悲しい謎
悲しい謎
九藤は学校が苦手でした。小学校も中学校も高校も大学も苦手で嫌いでした。
ただ大学に関しては、本物の学問を知ることが出来たという点において、行って良かったと思っています。
九藤は不器用で孤立しがちな人間でしたが、高校生にもなると「頭脳明晰」な部類と見なされる人間は周囲から一目置かれるようにもなります。
有り難いことに九藤も一目置いてもらいました。
でも独りぼっちでした。
九藤に次ぐ成績の男子は、よく話しかけてくれました。
九藤は家庭環境等、事情があり、分厚い氷で自分を覆っていたのですが(独りぼっちで当たり前ですね)その子は臆せず九藤に近寄り、尚且つライバル心を抱いていたようでした。成績上位の男子数人に、九藤は同様にライバル視されていたようでした。敬意と共に。
そういうものではなかったのです、欲しかったのは。
欲しかったのは、ただ、お友達でした。女子でも男子でも良かった。
ある男子は九藤に『アンネの日記』を読んだと報告して来ました。
キラキラと何か期待する目で。
リアクションに困りました。
九藤は読んだことがありませんでしたし。
リアクションに困りました。
例えば少年ジャンプのなんちゃらにすごくはまってる、とかで、九藤は全然、お話に乗れたのですが。
へんてこりんな九藤は、高尚な生き物と勘違いされていたようでした。
九藤は少しキャラを変えようと、ほんのちょびっとフランクに、気さくな感じに彼らに接してみることにしました。
するとなぜか、九藤に次ぐ成績だった男子の態度が変化しました。
冷たく、苛立ったように。
失望されてしまったのかどうか、理由は今でも解りませんが、九藤は凹みました。人間は悲しい、と思った。
京都にある大学に入った時は驚きました。
女子はともかく、男子が高校にいた子たち以上に人間として幼かったからです。気軽に人を傷つける。幼稚でした。大学に大人びた人間がいるとは限らない、とがっかりしました。
そんな中、神戸から転入して来た年上の女子学生がいました。
授業では常に教授や生徒の称賛を浴びていました。ああ、九藤が昔、立っていたポジションに彼女はいる。複雑で、しかし安心しました。もう「高尚な一位」という重責を担わなくて済むのですから。
九藤は彼女と学食でご飯を食べたりお喋りしたりしました。
友達になりたいな、と思っていました。
卒論の中間発表の時期ともなると、皆がそわそわしておりました。
もちろん、九藤もそわそわ。
幸いにして教授陣の反応は良く、ホッとしました。
そして象牙の塔に集う学生というのは残酷なほどに無邪気なもので、「実力があるやつ」とされた人間に対して、態度が急に軟化するのです。
ちょっとバカみたいなシステム。
人間性を磨くほうが目下の課題。
そんな風に感じました。
秀才の彼女は相変わらず、特に彼女が師事していた教授の覚えが良かったようでした。
「うちの大学は落とす時は本当に落とす」
これが九藤の師事していた教授の脅し文句でした。ひええ。
「今、君が読み上げた論文は紙屑のようなものだね」
近代史の教授(パッと見、アラブ系に見える。濃いーいお顔立ち)が言い放たれたという伝説の台詞です。
ひえええ。Not紙屑!
怠け者の九藤はそれはもう、頑張りました。
頑張って、頑張って。
仕上げた卒論は、先生方から褒められました。地方研究誌にも掲載させていただくことになりました。
久し振りに、九藤はキャンパス内で秀才の彼女を見かけました。
浮かない顔をしていました。
九藤を見ると、ふいと目を逸らしました。
ふい、と。
視界に入れたくないように。
九藤は高校のころを思い出しました。
なぜ、彼女に避けられたのか。
卒論における評価で、彼女を抜いてしまったのだろうか。それが原因だろうか。それとも九藤の見間違い、思い違いだったのか。
それ以来、彼女と会うことも話すこともありませんでした。
風の噂で、彼女の精神がやや、弱っていると聞きました。
勉強が多少出来ても、卒論で良い評価を貰えても、九藤にとって一番、知りたくて、解らないことは今でも謎のままなのです。
悲しい謎のままなのです。