フエルテ誕生
『序章』
「うぉらぁ!!」
雷鳴のような声とともに、何かが吹き飛んだ音が響く。
ある山奥に一つの村があった。人口は百人程度で、全員が親戚みたいなものである。すべてが木造であり、人々は獣の毛皮を着ていた。
村の収入は獣を狩り、木の実などを集めている。夜はろうそくに火を灯し、家族同士で寄り添っていた。
村の広場に一人の子供が倒れていた。十歳に満たない男の子であり、腰に巻いた毛皮が彼の財産である。
子供はぼろぼろだった。髪の毛はボザボザで手入れなどしていない。体中垢だらけだ。さらに頬や腹には殴られた跡がある。あきらかに暴行を加えられた証拠だ。
その張本人は子供の目の前に立っている。熊のような大男であった。頭と肩に熊の頭部をあしらった毛皮を被っている。
男の名前はオソ。村一番の狩人だ。だが村一番の体格故に傲慢な性格であった。村で決められた掟を守らず、いつも過剰な狩猟を行っていた。答えは自分の腹が減るからである。そして苦言を言えばすぐに殴るので、村人はまったく文句が言えない状態であった。
そしてオソは目の前の子供をいじめて、憂さを晴らしていたのである。
「はっはぁ!! まったくお前をいじめると胸がスカッとするなぁ!! やっぱり混ざりものの体は人と違うものだ!!」
オソは体を揺らしながら、大声で笑った。その周りを村人が囲んでいる。だが表情は曇っていた。
「今日はイノブタを四匹も取り逃がしてしまった。それもこれもお前のせいだ。お前が存在しているから狩りがうまくいかなかったのだ。どうしてくれる」
そういってオソは子供の腹をけり上げる。子供は空気の詰まった革袋のようにはじけ飛ぶ。そして木の壁にぶつかった。
子供はうめき声一つ上げなかった。口を食いしばり、中から飛び出るものを必死に押さえつけている。それを見たオソはますます不愉快になり、子供に近寄ると、さらに腹をけり上げるのであった。
「その上、北の森ではお化けキノコどもを見てしまった。それにでか頭を目にしてしまった。目が腐る。まったく忌々しいったらありゃしない。みんなお前のせいだ」
「なぁ、オソ。そろそろやめにしないか」
村人の男が恐る恐る声をかけた。気弱そうな中年である。
「なんだ? 何か用かよ」
オソににらまれ、一瞬ひるんだが、意を決して声を絞る。
「そいつに関わるのはやめるべきだと思うんだ。こいつは混じり物だ。ほかの村の人間、しかも亜人と交わってできた子供だ。村の掟ではそいつは村八分で、火事と葬式以外は関わってはならないとされている。お前は村の掟を破っているのだぞ」
その瞬間、中年の男は殴られた。鼻から血が流れ、歯が折れている。男の家族が寄り添い、解放した。
「うるさいんだよ。こいつは混じり物だ。自由にいじめていいんだよ。せっかくのおもちゃを放置するお前らのほうが理解できないぜ。お前らも楽しくこいつをいじめて楽しもうぜ。いっひっひ」
オソは広場で両手を広げながら演説している。だが村人の顔は暗い。彼らは混じり物を嫌う。所謂近親結婚を好み、他所の血が混じるのを恐れた。痛めつけられた子供はその混じり物で、亜人と呼ばれたものと交わった禁忌の子供らしい。
村人はなぜオソが子供をいじめるのか理解できなかった。ここ最近のオソはおかしい。彼は村一番の体格だが、それと同時に蚤の心臓の持ち主だった。村の掟には人一番厳しく、自分の子供たちには掟を重視させていたのである。狩りもきちんと決められた数しか獲物を刈らなかった。
それがここ数か月、オソは混じり物の子供をいじめるようになった。気が障ると言って、子供を天高く持ち上げ、地面に叩きつけた。夜中に寝ている子供の首をつかみ、池の中に放り込むなど虐待を繰り返すようになった。
村人は何も言えなかった。長老が進言をしても聞く耳を持たなかったのだ。以前のオソなら唯々諾々に聞いていたはずだったのに。オソこそ悪霊に憑りつかれたのでは噂されたが、オソは暴力で村人を屈服させていた。
これも以前のオソなら考えられないことだった。狩り以外は借りてきた猫のように穏やかな男が、なぜ村八分とはいえ、子供をいじめるようになったのか、理解できないのだ。
その時、鐘の音が鳴った。村では聴いたことのない音だ。まるで死神が鳴らす不気味な音色である。一体何事かと村人たちは音のするほうを向いた。
そこには異様な集団がいた。赤いローブを着た者に、鎧を着た者が数十人いる。そして手には槍を持っていた。まるで鉄の城壁を連想させるものである。
さらに後ろにはヤギウマに牽かれたほろ付き馬車が数台待機している。ちなみにヤギウマとは元はヤギだったものが、馬のように巨大化した生き物だ。
村人たちは恐れ震えていたが、長老だけは前に進み出た。
「あなた方はいったい何者でしょうか」
そこに赤いローブを着た男が声をかける。茶色い髪の毛に、ひげを生やしていた。だが見た目と違い、中身は女性のような中性的なものを感じる。それをごまかすためにひげを生やしているのかもしれない。
「私はフエゴ教団の司祭シンセロと申します。この村にわが神フエゴ神の教えを広めに来たのです」
「フエゴ神……?」
シンセロの口から小鳥のさえずりのような声とともに、村人たちは初めて聞く名前に困惑していた。そしてシンセロの後ろについていた鎧を着た者たちが前に出る。
「彼らはフエゴ神に忠誠を誓った騎士たちだ。もし私の身に何かあれば、彼らが代わりをしてくれるだろう。素直に神の教えを聞いていただければ、彼らはあなたたちの杖となりますぞ」
騎士たちは村人の前に槍を突き出す。これは自分たちに逆らえばただでは済まないぞと脅しているのだ。長老は怯える村人に対し右手を振り、なだめた。
「うるせぇぇぇ!!」
その時熊のような咆哮が響いた。声の主はオソだ。
「お前らぁ!! よそ者が勝手にきやがって、何のつもりだぁ!! 殺されたくなきゃ、今すぐ消えろ、消えろよ!!」
オソは涎を垂らしながら、叫ぶ。どこか視点も定まっていない。まるで夢遊病者のように危険な状態だ。
「あなたはどういう方なのですか?」
シンセロが尋ねた。オソの気迫をものともせず、世間話のように気さくである。村人はそれを見て、シンセロはただ者ではないことを悟った。
「俺はこの村一番の勇者オソ様だ!! この村で一番偉い存在なんだよ!! この俺の目の黒いうちは、よそ者は一切許さん!! みんな俺様がぶっ殺してやる!!」
まるで台風のような迫力だ。だがシンセロはそよ風くらいにしか感じていないようである。シンセロはやれやれと右手で頬をかいた。
「ところでこの村で一番偉い人はあなたですか?」
シンセロは首を長老に向けた。声をかけられ、長老ははっとなる。
「はっ、はい、そうです。私はこの村の長老です」
「では長老殿、この村にとって、彼はどんな存在でしょうか? 正直に答えていただきたい」
「えっと……、正直持て余して……」
オソがぎろりと長老をにらんだ。眼光の槍で殺す勢いである。一瞬ひるんだが、長老は意を決して次の言葉を吐く。
「持て余しております。村の掟を平然と破る無法者でございます」
「そうですか。なら私たちが処理してもいいわけですね」
シンセロがオソの前に立った。オソに比べてシンセロはアライグマみたいなものだ。オソの顔は真っ赤になっている。額は血管が浮き出ていた。怒りで目が血走っている。感情のマグマが一気に噴火する寸前であった。
「殺す、殺すぅ……。俺様に逆らうやつはぶっ殺してやるぞぉ……」
「……」
オソは右の拳を握りしめる。そしてシンセロめがけて振り下ろそうとしていた。対するシンセロは懐から鉄の筒を取り出す。筒には握り手があり、見たこともないものだった。
「死ねぇ!!」
オソはげらげら笑いながら、シンセロの顔面めがけて拳を振り上げる。村人はシンセロの顔面がぐちゃぐちゃになると予測し、目を背けた。
その瞬間、雷鳴が響いた。村人は初めて聴いた音に怯えている。だがもっと信じられないものを見た。
オソの巨体が宙を浮いたのだ。そしてオソは広場に大の字で倒れたのである。
村人の一人がオソに近寄った。オソの顔は恐怖でひきつっている。口から泡が噴き出ており、白目をむいていた。
「しっ、死んでいる!?」
村人は蜂の巣をつつかれたように騒いだ。あのオソが死んだのである。自分より図体が大きい熊を相手に生き延びたことがあったのに。いったいシンセロはどんな魔法を使ったのだろうか?
シンセロは右手に鉄の筒を持っていた。鉄の筒からは煙が漂っている。オソの胸部には穴が開いており、そこからも煙が漂っていたのだ。まるで黄泉に続く穴のようで、覗いたら死人の手に捉まれ、引きずりこまれそうな感じだ。シンセロが殺したのは間違いないようである。
村人はシンセロに恐怖した。その一方で喜びに満ちている。厄介者のオソがみじめったらしく殺されたのだ。シンセロの得体の知れなさより、勝っていたのである。
「いっ、いったいどんな魔法を使ったのですか?」
長老が恐る恐る質問する。
「これは拳銃というものです。火薬を詰めた弾丸を発射するものです。これは小型ですが、フエゴ教団本山ではいろいろあります。威力は見ての通りですね」
そう言ってオソの遺体を見る。熊のような大男が鉄の玉一発で命を奪われたのだ。それも優男に見えるシンセロによって殺されたのである。
「さてフエゴ神様は死人を灰にすることを望みます。フエゴ神様は天に住んでおりまして、人の魂が天に召されるには、その身を灰にしなくてはならないのです。その準備は我々が行いますのでご安心を。さて長老殿とはこれからお話をしなくては……」
その時、シンセロはある子供に目がついた。それはオソにいたぶられた混じり物の子供である。いままでシンセロたちに目が行って、忘れ去られていたのだ。
「あの子は誰ですか?」
シンセロは長老に質問した。
「あの子は村八分の子供です。あの子の母親は村の者ですが、父親は文字通り熊の亜人でした。一年前に親は二人とも病で死にましたが、あの子だけは生き残ったのです。村の掟であの子は村八分にしておりましたが、オソが村の掟を破って、いたぶるようになったのですよ」
「村八分ですか。確か火事と葬式以外に関わるのは禁忌のはずでは?」
「そうなのです。ですがオソはなぜか掟を破って、あの子をいじめるようになったのです。なぜそんな真似をしたのか我々はまったく理解できませんでした」
シンセロは長老の言葉を聞きながら、子供に近寄った。
改めて子供を見ると、まるで熊の子供である。しかも風呂に入っていないのか、悪臭がひどい。とても人間には見えなかった。
目つきは獣のような目である。大人を信じないというより、他人を一切信じない意思が目に宿っていた。
シンセロは騎士の一人に命じた。子供は騎士たちに捕らえられる。子供は騎士たちが用意した鉄の檻に詰め込まれた。
「長老殿。あの子は私たちが引き取ります。よろしいですね?」
長老は反対しなかった。
「構いませんが、あの子供は混じり物ですよ」
「我々は混じり物など気にしません。フエゴ神様の前ではすべてが平等なのです。あの子は私の息子に与えます。いい遊び道具となるでしょう」
シンセロは檻に閉じ込められた子供を見て、笑った。
「ところであの子の名前はなんですか?」
「確か、フエルテという名前でしたな」
こうしてフエルテはシンセロに引き取られた。熊のように扱われた彼の未来はどうなるのだろうか。それはまだだれにもわからない。