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迷宮と竜の牙 その8

 しばらくして、僕は商会の中に通された。革張りのイスに座って待つように言われたので、言われた通りに待っている。

 イスは同じ形のものが木製のテーブルを挟んで向かい合っている。テーブルには漆が塗っていて随分高そうだ。


 どうやら応接間らしい。壁には寝ころんだ魚とか、ヒゲの絡みあったドワーフとか、裸になって天を仰いでいるおじいさんとか、おかしな絵が何枚も飾ってある。なるほど、芸術が趣味なのかな。僕にはさっぱりだけど。


 花なのかオークなのか区別のつかない絵をぼんやり見ていたところで扉が開いてヘイルウッドが入ってきた。ちょっと顔色が悪いけど、眠そうな雰囲気はない。まだ起きていたんだ。

「夜分遅くに失礼いたします」

 僕は立ち上がり一礼する。


「君は、確かカレンと一緒にいた子ですね。それで、ブラックドラゴンの牙を持っているというのは本当なのですか」

 ヘイルウッドがうなずいて僕の向かいのイスに座る。


「ええ、その節はどうも」それを見て僕も座り直す。「ですが一つだけ訂正を。僕はもう十五歳なのでオトナです。ですから子ではなく、男、とか人というのが正しい表現です」

「そうですか、気を付けましょう」

 ヘイルウッドはさらりと言った。小バカにされている気がするのは気のせいかな。


 まあ、この件はまたいつか折を見て話し合うことにして、今はイアンの件だ。

「あなたがカレンとお約束したとおり、ブラックドラゴンの牙を持ってきました」

 僕はカバンの『裏地』からブラックドラゴンの牙を取り出し、テーブルの上に置く。

「さあ、イアンを返してください」


 ヘイルウッドは、返事をしなかった。ぽかんと目の前の僕を見ている。

「まさか……『魔法カバン』ですか……? しかもこの大きさのものまで……?」

 ヘイルウッドが興奮した面持ちで身を乗り出してきた。

「君、それを譲ってくれませんか? 金なら金貨百枚……いや、二百枚出しましょう」

 いきなり何を言い出すんだ、この人は。


「あげませんよ。これは売り物じゃありません。母さんからもらった大切なカバンです。そんなに欲しいのならご自分で買えばいいじゃないですか」

「お金の問題ではないのですよ。『魔法カバン』は古代の魔法で作られています。作れる人はほんのごくわずか。それも数ヶ月に一つです。入る大きさもたかが知れています。大量に入るカバンは古代から現存しているものだけです。それなのに……」


 ヘイルウッドが物欲しそうに見て来るので、僕はカバンをぎゅっと抱きしめた。

 これは母さんが僕のために作ってくれたものだ。金貨千枚積まれたってあげるものか。

 でも、ヘイルウッドの言葉を信じるなら、魔法カバンを作れる人はほとんどいないという。でも母さんは僕に魔法のカバンを作ってくれた。正確な時間は覚えていないけれど、多分、一か月もかかってなかったと思う。


 まあ、母さんだからな。魔法のカバンくらい作れたって不思議じゃあない。

「それより、さっさと牙を調べるなんなりして、本物だって確認してください」

 いくら僕が口で本物だと言っても信じないだろう。なら、さっさと鑑定というものでもして、本物だと納得してほしい。何より、カバンをじろじろ見られるのは落ち着かない。


 ヘイルウッドはまだカバンに未練があるようだけど、咳払いをしてから鈴を鳴らした。程なくして皮製の鞄を抱えた男の人がやってきた。お抱えの鑑定士らしい。鞄から柔らかそうな布や金コテやノミを取り出すと、牙を調べる。なでたり触ったりコンコン叩いたり片眼鏡で覗いたり色々いじくった後、「間違いなく本物です」と言った。


「さあ、もういいでしょう。イアンを返してくれますか」

 何をどうしたところで本物に間違いないんだから。これ以上は時間のムダだ。

 ヘイルウッドもようやく納得したらしい。わかりました、とうなずいた。

「なら明日もう一度来てください。イアンを引き渡しましょう」


「もうすぐ明日(・・)ですよ。僕は今返してほしいんです。モノはここにあるんですから」

 ぽんぽん、とブラックドラゴンの牙を叩く。これ以上の引き伸ばしはゴメンだ。

「君も知っているでしょう。彼はここにはいません」


「ええ、知っていますよ。ツボだが花瓶だかをうっかり割ってしまったために、冷たくて暗くて汚くてじめじめした牢屋の中でさびしくてひもじい思いをしているんです。あなたに人間の良心というものがおありなら早く自由にしてあげるべきではないでしょうかね」

「そんな状態の彼と妹さんを引き合わせようというのですか」

「それは僕が何とかしますよ。あなたはイアンを連れてきてくださればいいんです」


 宿によればお風呂はムリでもお湯ぐらいは出せるだろう。それで体を拭いてあげればいい。

「ですが向こうにも都合というものが」

「僕の知ったことじゃありません」

 だったら最初から牢屋なんかに入れなければいいんだ。


「もし、いやだと言ったら」

「どうもしませんよ」僕は首をすくめた。「今から、その何とかって奴隷商人のところに行ってイアンを返してもらうだけです。ああ、場所は知っていますからお気遣いなく。ちょいともめるかもしれませんが、僕はこういってやりますよ。『文句があるならヘイルウッドさんに言ってください』ってね」


 ヘイルウッドが何か言いかけたが、僕の本気に気づいたのか、かみつぶすように言葉を飲み込む。しんと、部屋の中から音が消える。急に静かにならなくってもいいじゃないか。気まずい沈黙の中、僕とヘイルウッドのにらみ合いが続く。へん、怒った目でにらんだってダメなものはダメさ。僕は一歩だって引く気はない。

「なら、僕はこれで……」


「わかりました、連れてきましょう」

 ヘイルウッドが根負けしたようにうなだれた。

 最初からそう言えばいいんだ。

「まったく、こんなことになるとは……とんだ厄介事を抱え込んだものだ」

 自業自得だよ。落ち込むくらいなら最初からイアンを奴隷にする、なんて言わなければいいんだ。

「今馬車を用意します。あなたは……」


「もちろん、付いていきますよ。あんなに大きな馬車なんだから僕の席くらいありますよね。ないのなら屋根の上でだって構いませんから」

 それがムリなら走ってだってついていくつもりだ。


 これでイアンを取り戻せる、と考えていた僕が甘かった。

 ヘイルウッドもいるし、すぐにイアンを出してくれると思っていたのに、奴隷商人の店に到着すると出てきたお店の人はものすごくいやそうな顔でこんな夜更けに、とか明日にしてくれ、とか常識というものが、とかぶちぶち文句を言い始めた。


「昼も夜もありませんよ。とにかく、イアンを返してください。さあ、あなたからも言ってくださいよ」

 ヘイルウッドにもそう言ったのだけど、困ったような顔をするだけでどうも乗り気ではないようだ。

「もういいです。自分で探して連れて帰りますから。さあ、中に入れてください」


「いや、そんなわけには」とお店の人はとおせんぼをする。

「僕は正当な権利というものを主張しているだけです。あなたたちはここにいるヘイルウッドさんに頼まれてイアンを牢屋に閉じ込めているんでしょう。そのヘイルウッドさんが出してほしい、と言っているのですから、今すぐ出すべきではありませんか? 借金とやらがなくなったからには、これ以上、イアンを閉じ込めておくのはおかしいことです。これは明らかに無法というものです」

「いい加減にしないと衛兵を呼ぶぞ!」


「そして僕を牢屋に閉じ込める、という訳ですね。ちょうどいい、でしたら案内してもらいましょうか。衛兵を呼ぶまでもありません。僕から入ってあげましょう。ああ、どこの牢屋に入るかは自分で決めますのでご安心を」


 お店の人は呆気にとられた顔をした。

「そういうわけですので、では失礼しますね。ごめん下さい」

「ちょ、ちょっと待て!」

「なら早くイアンを連れてきてください」


 店の前で食い下がっていると、奥から大柄なヒゲだらけの大男が出てきた。とても怒っているようだ。手には鞘に入ったままの剣を持っている。

「えーと、君がイアンなのかな?」

 あんまりカレンには似てないなあ。歳も十歳以上は離れているようだし。


「テメエか、こんな夜更けにごねている奴は」

 どうやら人違いのようだ。

「ごねてなんていません。えーと、そこの人。僕はイアンを連れてきてほしいと言ったんです。カレンのお兄さんの。この方ではありません」


 いつの間にかお店の人は大男の後ろに隠れていた。僕が呼びかけると、ひょいとウサギみたいに首をすくめると大男の背中に引っ込んでしまった。

「用事なら明日にしろ。テメエ、いい加減にしねえと……」と、柄に手を掛ける。

 どうやら僕を追い出そうとしているらしい。ここで引くわけにはいかないのでおとなしくしてもらうことにした。


 手を伸ばし、大男のむきだしの首筋に軽く手刀を当てる。がくん、と体を震わせて大男はその場に膝をついて倒れた。

 ヘイルウッドも店の人も目を丸くしている。僕が魔法か武術の奥義でも使ったと思っているのだろう。


 僕にとっては造作もないことだ。おにごっこの方の『贈り物(トリビュート)』を使えば簡単に気絶させることができる。

 まあ、しょせんウソだからしばらくすれば元に戻るだろう。

 これで通してもらえると思っていたのにお店の人は奥へ逃げるように走っていった。入れ違いに剣や手槍を持った人たちが出てきた。


 ひい、ふう……十二人か。みんな人相の悪い顔をしながら僕を取り囲む。

 ヘイルウッドは男たちが出て来ると馬車の陰に隠れてしまった。みんなかくれんぼが好きだなあ。僕も混ぜてくれないかな。

「えーと、どなたがイアンさん?」


 返事の代わりに背後にいた男が僕に掴みかかってきた。ひょいとしゃがんでかわすと、勢い余った男は店の壁にぶつかった。顔を押さえて苦しがっているようなので、おにごっこの『贈り物(トリビュート)』で気絶させた。目を回した仲間を見て、やられたと思ったらしい。みんな殺気立って僕に向かってきた。

 とりあえず、みんなにはのびてもらうことにした。


 道に寝転がっていると通行のジャマなので、全員店の壁沿いに座らせておく。カゼを引かなきゃいいけど。

 誰も出てこなくなったなあ、と思っていたら今度は丸坊主の大男が、のそっと店の扉をきゅうくつそうにくぐってきた。さっきのヒゲの大男より背丈も肉の厚みも一回り大きい。四十歳くらいかなあ。胸や頬には刺し傷や切り傷らしき傷跡が見えた。首筋には大きな首輪を付けている。

 うん、イアンじゃないな。


 殴りかかって来たので、彼にもおとなしくしてもらった。

 ぐったりした巨体をずるずると引きずって壁のところに座らせておく。

 扉の側ではお店の人がへたりこんでいる。


「そんな……グロリアスが……あいつはウチで最強の戦闘奴隷だぞ……!?」

「グロリアスじゃありません。僕はイアンを連れてきてくださいと言っているんです。聞いてなかったんですか?」

 耳が遠いのかな。


「もういいよ、自分で探すから」

 いらいらしてきたので直接乗り込もうとしたら店の奥から白い寝間着姿のおじいさんが出てきた。背丈なんて僕の胸くらいしかない。残り少ない髪の毛は真っ白、色黒でしわだらけだけど眼だけは細く鋭く、まるでカエルみたいに僕を見ている。

「これは、お戻りでしたか! デイヴィス様」


 ヘイルウッドが駆け寄って何やら必死な様子で話し始めた。言い訳しているみたいだ。

 どうやらこのディヴィスとかいうおじいさんがここの主人のようだ。

「さっきから騒いでいるのはお前さんか」

「夜分遅くに失礼します。イアンを引き取りに来ました」


 ディヴィスというおじいさんは僕と壁にもたれかかっている人たちを見比べて、ふむと唸った。

「ペルハム、彼の言うとおりにしてあげなさい」

 おじいさんが命令すると、さっきまでへたりこんでいた店の人がすがりつくようにおじいさんの前に駆け寄る。

「し、しかし」


「私は明日も早い。これ以上、私の睡眠をジャマする気かね」

 じろりとおじいさんがにらむと、ペルハムと言われた店の人はあわてて奥へ駆け込んだ。

「すまないね、店の者が粗相をしたようだ」

「いえ、こちらこそお休みのところ申し訳ありませんでした。おじいさんは話が早くて助かります」

「ヘイルウッド、こちらの方はどこのどなたかな」


「えーと……」

 ヘイルウッドが言葉を詰まらせる。僕のことを聞かれて返事に困っている風だった。まあ、今日で出会って二回目だからね。説明できなくってもムリはない。しばらくすると、足をふらつかせた若者が出てきた。目や髪の色も顔立ちもカレンに似ている。事情がわからずちょっと呆然としているみたいだ。


「あなたがイアンですね」

「そうだが、君は……?」

 どうやら本物らしい。よかった。グロリアスだのペルハムだの、別人ばかりでいい加減うんざりしていたんだ。


「僕はリオ、旅の者です。えーと、カレンの代理であなたを引き取りに来ました、さあ帰りましょう」

 こんなところに長居は無用だ。早くカレンを安心させてあげたい。

「どうもお騒がせしました、ああ、帰りは歩いて帰りますので馬車は無用です。それでは、さようなら」


 ヘイルウッドにそれだけ言って、イアンの手を取り、その場を立ち去ろうとするとディヴィスさんから声を掛けられた。

「お前さんは冒険者か?」

「ええ、そうですよ」

 なりたてのホヤホヤだけどね。


「若いのにかなりの使い手のようじゃの。どうじゃ、ウチの奴隷でも買わないかね。安くしておくぞ」

「いえ、結構です」

 奴隷なんて欲しいとは思わない。自分のことは自分で出来る。

「戦いの役にも立つぞ」

「とてもそうは思えません」

 そこのグロリアスとかいう弱っちいのが一番って時点でたかが知れている。


「かわいい子やキレイな娘もたくさんいるぞ」

「いりません」

 僕が欲しいのはお嫁さんであって召使いじゃない。たとえかわいい子だとしても、その子が僕に優しくしてくれるのは僕が主人だからであって、僕を好きだからじゃあない。何でも言うことを聞く女の子なんて側に置いても空しいだけだ。


「そうか、まあ、気が変わったらいつでも来なさい」

 何者かは知らないけれど、このディヴィスとかいうおじいさんはどうも油断ならない。顔では鷹揚そうにしているけど、目が笑ってない。


 なんだかひとくせもふたくせもありそうだ。ヘイルウッドを見ると、ひどく申し訳なさそうにしている。おじいさんには頭が上がらないのかな。


 こういう人には関わらない方がいい、と僕の勘がそう告げている。

 僕はお礼だけ言って、イアンを連れて今度こそその場を立ち去った。



お読みいただきありがとうございました。

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