唇の暗殺者
「かなり危ない洞窟だな」
フエルテは松明を掲げながら進んでいた。まるでおとぎ話の世界に迷い込んだ気持ちになる。
人喰い洞窟の中を四人の男女が歩いていた。
フエルテ、アモル、ヘンティル、イノセンテの四名だ。
もう一人ドジョウという中年男性の商人がいるが、彼はイノセンテの背負子で運ばれている。毒蜘蛛に噛まれたため一刻を争うのだ。
松明の光に当てられ壁に大きな影ができる。まるで巨人が横に立って一緒に歩いている気分になった。影の巨人がふいにこちらを振り向き襲い掛かってきそうな気分になる。
フエルテはちらちらと燃える松明を片手に進むが、これは予想以上に骨だと思った。
基本的に一本道なのだが、足場は悪く、岩が棘のように突起しているのだ。さらに川があり、道を踏み外せばあっさり飲み込まれておしまいである。
暗闇が方向感覚を狂わせ、さらに狭く冷たい空間は人の心をカビが侵食するように蝕んでいくのだ。
獲物を咥えこむ咢はそこらかしこに存在し、龍の巣食う川はいつでも飲み込む準備がある。人喰いの洞窟とはよく言ったものだ。
「るんるんる~ん♪ 洞窟なんて初めてです~。普段はわたくしが地面に穴を掘って潜るだけですけど、こんなに広々としたのは初めてです~」
イノセンテが呑気そうである。まるでピクニック気分だ。彼女の声が洞窟に響き渡っている。
時々バサバサと羽ばたく音が聞こえるのは、住民である蝙蝠たちが安息を破られ、苛立っている音かもしれない。
「イノセンテさんは地面に潜れるのですね。すごいです」
アモルが褒めた。本心である。
「ええ。妹は穴を掘るのが大好きですの。よく村の中で穴を掘って道路が陥没するから、お父様に叱られていたわね」
ヘンティルは妹の失敗談を引き出し、笑いを誘った。皆笑顔になる。
だがフエルテは不快とは思わなかった。人の声ほどありがたいものはないのだ。これが無音の世界ならフエルテでも孤独と恐怖で気が触れてしまうだろう。
自分の身さえ見えぬどろどろの闇、そして洞窟から発生される悪魔のラッパのような風の音に水の音。生命を拒む空間は人間をたやすく別の物へと変化させるのは容易なのである。
フエルテたちは数刻歩き続けた。松明の明かりだけが自分たちの居場所を示してくれるのだ。慎重に進んでいく。そして前方に何か白っぽい酒樽のようなものが塞いでいた。
瞳のない眼、豚のような鼻、そして分厚い唇。それは人の顔であった。
「ビッグヘッドだ!!」
フエルテが叫ぶと、松明をアモルに渡した。
赤い炎に照らされているのはビッグヘッドだ。だが唇が分厚いのは初めてである。これも新種だろうか。
ぶるぶるぶるぶるぶる。
ビッグヘッドたちは唇を震わせた。耳障りな音が響く。ビッグヘッドたちは明かりの範囲から飛び去り、四方に散らばった。闇の中からは唇の振動音だけが聞こえてくる。
いったいどういうつもりだろうか。スマイリーとは違う得体のなさがフエルテたちの神経をとがらせた。
イノセンテはドジョウを守るために動いている。ビッグヘッドが無抵抗の人間を襲ってきたら終わりだ。早めに敵をせん滅させなくてはならない。だが闇の中では人間は不自由だ。
すると風が吹きフエルテの頬をなでた。その瞬間そこから熱い血が噴き出る。何者かが彼を攻撃してきたのだ。もちろん相手は唇が厚いビッグヘッドと推測する。
明かりが消えた。アモルが軽く悲鳴を上げる。松明を落としてしまうと、さらに風が吹き、弾き飛ばされてしまう。そして川へ落ちてしまった。みんなの命を奪われてしまったのだ。
周りは完全な闇である。ビッグヘッドの唇の音だけが聴こえていた。
多分トゥース・ガンナーと同じ歯を飛ばしている可能性が高い。少なくとも近くにビッグヘッドの気配は感じていないからだ。
フエルテは耳を澄ませる。洞窟の反響音のせいか位置が特定できない。
心臓の音が太鼓の様にガンガンと鳴り響く。今は自分たちを狙っているだけだが、いつドジョウを狙われるかわかったものではない。
奴らは闇の中でも正確に自分たちを攻撃してきた。こちらは闇に眼が鳴れていないのでわからない。圧倒的に不利な状況である。
「あれを使うか」
フエルテはポーズを取り始める。両腕を頭に組んだ。そして大胸筋を震わせる。
アブドミラルアンドサイである。
「マッスル・カーム!!」
その瞬間、キーンと音が鳴った。何も起こらない。
「ヘンティル! お前の前方にビッグヘッドがいるぞ。何とかしてくれ!!」
フエルテの言葉にヘンティルははっとする。闇の中からビッグヘッドが飛び出したのだ。
ヘンティルはにやりと笑うと、胸を大きく張り、息を吐いた。そして頭を縦に振ったのである。
ビッグヘッドは真っ二つに分かれてしまった。
「さすがお姉さまの水圧術です~」
イノセンテが褒めた。ヘンティルは何もしなかったわけではない。水を吐いただけである。
彼女の武器は水圧カッターを吐き出すことである。水の威力は恐ろしい。水滴だけでも何年も経てば穴を開くことができる。水の力は人の肉すら貫くことができるのだ。
ヘンティルはあらかじめ水を大量に飲む。そしていざという時のために水を吐きだすのだ。その際前歯に微かな穴を開け、そこから水を噴出するのである。
彼女が歯をむき出しにして笑うのはそのためだ。おちょぼ口では勢いよく飛ばない。小さな穴だからこそ水はよく飛ぶのである。
「水が切れると使えないけどね」
ヘンティルは笑った。
一方でフエルテはマッスル・ガストで敵を切り裂いた。
マッスル・カームで相手の居場所を特定し、すぐにマッスル・スキルで倒す。
闇の中でもフエルテは強い。目が不自由になってもマッスル・カームがあればある程度特定はできる。
「唇の暗殺者。リップ・アサシンと名付けるか」
フエルテは襲撃してきたビッグヘッドの名前を付ける。
リップ・アサシンの唇の動きは蝙蝠と同じだ。蝙蝠は超音波を発することでその反響音を聞き取ることができる。リップ・アサシンもそうなのだろう。
暗闇の中でなら彼らの能力は最適だった。ただフエルテの能力を甘く見たのが敗因である。
戦闘は終わった。さて参ろうと思ったところ、異常事態が起きた。
リップ・アサシンたちは全員死にきっていなかった。彼らは洞窟の壁に張り付いたのだ。
そして木へ変貌していく。そして岩壁はめきめきとひび割れていく。そうこうするうちに洞窟が崩れてしまった。
後に残るはフエルテとアモル、ヘンティルの三人だけだった。
「いたた……イノセンテさんは無事でしょうか?」
アモルは尻もちをつく。落盤の衝撃で粉塵が舞っている。げほげほと咳をするが、命に別状はなさそうだ。
「ああん、重いわ。早くどいてちょうだ……」
ヘンティルは地面に倒れている。オンゴ特有の髪型のおかげで頭部の衝撃は食い止められた。
ちかちかした目がはっきりすると、ヘンティルの目の前に何か太いものが見えた。
ヘンティルの上にアモルが乗っている。馬乗りの状態で顔に股間を向けているのだ。アモルの股間が丸見えの状態であった。
そして信じがたいものが見える。それは女性にはありえないものだった。男が持つ鉄砲であった。
アモルは顔を真っ赤する。ヘンティルはつぶやく。
「あなたは腹ではなく股間に一物を持っていたのね……」




