幕を下ろすな その3
その日の昼過ぎ、僕は依頼人の元に向かった。
『ギャロウェイ一座』の住まいは、町の南側にあった。『宝箱の魔物』小路と呼ばれる、薄暗い通りの奥に建っている。二階建てで、こぢんまりした木賃宿って感じだ。
周りに倉庫だとか物見の塔といった背の高い建物があるせいで日も当たらず、壁板はあちこち黒ずんでいる。屋根には何枚も板を打ち付けているのが見えた。
ギルドの職員さんによると『ギャロウェイ一座』は五十年以上続いている、この町では老舗の劇団だという。初代の座長は有名な役者だったらしい。オーレリアさんで四代目だそうだ。
普段はこの町の芝居小屋だったり、劇場でお芝居をしている。時々、近くの町や村にも公演に出掛けるという。
ノックをして中に入る。湿気た臭いがした。誰も出て来る気配がないので奥に呼びかけると、二階からゆっくりと黒髪の女性が下りてきた。
「よく来てくれた。私が座長のオーレリアだ」
「冒険者のリオです。よろしくお願いします」
オーレリアさんは優雅な仕草で握手を求めてきた。昨日、舞台の上で見た時よりも目鼻立ちがおとなしい感じがする。きっとお化粧をしていないからだろう。でも伸びた背筋や、堂々とした歩き方といった立ち居振る舞いはキレイなままだ。まるで本物の騎士様みたいだ。
きっとたくさん稽古をしたのだろう。ちょっと硬くなっている手を握ると、オーレリアさんは不意に表情を和らげた。
「もしかして、この前の芝居を見に来てくれた人かな」
「覚えていたんですか」
お客さんは何人もいたのに、すぐに気がつくなんて。
「舞台の上からは君が考えている以上に、お客様の顔が見えているからね」
だからといって、すぐに思い出せるものではないだろう。何十回何百回とお芝居をしているはずなのに。僕はすっかり感心してしまった。
「芝居は好きなのかな」
「大好きです」
深々とうなずくと、何故かオーレリアさんは複雑そうな顔をした。喜んでいいのか、叱りつけていいのか迷っているって感じだ。
何かやらかしたかな? と心の中でヒヤヒヤしていると、オーレリアさんはせき払いをして、仕事の話を始めた。
「条件は依頼にも書いたとおりだ。今日から七日間、劇団の芝居を手伝ってもらう。日の出からから夜の公演が終わって後片付けが終わるまで。劇団の仕事全般の手伝いだ。具体的には掃除にせんたく、道具運び、買いだし、照明に客引きに、道具や書き割りの修理に、衣装の破れも……裁縫はできるかな」
「つくろいものくらいなら」
アップルガースにいた頃から自分の服は自分で直していた。ほかにも、稽古の手伝いや舞台の警備もしないといけないらしい。とにかく役者とお金に関すること以外全部って感じだ。
仕事はたくさんあるのに、給金はお世辞にも高いとは言えない。こいつは大変な仕事だ。駆け出しには任せられないよ。やっぱり僕が引き受けて正解だったな。
「報酬はすでにギルドに預けてある。七日後に割符を渡すからそっちで受け取ってくれ。……ここまでで何か質問はあるかな」
「はい」
肝心なことをまだ聞いていない。
「どうして昨日の『精霊と四騎士』は物語と違うお話になっていたんですか?」
ドラゴンの代わりに女神様なんてのが登場したかと思えば、最初の方で終わってしまった。あそこから面白くなるのに。
「あいにくとドラゴンは冬眠中でね」
オーレリアさんは冗談めかした口調で言った。
「先日、ドラゴンの衣装と道具が壊れてしまったんだよ。直す時間も金も無く、やむなく女神様にご登場を願い出たのさ」
「途中で終わったのは?」
「ああいう長い話は、人気のある場面だけを切り取って上演するのが、昔からのならわしなんだよ。長いと客も退屈してしまうからね」
だったらもっと短い物語を上演すればいいのに。
「それに、今のウチで上演できる芝居も限られているから……」
「どうしてですか?」
そこでオーレリアさんはわずかに目を逸らした。もしかして、マズイことでも聞いてしまったのだろうか。
「おいおい話すよ。そのうちにわかるさ」
そう言ってオーレリアさんは、端正な顔で微笑んだ。僕にはそれが、仮面を被り直したかのように見えた。
「さっそくだが、すぐ仕事に取りかかってもらう」
オーレリアさんが呼びかけると、二階から大きな足音を立てて大柄の人が下りてきた。
茶色い髪はおかっぱ頭で、目は豆粒のように小さい。反対に口が大きくて、げんこつでも入りそうだ。あごひげがまばらに生えている。わずかに丸まった背中や落ち着きのない足取りに僕は心当たりがあった。
「もしかして、昨日の舞台でブルーノの人を演じていた人ですか」
間違いない。髪型と色が違うのはカツラをつけていたからだろう。
「え、いや、俺は」
「彼はチャック。うちの役者だ」
しどろもどろになるチャックさんに、オーレリアさんが助け船を出した。
「よ、よろしく」
耳のいい僕でも聞き取りづらいくらいの小さな声だ。胸の辺りで手を組みながら自信がなさそうに目をきょろきょろさせている。なんだか、舞台の上より泣き虫ブルーノっぽい人だな。
「詳しい仕事内容は彼に聞いてくれ。私は、別の用事があるからこれで失礼するよ」
それでは、とうやうやしく一礼してオーレリアさんは外に出て行った。普通の人がやったらキザっぽいけど、あの人がやるとサマになっている。いいなあ、いつか僕もああいう仕草が似合う男になってみたい。
「……」
二人きりになると急に静かになる。チャックさんは僕の前で困り顔で腕を組み直したり、体を揺すっている。仕事しないといけないんじゃないのかな?
「あの」
僕が呼びかけると、チャックさんはまるで魔物にでも出くわしたかのように大きな体を震わせた。
「とりあえず指示をお願いします」
「え、ええと。その、まずは、荷物運びを……」
案内されたのは、住まいの裏手にある倉庫だ。がたついた扉を開けると、中にはたくさんの木箱が積んであった。箱には大きな字で『小道具』とか『衣装』と書いてある。
木箱と反対側の壁には森やお城の書き割りが立てかけてある。もしかして、これ全部お芝居の道具なのかな。普段は入れない、お芝居の裏側を覗いた気がして、気持ちが浮き立つのを感じる。
「と、とりあえず、ここいらの箱を向こうの芝居小屋に運んで……」
「わかりました」
ずっと見ていたいけれど、僕は今仕事に来ているんだ。気持ちを切り替え、僕の胸ほどもある木箱を抱え上げる。なるほど、重いや。何が入っているんだろう。衣装ではないだろうし、大きさからして小道具かな。
「……」
チャックさんは小鳥のように目をぱちくりさせている。
「どうしました?」
「そ、それ。重いから二人で運ぼうかと……」
「ああ、お気になさらず」
僕だって冒険者のはしくれだからね。アップルガースのみんな程ではないけれど、色々きたえているんだ。
今日の舞台は『蛇とてんびん座』という劇場でやるらしい。木で組んだ建物に僕の腰ほどの高さの舞台と、三十人ほどの客席以外は何もない。芝居小屋って感じだ。
裏口の広場に荷物を運ぶ。荷物や衣装を運び終えたら次は掃除だ。昨日も別の劇団がお芝居をしていたそうだけど、自分たちの荷物だけ持ってさっさと引き上げてしまったらしい。
客席には食べ物のかすや紙くず、こぼれたお酒やその器がそこかしこに散らばっている。ホウキでゴミを集めながら、舞台ではチャックさんがよつんばいになって雑巾でふいている。僕と二人だけだ。
ほかの人たちはけいこだとか買いだし、オーレリアさんは次の公演のために、別の劇場に交渉に向かっているらしい。
「今日はどんなお芝居をするんですか? やっぱり『精霊の四騎士』ですか?」
出会いの場面もいいけれど、僕はやっぱり後半の幽霊城の場面がいいな。悪霊にとらわれたお姫様を救い出すために幽霊城に向かったのだけど、悪だくみのせいでバラバラになってしまう。それでもブルーノの勇気と、コンラッドの機転、アリスターの弁舌にドルーのうっかりで悪霊を封印し、無事にお姫様を助け出すのだ。あそこは何回も読み返した。
「い、いや。今日のは……『赤と青の芸人』」
「ああ、あれですか」
大昔の人が書いた戯曲だ。ある大きな国の王様が自分そっくりの旅芸人と出会い、一日だけ入れ替わる。旅芸人は慣れない王様の仕事にすっかり気後れしてしまうのだけど、反対に王様は芸でお金を稼ぐ生活が面白くって、そのまま国を出てしまう。弱った元旅芸人はお触れを出して、元王様を捕まえようとする。そこからドタバタがあって、結局二人とも王様なんてこりごり、と仲良く旅芸人になるところで幕となる。面白おかしい話だ。
「チャックさんは何の役ですか」
「お、おれは、旅芸人。座長が、王様の方」
「へえ」
王様といっても貫禄のある方ではない。旅芸人になりたがるくらいだから猿のモノマネをしたり転んでドジをしたりと、間の抜けた役だ。格好いいオーレリアさんでは似合わない気がする。
「でもあれって、そんなに人は出なかったような」
主役は王様と旅芸人、あとはいくつかの脇役と解説の人の声が入るくらいだ。出番がない、とほかの役者さんが文句を言わないだろうか。
「そ、それくらいでちょうどいい」
チャックさんは床を拭き取りながら言った。
「うちには、もうほとんど役者が残ってないから……」
僕はホウキを取り落とした。カタン、と劇場に乾いた音が響く。
「み、みんな、よその劇団に行った……」
「引き抜き、ですか」
お金や良い役がもらえる、と一人減り二人減りして、今ではオーレリアさんを含めて五人だけだそうだ。
「い、今はどこも人手不足だから。イーサンとネイサンも……昨日限りで『プレイワゴン一座』に移った。だから、もう……」
「もしかして、アリスターとドルーの人ですか?」
二騎士になっちゃったら『精霊の四騎士』はできないじゃないか。
「あ、あそこはウチよりも給金がいい。倍出すって言われたら……」
冒険者でも腕の立つ人は、よそのパーティに誘われる。そういう場面を何度か見たし、僕も誘われたことがある。断る人も多いけれど、条件が良かったり、今のパーティとうまく行っていなかったりすると、パーティを移る人もいるようだ。
薄情だとは思うけれど、実力のある人が条件のいいところを求めるのは、ある意味当然の話だ。悪いとは言い切れない。こればっかりは仕方がないか。
「オーレリアさんもおっしゃってましたけど、どうして人手不足なんですか」
町全体で役者が足りない、なんてことがあるのだろうか。
「こ、ここの領主様のお触れが……」
と、チャックさんが懐から取り出したのは、小さく折りたたまれた紙だ。それを広げて僕に見せてくれた。
「『演劇コンテスト』?」




