マッスルフェスティバル
「結構人が集まっているね」
テントで作られた簡易控室の中、アモルが感心しながら言った。
ステージの周りは多くに人で賑わっていた。ほとんどは村の若者たちだが、ラタ商会の従業員たちも混じっている。休憩時間の暇つぶしだ。
屋台の食べ物も飛ぶように売れていた。ウシガエルの足を揚げた物に、スクミリンゴガイを茹でて竹串に刺したものがある。
他にもイノブタのソーセージや、アライグマやヌートリアのハンガーガー、それに焼き菓子などもあった。
「あの時は頭に血が上っていたけど、冷静に考えてみればくだらない話です。まったく自分が情けない」
アモルはうなだれていた。コブレに勝負を挑まれたときのことを恥じていたのだ。
そもそもヘンティル自身が勝負を挑むならまだしも、関係ないコブレの挑発など受ける必要はなかったのだ。
「まあ仕方ないさ。適当にお茶を濁すことにするよ」
フエルテがそうアモルを慰めようとした。
「それは困ります。フエルテ様には勝ってもらわないと困るのです」
イノセンテであった。彼女はテントの中に入ってきたのである。
姉を焚き付けた本人なのに、表情は深刻そうであった。
「どういうことかな?」
「フエルテ様が勝っていただかないと、お姉さまはダイエットをやめないからです。
お姉さまは筋肉に執着しすぎなのです。それはお姉さまがベニテングダケのオンゴだからです。
ベニテングダケは、見た目は毒々しい色をしていますけど、毒性はそれほどでもないのです。
何か月か塩漬けにした後、その日のうちに食べれば美味という不思議なキノコなのです。
その性質のためかベニテングダケのオンゴだけ、女性も生まれるのです」
「えーっと、ヘンティルは本当に女なのか。男じゃなくて?」
オンゴは毒キノコだと、外見が女性で中身が男である。ベニテングダケは毒キノコであり、ヘンティルは男だと思っていたのだ。
「お姉さまは女性です。きちんと乳首を隠しているじゃないですか~」
フエルテはがくっときた。それだけで女性扱いしているのかと。
「あとマイタケのオーガイさんや、山猫亭で働いてたルナさんも女性ですよ~。
お姉さまと同じ悩みを持つのでオンゴはぐれ三人娘という不名誉なあだ名を付けれてますけど~」
どうやらヘンティルだけではないようだと、フエルテは安心した。
「昔は体が弱くてなよなよしたかただつきでした。それに反発して筋肉を鍛えることにしたのです。
ですが、お姉さまはむちゃばかりするのです。一日中休まず走り続け脱水状態になったり、高重量のダンベルで過酷なトレーニングに挑んだら、胸や腕の筋肉が断裂したこともあったのです。
完治しても懲りずにまた筋肉を鍛えているのです。このままでは餓死すると言われているのです」
筋肉を鍛えてなぜ餓死するのか? 人間は体脂肪がないと生きられないのだ。
必要最低限の糖分がなければ死に至る。普通は体の防衛本能が働き、食べ物を食べることがある。もしくは無気力状態になるのだ。
だがイノセンテの話によれば、ヘンティルはそれらを精神力で肉体の限界を超えてしまったのだろう。
フエルテも一度筋肉を鍛えすぎて、シンセロに注意されたことがある。筋肉は食生活が重要であり、トレーニングは二時間ほどで十分だと指導を受けたのだ。
「お姉さまは、本当は優しい人なのです。それが筋肉を鍛える筋肉の悪魔と化してしまったのです。
ですからフエルテ様はお姉さまを破ってほしいのです。なまじ村の男の人に勝ったために天狗になってしまったのです。ベニテングダケなだけに。
お願いします!!」
イノセンテは頭を深々と下げた。フエルテは彼女の必死さに胸を打たれる。彼女は姉を愛しているのだ。自分では止められない無力さに叩き付けられたのだろう。
蟻の思いも天に届くという。フエルテはイノセンテの思いを受け止め、ステージに上がったのだ。
ステージにはヘンティルがすでに上がっている。観客席にはオンゴや様々な亜人、それに人間もいる。この村では亜人と人間の垣根はないのだ。
「ホホホ。よく来たわね。あなたにあたしの肉体美を見せつけてあげるわ」
「見せつけるのはいいが、無茶をしすぎじゃないか? 妹さんは心配していたぞ」
「イノセンテが何を言ったかは知らないけど、あたしは負けられないのよ。種族の問題ではないわ。乙女の意地なのよ。男に負けない肉体を作り上げる。それがあたしの信念なのよ!!」
フエルテは首をかしげる。肉を鍛えるのと、信念が結びつかないのだ。そもそもこの村の男性は女性的なはずだ。むしろヘンティルのような男性的な女性は珍しいのである。
不安定な性質がヘンティルを筋肉の悪魔に変えてしまったのかもしれない。
「それでは審査を始めます。司会はニエベと申します」
ニエベは狐の亜人で女性である。耳の位置は人間と同じ位置にあり、服装はキトンだ。
「まずはリラックスポーズから始めます」
ニエベの掛け声でフエルテとヘンティルはリラックスポーズを取った。両腕を下げている。
リラックスといっても力を抜いているわけではない。全身に力を込めているのだ。
まずはフロントリラックスのポーズを取る。どちらもすばらしい肉体だ。
「ターンライト」
ニエベの声の元、二人は左に四十五度回った。今度はサイドリラックスである。
そして次にリアリラックス、最後にサイドリラックスの右、そしてフロントリラックスに戻った。
「素敵な肉体だね。本当に素敵な肉体だ」
「ヘンティル様の肉体も素敵だけど、フエルテ様の肉体も素敵だね」
「デカイ、バリバリ、キレテルな」
観客たちは思い思いに感想を述べる。本当に楽しそうであった。
「ではフロント・ダブル・バイセップスを取ってください」
ニエベの指示で二人は胸に力を籠め、両腕を大きく広げる。そして力こぶを作った。
バイセップスとは上腕二頭筋を意味する。両腕を曲げた状態で上腕二頭筋を見せ、さらにその体勢を前から見せるのだ。
逆三角形の体型や腹筋、身体全体のバランスなどを全て見ることができる。
フエルテの場合、マッスル・ガストのポーズでもある。だがポーズを取っただけではマッスル・スキルは発動しない。目の前に生命の危機がない、もしくは技名を叫ばなければよいのだ。
フエルテがいちいち技の名前を叫ぶのは発動キーである。
「次はフロント・ラット・スプレッドを取ってください」
二人は両手を一旦下へ下した後、鳩尾に当てる。そして両腕に前方に突き出した。
ラットは背中の筋肉を、スプレッドは広げるという意味だ。
つまり背中の筋肉を広げたポーズということである。
脇の下に見える筋肉は広背筋で、これは背中の筋肉であり、逆三角形の体型を形作っている筋肉だ。
背中の筋肉を大きく左右に広げて、背中の横幅を強調するのである。
「次はサイド・チェストです」
二人は両腕を前に突き出し、左手で右手を掴む。
サイドは横、チェストは胸である。胸を強調したところを横から見るという意味のポーズだ。
胸の厚みを始めとして、腕の太さや背中や脚など、主に横から身体の厚みを見る他、肩の大きさも強調するのである。
「次はバック・ダブル・バイセップスです」
二人は後ろを向くと、両腕を前に突き出す。そして大きく両腕を広げた後、力こぶを作る。
背中の筋肉が引っ張られ、広げられたようになった。
ダブルバイセップスのポーズを後ろから見たもので、正面でのダブルバイセップスよりも身体をやや後ろに反らしている。これで広背筋と脚を見られるのだ。
背中を左右から縮めるような体勢となり、背中の筋肉のカットが浮き彫りになる。
密集された筋肉群の山が現れ、逆三角形の体型が強調されている。
「素晴らしいね。素晴らしい筋肉だ」
「ヘンティル様のバルクも美しいが、フエルテ様のバルクも見事だね」
「デカイ、バリバリ。キレテルな」
観客たちはステージ上にある肉の彫刻に見惚れていた。ステージの隅ではイノセンテとアモルが座っていた。
イノセンテは複雑そうな表情を浮かべ、アモルは心配そうにしている。
「大丈夫ですよ。フエルテの健康的な肉体が、ヘンティルさんの不健康な肉体に負けるわけがありません」
アモルが慰めた。だがイノセンテの表情は暗い。
「……村の皆さまはお姉さまをおだてているのです。それを真に受けてお姉さまは無茶な肉体改造に夢中になってしまいました。みんなお姉さまの健康など無視しているのです」
イノセンテは真剣な顔であった。無邪気な空気は引っ込んでいる。そこには家族を心配する妹の姿しかない。
「次はバック・ラットスプレッドです」
二人は後ろ向きのまま、両腕を下し、背中に力を籠める。
ラットスプレッドを後ろから見せるポーズで、バック・ダブル・バイセップスが背中の筋肉群のカットを見せている。
このバック・ラットスプレッドは背中を左右に広げることによって、背中の広さを強調するのだ。
バック・ダブル・バイセップスと同様、逆三角形の体型が強調されるのである。
「次はサイド・トライセップスです」
二人は前に向く。そして後ろに手をやり、力を込めた。
トライセップスは上腕三頭筋を意味する。腕を横から見せて、上腕三頭筋を強調する。
横向きの体勢ということで、腕の太さ以外にも、胸の厚みや脚の厚みなど、身体の凹凸が見られる。
「次はアブドミナル・アンド・サイです」
二人は両腕を上にする。そして両腕を頭に組む。
アブドミナルは腹筋、サイは脚を意味し、腹筋と脚を強調するポーズだ。
腹筋はどれだけ脂肪が少なく絞ってあるかという面が見られ、脚の方は太さとカットと、両方が審査の対象として見られるのである。
「最後はモスト・マスキュラーです」
二人は両腕を前に突き出す。そして身体をやや前傾にした。
首の横の僧帽筋や肩の大きさ、腕の太さを強調するポーズであり力強いという意味がある。
こうしてすべてのポーズを終えた。観客は拍手を送る。ヘンティルは歯をむき出しにして笑ったが、フエルテは無表情のままである。
「さてこれから審査を始めます。観客の皆さまは投票用紙で好きなほうを書いてください」
ニエベの進行で観客たちはステージの下にある投票箱に紙を入れようと並び始める。
果たして勝負はどちらになるのか。それは神にしかわからない。
*
「それでは投票が終わりました。結果を発表いたします」
ステージの上ではフエルテとヘンティル、そして司会者のニエベが上がっていた。
数刻を得て投票の計算が終わった。そしてニエベが発表する。
「勝者はフエルテ様に決定いたしました」
すると観客たちが沸き上がった。そして両者を褒めたたえる。
「フエルテ様、ばんざ~い!!」
「ヘンティル様もよくがんばりました!」
「どちらのバルクも最高で迷いましたが、素晴らしい対決でした!!」
フエルテは無表情で、ヘンティルはがっくりとうなだれる。
「ああ、負けてしまった。やはりあたしが乙女だから? 日焼けをしてないから筋肉の陰影がつかないから? きぃ~~~」
ヘンティルは悔しそうにステージに拳を振り下ろす。
「関係ない」
フエルテが呟いた。底冷えするような声である。
「負けた理由はどうでもいい。俺が勝ち、あんたは負けた。ただそれだけだ」
すっぱりと切って捨てる。
「あんたは井の中の蛙大海を知らずだ。この村では一番かもしれないが、世界は広い。俺さえ凌駕する肉体の持ち主は大勢いる。精進することだ」
フエルテはヘンティルに振り向かず、静かにステージを降りる。その圧倒的な雰囲気に観客は声が出なかった。
「それはそうと、食事は摂れ。俺の好みは飯をうまそうに食べる人だ」
そう言い残す。ヘンティルは呆気にとられていた。
「ふぇ~、まさかヘンティルが負けるなんてな。努力が足りないから負けるんだよ。せっかく応援してやったのに、馬鹿じゃねぇの」
観客席から罵り声が聞こえた。相手はコブレだ。両脇にはウノとコレラが座っている。二人は必死にコブレを宥めていた。
「ちょっと、失礼じゃない。フエルテ様もヘンティル様も素晴らしい肉体だった。両者の健闘を褒めたたえるべきではなくて?」
「そうですよ。大体あなたがヘンティル様をけしかけるから、ヘンティル様が無茶なダイエットを始めたんじゃない。あなたにも責任があるのよ」
ウノとコレラが抗議する。二人はコブレの態度に腹を立てていた。今までは口にしなかったが、ヘンティルの罵声を聞いて、溜まっていたものを噴き出した感じだ。
「はん、なんで自分の責任になるんだよ、わけわかんねぇ。負けたやつをホメるなんて馬鹿じゃねぇの? 結局女が男と勝負するなんて無謀だったんだよ。まったく馬鹿だな。せっかく応援してやったのに期待を裏切りやがって。死ねよ! 死んでしまえ!!」
コブレが吠える。周りの観客はコブレに対して嫌悪感を現していた。あまりにもコブレの悪態に引いてしまったのである。
「お前ら! なんでお前らも文句を言わないんだよ。こいつは長老の子供だからと言って調子に乗っているんだぞ。長老の子供だから学校の勉強は一番で、運動も一番と扱われているんだ。そのせいでみんな苛立っているのに気づかないんだよ。お前らは長老に洗脳されたみじめな民衆なんだよ!!」
コブレが立ち上がり、自説を展開した。
皆コブレに釣られてヘンティルをおだてたことはあった。だがお遊びで始めた勝負に負けても、悪態をつくほどのことはではないからだ。
コブレ一人だけが夢中になっているのである。
フエルテは呆れている。そこでニエベが耳打ちした。
「ヘンティル様は確かに勉強と運動はできます。ですが長老の子供だからではありません。努力の賜物です。だけどコブレはそれが理解できないのです。ヘンティル様は親の七光りで特別扱いされていると思い込んでいるのです」
フエルテは観客たちを見回す。全員コブレの意見に賛同せず、静かなままだ。
コブレは普段はヘンティルの陰口を叩いているのだろう。だが反論せず、聞き流していたのだろう。誰でも人の悪口を大声で言う人間は嫌いだが、反撃して自分が傷つくのはごめんだ。
だがヘンティルを前に罵声を浴びせることはしない。ヘンティルが好きな人はいるだろうが、興味のない人もいるだろう。
もちろん嫌っている人もいるが、極端に嫌っていたのはコブレだけのようであった。
「死ねよ! 死ね!! ここにいる連中はみんな思っているんだよ!! みんな、お前が大嫌いで、お前に死んでほしいと願っているんだよ!!」
コブレは自分だけ叫んでいる状況において、焦っていた。だから自分の自説をみんなの声とねつ造し始めた。自分の意見ではなく、みんなの意見を代弁している姿勢を見せたのだ。
ウノやコレラ、ニエベも見る見るうちに不快な表情を浮かべた。観客全員も同じだ。
ヘンティルは目に涙がたまっている。アモルはイノセンテを抑えていた。その表情は怒りに燃えており、アモルでなければ振りほどいていただろう。
コブレの眼は血走り、口から泡が噴き出ている。
自説に酔いしれ、もう周りが見えていない。ヘンティルの負けなどどうでもいいのだ。
おそらくコブレは最初からヘンティルに対して、陥れるきっかけを待っていたのだろう。
フエルテとの勝負はきっかけにすぎなかったのだ。
「おい、コブレ。お前いい加減に―――」
フエルテがコブレに言いかけたとき、何の前触れもなく、コブレの体が前方に吹き飛んだ。
舞い散る埃が収まったとき、コブレの体はステージに直撃していた。観客席の椅子は粉々に砕けている。
コブレの背中に不思議な物体が埋まっていた。それは黄色い四角い塊である。湯気みたいなものが発生していた。
フエルテはコブレを起こした。コブレは気絶しており、白目を剥き、口から泡と共に血が噴き出ている。ドクヤマドリの巨体のおかげで絶命せずに済んだのだろう。だが骨と内臓はめちゃくちゃになっている。急いで医者に見せなければならない。
いったい誰がコブレを攻撃したのだろうか。それはコブレが立っていた後ろにいた。
それはビッグヘッドであった。肌は黒く、黄色い鶏冠が生えている。
顔は水晶玉のようにキラキラした丸い目に低い鼻、薄い唇であった。どことなく猿のような感じがした。
さらに普通のビッグヘッドと違い、両腕が長かった。立ったままでも楽々と地面につくほどである。
そして目つきだ。その視線はフエルテを見据えている。さらに唇で薄く笑った。
間違いない。こいつはバンブークラスのビッグヘッドだ。
ビッグヘッドが人知れず村に侵入したのである。




