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白頁のレミット  作者: 汐見圭
白い氷
7/8

白い氷 壱

※ネタバレ有 解答編です

 それから、二日が経った。

「そもそもなぜ、白い氷なのか? 形にとらわれてはいけない。それが元からあったと誰が決めた? 神か? 生徒か? 教師か?」

 鎚葉時海は、既にシャッターの降りた『ティレール・レペ』のバックヤードに居た。

「もし仮に、俺が今から話す推論が欠片も的を射ていなかった場合は、その犯人にハナマルをつけてやってもいいと思う」

 羽嶋修二はそう前置きしながら、月別予定が記されているホワイトボードの右下の余白に、黒のマジックで『white』と『ice』を書いた。

「さて、物事をクリエイティブに考えるための一番の障壁が、先入観というやつだな。この字が野上ひなの書いたものであるという証拠があったからこそ、その文面で揺るぎないとされてしまったんだ。じゃあ、彼女が書いた言葉を使って、それを見た者を混乱させるためには、どうすればいいと思う、鎚葉?」

 だが、彼は答えを待たずに、置いてあった長方形のそれを持ち、その字をなぞる。

「消すことだ」

 イレイサーに重なった字は、その場にうっすらとインクの跡を残し、消えていた。

「消した……? だったら、犯人はその黒板の字が自分にとって不利なことが分かっていたって事じゃない」

「無論だ。そうでなければ意味がない」

「じゃあ、何で全部消さなかったの?」

「……時間だな」

 時間? と鎚葉時海は聞き返す。

「余りにも時間がなかった。人が落ちる音と、違え時のおまじないによって早められたチャイムによって、教室に人が集まってくる可能性が十二分にあった。その短時間で、黒板を綺麗に全部消すなんて真似は出来なかったんだ。全部消すと、消した後のケアまでが出来ないので、返って疑いを向けられやすくなってしまう……といったところか」

「なるほど。つまり、衝動的な犯行だったって事?」

「半分、正解だ」

 半分? と彼女は反復する。

「逆に考えてみろ。もし中学校に計画的な殺人犯が存在して、犯行当日が大雨じゃなかったら、そいつにとって殺人を犯すのに非常にリスキーな状況だっただろう、って事だ」

 そこまで言って、時海は少し納得がいかない様子で言葉を紡ぐ。

「ひょっとして、傘――?」

「そうだ。雨の日なら誰だって傘をさす。だが、豪雨にもかかわらず傘をずらし、ちょっと空を見上げたところ、三階の教室で生徒が死にそうになっていた――なんて状況に出くわした生徒は、事実として一人も居なかった」

 羽嶋は、再度例のメッセージをホワイトボードに書き込んだ。

「つまりその殺人犯は、その日が雨であったことを予見し、野上ひなに何とかしてメッセージを書かせて衝動的に殺害、自殺に見せかけ、衆人環視の中逃げ出した――ということだ」

「論理が破綻しているわ」

「そうだな。俺も言ってて頭が痛い」

 では、前提を少し後ろにずらしてみようじゃないか、と羽嶋は言う。

「野上ひなは本当に自殺した、とすれば?」

「それだと、そのメッセージは告発文ではなく、遺書になっちゃうんじゃない?」

 そこまでたどり着ければ合格点だ、と羽嶋は宣った。

「そう、その通りだ。このメッセージの意味は――、予想通り彼らが受けた授業の中に隠れていた。ただし、直接的な意味ではなく、だ」

 直接的ではない――? 時海は檜葉崎から受けたメールを見ながら、疑問符を浮かべた。

「俺が中学校で瀬野先生に何故あれを聞いたか、も参考にして欲しい所だ」

 羽嶋は、筆算の時に使う、根号を逆さまにしたような記号を書いた。

「志学、而立、不惑、知名――これらは全て、年齢を差している。だから俺は聞いた。これの日本での言い方も教えたか――とね。先生はイエスと答えた」

「日本での言い方、というのは」

 すると羽嶋は、とある漢字を書き記した。

「還暦――干支が五周し、元の所に還った事を指す、祝い言葉だ。同様に、早いものだと喜寿がある。これは、『喜』の草書体が、七十七に見えることから、七十七歳の祝いだ」

 羽嶋は、同様に傘寿も示した。

「これも、傘の旧字体が八と十を組み合わせたように見えるから、八十歳の祝い言葉になる」

 そこで、時海は何かを掴んだ気がした。

「……まさか」

 時海は震える手でマジックを取り、『white』と『ice』の間の空白に『r』を書き足した。

「白寿と、米寿?」

 羽嶋は頷きながら続けた。

「白寿は百という字から一を取ったものだから、九十九歳の祝い。米寿は、文字を崩すと八十八歳の祝い、という事になる。しかしながら、もしこれらの関係性から誰かを示唆しているのだとしたら、この二つが並ぶことはありえない。何故なら、二つの間には九十歳の祝い、卒寿が入るからだ」

 つまり数字本体だけ見ても悩むだけになってしまうのだ、と羽嶋は先ほどの記号の上に八十八と九十九を重ねて書いた。

「この数字が出るのは容易かったが、そこからが悩みどころだった。差は十一だから出席番号十一番、とも思ったが、それでは直接的すぎるし、そもそも喜寿が書かれない理由が分からない。何度でも言うが、これは死の間際に書いたわけではないから、考え抜いて選ばれた言葉なのだ。それこそ、『smile』の一つでも書いてあればいいのだが」

 積は八七一二、差は十一、商は一余り十一、となったがこれらは考えるだけ時間の無駄だ、と羽嶋はそれを消した。その場には、和である一八七だけが残った。

「重要なのは『何故』これが特定の誰かを指しうるのか、というという事だ。出席番号一八七番なんてどこのクラスにも存在しないし、生徒をクラス出席番号順に並べて上から数えても下から数えても、一八七番目の生徒は二年四組の生徒にはなり得ないのは、何となく察して貰えるかな」

 名簿を貸してくれ、と羽嶋が頼んだので、鎚葉は前日に弟に弄られたままのそれを差し出した。

「なんだ、最初から分かっているじゃないか」

「いや……それは、愚弟が私の隙を見てイタズラをしたもので」

 だったら弟君はかなり利発的だな、と羽嶋は手放しで褒めた。

「そうだ。この通り、『相葉一』はともかくとして、『小笠原亮』、『西東都子』、『豊島一成』、『中野裕香』などにはみんな、東京都の行政区の名前が入っているんだ」

 日野居が言っていた『既視感』は、そういうことだったのだ。

 彼は西東都子、の『都子』を消し、『京』に書き換えた。すると、『西東京』になった。偶然か、はたまた意図したものか、時海は聞く気も起きなかった。「偶然だろう」という言葉で片付けられるのは目に見えていた。

「……それとその数字と、何の関係が?」

 大いに関係がある、と羽嶋は述べた。

「三桁の数字で、自治体名を表せるものが一つだけあるだろう」

「まさか、郵便番号?」

 慌てて鎚葉が端末で検索をかけると、結果はすぐに出た。

 一八七は、東京都小平市(こだいらし)を示す郵便番号だった。

小平(こだいら)さんなんて生徒、居たかしら?」

 半信半疑で、鎚葉は名簿を返して貰う。

「――そいつは、事件後のアリバイ証言時におかしな事を言っていたな。鍵、と」

「鍵?」

 教室のドアの話を覚えているか、と羽嶋は振った。

「教室、とくに二年四組のドアは立て付けが悪く、すこしショックを与えるとすぐに開かなくなってしまっていた。だから他の生徒は、事件の日の朝にドアが開かなかった状態を一言もカギのせいだとは言わなかった。――が、彼だけは確かに言ってたはずだ。『鍵が開いて先生たちが出てきて――』と」

 そして「それ」が時海の目に入ったのは、それとほぼ同時だった。

「戸羽……戸羽(とば)小平(しょうへい)!」

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