迷宮と竜の牙 その3
2016/07/08 ※橋を作り出した時期を三年前から二年前に修正しました。
あれこれ考えていたせいか、もうカレンの姿はなかった。目の前には大勢の道行く人たち。初めてきた町でやみくもにうろつき回ってもカレンを見つけられるとは思えない。それこそ鳥みたいに上から見ないとムリだろう。だから僕は鳥になることにした。
狭い路地に入ると両側の壁に飛びつき、手足を突っ張りながら上へ登る。誰かさんが「山猿みたい」と言っていた身の軽さで屋根の上に出ると、少しだけ近付いた青空が頭上に広がる。
屋根に座り、下をのぞき込む。こうして見ると、にぎやかな町だなあ。バートウイッスルと比べると建物は小さいし、質素な格好をした人ばかりだけれど、道行く人は活気というものがある。冒険者が多いせいかもしれないな。
さて、カレンはどこかな? 僕は目がいいのが自慢なんだ。多分、村でも三番目くらい。特技にそう書いておけばよかったかな。
いた。
ここから二つほど外れた南の通りにある橋の上だ。石の手すりに槍を立て掛け、自分も手すりにもたれながら水面を見ている。
僕は屋根づたいに橋の近くまで行くことにした。
下の道は狭いし、人がいっぱいだからこっちの方が早い。
途中、下から僕を指さす人がちらほらいたので手を振っておいた。
橋のたもとに来た。灰色の石橋はつるつるしていて、手すりもぴかぴかしていて、ヒビも見当たらない。汚れも少ないし、出来たばかりのようだ。橋の長さは十五フート(約二十四メートル)くらいだろう。幅も七、八人くらいは並んで通れそうだ。
カレンはまだ川を見ていた。黒々とぬれた瞳に白いさざなみが映っている。泣いてはいないけど、落ち込んでいるらしく表情は暗い。
飛び込まないよね?
気になって僕も川面を覗いてみたら思っていたより浅かった。僕の膝くらいまでしかない。これじゃあ身投げはできないな。
黙って見ていてもらちが明かないので、とりあえず話しかけようとして僕は肝心なことに気付いた。
なんて話しかければいいんだろう?
カレンは僕のことを知らないんだから、いきなり話しかけたらびっくりするだろう。もしかしたら怪しい男だとこわがってしまうかもしれない。嫌われるのはイヤだなあ。
僕が悩んでいると、カレンは顔を上げ、手すりから立ち去ろうとしていた。
思わず手を伸ばしかけたその時、目つきの悪い男が背を丸めながら僕を追い抜いていった。男はそのまま何食わぬ顔でカレンの横を通り過ぎる。そう思った途端、さっと手を伸ばし、カレンの腰に付いていた、小さな麻袋をひったくった。
すりだ。
カレンの顔から血の気が引く。泳ぐように腕を伸ばすが、すりを捕まえられず空を切る。そこでカレンの顔に迷いが浮かぶ。槍を使うか、そのまま追いかけるか、考えてしまったのだろう。その迷いがあだになった。
すりはすでに橋の向こう側にいた。一瞬振り返り、小ばかにするような笑みを浮かべると、人ごみにまぎれる。あっという間に見えなくなってしまった。
カレンはその場にひざをついて座り込んでしまった。途方に暮れたような顔をしている。
僕はカレンに近付き、小さくふるえる肩をぽんとたたく。
「任せて」
そう言うと僕は手すりの上に乗り、道行く人をよけて一気に橋を渡りきる。
すりの姿はない。時分時らしく、そこらじゅうの店やお家から魚の焦げるにおいや、肉を焼く音がしている。道にはお昼ご飯を食べたい人があふれている。これじゃあ『贈り物』も使えない。こんな人通りの多いところを歩いた日には、僕に気付かない人たちと何回もぶつかって、まともに歩くことも出来ないだろう。普通に歩いたほうが早いくらいだ。
仕方ない、また鳥になることにしようかな。
橋のたもとにある『緑のうさぎ亭』という銅の看板が下がっているのが見えた。僕は飛び上がると看板にしがみつき、よじ登って道を見下ろす。
すりは五軒ほど先を歩いている。逃げ延びたと安心しているのだろう。悠々とした足取りでほかの人に混じって歩いている。普通なら走ればすぐに追いつけるけど、この人ごみではちょいと難しい。声を掛ければ逃げられてしまう。けれど、あいつが知らないことがある。
『贈り物』なんか使わなくたって、僕はおにごっこの名人だということだ。
看板の上によじ登るとそこに足を掛け、せーので飛び上がる。屋根に指を掛け、ひょいと飛び乗るとさっきみたいに上からすりを追いかける。
さっき登ったところはレンガ作りだったけれど、この辺りは三角屋根で角度が付いている。その上、木製のため足元がたよりない。一歩一歩慎重に歩みを進める。屋根を踏み抜かないよう、気を付けないと。
すぐに屋根の上からすりを追い抜いた。すりは道の端っこ、僕の下を歩いているから飛び降りれば追いつける。けれど、すりの周りにはまだ人が歩いている。さっきよりぎゅうぎゅうではないけれど、このまま飛び降りれば、関係ない人にケガをさせてしまう。
なので僕は大きく息を吸い込んだ。
「あぶないぞ! 伏せろ!」
僕は大声を出した。道行く人たちの足が止まる。みんなびっくりしたのか何事かという顔できょろきょろしている。うまい具合にすりの前の方が開けて、隙間ができた。
僕はそこを目がけて飛び降りた。くるりと一回転して勢いを弱めてから着地する。足の裏がちょっとしびれたけれど、がまんして立ち上がる。
すりはのけぞったまま石像みたいに固まっている。
よし、ドンピシャだ。
「さあ、さっきあなたが橋の上で盗んだものを返してくれませんか?」
僕が手を伸ばしたのを見て、すりがぱっと胸に手を当てる。
「な、何を証拠に……」
「その胸の麻袋を返してくれれば僕はそれで充分です。出してください」
すりは返事の代わりに背を向ける。逃げ出そうとしているのは気配で分かっていたので、僕は右手袋を外しながら前に回り込み、すりの首筋に手を当てる。すりは一瞬、体をふるわせると白目をむいてその場に倒れた。
僕は気を失ったすりの懐に手を入れ、小さな麻袋を取り返す。間違いない、さっき橋の上で見かけたのと同じだ。
いつの間にか道行く人たちが僕とすりを囲んで興味と不安のまじった目で僕たちを見ている。
「やあ、お騒がせしました。この男はすりです。みなさんの財布は大丈夫ですか?」
道行く人たちがみんながきょろきょろし始める。
人ごみをかきわけて、鎧兜を着けた人たちが近づいてきた。衛兵さんだろう。
早く麻袋をカレンに返したいので、僕は道に倒れたままのすりを置いて人ごみに飛び込んだ。
カレンはまだ橋の上にいた。手すりにもたれかかりながらまた川を見ている。
僕はやあ、と声をかけ、麻袋を手渡す。
「はい、これ。中身は無事だと思うけど、一応確認してみて」
カレンは袋の中をのぞき、指を突っ込みながら確認する。重さや音からして中身はお金だろう。盗まれたらとんでもないことになるところだった。
「全部あります、ありがとうございます!」ぱっと花の咲いたような笑顔だ。
「これがなかったら今日の夕飯は『子犬のしっぽ亭』の食べ残しになるところでした」
切実だなあ。
「本当にありがとうございます、えーと……」
「僕はリオ、君と同じ冒険者だよ。といっても登録したのはついさっきだけどね。だから敬語なんていらないから普通にしてて」
そうなの、とカレンは目をみはる。
「登録したばかりですりを捕まえちゃうなんて、あなたすごいわね。もしかして天才?」
「運が良かったのさ」
「それにひきかえ、私は……。こんなものを持っていても全然役に立たない」
槍を抱えながらカレンは目を伏せる。
「気にしない方がいいよ」
人には得手不得手というものがある。すりを追いかける才能がなくっても立派な冒険者というのはいるはずだ。
「えーと、この橋、きれいだね。まだ出来立てなのかな」
落ち込んでいるカレンの気を紛らわせようと、別の話題を振ってみる。
「『冒険者の橋』っていうの」カレンはそっと橋の手すりをなでる。
「昔はね、ここの橋はもっとおんぼろだったの。私が小さい頃は木の橋でね。板も腐ってて、渡ろうとした馬車が途中で橋板を踏み抜いちゃったこともあった。だから、お父さんからもここは危ないから通らないようにって言われてた」
「ここの領主様は直してくれなかったの?」
「何度も訴えたらしいんだけれど、お金がないからって相手にしてくれなかったそうよ。この橋を通る人は貧しい人が多かったから、後回しにされていたの」
ひどい話だなあ。貧しい人は不便な思いをしてもいいってことか。
「でも、二年前に冒険者ギルドのみんなが立ち上がってね。お金を出し合って、橋をもっと丈夫な物に建て直したの。それから、この橋を通る人も増えて、橋の向こう側もにぎやかになっていった」
「へえ、すごいや」
町の人のために橋を立てるなんてなかなかできることじゃない。お金持ちがぽんと大金を出すのではなく、みんなで協力して、というところがまた素晴らしい。僕もそんな冒険者になってみたいなあ。
カレンははっと首を振る。
「ごめんなさい。えーと、それでお礼は?」
別にいいよ、と言いかけて本題を思い出した。
「よければ、その、話を聞かせてくれないかな? ブラックドラゴンの牙と、君のお兄さんについて」
カレンはひきつった顔で槍を取り落とした。
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次回は7月9日午前0時の予定です。