一方は何十人もの冒険者を束ねるギルド長です。中途半端にプライドの高いそこの男には、それが許せなかったんですよ。まあ、ありていに言えば嫉妬ですね」
「黙れ黙れ!」
ぺラムがこらえきれないと言うように体をよじりながらわめきちらす。
「あいつをかばったばかりに俺は冒険者を引退するはめになった。あいつは俺から全部奪った。今度は俺の番だ。この竜牙兵でギルドをめちゃくちゃにしてやる。そうなればあいつもギルド長の地位から追われるだろう」
「それは逆恨みというものですよ」聞いているうちに、僕はむかっ腹が立ってきた。「だから、そこのヘイルウッドをおどかして、カレンとイアンからブラックドラゴンの牙を奪おうとしたんですか? あの二人にどんな罪があるというんですか」
「文句ならエイブラムに言うんだな」ペラムはせせら笑った。「こいつは俺の正当な取り分だ」
「どういうことです?」
「三年前、俺もザカリアス山にいたんだよ。あの、ドラゴンの牙がある洞窟にな」
三年前、ペラムはギルドの仕事でザカリアス山を旅していた。ところが途中で大雨に降られ、逃れたのが例のドラゴンの死体がある洞窟だった。ペラムは喜んだ。ドラゴンの牙で竜牙兵をたくさん作って、ギリアンさんに復讐する計画が浮かんだのはこの時だという。
ところが、そこには先客がいた。エイブラムさんだ。
エイブラムさんとは冒険者時代の先輩後輩同士で、昔はよく面倒を見てやった。命を救ったこともあったそうだ。
どのみち一人では持ち帰れないため、ペラムはエイブラムさんに計画を打ち明けた。うまくいけば、副ギルド長にしてやろうとも言った。
だが、エイブラムさんはそんな計画には乗れない、ときっさぱり断った。
二人はケンカになった。
言い争っているうちに嵐がひどくなり、土砂で洞窟の入り口が崩れそうになった。
「俺は先に飛び出した。それからしばらくして土砂が洞窟を押しつぶした。そこであいつとはそれっきりだ。生き埋めになったかと思っていたが、あいつは生きてふもとまで戻った」
なるほど、エイブラムさんが用心していたのは、ペラムだったのか。エイブラムさんが牙を手に入れた話そのものをなかったことにしなかった、いや、できなかったのは、ペラムがドラゴンの骨を見ていたからだな。
「あなたも聞いているはずですよ。エイブラムさんは途中で、盗賊たちに身ぐるみをはがされてしまったんです」
「はっ、バカバカしい」ペラムはそんなはずはない、とばかりに首を振った。
「あいつはな。『魔法カバン』を持っていたんだ、そいつを使えばマヌケな盗賊の眼くらいいくらでもごまかせる。そうやって牙を独り占めしたんだ」
「それって、見た目よりたくさん物が入るという魔法のカバンですか?」
「そうだ。見た目はただの背負い袋だがな。あいつがザカリアス山の古代遺跡で手に入れたものだ」
魔法カバンと聞いてヘイルウッドが息をのむ気配がした。そういえば、ヘイルウッドは魔法カバンを欲しがっていたっけ。もしかしたら、ペラムと手を組んだのはおどされただけじゃなくそれもあったのかもしれない。魔法のカバンをあげるから、俺が牙を手に入れるのに協力しろって。
「いくら盗賊がマヌケでも、袋を持っていれば魔法カバンでなくても普通は気づきますよ。仮に牙を手に入れたとしてもですよ、あなたが手に入れた訳ではないでしょう。後輩が大儲けしたから自分もおこぼれに預かろうなんて、いやしいですよ」
「黙れ、そいつを返せ!」
ペラムが目を血走らせながら飛び掛かってくる。
「おっとあぶない」
僕は牙を頭の上に持ち上げると、体を横にずらす。ペラムの腕は空を切り、たたらを踏んでその場につんのめって倒れた。僕の横を通り過ぎた時に前に出しておいた足に引っかかったのだ。
「もうやめてください。こう見えても僕は修行というものを積んでいるんです。ケガをしているあなたではかないっこありません」
ペラムがくやしそうに顔をしかめる。
「新人の案内だってギルド長に負けないくらいとても大切な仕事ですよ。事実、僕はあなたに教わったことがとても役に立ちました。バカなマネは止めて降参して下さい。今ならまだ間に合います」
できれば自首してほしい。だからこそ『贈り物』で気絶させずに長々と話をしてきたんだ。
「お願いします、今なら……」
「ああ、そうだ、まだ間に合う」
後ろから言い聞かせるような声がした。
お読みいただきありがとうございました。
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次回は8月6日午前0時の予定です。