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巨大ザリガニの脅威

全身が赤く、血に染まったように見えた。

 そしてギロチンのように大きなハサミをちゃきんちゃきんと鳴らしているように見えた。

 先ほどハサミを切り取ったやつはいない。川のほうを見ると無残な巨大ザリガニの死骸が浮かび上がった。


 ハサミを失った仲間を捕食したのだろう。ザリガニは脱皮中の仲間も平気で食らう。

ハサミを失った仲間など餌に過ぎないのだ。恐るべき悪食である。

 フエルテは巨大ザリガニを見据える。水晶玉のような大きさの黒い目は虚ろであった。


 だがこいつらは目の前に立つフエルテを敵と認識している。

 一匹がハサミを上げ威嚇してきた。そしてフエルテに目がけて突進してくる。

 フエルテはひらりと躱した。だが、もう一匹が知らぬ間に近寄っており、フエルテの背中にハサミを叩きつけたのである。


 あまりの衝撃に前に倒れるフエルテ。衝撃はもろに体を貫いていた。

 だが巨大ザリガニの攻撃はやまない。今度は倒れたフエルテに対して、顔面にハサミを振るったのである。

 今度は地面に大の字で倒れてしまった。鼻がつぶれ、血が流れる。


 (こいつらは賢い。ハサミで挟まず、まず俺を弱らせようとしている!! 一旦距離を取らないと!!)


 フエルテは起き上がり、逃げようとした。

 だが巨大ザリガニはいつの間にか仲間を読んでおり、六匹になっている。

 そして円陣を組みようにフエルテを囲んでいるのだ。


(まずいぞ。俺のマッスル・スキルは近距離では使えない。前にオオアライグマに尻を齧られたが、まだ耐えられた。だがこいつらの牙は俺の筋肉をあっさりと食い破るから使えない。どうする!!)


 フエルテは焦っていた。何しろ彼の筋肉は防御に適していないのである。

 フエルテの肉体は筋肉に特化している。それ故脂肪が少ないのだ。脂肪は衝撃を吸収するクッションである。

 フエルテが脂肪を削り取るのは、マッスル・スキルの力を発揮するためである。

 脂肪がつけばその分威力が落ちるのだ。もっとも普段から筋肉を絞っているわけではない。普通に仕事をして、食事をとっている。


 今回は試験のために万全の備えをしただけである。さらに旅に出れば何が起こるかわからない。

 それでも常人より脂肪が少ないのは変わりない。何度も攻撃を受ければ筋肉に響く。


「うう、腰が……」


 フエルテは腰に右手を当てる。レッド・クレストに噛まれた傷が痛みだしたのだ。


「だが、泣き言をいう暇はない。いくぞ!!」


 フエルテはバック・ダブル・バイセップスのポーズを取る。

 巨大ザリガニに囲まれる恐怖は尋常ではない。だがフエルテは冷静にポーズを取った。


「マッスル・タイフーン!!」


 その瞬間、巨大ザリガニが吹っ飛んだ。裏返しにされ、じたばたしている。

だが一匹も死んでいない。切り傷ひとつすらついてないのだ。

 すぐに体勢を整えるとフエルテを追い始める。物言わぬ軍隊のようだ。

 ビッグヘッドも不気味だが、巨大化した動物もかなり不気味である。日常に接する生き物が子牛ほどの大きさになれば誰だって怖いと思う。


(シンセロ様が言っていた。こいつらは外来種エイリアンと呼ばれる生き物だと。二百年前のオルデン大陸にはアライグマもアメリカザリガニもいなかったと教わったな)


 外来種とはよそから来た生物である。元から住んでいる在来種を駆逐し、生息範囲を急激に広げる厄介な存在だと聞かされた。

 ヤギウマにしろ、ヤギウシにしろ、元は外来種のヤギだった。それが二百年の間に馬や牛のように巨大化したのである。


 誰によってもたらされたかは知っている。だが今はそれどころではない。

 巨大ザリガニは左右に広がっている。そして両端からフエルテを追い抜き、再び囲むつもりなのだ。

 こいつらにマッスル・タイフーンは通用しない。落下した衝撃は殻によって吸収されている。


 それではマッスル・ガストはどうか? あれならタイフーンより範囲は狭いが、威力は高い。

 フエルテは首を横に振る。一匹くらいは倒せるかもしれないが、その隙に攻撃される可能性が高い。

 それに時間もかけられない。今は自分だけを追っているが、アモルたちに目を付けるかもしれないのだ。


 それ以上にまだまだ仲間を呼ぶ可能性も否定できない。そうなればアモルは拳銃だけでなく、奥の手を使うだろう。あれを使わせてはだめだ。

 猛毒の山は何が起きるかわからない。奥の手はあの山までとっておくべきだ。

 だがアモルはそれまで耐えられるか? フエルテの危機を前に奥の手などとっておくわけがない。

 はやくこいつらを片づけねばならないのだ。


 せめてこいつらを一か所にまとめられたら……。

 一か所?

 フエルテは川に浮かぶ巨大ザリガニの死骸を目にした。

 これだ!! フエルテは天啓がひらめいた。


 フエルテはフロント・ダブル・バイセップスのポースを取った。

 マッスル・ガストのポーズである。

 つんざく音と共に、巨大ザリガニが真っ二つに分かれたのだ。その死骸は地面に叩き付けられる。

 すると他のザリガニたちは仲間の死骸に群がったではないか。フエルテより目の前の仲間の死骸に食欲をそそられたのかもしれない。


 残りの五匹は死骸に群がっている。その隙にフエルテはモスト・マスキュラーのポーズを取った。


「マッスル・トルネード!!」


 力強いポーズと共に、竜巻が発生される。その威力は残りの巨大ザリガニをあっさりと粉砕してしまったのだ。

 残るは砕け散ったザリガニたちの死骸だけである。

 フエルテはやれやれと地面に座り込んだ。そこへ騎士たちが駆けつける。

 騎士たちはフエルテにお疲れさまとあいさつした後、川にザリガニの死骸を捨てた。川辺に放置しておけば別の動物が寄ってくる可能性が高いのだ。


 川なら他のザリガニの餌になるのである。

 騎士だけでは人手が足りないので、旅人にも要請する。手伝えば缶詰と乾パンを一日分報酬として与えられるのだ。

馬車に乗れない貧乏人にとって沸いてきた仕事だ。喜んで協力する。


「村に待機している騎士たちに、巨大ザリガニを倒すよう要請します。ご協力ありがとうございました!!」


 騎士たちはフエルテに深々と頭を下げ、馬車を走らせる。二人ほど川辺に残り、巨大ザリガニが現れないかを見張るのだ。

 そうこうしているうちにオンゴの三人組が現れた。全員女性のような顔立ちである。

 全員チュニックの上にトガを身に着けていた。先ほどは川辺でザリガニを捕獲していたので、着替えたのだろう。


 ザリガニに足を挟まれたオンゴは仲間に両腕を抱えられていた。足には包帯が真かれている。騎士に応急手当てをしてもらったのだ。

 騎士たちは応急手当の知識がある。軽いケガなら可能だ。


「ありがとうございます! 初めまして。私はオンゴ村のウノです。イッポンシメジの亜人です。消化器官が弱いのが特徴ですね」

「初めまして。私はコレラタケのコレラです。母親はエノキタケの亜人です。ウノを助けていただき感謝の言葉もございません」

「初めまして。あたいはドクヤマドリのコブレだ。まったく惚れ惚れするバルクだねぇ!!」


 三人は思い思いの言葉を発した。全員毒キノコの亜人である。かといって毒をもっているわけではない。

 キノコの亜人は人間と同じなのである。傘に見えるのは実は髪の毛であった。

 子供の頃から自然と髪の毛が複雑に絡み合い、傘の形を作るのである。肌は人間よりすべすべであった。


 だが特徴的なのは外見ではない。

 実は女性に見えるが男なのだ。キノコの亜人はある特徴があった。

 食用キノコは全員女性だが、外見は男である。

 逆に毒キノコは全員男性で、外見は女性に見えるのだ。


 そもそもキノコとは菌類である。我々がキノコと認識しているのは子実体であり、本体ではない。

 基質中に広がる菌糸体が本体である。

 植物のようにめしべやおしべがないのだ。


 だがキノコの亜人は人間と同じ生殖で生まれる。

 外見は異質だが、れっきとした人間なのだ。これは後日に明かそう。


「お初にお目にかかります。アモルと申します。フエゴ教団の新米司祭です」

「こちらもお初にお目にかかります。フエルテと申します。アモル様の杖を務めております」


 アモルとフエルテは深々と挨拶した。


「私たちは週に一度ラタ商会の仕事でザリガニ獲りをしていました。ですがあんな巨大なザリガニに襲われたことなどありませんでした」

「そうですね。まったく襲われないわけではないですが、向こうはこちらを警戒して逃げるのが普通でした」

「まったくあんたのバルクはすごいねぇ。ヘンティルと比べたらどっちが勝るかねぇ」


 ウノとコレラは深刻な話をしているのに、コブレだけ見当違いな話をしている。

 コブレはドクヤマドリの亜人ゆえに、他の二人より体が大きいのだ。

ドクヤマドリはしっかりした肉質を持つ毒キノコで、中には自重で倒れることもある。

それ故に豪快な性格をしているのだろう。


 ウノとコレラはため息をついた。コブレは普段からこんな調子なのだ。


「私たちも以前街道でオオアライグマに襲われました。最近では巨大生物に襲われることが多くなったのでしょうか?」

「いいえ。ここ三日くらいですね。まあ数年に一度くらいは襲われることがあるらしいです。それも特別なビッグヘッドと共に現れるそうですね」


 アモルの質問にウノが答えた。そこでビッグヘッドの名が出たのはどういうわけだろう。


「巨大生物が人を襲うのは特別なビッグヘッドが現れるからだと、昔から村に伝わっています。舌を槍やこん棒のように変化させたり、髪の毛を矢の様に吹くのもいるそうです。その辺はフエゴ教団の司祭様ならご存知だと思いますが……」


 コレラが訊ねるが、アモルは答えなかった。いや、よくわからないのだ。アモルは司祭と言っても何でも知っているわけではない。フエゴ教団が誕生する前の歴史は知っているが、学者ほど博識ではないのだ。


「ふん。どんなやつが来ても、あんたの力で片づけてくれるんだろ? 何も心配することはないさ!!」


 コブレは豪快に笑い飛ばしたが、他の二人はげんなりした表情である。


「いやいや。俺はいつもここにいるわけじゃない。そちらの村の問題はそちらで解決してもらわないと困る」

「なんだって!? 同じ男のくせにみみっちいことをいうなんてがっかりだよ!! ヘンティルなら優しいから絶対にそんなことは言わないね。お前はすばらしいバルクの持ち主なのに、心が狭い!! ナメクジのような男だな!!」


 フエルテの正論を、コブレは切って捨てる。まったく会話にならない。


「コブレ、あなたは少し黙っていて―――」

「なんですって!?」


 コレラがたしなめようとしたら、横からアモルが怒鳴る。その顔は怒りで赤くなっていた。


「フエルテのバルクがナメクジのようにふにゃふにゃですって!?」


 いや、そんなことは言ってない。性根のことを言っただけだ。だがコブレは胸を張り、ふふんと笑う。


「その通りだね。ヘンティルはバルク、ディフィニション(皮下脂肪のない輪郭の見える筋肉)、そしてバランスが素晴らしい。それをパンプ・アップした状態は見事の一言だ。

 まあオンゴは日焼けできないから筋肉の陰影が出にくいけどね。

 それでもヘンティルはキレテルし、デカイし、バリバリだよ」


 ちなみにキレテルは筋肉の形がはっきりわかり、筋繊維が見えていることだ。

 デカイは筋肉量のことで、バリバリは脂肪がなく皮一枚にまで鍛えることを意味する。

 コブレは誇らしげに語った。ウノもコレラも呆れている。なんでお前が自慢するのかと。

 それを聞いたフエルテはどうでもよさげである。


 だがアモルは違った。フエルテを侮辱? され、今にも噴火しそうな勢いである。


「それなら勝負です!!」


 アモルはコブレの目の前に右手で指さした。普段なら絶対にやらない行為だ。シンセロにきつくしつけられていた。

 だが大切な人を侮辱されて黙っているほど、アモルは大人ではなかったのだ。


「フエルテとヘンティルという方、どちらの筋肉が優れているか勝負しましょう!!」

「ふふん。望むところだね。精々後でほえ面をかかないことを祈るよ」

「コブレ。もうしゃべらないで!! アモル様申し訳ありません。仲間が無礼なことを言ってしまって。さあ、村へまいりましょう。そこで改めてお礼を申し上げます」


 ウノたちは自分たちの馬車に乗った。木桶にはザリガニがわしゃわしゃと蠢いている。普段はまだ獲っていただろうが、今回はウノのケガで中断となったのだろう。

 フエルテはご機嫌斜めなアモルを宥め、幌馬車に乗る。一路オンゴの村へ向かうのだった。

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