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白頁のレミット  作者: 汐見圭
白い氷
8/8

白い氷 弐

「――それで、全部カタがついたのか」

 大学の保険管理室で、それまでの膨大な資料と共に今回の全ての顛末を時海は日野居に説明していた。

「羽嶋君が真相にたどり着いた丁度その日に、野上ひなの遺族から連絡があったそうです。料金不足で返送されてきた封筒があり、それが戸羽小平へと宛てられたものだったと」

 中身は、数枚の便箋だった。時海は、羽嶋から横流しして貰った、それを収めた写真を日野居に手渡した。どこから手に入れたかについては上手く誤魔化しておいてくれ、と彼から念を押されていたので、時海は何も言わないことにした。

 受け取った日野居は大儀そうにそれを斜め読みすると、一分も経たぬうちに写真の束を彼女に突っ返した。

「つまり、その戸羽とかいう奴をちょっと懲らしめてやろうと、やったのがアレか」

 便箋にはまず以て、戸羽だけではなく相葉、小笠原、保坂への感謝が綴られていた。そして今回の騒動の発端は、彼らがある日彼女への対するイジメを排除していた時に、戸羽が少しだけ愚痴を漏らしてしまったのを、彼女が聞いてしまったことによるものだった。

「――本当に、若者の心理は謎だらけだ」

 そしてその手紙によって、戸羽はとうとうその状況を警察に自供した。

 犯行の日の朝、野上ひなは――恐らく少し騒ぎを起こそうとして――戸羽を七時五十分かそこらに呼びだした。するとそこには、首つりの真似をする彼女。慌てた彼は窓の方へと駆け寄ると、その時なぎ倒した机が、彼女の足場を奪い、転落。窓の縁に頭を強く打ち付け、そのまま死亡。

 ――だが、その一部始終を見ていた人物がもう一人居た。相葉一だ。

『戸羽小平が事件現場にいた、もしくは事件を目撃していたのは間違いないだろう。だが、彼がもしその場に居たとしたら――あるいは悪意を以てして――かように事件を複雑化させただろうか? と、思い至った。そうしたらそこに偶然、「黒板のメッセージを瞬時に理解」し、「遺体を少しだけ隠」させるような機転の利く生徒が、一人だけ居たわけだ』

 何故そこに都合よく彼が居られたかについては、あの日に羽嶋が推論を漏らしていた。

『恐らく、野上ひなが違え時のおまじないを仕掛けたとき、その場に相葉一も立ち会っていたんじゃないか』

『何故? 相葉君にはメリットが無さそうだけど』

『勿論立ち会っただけじゃなく、会話もしたんだろう。あの洞察力だ、そこで彼女の雰囲気がどうも怪しいというのを見抜き、登校時間を早めたんだろうな』

 日野居は、あり得ない話ではないが、と肩を落とした。

「――なんて男だ」

 相葉はまず、ベランダに出た彼女の頭を、教室の中に引っ込めるように戸羽に促したという。

『物音がどこからしたか、ぐらいは人間ならすぐに判断が出来る。これをあの場に当てはめれば、窓側か廊下側か、って事だが。事件は窓際で起きたから、そこでベランダに生徒が顔を出して、血の気の失せた彼女の頭を発見されでもしたら、真っ先に教室に人がなだれ込んでしまい、自分たちの疑いを晴らせなくなるだろう』

 動揺していた戸羽は、相葉に言われるがまま、彼女の身体を少しだけ引っ込めた。この時、彼女の制服に、家族でも、彼女自身のものでもない、血痕の付着した指紋が残ってしまった所までには、相葉も気が回らなかったのだろう。

『窓のレールには水が溜まらないように、両端に流れる口がついているが、俺が見つけたあの血痕は、あの遺体の場所から血が流れたとしても、絶対に出来得ない場所にあった――要するに真ん中だったんだが――。だから、俺は死体が移動されたんじゃないかと考えて、移動した人間の指紋が残っているんじゃないかと、慌てて電話で被害者の衣服が遺されていないかを問いただしたんだ。そうしたら、それがまさにそうで、遺族の所に当時の制服一式が洗われもせずに遺っていた。これが決め手になった』

 同時に相葉は教室のドアを力一杯閉め、鍵を掛けた。結果としてこの鍵を閉める行為は無駄になり、戸羽が証言でミスを犯す原因にもなってしまう。

「そうして、相葉一は黒板から『r』を一文字だけ綺麗に消し去り、戸羽と一緒にベランダを出て、第二生徒会室から廊下へと戻り、何食わぬ顔で廊下での騒ぎに加わった――という所まで、彼は証言してくれました。相葉一にも裏付けを取ったそうですが、少し残念そうに、その証言を肯定したそうです」

 日野居は、一度コーヒーカップに手をつけたが、中のコーヒーには口をつけず、そのままカップを戻した。

「まったく、恐ろしいほどの善人気取りだな」

「善人というか……彼は何がしたかったんでしょう、という感じですね」

 時海の考察に、日野居は「不可だ」とだめ押しした。

「そんな見え見えの感想、『私はきょう遠足に行きました、楽しかったです』と言っているのと同じじゃないか。せめて最高学府に籍を置く者として相応しい考察を述べたまえ」

 えと、あの、と彼女が狼狽しているのを余所に、日野居勝は書類の束を時海の机の上に置き返した。

「いいかね? クラスメイトへのイジメを止めさせるのも、友人が殺人の罪で疑われないようにするのも、ひとえにクラスを思っての行動だ。相葉一は平穏な毎日を願って、その為ならば自分がどう見られようと構わない、自己犠牲の塊みたいな生徒だ。濡れ衣を着せられるのは嫌がったみたいだがな」

「だからってそこまでするのは、異常だし非情すぎます。罪を隠すために罪を犯すのと同じじゃないですか」

「そうだろうか。誰だってイジメは嫌だしやめさせたいと思う。それは何故かと言えば、誰かが嫌な思いをするからだ。イジメが露見すれば、先生は徹底的に犯人を糾弾するだろう、それが大人や教師としての責務でもあるからな。だが相葉一はそもそも、そのように人間関係に波風が立つことすら嫌がったんだ。全員と卒業まで仲良くやっていきたい――その為にはイジメを可視化されない最小限度に抑え、加害者と被害者に対しケアを忘れないようにした。だから、二年四組にはイジメは無い、とあのボンクラ担任教師がつけ上がるに至ったんだ」

 奇矯な一面ばかり取りざたされるが、あんなものは狂人でも何でもない。君と紙一重の差しかない人間なんだ、と日野居は断じる。

「あるとすれば、君と彼との違いはたった一つ、安寧に対する価値観だ」





「――日野居さんに同意だな。流石、その筋のプロは安易に肯定も否定もしない辺り好感が持てる」

 鎚葉は、羽嶋へ借り物を返しにまた『ティレール・レペ』に来ていた。

「納得いかないなぁ……私、ああいう手合いが一番嫌いだから」

「頭の良さと賢さは違うといわれるが、彼は見事に両取りしてしまっているんだな。常に先を行かれているのを、快く思う人種の方が少ないだろう」

 時海はくさって見せた。

「ところで、まだ業務時間中なんだが。まだ用があるのか」

「あ、そうだ! 大事な事を聞いていなかったのよ」

 それは、と時海は例の教室の黒板の写真を突きつけた。

「これって、そもそも何で、戸羽小平の名前を示していたの? 野上ひながその凶行に至る原因を作ったのは彼だけど、手紙だと恨みに思っていたわけではなかったんでしょ?」

「……船乗りだけが読める宝の地図、というやつだろうな」

 羽嶋は、段ボールを開いて、ビニール袋に包まれた袋を片っ端から開き、慣れた手つきで服を取りだしては畳んで、積み重ねていく。

「もし仮に、あそこで野上ひなが足を踏み外さなかったら、どうなっていたと思う?」

「えっ……多分、それでも大騒ぎになっていたと思うわ。生徒が首吊りを決行したってだけで、だいぶショッキングな話だと思うから」

 そうだろう、と彼は頷く。積まれた赤色のチェックシャツが、手の先から肘ぐらいまでの高さになっていた。

「イジメの犯人にとっては相当な出来事だ、それだけで半年、一ヶ月ぐらいは、クラスでもイジメなんて出来る雰囲気じゃなくなるだろう。だけど、彼女を平生から守っていた生徒にとってもそれは十分ショックなことなんだ。何故かと言えば、自分たちの庇護が十分じゃなかったと取られかねないからな。それを回避するために、彼ら側にだけ分かるようにあんな事を書いたんだろうな。何より、彼ら側には優秀なブレインが居てくれるから。そうして、料金不足というトラブルに見舞われなければ後日、彼の元には――」

「弁解代わりの、封筒が届く……」

 確証はないがな、と羽嶋は締めくくった。

「つまるところ、彼女も彼女なりにクラスの事を思いやっていたと言う事だ」

 ――それがこんな事になるなんて、実に悲しい事じゃないか。

 店の外に出て、すっかり日の暮れたオレンジがかった群青色の空を見上げて、時海がそう考えると、ふいに涙腺が緩んだ。

「あまり、思い詰めるなよ」

 羽嶋が店の中から、背中越しに話しかける。

「ただの事故だったんだ。ちょっとした勘違いでややこしくなっただけのな。この世のどこにも、本気でクラスメイトを殺そうとしている奴は居なかった。それだけで、君たち的には十分な成果だろう」

「そう、かもね」

 そうすると、不思議と目の汗が乾いていくのが彼女にも分かった。

「じゃ、私はこれで」

 『――また、会える?』言いたかった言葉を、時海はぐっと飲み込む。

 ――言わなくても、自分から会いに行けばいいのだ。この店は、きっとしばらく逃げる事はない。

「おう」

 羽嶋の声は、気楽そうだった。これからの仕事に、若干辟易しているような感じもした。

「気をつけてな」

 鎚葉時海は、少し速まる動悸を抑えながら、振り向いて、やっぱり言葉を紡いだ。

「また来るね」

 ――また、来よう。

 今度は、弟も連れて。

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