フエルテの旅立ち
「それではフエルテ。前に出ろ!」
オルデン大陸にある山奥で四方は森に囲まれている。その中で開けた場所があり、複数の男女が集まっていた。赤い炎をあしらった紋章を付けたローブを着た中年男性の号令とともに、一人の男が前に出た。
それは肉の塊である。それも磨き上げられた肉の鎧であった。年の頃は十八くらいだが、同年代と比べると頭一つずば抜けていた。
顔つきは精悍であるが、銅像のように表情は硬く、肌は黒い。髪は刈り上げており、革製のヘッドギアを付けている。身に着けているものは股間を隠す黒いパンツのみであり、サンダルを履いていた。
彼らはフエゴ教団に人間である。今日は司祭に仕える杖を選ぶ大切な日であった。ローブの男は試験官である。
フエルテと呼ばれた大男の前に、三体の不気味なものが立っていた。
それはビッグヘッドと呼ばれる怪物である。その中でもスマイリーと呼ばれていた。
酒樽のように大きな頭に緑色の不気味な肌、そして手足がくっついているのだ。それだけでも異形なのだが、さらに彼らの容貌が不気味である。
……笑っているのだ。口を大きく開けて、歯をむき出しに笑う姿は滑稽に見える。だがこいつらは極めて狂暴であり、人間を見つけては足からかみ砕いて食べるという凶悪な存在であった。それも笑いながらである。まるで泣き叫ぶ獲物を見て、楽しんでいるように見えた。
ビッグヘッドは臆病な生き物である。普段山奥に住んでおり、人里まで降りてこない。さらに人間を見れば怯えて逃げ出すのが普通だった。不気味な容貌だが熊のような繊細さを持っていた。
だがこの近年、ビッグヘッドが人を襲い始めたのである。人間を食らい、家畜を食らい、さらに家や農機具などを食らいつくす貪欲の怪物であった。
フエゴ教団は騎士団を派遣し、ビッグヘッド狩りを続けていた。ビッグヘッドは北にある猛毒の山に巣があると言われているが、そこまで行くことはない。教団が許可しないのだ。せいぜい司祭が単独で赴くくらいである。
さてフエルテはスマイリーたちの前に立った。スマイリーは笑っているが、感情があるとは思えない。その視線は定まっておらず、人間の頭部を持っても知性があるとは思えなかった。
スマイリーはフエルテの存在に気づいたのか、いきなり走り出した。その足は鹿のように早い。逃げる獲物を追いかけ、足を捕まえ、そこからばりばりと食べていくのだ。
フエルテは微妙だにしなかった。両腕を上げ、力こぶを作る。そして上腕二頭筋をピクピクと震わせた。
フロント・ダブル・バイセップス。前面をアピールするポーズだ。
「マッスル・ガスト!!」
その瞬間、前方のスマイリーが歪んで見えた。そして空気を切り裂くような音が響いたと思ったら、スマイリーの体が真っ二つに裂けた。まるで裂きイカのように綺麗に裂かれたのである。
フエルテはただポージングを取ったように見えるが実際は違う。彼は筋肉を動かすことにより、衝撃波を生み出す能力があるのだ。スマイリーが歪んで見えたのは衝撃波を生み出す際に生まれる陽炎であった。
先ほどのポーズは前方の敵を切り裂くために取ったのである。
これをフエルテはマッスルスキルと名付けている。
無論普通の人間にはできないことだが、彼はフエゴ教団で特殊な訓練を行っていたのである。その訓練の秘密はまだ明かせない。
赤い血を垂らしながら地面に倒れるスマイリー。手足をばたばたさせたあとぐったりとなった。そして下の部分に異変が起きる。
木の芽が生えたのだ。舌は天高く上がり、そこから木の枝が出てきた。そして数秒もたたずに二本の木に変貌したのである。
その間も残りのスマイリーはフエルテの両脇を挟むように突進してきた。本能である。目の前にいる人間はただ者ではないと本能で理解したのだ。
フエルテは慌てず騒がず、次のポーズを決める。
フエルテはスマイリーに背を向けた。そして体をやや後ろにそらしながら、両腕を上げ力こぶを作る。
「マッスル・タイフーン!!」
その瞬間、再び視界が歪み、つんざく音と共に、フエルテを挟もうとしたスマイリー二体は上顎と下顎がべりっと引き裂かれた。
バック・ダブル・バイセップス。広背筋と足を見せるポーズだ。こちらは先ほどの前面と違い、広範囲の敵を切り裂く技である。
残りのスマイリーも木に変化した。
「お見事! 合格だ!!」
試験官は拍手をした。それに釣られて他の男女も拍手をする。フエルテは無表情であった。その中にフエルテに近づく一つの影がある。
それは美しい顔立ちをしていた。化粧っ気はないが、美人といえる。黒い髪を後ろにまとめており、白くすべすべした肌をしている。試験官と同じ赤いローブを着ているが、肩当てに金の首飾りを付けており、役職が違うことを明らかにしていた。
「おめでとうフエルテ。ようやく教団の杖になりましたね」
アモルはハスキーな声でフエルテを称えた。
「……これはアモル司祭。お褒めの言葉、ありがとうございます」
フエルテは仏頂面に答える。アモルは少し顔を曇らせていた。それを周りにいる男女がひそひそと話をしている。
「フエルテが合格したわね。まあ合格して当然でしょうけど」
「そりゃあ、アモル様のお父上である大司祭シンセロ様が直々に鍛えたのですもの」
「ああアモル様とフエルテ。美女と野獣。なんてロマンチックなのかしら」
女たちの姦しい話を無視し、フエルテは試験管の前に立つ。
「フエルテよ。お前は教団の杖として今日まで厳しい訓練を受けてきた。だがこれで終わりではない。むしろ始まりなのだ。お前は司祭様に選ばれ、生涯を支える運命にある。お前の人生はフエゴ教団と一体化するのだ!!」
試験官は銅鑼のような大声を上げる。だが後ろの女たちはひそひそ話をやめない。
「何が司祭様に選ばれる、よ。もうアモル様が選ぶに決まっているじゃない」
「でもこういうのは形式があるからね。わかっちゃいるけどやめられないのよ」
「ほんと、試験官は面倒だわ」
それを聞いた試験官は顔を真っ赤にして怒鳴った。
「そこ!! 無駄話はよろしい!! さあフエゴ神に認められた司祭様、この者を選びたまえ!!」
「はい」
そこでアモルが手を上げた。実のところ、司祭はアモルだけである。まさに形式であった。
「よろしい。司祭アモルよ。そなたはこの男フエルテという杖に支えられて生きていくのだ。他の杖を選ぶことはできない。よろしいか?」
「はい」
即答であった。その眼には迷いがない。
「よろしい。今日ここで司祭アモルはフエルテを杖とすることを認める。フエゴ神様の祝福があらんことを!!」
*
「はい。召し上がれ♪」
木漏れ日が差し込む部屋の中で、テーブルに着く二人がいた。アモルとフエルテだ。アモルは白いローブを身に着けている。普段着だろう。一方でフエルテは裸であった。正確には黒いパンツ一丁である。ヘッドギアだけは外してあった。
実はフエルテは服を着る必要がない。教団が開発した耐温油を塗っているのである。これを毎日全身に塗ると、夏の猛暑や、冬将軍の突き刺す寒さも平気になるのだ。
テーブルの上にはライ麦パンに甘イモのスープ、焼いた牛もも赤身肉にたっぷりの野菜サラダが載っていた。フエゴ教団に食べ物の禁忌はない。ただ生食だけは禁じられているだけである。
「司祭のお前が作ったのか?」
フエルテはそう言いながらも赤身肉を口にした。ちなみにここはアモルの家だ。正確にはアモルの父親であるシンセロの屋敷である。シンセロは一年前に亡くなったのでアモルが跡を継いだのだ。ちなみに使用人はおり、料理人もいる。
「いいの。フエルテの食事は私が作りたかったんだから」
アモルはにっこり笑いながら言った。フエルテも口癖のようなもので、言っても無駄だと思ったのか、食事に熱中した。
「まあ、いいがな。俺はお前やアミスターを守ることを誓ったんだ。死んだシンセロ様の約束だからな」
「……お父様の約束だから、この家にいるの?」
ふいにアモルが拗ねた。フエルテはそれを無視してスープをかきこむ。アモルの沈む表情を見て、フエルテはやれやれと首を振った。
ちなみにアミスターはアモルの弟だ。アモルを嫌っており、ここにはおらず部屋に引きこもっている。
フエルテを兄として慕っている少年だ。
「混じり物と呼ばれて、村八分にされた俺を救ってくれたんだ。大恩あるシンセロ様に報いるためにも、俺はお前を守る」
「……うん」
アモルはそれ以上口にしなかった。父親からフエルテに対していろいろ言われたからである。
フエルテは村八分だった。よそ者、それも熊の亜人との間にできた子供だからだ。フエゴ教団本山では全く意味がない。混じり物は当たり前であり、問題にならないからだ。
だがそれは本山の中だけのこと。フエゴ教団は近隣の村に自分たちの教えを広めた。その中で同じ村人同士の結婚を禁止にしたのである。これは近親結婚を防ぐためであった。だが長い間近親結婚を続けてきた村人にとって、よそ者の血を混ぜることに激しい抵抗がある。その時は騎士団による力づくでの説得があった。そのために命を落としたものも多く、フエゴ教団を憎んでいるものは多い。
その一方で教団と村々と対等合併を続けてきた。村の代表の家族が住んでいる。これは博愛主義ではなく、合理主義によるもので教団自体も近親結婚を危惧していたからだ。その理由はまだ明かせない。
フエルテが来たときは八年前である。当時のフエルテは熊の子と間違われてもおかしくなかった。それほど獣に近かったのだ。
父親のシンセロはまずフエルテに仕事を与えた。水汲みや掃除などの仕事を教えたのである。そして文字の読み書きを教えたのだ。そして毎日風呂に入れ、清潔にしていたのである。
アモルは父親に質問をした。どうして彼を働かせるのかと。すると父親はこう答えた。
「あの子は今まで村人に無視され続けたのだ。その上混じり物と呼ばれ、いたぶられてきた。そんな彼に優しさはむしろ毒なのだ。まずは自分がこの世に必要とされる人間だと認識させないといけない。文字の読み書きを教えるのも、その一環なのだ。そうして私たちにとって役立つ人間に育てるのです。自分の存在意義を確認させるためなのだ」
こうしてフエルテは一八歳になった。アモルも同じく一八歳である。アモルは司祭だが実力で地位を手にしたのだ。親の七光りでは決してない。だが世の中には嫉妬する人間もいるので気を付けている。
「それにしても羨ましいな。私もフエルテみたいな体になりたかった。
ううん、アミスターのようにゴリラのようになりたかったな」
アモルがフエルテを見て、ため息をつく。
弟をゴリラ呼ばわりするとはどういう了見だろうか。その答えはすぐにわかる。
「こればかりは体質だからな。仕方がない」
「だって私とフエルテは毎日同じ食事メニューだったのよ。それに身体だって鍛えたのに」
「鍛えた分、余分な脂肪が消費されたのだろうな。俺みたいに目立たなくても、それなりの筋肉はついているだろう」
「そうだけど、私はお母様のような人になりたかった」
「お母様……。あの人はゴリラの亜人だった」
そう言ってフエルテは部屋を見まわした。壁には家族が描かれた肖像画が飾られている。そこには屋敷の主であるシンセロと白い羽衣を身に着けたゴリラが描かれていた。さらにゴリラの手には玉のように愛らしい赤ん坊が掌に乗っている。
「フエルサ様には大変世話になった。あの人が亡くなったなんて今でも信じられない」
「ええ。お父様が一年前に病死して、ひと月も経たないうちに亡くなってしまった。二人は愛し合っていたのよ。片方だけでは生きていけなかったのだわ」
アモルはハンカチを取り出し、涙を拭く。ちなみにアミスターは母親似でゴリラの亜人だった。
「口傘のない奴は美形と野獣だと言っていたが、俺にとってはお似合いの二人だった」
「ええ。よくフエルテは高い高いしてもらったよね」
「ああ、勢いがありすぎて天井を突き破ったがな。」
「それでも頭が痛いだけで済んだから、フエルテはすごいね」
「そういうお前も二階の部屋で両足を掴んでぐるぐる回された後、ぽいっと投げ飛ばされただろう。窓を突き破り、庭の木に突っ込んだじゃないか。その後、けらけら笑ってもう一回とねだっただろう?」
「そうそう。あれは楽しかったな。でも友達に話したら顔が青ざめたけどね。その後お母様が友達の親御さんに注意されたけど、なぜかしらね」
「ああ、なぜだろうな」
第三者が聞けばぞっとする話を二人は談笑していた。その一方でフエルテは食事を終えている。
「ごちそうさま。まるでレストランの味だった」
「フエルテはレストランに行ったことがあるの? いつも家でしか食べていない気がしたけど」
「ああ、シンセロ様から教えてもらったんだ。手料理をほめるときはまるでレストランの味だとな。おっと、食べてしまうのが惜しかったでもよかったそうだ」
「それって作った本人の前で言ったら意味ないと思うけど……」
それでもフエルテが手料理をほめたことに満足した。アモルは後片付けを始めると、部屋を出ていく。フエルテは一人残された。
フエルテは肖像画の前に立った。そして独り言をつぶやく。
「シンセロ様にフエルサ様。俺は二人の愛の結晶であるアモルとアミスターを守ります。八年前、人ではなく獣として扱われ、ただ痛めつけられた日々から救い出してくれたお二人に深い感謝をしております。お二人のおかげで俺は一人で人生という荒海を航海する術を学びました。ですが、私はこの力をアモルのために使います。どうか天国でアモルを見守っていてください」
フエルテの右目にうっすらと涙が浮かんだ。部屋の外ではアモルが壁に寄りかかり、唇を噛みしめているのだった。