フエルテ故郷に帰る
「ここがあなたの生まれ故郷なのね」
村の広場でアモルは見まわしていた。二日ほど馬車で母親が赤子をあやす様に揺られた後、たどり着いたのである。村は木の塀に正方形で囲まれている。村の中は蟻の巣の如く馬車が行き交っていた。乗り手は人間に亜人と色々である。
この村はフエルテの生まれ故郷である。八年前は狩猟が中心の閉鎖的な村であった。さしずめ縄張り意識の高い、蜂の巣である。
変化はなく、変化を恐れていた。結婚は大抵いとこ同士と決まっており、よそ者との結婚は村八分物である。
そこにフエゴ教団がやってきて彼らの生活を一変させてしまったのだ。当初は反発していた村人たちだが、騎士たちの暴力に屈服され、おとなしくなっている。
狩猟は続けているが、女たちは別に副業をするようになった。腰機を使って織物を作っているのである。作った品物を金に換え、小麦などを買っているのだ。
狩猟を続けているのは、アカシカやアナウサギなど繁殖力の高い獣を抑制するためである。他にも土木建築などの仕事があった。これは各家庭の次男以下の者が担当している。この辺りでは長男以外は使用人扱いされているのだ。
その他にもフエゴ教団は様々な調味料をもたらした。塩などはたまに来る行商人から購入していたが、ジャムにケチャップ、胡椒などはフエゴ教団が持ち込んだのである。さらに缶詰や瓶など、保存のきく食料がもたらされた。そのおかげで食生活は大きく変わったと言える。
そのおかげなのか、子供が夭折しなくなった。それに体格も以前と比べて立派になっている。病気にもかかりにくくなっているのだ。
「そうだな。だが俺は混じり物だ。主に俺は村の外に一人で暮らしていた」
フエルテが答えた。無表情で村を見回している。あまりいい思い出はないだろう。子供の頃は蟻のように体が小さく、村の家が熊のように大きく見えた。まるでビッグヘッドが大口を開けて食らおうとするように見えたのだ。
だがフエルテは変わった。ビッグヘッドなどものともしない青年へ成長したのである。鍛え上げられた筋肉は見るものを圧巻した。抱きかかえるほどの大きさの小熊が、人を抱きかかえる親熊のようであった。
家はレンガ造りがほとんどであった。昔は木造だったのが、えらい変わりようである。石造りの道を踏みしめた。昔ならむき出しの地面だったのに、たった八年で変わってしまったのだ。まるで伝説の妖精の輪から妖精の国に迷い込んだようである。
アモルは答えなかった。フエルテのつらい過去は知っている。父親から聞かされたからである。だが父親はフエルテに同情するなと言い聞かせた。憐れむのではなく、本人が一人でも生きていけるように体を鍛え、知恵を与えたのである。
アモルは村を歩いていた。この村にはフエゴ教団の教会がある。まずはそちらに行き、一晩の宿を借りるためだ。アモルの立場ならすぐに馬車を用意されるだろうが、アモルはフエルテの生まれ故郷を歩いて回りたかったのである。
そこでアモルは軒下に中年や老人たちが寒さをしのぐ猿団子のように座り込み、涙を流している姿を見た。そしてアモルを見る目は激しい憎悪を向けているのである。
「……彼らは変化を忌み嫌う世代なのね」
「仕方ないさ。今までよそ者を阻害し、混じり物を忌み嫌っていたんだ。塩を売る行商人以外はな。それが今では混じり物の子供が自分の孫と来ている。泣きたくもなるさ」
「冷淡なのね。ずっと無視されていじめられてきたのに」
「……教団から教育を受けたからな。だからこそわかる。この村は自分たちの中だけで完結してきた。新しい知識など長老以外はお呼びじゃないのさ。むしろ体を蝕む毒みたいなもんだ。それに彼らの服装を見てみろ。麻で織られた服を着ている。昔は毛皮しか身に着けていなかったのだ。よそ者を嫌うくせに、よそ者が持ち込んだ服を着ている。矛盾しているな」
フエルテは冷静に答え、皮肉った。ちなみにフエルテは両親が死んでからは一人で生きてきた。親から狩りの仕方や、食べられる木の実にキノコを教え込まれていたのである。罠を作ってアナウサギを捕らえ、燻製にして保存する方法も知っていた。村八分として疎外されてきたが、熊のように人の集まるところに興味がなかった。親が熊の亜人だったからかもしれない。
てくてく歩いていくうちに、村の中央に来た。そこには二階建てで、大きなレンガ造りの建物が見えた。それはラタ商店である。
ラタとは独楽鼠の亜人の男である。彼は文字通り若い頃から独楽鼠のように働いており、今ではオルデン大陸に複数の支店を持っていた。普段は本山にある本店におり、ここは支店の一つである。
店の中では大勢の亜人が働いていた。商品の入った木箱を運ぶものに、それを確認するもの。そして村人から毛皮や骨、牙などを買い取りするものなど様々である。
フエルテは覗いてみると、様々な商品が並んでいた。加工食品に薬品、服に布地、その他諸々の道具が売られている。どれも昔は見たことがない品物ばかりであった。もっと教団本山では当たり前に置いてある。
「ううぅ、亜人どもがうろついてるよぉ……」
「忌々しい亜人どもめ。どうして差別されないんだよぉ……」
「差別したら、騎士どもが俺たちをよってたかって袋叩きだ。いやになるよぉ……」
軒下に座る男たちが涙を流しながら愚痴をこぼしていた。さながら世を呪う小鬼であった。どれもフエルテが見覚えのある顔ばかりである。彼らは亜人の混血児であるフエルテを嫌っていたが、亜人自体を忌み嫌っていたのだ。
「なんで亜人は嫌われるのだろうか。本山では普通だったのに」
「それは見た目だけで判断して、亜人の本質を知らないからだと思うな。私は幼少時から教育を受けていたからね。亜人と人間は同じだってことを」
アモルが小鳥のさえずりのように小声でささやくと、突如村人の一人が、猿のように威嚇するような奇声をあげた。そしてフエルテに指を突き刺したのである。
「ああぁ!! お前はフエルテ、フエルテだな!! その顔に母親の面影を感じたぞ!!」
それは頭が禿げ上がった中年であった。他のくたびれた中年オヤジたちもフエルテを見て、表情を変えた。全員怒りでアカゲザルのように赤く染まっている。
「そうだ、フエルテだ。熊と寝て子供を産んだ、汚らわしい女に似ているぞ!!」
「お前のせいで、この村はめちゃくちゃになったんだ!! 俺の息子はよその村の娘と結婚する羽目になったんだぞ!!」
「亜人どもが堂々と村を闊歩し、でか頭が頻繁に姿を現しているんだ!! でか頭の神、エビルヘッドが遣わした悪魔の子供だよ!!」
村人たちは鍬だの鍬だのを手にして、立ち上がった。どれも瞳に怒りの炎を宿している。そして熱い涙のマグマを噴き出しているのだ。
いつの間にか十数人の村人に囲まれている。どれも中年の男性だ。全員自分たちに降り注いだ理不尽な運命を呪っているのである。
フエルテとアモルは困惑した。特にフエルテはマッスルスキルを使うことができない。あれはビッグヘッドや巨大生物が相手ではないと使用できないのだ。そういう風に教育されているのである。
その内、フエルテたちの後ろに村人が三人やってきた。こちらは二十代を超す前の若者である。彼らも泣いていた。手には石を握りしめている。
そして彼らは怒りを込めて、一斉にフエルテに対して石を投げつけたのだ。フエルテは首だけ振り返った。石が目の前に衝突しそうになっているのを目視している。
それらはフエルテに当たらなかった。咄嗟にアモルが石を三個ともつかみ取ったからである。それは石を投げた若者たちも信じられない光景であった。
「まるで燕が飛んでいる虫を咥えるような動きだった」
若者の一人がつぶやいた。
アモルは手にした三個の石をぽいっと捨てた。そして若者たちに口を開く。
「この方は司祭である私の杖です。私の物に傷をつけるということは、私にケンカを売るというものですね。以後気を付けてください」
アモルはやんわりと言った。だが若者たちは表情をこわばっている。
「うるせぇ!! 俺たちはよその村の女と結婚しちまったんだ!! いくら長老の息子が先に掟を破っても、俺たちが一緒に破る義理はない!! フエルテがいたから、この村はおかし……」
若者はその先が言えなかった。アモルににらまれたからだ。まるで蛇ににらまれたカエルのようである。
「以後気を付けてくださいね」
口調は変わらないが、どこか冷たいものを感じる。氷のような視線の槍に突き刺されたような感覚であった。
他の村人たちも、アモルの鬼気迫る雰囲気に飲み込まれ、手にした獲物をだらしなく落としてしまった。
そして遠くから騎士が五人ほどやってきた。騒ぎを聞きつけてきたのだろう。全員赤い全身鎧をまとっている。手にはさすまたを持っていた。その中で兜に白い鶏冠を生やし、真っ白なマントを羽織ったものがいる。おそらく隊長であろう。
「ええいお前たち、何を騒いでおるのだ!!」
隊長と思われる騎士が前に出た。そして村人たちを見回すと、視線をアモルで止める。
「むむぅ! そのローブに描かれている紋章は司祭様ですね。こやつらが司祭様に無礼を働いたとお見受けしますが」
「はい、その通りです。この者たちは私の杖に無礼を働きました。厳しい処罰をお願いします」
アモルは村人たちをちらっと見て、冷淡に隊長に報告する。村人たちは処罰の単語に怯えていた。隊長は敬礼する。
「わかりました。では、こやつらを引っ立てろ!!」
隊長に命じられた騎士四名は村人たちをさすまたで捕らえ始めた。全身鎧を身にまとっているのに、その動きはカブトムシが飛ぶように機敏である。捕縛縄を使用し、蜘蛛の巣の如く網を張り、あっという間に十数名の村人を捕縛したのであった。
彼らは泣き叫びながら、不当だ、陰謀だと、声を張り上げていた。だが誰も彼らを助けるものはいなかった。家の中から妻と子らしいきものが覗いていたが、すぐ目を逸らすのである。その表情は諦めの色が濃く出ていた。騎士たちの恐ろしさを骨身の髄まで染みついているからだ。
「あいつらは牢屋に入れて、テーブルや椅子などを作らせます。逆らっても猛る野良犬のように木の棒で殴ればおとなしくなりますね」
「ああいった方はまだ多いのでしょうか」
「多いですね。まあ八年しか経っていないから仕方がないでしょう。それでもここ最近はおとなしかったのですが、ああも、激高するなんてどうしたのでしょうかね」
隊長は首をかしげている。フエルテとアモルは答えなかった。ラタ商店では従業員が心配そうに覗いている。それと同時にどこか安堵の笑みを浮かべていた。唇で笑っている者もいる。隊長はそれを見て、ははぁと納得したようであった。
「自分は別の村出身の二世代目なのです。子供の頃は両親に疎まれていました。混血児ですからね。祖父母も自分を忌み嫌っていました。跡継ぎによそ者の血が混ざったからです。今の自分は子供が二人おりますが、かわいがっておりますね。妻も二世代目なので、幼少時の苦労を子供に押し付けません。本山ではもう五世代目が大勢いますが、それなりの苦労はあると思います。司祭様もお気をつけて」
隊長は頭を下げると、カルガモの親子のように部下の後を追っていった。
後に残るのはフエルテとアモルだけである。
「……教会に行きましょうか」
「そうだな」