幕を下ろすな その7
気がつくと部屋には僕とスノウだけだった。ハーヴィーだけでなく副ギルド長の姿もない。もう用事も済んだようなので、まだ顔をなめているスノウを抱え上げる。
ふと見ればさっき叩いた床にヒビが入っていた。古そうな板床だから傷んでいたのだろう。とりあえず金貨を床に置いて部屋を出た。
どうにも恥ずかしいところを見せてしまった。今頃あいつは僕をあざ笑っているだろう。
けれどそいつは勘違いというものだ。そもそも僕は裏方として雇われたのであって、役者ではない。だから禁止されたところでへっちゃらなのだ。そう、僕は平気だ。惜しいなあ。あいつが今ここにいたらすぐにでも正してやるのに。僕は全く気にしてなんかいないと。
「よう、無事だったか」
ギルドの一階に下りると声を掛けられた。ダスティンさんだ。依頼票の近くにあるテーブルに座ってお酒を飲んでいる。依頼でも成功したのか上機嫌なようだ。
「すげえ音がしたけど何かあったのか?」
「大した事はありません」
ウソは言っていない。お芝居に出るのを禁止されたくらいだ。
恥ずかしいのでそのまま通り過ぎようかと思ったけれど、聞きたいことがあったので許可を得て前の席に座る。
「あのハーヴィーという人について、お伺いしたいのですが」
僕が知っているのは三つ星の冒険者で、ものすごくいじわるだってくらいだ。だからといって昨日会ったばかりの相手に、ただのいじわるや嫌がらせでまとわりついては来ないだろう。
何か目的があって動いているのは確かだ。けど、それが何なのかつかめない。そもそもあいつが何者なのか、僕は全然知らないのだ。だったら知っていそうな人に聞くのが一番だろう。
ダスティンさんは急に渋い顔をすると、お酒の入ったジョッキを乱暴に置いた。
「あいつには関わらねえ方がいいぞ」
「僕もできればそうしたいんですけどね」
あの分だとまた絡んできそうだ。一筋縄ではいかない相手だと思い知らされたばかりだし、今は情報が欲しい。
お願いします、ともう一度頼み込むと、ダスティンさんは声を潜めながら言った。
「あいつのせいで、ここのギルドはダメになっちまったんだよ」
舌打ちして、カウンターの方を恨めしそうににらんだ。鋭い視線を向けられて、奥の職員さんが顔を背ける。
ハーヴィーがこの町に着たのが今から一年ほど前。その時は、まだ星も付いていなかったらしい。ところが一年間でろくな依頼もこなさないのに、あれよあれよという間に三つ星まで昇進したそうだ。
「ハーヴィーの父親ってのが、王都にある冒険者ギルド本部の幹部でな。だからここの職員は、あいつには逆らえない。それをいいことにやりたい放題だ」
「あれで貴族なんですか?」
冒険者ギルドというのは本部が王都にあって、そこの幹部は主に貴族だと聞いている。公爵だか侯爵だかが一番偉い立場に着いている、と聞いたことがある。でも貴族には全然見えない。
「母親がその家で働いていた使用人だったって話だが、くわしいことはわからん。肝心なのは、父親があいつを息子として認めているってことと、あいつが父親の立場を笠に着て、このギルドを乗っ取っちまっているってことだ」
ギルド長でもないのに、依頼や報酬に口出しするようになったり、職員の仕事や役割にもハーヴィーの意志が通るようになったらしい。
「気骨のある冒険者や職員はあいつに逆らって、よその町に行ったりギルドを辞めされられた。残っているのは、意気地のないやつか、行くあてのない連中ばかりだ」
「ギルド長は何をしているんですか?」
「そりゃあ真っ先に靴をなめに行ったさ」
今のギルド長は偉い人には弱いらしく、幹部の息子であるハーヴィーにぺこぺこしてばかりだそうだ。
「副ギルド長はどうなんですか? きびしそうな人でしたけど」
「あり得ねえよ」
ダスティンさんは鼻で笑った。
「あらあ、ハーヴィーのコレだよ」
と指を立てると、変な曲げ方をした。
「なんですか、それ?」
「知らねえのか? オンナってことだよ」
「まあ、女性でしたけど」
年も離れているし、僕の好みではないけれど。
「だから、あれだよ。男と女の……深い仲っていうか」
「ああ」ようやくわかった。僕も察しが悪いな。
「要するにハーヴィーと副ギルド長は付き合っているんですね。なるほど、それじゃあ、誰も文句は言えないわけだ!」
ギルドの中が急に静まりかえる。
振り返れば職員さんや冒険者の目が全部、僕に集まっていた。カウンターの奥にはさっきの副ギルド長の姿も見える。
「やあ。大きな声を出してすみませんでした。お気になさらず。お仕事を続けて下さい」
騒がしくしたおわびをして、ダスティンさんの方に向き直る。
「本部は何も言わないんですか? ほかの町の冒険者ギルドは?」
「ギルドってのはひとり立ちが基本だからな。証拠もない限りは動かねえさ。よその町だって、テメエのところで精一杯だ。わざわざ口出しなんかしやしねえよ」
どこからも応援は来ないわけか。そのせいか、冒険者もギルド職員もハーヴィーの顔色をうかがってばかりのようだ。目を付けられないように息を潜めるか、子分のように付き従うかのどちらかだという。
「ダスティンさんはどちらなんですか」
「ここのギルドには恩があってな」照れ臭そうに笑った。
「駆け出しの頃にはずいぶん世話になった。今更、よそには行けねえよ」
恩義を感じているギルドがあいつのせいでメチャメチャになっているとしたら怒るのもわかる。僕だって腹が立つ。
「最近じゃあ、別のところにもちょっかいを出しているようだな。柄にもなくあちこちの劇場に顔を出したり、商人ギルドや大工ギルドであいつの姿を見かけたこともある。ウワサじゃあ、領主様の館にも出向いたって話だ」
冒険者ギルドを支配した後は、商人と職人をも手下にしようとしているのだろうか。領主様の権威を借りることができればいばり放題だ。
「あいつの目的はなんでしょうか?」
そのために、僕がジャマだからこびを売ったり嫌がらせをしているのだろう。
「僕の予想では、世界の征服か破壊、あるいは邪神の復活だと思うんですが」
「いや、さすがにそれはないんじゃねえか……?」
ダスティンさんは否定するけれど、そうでなければ、あの卑劣ないじわるは説明が付かない。あいつこそ魔王たちの『末裔』……『見つからない者たち』ではないだろうか。少なくとも、僕なんかよりずっとそれらしい。
「あの野郎が何企んでいるかはわからねえ。けど、あいつは損得なしには動かねえ。だからそれなりに金になる話なんだろうな」
けれど、それが何かまでは見当が付かない、とダスティンさんはお手上げ、と肩をすくめた。
「なるべくなら関わらないのが一番だ。あいつは普通じゃない手を使う。まともにぶつかったら痛い目を見るぜ」
「ご忠告感謝します」
お礼を言って立ち上がる。早くしないと、裏方の仕事に遅れてしまう。情報料にと金貨を差し出したら目を丸くされた。
「最後に一つ」肝心な事を聞き忘れていた。
「誰もハーヴィーをこてんぱんにしようとはしなかったんですか?」
冒険者は実力が全てだ。強い者が勝って大いばり、弱い者は負けてこびへつらう。けだもののような世界でもある。そんな人たちが、あのずるいハーヴィーに黙っていられるだろうか。
それこそ不意打ちや闇討ちくらいやってもおかしくない。僕もよくやられる。でもハーヴィーは今も大きな顔をしている。僕の見たところ、ハーヴィーの腕はそこまで強くない。
三つ星と言われれば納得だけれど、あのくらいの実力ならいくらでもいる。普通に戦えば、『竜殺しの槍』のケネスの方がよっぽど強い。大人数で囲まれたら袋叩きにされるだろう。
「普通じゃない手を使うって言わなかったか」
ダスティンさんはオオカミのように目を細める。
「あいつはな、マジックアイテムを使うんだよ。それであいつに挑んだ冒険者は全員返り討ちだ」
なるほど、それなら人数や実力の差も埋められる。どんなマジックアイテムなのか、と尋ねようとする前にダスティンさんは首を振った。
「どんなアイテムかはわからねえ。ただ、生き残った奴の話だと、気がついたら道端に倒れていたってさ。何をされたのかもわからねえってよ」
ギルドを出て『ギャロウェイ一座』の住まいに向かう。もうすっかり日も高くなっている。早くしないと、今日の公演に間に合わない。それが終わったら明後日の演劇コンテストに向けて準備もしないといけないのに。
「すみません、遅くなりました」
飛び込むように入ったら、中は静まりかえっていた。もう劇場の方に行ってしまったのだろうか。
「あ、ああ。来たのか」
二階からチャックさんが階段をきしませて下りてきた。
「えーと、今日も『赤と青の芸人』でしたよね。みなさんはもう、劇場ですか?」
「そ、それが……」
チャックさんは気まずそうにうつむいた。
「きょ、今日の公演は中止になった」
僕は腰を抜かしそうになった。
「じ、実はまた、役者が……」
家来役の人たちが二人、書き置きを残していなくなってしまったのだという。
「また『プレイワゴン一座』ですか?」
「わ、わからない。でも、これで、またできる芝居が……」
人数が減れば演じられる芝居も少なくなる。まだ残っているのは、オーレリアさんとチャックさんを含めて五人といったところか。しかも音楽とか衣装なんかも兼ねて、だ。
「今日の分はチケット代は返金するとして、コンテストはどうするんですか」
「そ、それなんだけど」
チャックさんは目をそらしながら手を自分のひじに添える。
「も、もしよかったら、裏方だけじやなくって、舞台の方にも出てもらえたら……」
何という皮肉だろう。あれほど待ち望んだ言葉なのに。今はもう応えられない。涙が出そうだ。
「すみません、実は」
冒険者ギルドから裏方以外の仕事を禁止されたと簡単に告げると、チャックさんが目に見えてがっかりした。
「本当にすみません」
僕は申し訳なさで胸が張り裂けそうだった。それもこれも、あのいじわるハーヴィーのせいだ。悪魔なんてものじゃない。まるでこの世の全ての悪意が服を着て歩いているかのようだ。
「い、いや、いい。ムリを言ってすまなかった」
「役者以外でしたら、使いっ走りでも呼び込みでも何でもやりますから遠慮なく言って下さい」
せめて僕のできることで、一座を手助けしようと心に誓う。
「今後の事で打ち合わせをしたいのですが、オーレリアさんはどちらに?」
「そ、それが……」
チャックさんがつぶらな瞳に涙をためて言った。
「ざ、座長もいなくなった……」




