王子様、あらわる その2
下りの坂道をとぼとぼ歩きながら僕はため息をつく。
とんだ恥をかいてしまった。
顔から火の出る思いだった。
「やっぱり、デタラメだったのか」
バートウイッスルから北へ歩くこと七日、山の頂上近くにあるアップルガースという村で僕は生まれた。
家族は僕と母さんの二人きりだ。僕は父親の顔どころか、名前も素性も知らなかった。
世間には父親というものがいるとは本で読んで知っていたけど、僕の家にはいないことが小さい頃の僕には不思議だった。
けれど、何度聞いても母さんは、あいまいな言葉やいい加減なウソでごまかそうとした。
ある時は七つの海を制覇した海賊の大親分だったし、ある時はとある劇団の主演俳優だったし、ある時は空の彼方より虹の橋を渡り翼を持って降りてきた天空人だった。
母さんのことは大好きだけど、僕はそういうウソが大嫌いだった。
死んだとか別れたとか色々事情はあるのだろうけど、子供すらだませないウソでだまそうとする母さんのものぐさなところがイヤだった。
どうせならもっとちゃんとしたウソでだましてくれればいいのに、と何度も思った。
僕が十二歳の時、母さんがいいお酒をもらったとかでひどく酔っ払ったことがある。その時、母さんは介抱していた僕に抱きつきながら言ったのだ。
「アンタのお父さんはねえ、王子様なんだよお」
母さんが十八歳の時、母さんはあのバートウイッスルのお城で侍女として働いていたそうだ。その時、あのお城に当時、第一王子だったテオボルト様が遊びに来た。その時に何があったのかはわからないし、母さんも詳しくは言わなかった。
それからしばらくして母さんは城勤めをやめた。身寄りのなかった母さんが山奥のアップルガースにやってきた時にはもう、おなかの中には僕がいた。
やがてテオボルド王子は父王の後を継いで即位した。それが今の国王陛下だ。
はじめて聞いた時は、「どうせいつものウソだろう」と信じていなかった。
実際、次の日に聞いてみたら「そうだっけ?」という顔でへらへら笑っていた。
けれど母さんが死んで家の中を整理していた時、木箱の中にしまってあった短剣を見て僕は息をのんだ。首の長い龍と鳥が首を絡ませ合った印は、王家の紋章だったからだ。鞘や柄の作りも豪華だし、安物には見えなかった。
つまり、これは国王陛下から母さんへの贈り物なのだ。
僕はその「事実」に思い当たった時、僕は一晩中悩み、そして決断した。
僕は王子様にはならない。
理由はどうあれ、母さんを捨てた人の肩書きや名前にすがるなんてまっぴらだ。
そう決意してこの短剣はお返しして、王家とは縁を切って生きると決めたのだ。
けれど、僕がいきなり王宮に行ってもいきなり王様に会えるとは限らない。だから母の勤め先だった伯爵家を通じて返してもらえばいいかと思ったのだけれど……結果はごらんの通りだ。
城に来るまでの途中、断りの文句とか言い訳とかどうしようと色々考えていたのは全くのムダだったわけだ。ああ、恥ずかしい。
「酔っ払っている時の言葉なんて真に受けるもんじゃないなあ」
おかげでかかなくてもいい恥をかいてしまった。
まあいいや、関係ないとわかっただけでも収穫だ。これで心置きなく旅ができるというものだ。
僕は生まれてからずっと村の中で暮らしてきた。母さんが死んで独りぼっちになった僕は、村の外の世界を……世の中というものを見てみたくなった。
村のことも村の人たちも大好きだけど、一生住むのはいつでも出来る。
僕は世の中というものをもっと知りたい。
だから僕は旅に出た……いや、今日から本当の旅の始まりだ。
いざゆかん、新しい世界へ!
軽い足取りで僕は坂道を下って行った。
丘の下には大きな町が広がっている。バートウイッスルの町だ。名前通り、伯爵家のおひざ元でもある。この辺りでも一番大きな町らしい。
僕の何倍もの大きさがある石のアーチをくぐると、石造りの町並みは人でごった返していた。道は村みたいに土で踏み固めたのと違い、灰色の石畳が敷かれている。
十人は並んで歩けそうな目抜き通りの両端には露店が並び、活気でにぎわっている。
一瞬お祭りか何かかと思ったけど、どうもこれがこの町の日常であるらしい。
さすが伯爵家の町だなあ、と感心してしまう。
野菜を持ったおばさんに呼びかけられたり、怪しい小物売りにマントを引っ張られたりしながら、人と人との間にもまれるようにして歩いていく。
それだけで人いきれに酔いそうになってしまい、露店と露店の間にあるちょっとした路地にもぐりこみ、小休止する。
カバンから水袋を取り出し、一口水を飲む。
ふう、と息を吐いて道行く人たちを見つめる。鎧を着けた人やカゴをかついだ物売りに、リュートを担いだ楽師に代書人、僕のような旅人姿の人もいる。
僕の目の前を色々な姿の人たちが通り過ぎていく。子どもや女の子もいる。あ、あの子かわいい。
ちょっと色あせた青いワンピースを着ている。スカートのすそに泥もついているから農家の子かな。
後ろで縛った黒髪、まつ毛も長い。体つきもきゃしゃなのに柔らかそう。
かわいいいなあ……と、そこで我に返り首を左右に振る。
いけないいけない。
またぽーっとしてしまった。
どうにも僕には悪いクセがあるようだ。
かわいい女の子やキレイな女の人につい見とれてしまうのだ。
アップルガース村には年に何回か、行商人の馬車がものを売りに来る。肉や野菜や塩に卵、煙草やメイプルシロップ、釘に紙、僕のために子供向けのおもちゃも仕入れてきてくれていた。けど母さんによると、三歳の僕は、そんなものには目もくれず、行商人の娘さんやきれいなお嫁さんをずーっと見ていたらしい。覚えてもいないことを茶化されるのって怒っていいのか恥ずかしがるべきなのかちょっと迷う。
「これは、血なのかもねえ」
母さんは苦笑していたけど、全然そんなことはないと思う。僕が女の子にぽーっとなるのは経験が少ないせいだ。
だいたい村には僕と同じ年ごろの子供がいなかった。周りはみんな大人ばかりで、僕の次に若かったのが母さん、という時点でお察しだ。行商人の娘さんやお嫁さんにしても僕は何を話していいかもわからず、ろくに話もできず遠くから見ているばかりだった。
そう、僕に足りないのは経験なのだ。
旅に出れば自然と女の子と話す機会も増えるだろう。そうしたらぽーっとなる回数も少なくなるはずだ。
だから、そう、経験を積むためにももっと女の子のことを知らないとね……。
うん、かわいいなあ……。
「何を見ているの?」
急に声がした。気が付くと一人の女の子が目の前に立っていた。歳の頃は僕と同じくらいだろう。背丈は僕より頭半分小さい。背中まで伸びた栗色の髪に、水晶玉みたいなとび色の丸い瞳。裾の汚れを払い落とすと子犬みたいに小首を傾げ、僕の顔をのぞき込む。黒地の服に白いフリルのついた裾の長いワンピースを着ている。エプロンドレスってやつだ。
「えーと、もしかして僕に話しかけている?」
「あなたが私にしか見えない幽霊でなければね。もしそうなら今のうちに言ってくれる? 教会に行って神のご加護にすがることにするから」
面白い子だなあ。
「それより、質問に答えなさい。何を見ていたの?」
「何って……特に何も」
「ウソよ。なんだか夢見心地って感じだったわ。ただ通行人を見ているくらいじゃあ、ああはならないわ」
僕の方が教会に行ってザンゲしたくなってきた。けど、まさか本当のことは言えない。僕にだってプライドというものがある。
「僕はずっと山奥の村に住んでてね。こんな大きな町に来たのは生まれて初めてなんだ。だからその、色々初めてづくしなんだよ」
「ああ、田舎者なのね」
言いにくいことをずばっと言ってくれる。
「けど、確かに大きな町ね、ここ。私もびっくりしたわ」
「なんだ君も初めてなんじゃないか」
「おあいにく様。私はあなたと違って田舎者じゃないの。この程度でおどろいてなんかいられないわ。ワイアットはここの何倍も大きいって話だもの」
「へえ、君は王都に行くんだ」
ワイアットはこの国の都で、王様とそのご家族が住んでいる。僕も一度行ってみたいと思っている。会うつもりはないけれど。
「何か用事でもあるのかい」
そういうと彼女はちょっと照れくさそうにして、自分の前髪をいじり始める。
「ちょっとね……近い将来、引っ越しするかも知れないのよ」
引っ越しかあ。確かに大きな町ならにぎやかで楽しいだろう。
「そういえばまだ名乗ってなかったね。僕はリオ。旅の者だよ。君は?」
「私は……ミル。ミルよ。あのお城で働いているの」
と彼女が指差したのは、僕がさっき門前で赤っ恥をかいたお城だ。
なるほど、伯爵のところで働いているのか。お給金は良さそうだけど、あの伯爵はきびしそうだからけっこう大変かも。
「あら、いけない。もう行かないと」
ミルがしまったとばかりに声を上げる。きっとおつかいでも頼まれていたのを思い出したんだろう。ドジだなあ。
「それじゃあ、私はもう行くわね。気を付けてね、リオ。ぼんやりしていると、蹴っ飛ばされるわよ」
「大丈夫だよ、きちんと前を見て歩くから」
「私 が蹴っ飛ばすと言っているのよ」
ミルがにやりと意地の悪そうな笑みを浮かべる。
「道行く女の子たちをじろじろ見るのは失礼なことだって知りなさい、田舎者さん」
そう言い残してミルはスカートをつかむと、雑踏の中へと消えて行った。
僕はしばらく呆然とその場に立ち尽くし、言葉の意味を理解したところでしゃがみこんで血の気が上った顔を両手でおおった。
……穴があったら入りたかった。
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