迷宮と竜の牙 その10
翌朝、僕は町の外に向かった。南の森に入り、しばらく歩いたところで広々とした場所に出る。
地面には落ち葉と背の低い草ばかりで、段差もほとんどない。背が高く太い木々に囲まれているので、近くを通る人がいても見つかる可能性は低い。近くに小川も流れているから洗い物にも都合がよさそうだ。
よし、ここにしよう。
カバンの『裏地』からブラックドラゴンを取り出し、地面に置いた。
今日はここでブラックドラゴンの解体をするつもりだ。ドラゴンの牙や爪や骨、鱗に皮に肉、内臓や目玉も高く売れる。
僕は村にいた時から、狩りの手伝いをしていたので、肉と皮を分ける作業には慣れっこだ。
シカやウサギどころかオオトカゲだって一人でやってのけたこともある。
さすがにドラゴンのような大物は初めてだけど、基本は同じはずだ。
やってやれないことはないだろう。
カバンから魔物よけの香草を取り出し、火をつける。
血の臭いに魔物が寄ってくるのを防ぐためだ。
香草の香りが広がったのを確認してから解体を始める。
もちろんブラックドラゴンは目を見開いたまま、ぴくりともしない。
僕はもう一度祈りをささげると、黒い巨体に取りついた。
並みのナイフではさすがに通じないのでランダルおじさんの剣を抜き、鱗と鱗の継ぎ目に切っ先を突き立て、はがしはじめる。
さてさて、大仕事になりそうだ。
僕が解体をすっかりやりとげたのは次の日の昼近くになってからだった。
夕暮れまでがんばったけど、どうにも肉が分厚い上に硬くて一日で終わらなかったのだ。
一度『裏地』に戻そうかとも思ったけど、血も出ているし、肉も脂でべとべとだ。
母さんのカバンを汚したくなかったので、その日は魔物よけの香草をたくさん焚いて、毛布にくるまって夜を明かした。
「ふう、こんなものかな」
大仕事の成果を見上げながら僕は額の汗を手の甲でぬぐった。
目の前には大きな土の山がこんもりと盛り上がっている。
爪と鱗と牙は外し、骨はばらばらにして部位ごとに仕分けた。皮も肉からはがしてある。大半は地面に吸い取られたけど、血も少しだけビンに詰めた。肉の一部は切り取って油紙につつんだ。
残った内臓や骨や残りの肉はここに埋めた。
仕上げに近くの苗木を土ごと持ってきて、土山の上に植え直す。お墓の代わりだ。
村でも狩りで仕留めた獲物にはこうしていたものだ。
最後に祈りをささげてからブラックドラゴンの爪や鱗をカバンの『裏地』に詰めていく。
もちろん入れる前に水で洗ってある。
「まったく、こんなものを何に使うんだろうね」
僕の腕の中ではブラックドラゴンの牙が鈍く輝いている。とても高価なものらしい。大きくて持ち運んでいては隠せそうにない。こいつから竜牙兵って奴らが何匹も作れるらしい。でもそれは法律で禁止されているんだけど、もし作りたい人がいて、お金がないとしたらどうやって手に入れるのかな?
「……もしかして」
やっと気づくなんて僕の頭は、血の巡りが悪いにも程がある。
もしかしたら僕はとんでもないことをしでかしてしまったのかもしれない。
僕は急いで残りの爪やら鱗やらをカバンの『裏地』に突っ込むと、大股で走った。
頼むから僕の勘違いであってくれよ。
走りながら僕の胸は不安で高鳴りっぱなしだった。
ダドフィールドに戻ってきたのはお昼過ぎだった。おなかはぺこぺこだけど休む気にはなれない。
町の雰囲気はにぎやかだけど、平穏そのものだ。
よかった、まだ無事のようだ。
冒険者ギルドの前までたどり着くと、扉を開けて中を見回す。
ギルドの中は大勢の人でごった返していた。これ、みんな冒険者なのか。
でもどうしてこんなに混んでいるんだろう。
ギルドが混むのは仕事をもらいに来る早朝と、仕事から戻ってくる夕方から晩にかけてだという。
こんな昼間に人がいっぱいなんて、何かあったのかな。もしかして、僕のイヤな予感が当たったのかも。
「あの、何かあったんですか?」
僕は人ごみの中から見覚えのある人を見かけたので話しかける。この前、トレヴァーさんと話していた、黒い鎧姿の冒険者だ。黒い鎧がぴかぴか光っているので、仮に『クロピカさん』と呼ぶことにする。
「お前、知らないのか」
クロピカさんは物珍しそうに目を白黒させる。
「おととい、誰かが『迷宮』を攻略したんだよ。急に魔物たちが出なくなったからみんな混乱しているんだ」
なんだ、そっちの話か。
「ああ、その話ならまあ、ウワサ程度には」
僕がその『誰か』さんとは言えないので他人事のようにふるまう。
でもあれっておとといの話なんだけど、まだ騒ぎになっているのか。
「そういえば、攻略された『迷宮』ってどうなるんですか?」
村の近くに出た『迷宮』は村長さんたちが入り口を岩でふさいだけれど、ここはどうするんだろう。
「ギルドの連中が中を確認した後で、入り口を閉じることになっている。放っておけば、盗賊がすみついたり外から魔物が入り込んで巣を作っちまうからな。あとは放っておけばいい。死んだ『迷宮』は数年も経てばこの世界から自然とはがれ落ちて、洞窟ごと消えてしまうからな」
「へえ、そうなんですか」
それは初耳だ。あんな広い洞窟が消えるのか。想像がつかないや。
「けど、『迷宮』が攻略されたのならおめでたいことじゃないですか。どうしてみんな落ち込んでいるんですか?」
最初は自分で攻略できなかったのがくやしいのかと思ったけど、ギルドの職員まで気落ちしているみたいだ。みんな不安と混乱を顔いっぱいにはりつけている。。
「お前、のんきな奴だなあ」
クロピカさんは呆れた顔で言った。
「いいことじゃないですか。『迷宮』がなくなれば、あの荒野も豊かな土地に生まれ変わりますよ」
「その代わり、この町は貧しくなるだろうがな」
意外な言葉に僕はうろたえた。貧しくなるってどういうことだ?
「この町は『迷宮』あっての町だからな。『迷宮』の魔物から獲れる皮や牙は、高く売れる。この町の冒険者はそうやって食い扶持を稼いでいる。稼ぎ場がなくなっちまったら、冒険者はよその町へ行くしかない。ここは『迷宮』以外に金になりそうな魔物はないからな」
「そう、なんですか?」
なるべく平静を装ったつもりだったけれど、声が上ずっている。
「冒険者だけじゃない。この町の武器屋や防具屋はもちろん、宿屋も鍛冶屋も薬屋も道具屋もみんな冒険者目当ての連中ばかりだ。職人だって冒険者の使っている武器を作ったり、直したりして金を稼いでいたんだ。冒険者がいなくなっちまったら、買う人間がいなくなって、大半がおまんまの食い上げってわけだ」
頭の中で大鐘が鳴り響いた気がした。
「まあ、町の外にも魔物は出るし、町の中の仕事もあるからギルドがつぶれる、ってことはないだろう。だが、『迷宮』がなくなれば、ここに立ち寄る冒険者も少なくなる。そうなれば宿屋や武器屋、防具屋みたいな冒険者目当ての商売も売り上げが落ちる。まわりまわって、この町はどんどん寂れていくって寸法さ」
「……」
「普通なら一階の次が二階、二階の次が三階と、段階を経て攻略するから、攻略される時期がある程度予想ができる。もうすぐ攻略されるかな、と思ったら少しずつ町から離れたり商売人なら仕入れを押さえたり、商売の規模を小さくしたりと調節するんだが、今回は何の前触れもなかったからな。みんな急なことで、不安でわけがわからなくなっているんだよ。今日はまだ落ち着いてはいるが、昨日はあやうく暴動になりそうな勢いだったからな。まったくどこの誰だか知らないが、攻略するならもうちょいゆっくりやってもらいたいもんだ……って、おいどうした、顔色が悪いぜ」
僕は返事ができなかった。頭の中で鳴り響いた大鐘がぐわんぐわんと僕の体をふるわせていた。
なんてこった。知らなかったとはいえ、僕という奴は、みんなの仕事を奪ってしまったのだ。
村でも狩りをしていたからわかる。シカを狩りつくしてしまうと、次から狩りが出来なくなってしまう。そうなればみんなシカの肉を食べられなくなる。だから、狩りをするときは取り過ぎないように気を付けるのだと猟師のロシュさんが言っていた。
僕がやったのはまさにそれだ。知らないうちに狩場をつぶしてしまったのだ。
僕という奴はなんて、うっかり者の大マヌケなのだろう。ブラックドラゴンを倒しただけでよかったのに、『迷宮核』まで取ってしまったせいだ。今すぐトンカチで頭をかち割ってしまいたい。どうしよう、もう一度『迷宮核』を戻したら復活しないかな。
「いや、落ち込んでいる場合じゃないぞリオ」
落ち込みかけた心にムチを打つ。急いで町に戻ってきたのは膝をついて落ち込むためじゃない。
僕には確かめないといけないことがあるんだ。
心配そうなクロピカさんに適当な返事をして別れ、あの人を探してギルドの中を見回す。
いない。
僕は一番端っこの受け付けにいる人に話しかける。ほっそりとした若い女性だ。
「あの、ここにいた人は今どこにいますか? ギルドに加入する手続きをしていた方です」
僕が話しかけると女の人は考え込む仕草をした。
「ペラムさんですか? ペラムさんなら昨日からお休みで……」
まずいな。僕の予想が当たっているなら、よくないしるしだ。
「彼の家はご存知ですか?」
「それなら、ここから北に行った麦踏み筋の外れに……」
「おい、どうした。ペラムがどうかしたのか?」
トレヴァーさんたちが横から話しかけてきた。
さっきは見かけなかったから僕が話している間にギルドに入ってきたようだ。
「何かあったのか?」
そうだ。トレヴァーさんなら知っているかもしれない。物知りみたいだし。
言っていいものかどうか一瞬迷ったけど、今は時間が惜しい。もし間違っているのならあやまればいい。
「あの、ペラムさんに魔法使いのお知り合いっていますか?」
手のたこを見る限り、剣士のようだから本人が魔法使いって可能性は低い。もし作るとしたら、別の人のはずだ。
「それならデリックかな」
「どういうご関係ですか。冒険者時代の仲間とか」
「兄弟だよ」側にいたケネスが口を開いた。
「デリックの方が弟だ。魔法使いの家に養子に入って勉強してたって話だぜ。もう冒険者からはとっくに身を引いて兄貴の家の近所で薬屋しているはずだけど」
なら、いるのはそっちだな。
「お店の名前は?」
「そのまんま。『デリック薬品店』だよ」
「ありがとうございます」
「おい待て」
僕が走り出そうとした時、トレヴァーさんに腕をつかまれた。ちょっと怖い顔で僕をにらんでいた。
「質問にまだ答えてもらってないぞ。君はこの前登録していた新人だな。その時に何かあったのか」
「どうやら僕はとんでもないポカをやらかしてしまったようなんです」
僕はすきをついてトレヴァーさんの手を外した。
「僕の考えが確かなら、ペラムさんは『ツノボネ』を作ろうとしています」
トレヴァーさんたちが一斉に声を詰まらせる。
「それでは急ぎますのでこれで。どうもありがとうございました」
僕はお礼を言ってギルドを飛び出した。
お読みいただきありがとうございました。
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