ビッグヘッドの秘密
「ここ数年自分が自分じゃなくなったみたいなんだ」
時刻は夜、空はどっぷりと墨のように真黒になっていた。村人は自分たちの家に戻り、家族と暖かい食事をとっている。外にいるのは自分たちの時間を迎えた蝙蝠やフクロウ、村の明かりに魅かれた蛾や蚊くらいであった。
オンゴの村にある病院に、フエルテとアモルはいた。負傷したコブレを見舞いに来たのだ。もちろんヘンティルとイノセンテもいる。
ベッドの数は四つで、患者はコブレしかいない。
コブレは清潔で真っ白いベッドに寝かされていた。腰をやられたので俯けである。腰に包帯が巻いてあった。骨をやられたからである。
病院は赤レンガの一戸建てだ。院長と看護師はラタ商会の人間である。
この世界では公的な病院は存在しない。フエゴ教団に福祉関連予算はないのだ。
かといって医療をおろそかにしていない。むしろ力を入れている。
フエゴ教団では民族や種族に関わらず、医療に従事する医者に無条件で市民権を与えたのだ。
そんな医者たちを商人たちは大勢雇っている。フエゴ教団から教わった医学に、医療器具や薬品の製造などをすべて担っていた。
腕の良い病院があれば、商人はもうかる。だからみな競い合うのだ。もちろん不正をすれば医者は永久労働刑となり、一生酷使される。商人は教団から資格を奪われるのだ。
さて先ほどからコブレは懺悔を続けていた。その顔はすっきりしている。まるで憑き物が落ちた感じであった。
「怒りや憎しみが蜘蛛の巣のような網になり、自分の心を縛っているみたいだった。頭の中が水飴のようにぐちゃぐちゃになり、もう一人の自分に乗っ取られる感じでした。あと少しで地上げ屋のように追い出されていたかもしれない」
コブレは淡々と独白した。コブレは数刻まで気を失っていた。そして目を覚ました時ヘンティルがいたので、頭を下げたのである。
「申し訳ありませんでした!!」
開口一番がそれだった。四人とも呆気に取られていた。それから事情聴取をとる形になったのである。
コブレの実家はキノコ栽培をしていた。特にシイタケに力を注いでいる。
自身はラタ商会のバイトで黒蛇河にアメリカザリガニを獲りに行く。そんな生活であった。これはオンゴの村では一般である。
ヘンティルとイノセンテは長老の子供だった。だが長老は選挙制で世襲制ではない。
司祭の代行する役職で、教団の技術を教えてもらうのだ。
そして選挙で長老の座から降りても、相談役として活躍する。
かといって贅沢などしていない。そもそも長老は肩書にすぎず、本業の片手間で行っている。ちなみに現長老はきこりであり、ヘンティルとイノセンテはその手伝いをしていた。
ヘンティルが斧で木を伐り、妹が木を肩で担いで持ち運ぶのである。
だから情人より筋肉がついているのだ。
長老のほかに自警団団長がいた。これも本業と両立しているのである。ちなみに村の取り決めは大抵長老と自警団団長が決めた。どちらかが反対すれば成立しない。
権力を独占させないための処置である。これは亜人の村に浸透している掟だ。
だからこそここ最近のコブレの言動は異常だった。まるで悪霊に憑りつかれたのではと噂されていたのである。
「あなたばかりが悪いと言えないわ」
ヘンティルが呟いた。
「確かにあたしは調子に乗っていた。筋肉を鍛えることが面白くて、それを見せるのが楽しかった。
でもそれはあたし自身何も考えずに周囲の言われるままだったことが問題なの。
イノセンテの忠告に腹を立てたことがあった。自分は偉大だと思い込んでいたわ。
あなただけではなく、あたしもまた自分以外の何かに心を塗りつぶされる思いだった。
だけどもうおしまい。あたしたちは生きている。ケガをしたけどすぐ治って元気になるわ。
そして今回のことを教訓にするの。そうすればもう間違えない。
敗北は死。死んだら何も生まれないし進まない。でも生きて間違いを認めれば勝利なの。
こういった点でもあたしたちは幸運よ。だって生きているのだから」
ヘンティルの言葉にコブレは泣いた。滝のように涙を流し、赤子のように泣き喚いた。
コブレが泣き止むと、アモルはハンカチを差し出した。そしてこう告げる。
「コブレさん、あなたはどこかでビッグヘッドに会いませんでしたか?」
唐突な質問に目が丸くなる一同。するとコブレは思い出したように口にした。
「会いました!! 確か数か月前だと思います。黒蛇河で仲間と一緒にアメリカザリガニを獲っていた時でした。
ちょうど太陽が真上に昇っていたので昼食をとることにしたのです。その時私は一人で離れていました。草むらの中で用事を足すためです。
するとそこにビッグヘッドが現れたのです。一瞬スマイリーかと思いましたが、そいつは私の眼をじっと見たのです。
私は動けませんでした。だってビッグヘッドにじっと睨まれるなんて生まれて初めてだったから。
その内ビッグヘッドの口が開いたのです。そいつは「お前は村の人気者を憎むのだ。憎んで憎んで憎み切るのだ」と。
信じられないかもしれないけど、ビッグヘッドがしゃべったのです。でも忘れていました。
アモル様に聞かれるまで頭の中の片隅に無造作に置かれていたのです。一体どういうわけでしょうか」
コブレの告白にヘンティルとイノセンテが驚いた。だがアモルとフエルテだけは冷静である。
「お二人はもしかして知っておられたのですね~。しゃべるビッグヘッドがいることを~」
イノセンテが訊ねると、アモルは首を縦に振った。その事実にフエルテ以外の人間は驚愕したのである。
異形がしゃべる。これだけでも驚きだが、それを聞いて冷静でいる人間はいない。
最初からその事実を知っている。そちらのほうだと話が早いのだ。
「知っています。おそらくはパインクラスですね。こちらは人間と同じ頭脳を持っています」
「パインクラス……。バンブークラスやプラムクラスは聞いたことがあるけど、パインクラスは知らなかったわ」
ヘンティルが言った。
「これらの階級は松竹梅。松、竹、梅から取られています。というのもビッグヘッドは死亡すれば木に変化するからです。
ビッグヘッドはその地の環境によって変化する木が違います。
亜寒帯なら針葉樹のモミやトウヒ、マツに変化します。
逆に熱帯雨林なら広葉樹のケヤミやブナなどがあり、単子葉植物のヤシにもなるのです」
「だがクレスト・モンキーはバンブークラスだ。断末魔の時しか発していない。
戦っていた時も話しかけてこなかった。
あらかじめ定められた言葉しかしゃべれないのがほとんどらしい。幼児が親の言葉を真似して口にするようなものだ。
プラムクラスなら結構流暢に受け答えできたがな」
フエルテが補足した。それにしても地獄の底から這い出てきたような怪物が、実は人語を理解できたとは驚きである。
「それってフエゴ教団から教えてもらったですか~」
「はい。その通りです」
イノセンテの質問に、アモルは即答した。
「そもそもビッグヘッドは私たち人間によって作られたのですから」
*
ビッグヘッドは二百数年前に遺伝子工学で生まれた生命体である。その目的は使用済み核燃料を処理するために生み出されたのだ。
二十二世紀では原子力発電所から生まれる死の灰の処理問題に悩まされていた。
密閉して埋めるにしても場所が限られている。さらに数百年後の子孫にごみを押し付けることになるのだ。
そこで日本の科学者は考えた。放射性物質を無力化する方法を生み出せばいいのだと。
かつて日本は核を二度投下された。さらに大地震により原子力発電所が崩壊し、その処理問題に悪戦苦闘していたのだ。
それで生まれたのがビッグヘッドだ。植物の遺伝子を組み込まれた彼らは口にした放射能を浄化する力を持たされた。
食べた放射能物質は頭部に詰まった内臓を経由し、涙として流れる。そうして出たウランは自然界に生まれる放射能に弱まったのだ。ビッグヘッドの涙は百年近く放射能を受け付けない膜を張るのである。
それは土や鉄、銅なども同じであった。人骨ならカルシウムにすることが可能である。
基本的にビッグヘッドは一日二百リットルのドラム缶を食べる。アフリカゾウの一日の食肥料と同じで、一年だと三六五本食べることになるのだ。
さらにビッグヘッドにはある特色がある。彼らは増えるのだ。
例えば廃棄された原発があるとする。ビッグヘッドを二体ほど置けば、手あたり次第食べるのだ。
ビッグヘッドは一年以上経つと木に変化する。そしてわずか一週間で成長し、多くの実を付けるのだ。
その身が地面に落ちれば、新しいビッグヘッドが生まれるのだ。そしてまた仲間を増やす。
そして数年後には廃炉された原発は消えてなくなり、残るのはビッグヘッドの屍である森だけになるのだ。
アラスカにある岩しかない孤島に使用済み核燃料が持ち込まれた。ドラム缶十万である。
そして二体のビッグヘッドを放置したのである。
三年後にはきれいさっぱり消え、緑豊かな島になった。
最初は七三〇本だけだったが、一年後には六〇体に増えた。ビッグヘッドは一度に三〇個の実をつけるのである。次の年は三五四〇体に増えた。最後は一〇二六六〇体となり木に変化したのだ。
ちなみにビッグヘッドは遺伝子設定が組み込まれており、何回木になったかで寿命が決めてあった。無限に増やさないためである。
ただし例外もある。外部から衝撃を食らうとビッグヘッドは死ぬ。その際急速に木に変化するのだ。これがビッグヘッドの真相である。
「……というわけで、今私たちが平和に暮らせるのはビッグヘッドのおかげなのです」
アモルはそう締めくくった。だが肝心のしゃべるビッグヘッドの答えは出ていない。
「でもビッグヘッドの生態はよくわかりません。おそらくはキノコ戦争で野に放たれたのでしょう。
ですが教団本山はここまで生き延びるとは思わなかったそうです。精々十年くらいだと考えられていました。
あとは不明です。司祭である私はこれ以上のことは教えられていません」
アモルは首を横に振った。もう口にすることはないだろう。
「そうですか~。あとはわたくしたちが学べばいいだけの話ですね~。そうでしょう?」
イノセンテが無邪気そうに尋ねた。だが目は笑っていない。アモルに対して何か含むものを感じていたのだろう。彼女は温和に見えて直感が鋭いのだ。
アモルがうなずくとイノセンテは納得したようだ。
「それでは皆さんで教会に行き、お風呂に入りましょう」




