表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

10/30

黒蛇河を越えて

「さあ出発しましょう」


 早朝、人がまばらな村の中、ヤギウマ二頭に引かれる幌馬車に乗り込みながらアモルがフエルテに言った。

 村では今も狩猟が収入源となっているため、男たちの朝は早い。

 弓矢や鉈、縄などを装備していた。前日に落とし穴を掘っており、獲物がいればその場で血抜きをするためだ。


 血抜き自体は昔から行っている。肉の臭みを少なくするのである。

 朝から女たちは男たちの飯を作るためにかまどに火をつけ、台所を所狭しと駆けまわっている。年端のいかない子供も家事の手伝いで大忙しだ。暇な人間など一人もいないのである。


 アモルとフエルテを見送ったのはオルディナリオをはじめとしたフエゴ教団の信者たちだけだ。

 騎士たちは村の各出入口で交代しながら見守っている。


 村にはいくつかの問題があった。

 八年前にアモルの父親であるシンセロに撃ち殺されたはずのオソの遺体が盗難にあったこと。

 そして今回村にタング・ランサーという見たこともないビッグヘッドが現れたこと。


 だがそれはオルディナリオがなんとかしてくれるだろう。

教団本山に連絡し、なんらかの処置を依頼するに違いない。


 フエルテたちの目的はただひとつ。猛毒の山に赴き儀式を完成させることである。

 それ以外はよけいなことだと、オルディナリオが口を酸っぱくしながら説得したのだ。

 アモルは司祭だが自家で精製される火薬しか理解していない。

 オルディナリオのように村をうまく運営する力はないし、年も若い。


 村を収めるとしたら四〇代くらいが妥当であり、教団の決まりでもある。

 もっともここ近年村の数が増えたため、知り合いの二十代の司祭が赴任したというから例外はつきものだ。


 さて馬車は村を出た。石畳の街道は時折揺れるが不快なほどではない。

 時折、荷物を積んだ馬車や荷物を抱えた旅人が通る程度だ。

 途中で騎士たちが馬車に乗り、街道の脇に植えられた木に壺から汲んだ肥料を撒いている。公衆便所で溜まった糞尿を発酵させて作ったのだ。


 あとは街道に散らばる家畜の糞を回収している。これも肥料にあるのでこまめに拾っていた。

 幌馬車にはフエルテとアモルしかいない。木箱や樽が積まれているだけだ。

乗客がいなければ代わりに荷物を積むのである。

馭者は中年の男だが無口で必要以上のことを離さなかった。途端に馬車の中は沈黙で満たされている。


「お父様は童顔なので髭を生やして威厳を保とうとしたらしいね」


 アモルがクスリと笑いながら言った。


「そうだな。あの人は男性なのにどこか中性的な感じがした。シンセロ様が母親で、フエルサ様が父親かと思ったくらいだな」


 アモルは失笑していた。自身も自分の親を否定していない。あべこべ夫婦だったのだろう。

 だが仲睦まじい夫婦であることは実子のアモルと、フエルテですら理解できていた。


「それにシンセロ様の声だ。まるで声変わりをしていない男の子のような声だったな。聴き様によっては女性の声のように聴こえる。それでよく笑われていたな」

「そうね。逆にお母様の声は獣のように吼える声でした。普通にしゃべっていても小鳥が逃げたくらいです。爺やの話ではお母様が嫁いでからはネズミが一匹もいなくなったとの話ですね。お母様を虎かなにかと勘違いして怖気づいたのではと笑っていました」


 取り留めない世間話に花が咲いた。だがアモルは沈んだ表情になる。


「……息子は母親に似て、娘は父親に似るなど嘘ですね。私はどちらも似ていない。

 逆に弟のアミスターの方が似ているね」

「そいつはどうかな。俺のおやじは熊の亜人で図体はでかかったが、結構臆病者だった。村の人間が怖くて一度も村には降りたことがなかったという。逆に俺のおふくろは胆が太くてな。俺がいたずらをすれば雷の如く怒声を浴びせたものだ。それでおやじは隅っこで震えていたくらいだぜ」


 フエルテが茶化すように話した。フエルテは両親が死んで何年か経っている。

 それに両親からは独り立ちできるようにいろいろ叩き込まれており、二親が亡くなった後も一人で生活できていたのだ。


 だがアモルは違う。ある日突然両親がいなくなったようなものだ。病気で父親が亡くなり、さらに母親も後を追うように亡くなった。

 残された子供たちのことなどどうでもいいかのように。いや、好意的に見ればフエルテがいたからこそ安心して旅立つことができたのかもしれない。

 それに執事や使用人もいるから生活には困らない。


 そんな中、幌馬車は大きな川を迎えることになった。川の広さはそれほど広くはなく、ゆったりとした水流である。

 黒蛇河くろへびがわと呼ばれており、川の底は深い。旅人が歩いて渡れることはできない。渡し舟を利用するしかない。

 名前の由来も黒い大きな蛇を連想するから付けられたのである。

 現在では石造りの橋があり、旅人は気軽にわたることができるのだ。


「この先にオンゴの森があるのだな」

「ええ、そうね。オンゴの人々はそれはもう気さくな人達よ。容姿が違うだけで差別されているけどね」


 アモルは悲しそうであった。すると川の向こうに奇妙なものが見えた。

 川辺にキノコが三本ほど生えていたのだ。だがそれは遠くから見えるにしても大きさが違っている。


 それはキノコではなかった。キノコ人間であった。

 大きなキノコの傘に色白い肌。体には毛皮をまとっており、手には網が握られている。

 木の桶が四個ほど置かれており、時々網を川の中に入れ、すくったものを木桶に入れているようである。


「ああ、オンゴの方ですね。大方アメリカザリガニを捕まえているのでしょう。最近は水産加工も始めたそうですし。

 水産加工と言えばスサノオ水産が有名ですが、まだこちらに支店を出すには早いと聞きますしね」


 アモルが答えた。見れば近くに馬車があった。ヤギウマが一頭草を食べている。


「しかしアメリカザリガニの、アメリカってなんだ? 意味が分からない」

「忘れたの? じゃあ復習しましょう。アメリカとはオルデン大陸よりはるか西に海を渡ったところにある国です。ですが二百年前から交流が途絶えており、どうなっているかはわかりません」

「確かシンセロ様からそう習ったな。今の世界は二百年前にキノコ戦争によって荒廃し、再生したんだとか。確かこの国の名前はスペインという国で、オルデンは百年前にフエゴ教団がつけたんだよな?」


 なんとこの世界は異世界ではなかったのだ。我々の知る地球、スペインが舞台だったのである。

 しかも二百年前に起きたキノコ戦争とはなんだろうか。アモルが答える前に絹を裂くような悲鳴が響いた。

 幌馬車はすでに向こう岸にたどり着いていた。悲鳴の元は川辺にいるオンゴたちからである。


 そこにはオンゴが川に引きずり込まれそうになっていた。右足には巨大なハサミが挟まっている。

 残りの仲間たちは必死にオンゴを引っ張るが、肉に食い込むだけで外れない。

 痛々しい声を上げるだけであった。見た目は綺麗な女性の顔立ちだが、その胸は平たんである。


フエルテは見るに見かねて、馬車から飛び降り、さらに橋の上から飛び降りた。

 フエルテは地面に着地する前に両足をまっすぐに伸ばす。

 そして地面に着地すると同時に足を曲げる。


このおかげで地面からの衝撃を和らげたのだ。精々足がじんじんする程度である。

フエルテはオンゴたちと距離を取り、ポーズを取った。

わずかに体を左に傾ける。そして左肩を強調するように前に出し、右手で左手を掴む。

サイド・チェストというポーズだ。サイドは横を、チェストは胸である。横の胸を強調するわけだ。


「マッスル・ゲイル!!」


 フエルテが胸の筋肉を振動させると、衝撃波が生まれる。そしてオンゴの右足を挟んだハサミがすっぱりと切断されたのだ。

 マッスル・ゲイルはある程度精密な攻撃ができるのだ。これがマッスル・トルネードだとオンゴもろとも吹き飛ばしかねないのである。

 オンゴたちは仲間を抱えると一目散に逃げた。去り際に「ありがとう! このお礼は必ず」と残しておいて。


 さて脅威は去ったとフエルテは川に背を向けた。そして橋の上にいるアモルが右手を振っているのが見える。

 自分の勝利を祝福してくれていると思い、こちらも右手を上げたが、どうも表情がおかしい。慌てているようだ。

 いったい何を言っているのだろう。フエルテはアモルの唇の動きを読んでみた。読唇術といい、相手の唇の動きを読む技である。


「フエルテ、後ろ―――!!」


 アモルの小さな唇から読み取った瞬間、フエルテは前に飛ぶ。

 間一髪でフエルテは敵の攻撃をかわしたのだ。

 川辺には子牛ほどの大きさのアメリカザリガニが三匹も上陸していたのである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ