第7話「すべての声を出し尽くせ(Ⅱ)」
♪♪♪
再び車を一時間ほど走らせて、市街の中心部に戻って来た。
「……あぁ、どうも朝早くにすみません。……昨日お訪ねした、HAPPY★RUNNERSというバンドの者です。ええ、そうです。俺はゴリラです。……」
剛田が昨日、連絡先を交換していたライブハウスのオーナー・根中さんに電話をかけ、今日一日、関係者用の駐車場に車を置かせてもらってもいいかと確認を取る。ついでに僕たちが十二時間ぶっ続けで野外ライブをやると伝えたら、根中さんは少し驚いていた。暇があったら是非とも見に来てくださいとお誘いしておく。
根中さんの了承を得て駐車場の隅っこの方に車を停めさせてもらった僕たちは、戦の前の腹ごしらえにと、駅前のマックで手早く朝食を詰め込んだ。コンビニでドリンクや氷などの買出しを済ませたあと、本日の舞台である公園の噴水広場に赴く。
午前八時三十分。――
昨日予定していた場所に機材をセットし、楽器の調整をはじめる。
それが終わると、『HAPPY★RUNNERS 炎の十二時間野外ライブ pm9:00~am9:00』とマジックで書き殴ったダンボールの看板を立て、足元におひねり用のギターケースを広げておいた。十円玉から千円札まで、お客さんが金額を気にせずお金を入れやすいようにと呼び銭も入れておく。
すべての準備を整えた僕たちは、四人で肩を抱き合い円陣を組んだ。サッカーやラグビーなどで、選手たちが試合の前にやる〝アレ〟をやろうというのだ。
「絶対勝つぞぉーっ!」と剛田。
僕たち三人は「「「おおーっ!!!」」」と答えたそばから吹き出して笑ってしまう。
何に勝つんだよ。僕がそうつっこんだら、剛田は「弱い己だ」と笑いながらのたまった。まぁこの際、細かいことはなんだっていいや。要は気持ちの問題なのだ。気持ちの。
午前九時。――
――いよいよ僕たちの半日に渡るステージが幕を開けた。
第一部は、バンド演奏によるコピー曲の網羅である。
まだ朝も早く、それに日曜日だということもあってか、それほど人通りは多くない。
僕たちが演奏をはじめると、最初は皆、少し警戒した様子で遠巻きにチラチラとこちらの様子を窺うだけに留まっていたが、そのうち一人が近くに寄ってきてくれると、それをキッカケにぽつぽつと足を止めて聴いてくれるようになる。そうして第一部も終わりの頃になると、公園自体の人通りも増え、僕たちの周囲には大体二十人程度が集まってくれていた。
客層は老若男女、実に様々である。学生や親子連れから、若年・熟年のカップル、サラリーマン、おじいちゃん・おばあちゃん、中にはギターケースを背負ったバンドマン風の人たちもいる。まぁ、ほとんど興味本位だとして、これほど幅広く色んな層の人たちに演奏を聴いてもらえるというのは、路上ライブならではの楽しみといえるだろう。
途中で自己紹介のMCなども挟みつつ、約二時間で全十三曲を演奏した。
一般的に知名度の高い楽曲も多かったため、掴みは上々である。
午前十一時。――
さて、ここからいよいよ第二部の幕開けである。問題のソロ演奏枠だ。
トップバッターの鮎川は、テレキャスをギブソンに持ち替え、ハーモニカホルダーを首から提げたフォークシンガーの基本スタイルでベンチに腰を下ろす。
僕たち三人はすぐ後ろの木陰にブルーシートを敷き、そこに座り込んで様子を見守った。
「お姫ーっ! かわいいぞー!」
「ひゅーひゅー!」
人見知りでアガリやすい鮎川を気遣ってか、まひると剛田が下手な茶々を入れてアジテーションを行っている。しかしこれは逆効果だろう。ほれみろ、やっぱり鮎川も困った顔をして笑っているじゃないか。
「えーっと、それじゃあ一生懸命歌います……」
そう言って恥ずかしそうにはにかんだ鮎川は、挨拶代わりに一曲、吉田拓郎の『結婚しようよ』を歌った。明るくポップなメロディーに微笑ましい歌詞を乗せた、氏のヒット曲である。
やっぱり鮎川の弾き語りは安心して聴いていられるなぁ。なんといったってクオリティーが高い。歌やギターが上手いというのはもちろんのこと、ちょっとした間の取り方や、歌っている最中の表情に至るまで、彼女の表現力の豊かさには、ほとほと感心させられる。
因みにお客さんの層は目に見えて男性が多くなった。鮎川は可愛いからね。
最前列では、見るからにナンパ師のような若いニーチャンたちがニタニタと下卑た笑いを浮かべていて僕としてはちょっと面白くなかったのだが、演奏が進むにつれて彼らの表情が次第に真剣なものとなり、夢中で耳を傾けるようになっていく様は、少し痛快ですらあった。
鮎川はその後も、『伽草子』『流星』『今日までそして明日から』などの吉田拓郎作品に加え、ボブ・ディランの『風に吹かれて(Blowin' In The Wind)』『天国への扉(Knockin' On Heaven's Door)』など、全九曲の弾き語りを披露し、予定されていた一時間の尺をあっという間にこなしてしまった。
出番を終えた鮎川が、胸を撫で下ろしながら木陰に入ってくる。
「はぁ、緊張したよー」
彼女の額にはきらきらとした汗の粒が浮いていた。
正午になり、日差しはまた一段と強くなっている。
「お疲れ。良かったよ」
「ケンちゃんも頑張ってね?」
「ああ」
次は僕の出番だ。
気合を入れるためにぱんぱんと頬を張って、鮎川と入れ違いに木陰を出る。
客層は鮎川目当ての男性客が少し引いた分、ファミリーやカップル層が新たに増えていた。
ベンチに腰掛け、軽く挨拶を言った後、僕は早速ギターの弦を引っ掻き始める。
僕は鮎川ほど上手くないので、曲の知名度で攻める作戦だ。
もはや一般教養レベルと言っても差し支えない、ザ・ビートルズの名曲――『Hey Jude』や『Let It Be』『Ob-La-Di,Ob-La-Da』他三曲に加え、ブルーハーツの『青空』『ラブレター』『チェインギャング』などもアコースティック弾き語りバージョンで披露する。
正直、鮎川の後ということでお客さんのハードルも上がっているだろうなぁ、といささか懸念していた部分もあったのだが、いざやってみれば意外とそんなこともなく、普通に反応は良かった。まぁ僕の演奏が良かったというよりは、お客さんが出来た人たちだったのだ。曲の始まりと終わりにはきちんと拍手を送ってくれるし、全体的に雰囲気が柔らかい。感想から言えば、すごくやりやすかった。
「うへぇ~、あっちぃい~!」
炎天下での演奏を無事に終え、僕がゆでだこ状態で木陰に転がり込むと、剛田がクーラーボックスからよく冷えたスポーツドリンクを投げてよこした。
力強くキャップを捻じ切り、ごくごくと渇いた喉に潤いを与える。鮎川がその間にタオルで背中を拭いてくれた。
さぁて、次はお待ちかね。一番の不安要素である、まひると剛田の登場だ。
「あとは任せろ」
剛田は親指をぐっと立て、厚い胸板をこれでもかと張りきっている。
「行くぜぇい、ゴリラ!」
まひるが怒鳴り口調で啖呵を切り、二人は「ヨイショーッ!」とものすごいハイテンションで客前に飛び出して行った。大丈夫かなぁ~。僕は鮎川と顔を見合わせて苦笑する。
鮎川は僕が弾き語りをしている間に一度着替えたらしく、服装が変わっていた。女の子は汗とかニオイとか、いろいろ気を遣うんだろうなぁ。僕は男らしくくしゃくしゃと髪の毛を拭いたあとそのまま頭からタオルを被って、日向の様子を窺う。
まひると剛田は、担当する楽器の都合上ソロ演奏が難しいので、二人で一時間ということになっていた。そして大体、そのうちの正味五十分がトークである。もうはっきり言って、曲の方がおまけなのだ。
しかしムカツクことに、まひると剛田の喋りはめちゃくちゃ面白い。下手なお笑い芸人の漫才なんか見るよりよっぽど笑えるのだから、これはこれで立派な武器である。
みんな足の裏でもくすぐられてるんじゃねーのかと疑うくらい、二人のトークはウケていた。こいつらはミュージシャンよりもコメディアンを目指した方が大成するんじゃないだろうか、と、思わないでもない。……何気に、僕の弾き語りのときよりもお客さん増えてないか? もしそうだったらショックなので、勘定はしないけど。
演奏は二曲だけ。僕がギターとして参加し、セックスピストルズの『Anarchy In The UK』と『God Save The Queen』をやった。正直、テンションが高いばっかりで演奏自体はガタガタだったのだが、パンクロックは技術よりもパッションなのだと言い訳をしておく。……え? コミックバンド? なにそれ、おいしいの?
午後二時。――
夏の暑さは最高潮に達していた。気温は体感で四十℃を超えているだろう、とにかく日陰にじっと座っているだけでも汗が吹き出してくるのである。日向で直射日光など地肌に受けていれば、それはもう暑いというより、痛いといった方が的確かもしれない。
ソロ演奏枠も二順目に突入し、再び鮎川の出番である。
女性物の帽子とサングラスで紫外線対策を施した鮎川は、少しこの場の雰囲気にも慣れてきたのか、苦手だと言っていたトークにチャレンジしていた。
「えーっと、その、私はとっても昔のフォークソングとかが好きで、中でも吉田拓郎さん。〝タクちゃん〟のことが特に好きで、ですね? こうやって偶に趣味で弾くことがあるんですけど、やっぱり同級生の人たちからは『古っ!』とか『あんた何歳よ?』みたいに言われちゃうことが多くて……。そう言われたら少し困っちゃうんですけど……でも、好きなんですよ」
客層は再び男性が多くなっていた。みんなやたらとニヤニヤしちゃって、下心が丸出しである。あー、いやだいやだ。
鮎川は恥ずかしそうにモジモジとしながらも、一つ一つ思い出すように、ゆっくりとした口調で一生懸命喋っていた。
「もともとはお父さんがファンで、昔からお父さんが運転する車の中では、常にタクちゃんの曲が流れてるっていう……。そのー、私もちっちゃいときから良く耳にしていたから、すごく、こう、自分の肌に馴染むっていうか……。うーん……」
鮎川が不意に止まってしまうと、まひると剛田が空かさずエールを送った。
「お姫ーっ! がんばれー!」
「ひゅーひゅー!」
だから、それはやめろってぇーの。
二人のアジから鮎川の『姫』という愛称を聞きつけた観客の若いニーチャンたちが、面白がって好き勝手に囃し立て始める。
「がんばれー、お姫ちゃーん!」「お姫ちゃん、可愛い!」「俺と付き合ってくれー」
言いたい放題である。
ちぇっ、僕はあくまでも心の中だけで、まじめに応援するぞ。がんばれ、鮎川。
すると、しばらく考える間を置いていた鮎川は、困ったように笑い、
「何を言おうと思っていたのか忘れちゃったので、曲に行きたいと思います。ごめんなさい」
待っていたお客さんたちが一斉にずっこけ、笑いが起こった。
鮎川のトークもなかなか面白いなぁ。まひるや剛田の百発殴って一発当たればいいやみたいなガツガツとした笑いとはまた違った方向性である。
――演奏は『夏休み』『元気です』『となりの町のお嬢さん』など、安心安定の拓郎作品に加え、今回は井上陽水の『少年時代』『夢の中へ』や、ユーミンの『ひこうき雲』『やさしさに包まれたら』など、拓郎と同年代のフォーク系ミュージシャンの名曲も併せて披露した。
鮎川と交代して、再び僕の出番。
Tシャツの袖口とジーンズの裾を捲り上げて、ギターを抱えた。
『Here Come The Sun』『Get Back』『In My Life』他二曲のビートルズ作品を演奏する。
僕も鮎川に倣って、少し長めのMCを入れてみた。
「これから夏休みということで、海やプールに行く人も大勢いると思うんですけど、残念ながら僕は泳げないものですから、これからそれをどうやって誤魔化そうかとそればっかり考えて過ごす今日この頃でありまして。もちろん、水着のお姉さんは見たいですよ? そりゃあもう海やプールに行く機会があろうものなら、穴が開くほど見てやろうと思っているわけなんでございますが、ただですねぇ、僕が泳げないと馬鹿にする奴がいるんですよ。ほら、今あの後ろの方におります大きいのと小さいのが、もう非常に僕のことを馬鹿にするんですよねー。『やーいやーい、泳げないでやんのー! かっこわりぃ~!』なんつってさぁ?」
そのタイミングでまひると剛田が「「ばーかばーか」」と声を揃え、野次を入れてきた。事前に打ち合わせをしていたわけではなかったのだが、さすが笑いというものをよく心得ている。
「なんだよお前らー。人が話してるときに口を挟むなよー」と言ったら、「話つまんねーぞ」とまひるが言ってきて、お客さんがどっと笑った。
「あのぅ、僕の話はつまらなかったでしょうか?」と訊いてみたらもう一ウケあり、「それじゃあそろそろ曲の方を……」と言っておいて「やっぱりもうちょっとだけ喋らせてください」と言ったら、さらにウケた。こうして一体感というものは出来上がっていくのだなぁ。
「女の子が『わたし泳げないの~』なんて言うとすごく可愛らしいのに、どうして男が泳げないって言うとああいう風に馬鹿にされるんでしょうかねぇー。おかしいですねー。だって女の子が泳げないと、男はすっごく優しくするでしょ? 『手ぇ持っててあげるよー?』なんて調子のいいこと言ながら、別のところ持っちゃったりなんかしてさ?」
お客さんの反応がいいので、ついつい僕も調子に乗ってしまう。
「女の子もねぇ、なんなら別のとこ持ってくれればいいのに……。まぁ、昨今は草食系男子というものが流行っているようなので、これからはそういうこともあるかもしれません。楽しみですね。さて、それじゃあ次はビートルズの『愛こそはすべて』という曲を」
自分で言っておいて思わず吹き出してしまう。
「すいません、こんな話したあとで『愛こそはすべて』なんて言われたってさぁ、不純だよなあ。白々しいったらありゃしないよ。僕はビートルズファンにぶっ飛ばされるんじゃねーか」
イントロに入るのだが、そこでまた一ついらんことを思いついてしまった。
「えー、僕がビートルズファンの方に怒られるのは自業自得ということで諦めますが、どうか演奏中に拳銃で撃つのは勘弁してください。妻のヨーコが悲しみますので」
結局、喋りすぎてしまった僕は本来演奏する予定だった曲を二つほどカットするはめになったが、まぁ、お客さんも僕も楽しんでいたので良しとしよう。
ここからは待ちに待った、鮎川とのセッションコーナーである。
アコギ二本で、カーペンターズの『TOP OF THE WORLD』『イエスタデイ・ワンスモア』『青春の輝き』をコピーする。
休憩中のまひると剛田は、戯れにシャボン玉を吹いて、さしあたり舞台演出を行っていた。夏の日差しを受けたシャボン玉は、きらきらとした虹色の光を放ち、僕と鮎川の周りをふわりふわりと漂っている。あいつらにしてはやけに好いセンスだなぁ、と思った。
正直言って、僕は鮎川が一緒だと非常に気が楽である。二人並んでベンチに腰をかけ、時折お互いの顔や手元を見て笑いあいながら、とってもリラックスしたムードで演奏できた。
僕と鮎川のセッションが終われば、二時間ばかり休憩を取っていたまひる&剛田の2ndステージ。上はタンクトップ一枚、頭にタオルを巻いた剛田はやきとり屋のおっちゃんみたいで、半袖・短パンに麦わら帽子をかぶったまひるはどっかの田舎の小学生みたいである。
二人は相も変わらず漫談のようなトークを飛ばし、次々に客を沸かせていた。
鮎川は汗を掻いたので着替えてくると、再び近くの公衆トイレに向かった。僕もすっかり汗でびしょびしょとなったTシャツを脱ぎ捨て、近くの水飲み場で頭から冷水をかぶる。
鮎川は一時間丸々の休憩なので、ゆっくりしていてもいいのだが、僕はまひると剛田の演奏にギターとして参加しなければならないので、急いで着替えを済ませる。
今回も、まひる&剛田枠での演奏は二曲だけ。ラモーンズの楽曲から『Blitzkring Bop』と『Sheena Is A Punkrocker』を、荒削りなサウンドで元気一杯にお送りした。
午後五時。――
夏の太陽も少しずつだが、確実に傾きはじめている。空は黄金色の気配を帯び始め、ヒグラシがどことなく物寂しげな鳴き声を響かせていた。
ソロ演奏枠は三順目に突入。
真新しい純白のワイシャツに袖を通し、長い髪の毛をひとつに束ねて結った鮎川は、凛とした雰囲気を放って『なごり雪』(イルカ)、『ファイト!』(中島みゆき)、『さとうきび畑の唄』(森山良子)、『されど私の人生』(斉藤哲夫)を熱唱。どれもこれも、本当に震えるような名曲ばかり。鮎川による入魂の弾き語りは、まさに圧巻の出来だった。
個人的に、二曲目の『ファイト!』は特に痺れたなぁ。この曲は元々、とある少女の旅立ちを応援するために作られたものだそうで、切ない諦めの感情と、情熱的なメッセージとが激しく鬩ぎ合った歌詞の素晴らしさには、思わず感嘆の吐息を漏らすほかない。
お客さんも皆、話し声一つ立てずに聞き入っており、思わず涙ぐんでしまったおじさんたちの中には、おひねり用のギターケースにお札を投入してくれる人もあった。
一際大きな拍手に包まれて、鮎川が3rdステージを終える。
続く僕も、気合を入れて三度目のソロ演奏に臨んだ。
しかしいかんせん僕の喉はぽんこつなので、既に若干高音域が苦しくなりはじめている。音圧を上げて少々強引にでも声を絞り出した。音程も不安定になりがちだったため、そこはロングトーンを多用してブレを矯正する。
ジョン・レノンの『イマジン』『LOVE』『Stand By Me』、イーグルスの『Desperado』を汗だくになりながらも何とか歌いきった。たぶん聴いている方もハラハラしていたのだろう。お客さんからの拍手が一段と大きい。小学校のマラソン大会で、ビリになった子が拍手で迎えられるのと同じ感覚だ。僕はひとまずホッとして「ありがとうございました」と言ったのだが、その際おもいっきり声がひっくり返ってしまい、棚ボタで笑いが取れた。ラッキー。
しかし安心するのも束の間。ここからの三時間余り、僕はほとんど休憩無しなのだ。
今ので僕のソロ演奏枠はラストだったのだが、例によって次のまひる&剛田枠ではギターとして参加する手筈となっており、そのあとは再び鮎川とのセッション枠。そして最後には、本命の第三部が控えているのである。
正直、それまで持つのかという不安もあり、僕を気遣った鮎川が次のまひる&剛田枠は自分がギターとして入ろうかと言ってくれた。しかしそれだと鮎川が休憩なしになってしまう。恥かしい話、僕はへなちょこなので体力的には鮎川と大差ない。しかし僕にも男の意地というものがある。鮎川は大事なボーカリストなのだから、今のうちにしっかり休んでおいてくれと言い聞かせた。
とりあえずまひる&剛田枠はトークがほとんどを占めるので、二人が喋っている間は僕も休憩が取れる。栄養ドリンクを飲み、鮎川から貰ったのど飴を舐めておく。
まひると剛田は相変わらず快調だった。今は高校時代の思い出話を面白おかしく喋って聞かせている。こいつらはこいつらで安定しているなぁー、と思う。
曲をやる番になって僕が加わった。とりあえずここはノドの調子を考えて、歌は自重しておくべきであろう。僕はギターを弾くだけで、歌には参加しないつもりでいたのだ。
しかし都合の悪いことに、今回の曲目はローリングストーンズの『Jumpin' Jack Flash』とザ・クラッシュの『I fought the Law』。何を隠そう、どっちも僕の大好きな曲である。
まひると剛田はラストということで殊更エキサイトしていた。楽器なんかぶっ壊れるんじゃないかと思うくらい激しい演奏で、シャウトというよりは絶叫に近い声を持って力いっぱい歌い上げる。そんな二人の姿があまりにも楽しそうだったので、僕はついつい一緒に歌いたい衝動を堪えきれなくなってしまい、結局は三人で思い切り飛び跳ね、叫びまくった。
嗚呼、僕は本当に我慢の利かない奴だなぁー、と自責の念に駆られたが、まぁしかし、ロックンローラーとしては正しい在り方だよな、ということで駄目な自分も肯定してあげる。
それに、さっきよりも少し声が掠れた程度で、危惧していたほどのダメージはなかった。興奮による一時的なものだろうか、むしろ喉の奥が広がって声量は増した気さえするのだ。
この機を逃すまいと、エレキをアコギに持ち替え、すぐさま鮎川とのセッションコーナーに入る。拓郎作品の中でデュエット向きの楽曲、『春を待つ手紙』と『シンシア』を分担して歌った。その際ちょっとしたハプニングがあったので、MCでネタにしておく。
「あのぅ、鮎川さんはですね、僕たちのバンド自慢のボーカリストでありまして、歌もギターもすっごく上手なんですが、やっぱり人間誰しもに欠点はあるものでございます。彼女の場合ちょっとうっかりしたところがありまして、途中から〝あれっ?〟と思われたかたもいらっしゃると思いますが、今歌った『シンシア』という曲、なんと、一番の歌詞を二回歌ってしまわれました」
お客さんの穏やかな笑い声が響き、鮎川は赤面して顔を手のひらで覆い隠した。
「本来ですと、僕が一番を歌って、鮎川が二番、そして最後のCメロのところは二人で一緒に歌うという予定になっていたんですが、僕が一番を歌ったあとに、何故か鮎川も一番を歌いまして、全く同じ間奏が二回入り、〝それじゃあ、二番は一体どっちが歌えばいいんだ!?〟と一瞬焦りましたが、そこはそうそれ、僕と鮎川の素晴らしいコンビネーションによって上手く誤魔化すことに成功いたしまして、聴いてくださった皆様にとってみますと、『なぁ~んだか、ずいぶん長い曲だなぁ~』という印象を残すのみに、とどまれたんじゃないかと思います」
観客の皆さんが笑いながら拍手を送ってくれる。鮎川は耳まで真っ赤にしながら、「すみませんでした」と頭を下げている。
「ケンちゃんも、ごめんね?」と言われたので、「ううん、全然いいのよ?」と答えたら、「なんで、おばちゃんみたいなの?」とつっこまれ、再び笑いが取れた。なんだか楽しくなってきたので、一つムチャ振りをしてみよう。
「まぁ別に間違えたわけじゃないからねぇ?」
「ん?」
「大事なことだから二回歌ったんだよね? ワザとに」
鮎川は困った顔で「う、うん、そうだね……?」と調子を合わせてくれるのだが、そのあまりのぎこちなさがおかしくって、僕もお客さんと一緒になって笑ってしまった。
さて、そろそろオチをつけて最後の曲に入るとしよう。
「――まぁ、実はその前の『春を待つ手紙』でも歌詞は間違えていたんですけどね」
お客さんも鮎川も、見事に爆発してしまった。
思う存分笑ってもらったところで、最後に一曲。ここまで付き合ってくださった皆さんへの感謝を込めて、井上陽水&奥田民生の『ありがとう』を歌った。
これで八時間近く続いた第二部は終了する予定だったのだが、なんの手違いか、尺が三十分ほど余ってしまった。まぁ別にそれくらいなら前倒しで第三部を始めてしまっても構わないのだが、ここまで来たらきっちり九時までやり切りたいと思うのが人情である。
僕は剛田に声をかけ、二人でやけくそに流行歌の替え歌メドレーをやったところ、これが物凄くウケた。どんな曲をどんな風にして歌ったのかについては、その内容があまりにも馬鹿馬鹿しいため割愛させていただく。
午後七時三十分。――
すっかり日は落ち、空は暗くなっていた。
あちこちに建てられた外灯の明かりが周囲を煌々と照らし出している。噴水はカラフルにライトアップされ、それを目当てに訪れる人も多い。
僕たちの半日に渡る野外ライブも、いよいよラストスパート。
これより始まる第三部は、怒涛のオリジナル曲攻勢だ。
約一時間半の尺を使って『HAPPY★RUNNERS』のオリジナルナンバー全十二曲をすべて放出する。自分の好きな曲をコピーしてやるのも楽しいが、やっぱりミュージシャンの醍醐味は自分たちで作った曲を、自分たちの手によって演奏することにあると僕は思う。
それに今日は長時間それぞれに分かれてやっていたせいか、メンバーの音が一つに揃ったときの感動には格別なものがある。音の厚みに、思わず心が躍っていた。
第三部もいよいよ佳境に差し掛かり、次は僕のボーカル曲だ。
『‐ESCAPE‐』
作詞 篠原健一/作曲 鮎川由姫乃/編曲 HAPPY★RUNNERS
今日はなんだか気分が乗らない だったら無理することはない
世の中大事なことなんて みんなが言うほどたくさん無いのさ
やらなきゃいけないことなんて ホントはどうでもいいことだ
誰かに言われて刷り込まれ やらされているだけなんだろう?
行きたくないなら行かなきゃいいさ やめたくなったらやめちまえ
気に病むほどのことはない どうせ一度の人生だ
自分勝手に決めてやれ やりたいようにやればいい
もっと自由でいいじゃない もっと気ままでいいじゃない
心の鎖を解き放ち 羽を伸ばして空を仰ごう
やるもやらぬも 気分次第さ
言い訳ばっかりしてたんじゃ そのうちちっとも 笑えなくなっちまうよ
(――この曲を作ったのは一昨年の夏。その頃といえば、大学を卒業した後は四人でミュージシャンを目指して上京しようと本格的に考え始めた時期であり、両親にそのことを打ち明けた僕は当然のように反対され、すったもんだの大喧嘩になった。この曲の歌詞は、そのときの反発的な気持ちを発作的に書きなぐって出来たものである。メロディーメーカーの鮎川が雰囲気にあったアップテンポのかっちょいい曲をつけてくれたので、個人的にはなかなか気に入っている。なによりもこの曲は歌いやすい。少々音程を外したってかまわないし、むしろぶっきらぼうに吐き捨てるような歌い方をしたほうが、この曲には合う。『もっと自由で~』のくだりから入る鮎川のコーラスがまた絶妙に心地良く、歌っていてすごく爽快なのだ)
見栄張りいきがり着飾って 人目を気にしているアンタ
自分の周りをよく見てごらんよ? 誰もアンタのことなんか
見てもいないし 気にしてないから
何の為に頑張るの? どうしてそんなに苛立つの?
疲れた吐息を吐き出して 暗い話が上手になったね
耐えるばかりが人生じゃ 生きてくことさえ苦しいよ
イヤなものはイヤだってさ たまには言葉に出してみよう
そうすりゃ少しは軽くなる 明日は陽気になれるだろう
もっと勝手でいいじゃない もっと気楽でいいじゃない
心の鎖を振り解き 羽を伸ばして宙を泳ごう
乗るも乗らぬも 思うがままサ
我慢ばっかりしてたんじゃ そのうちすっかり 老いぼれちまうから――……
『‐ESCAPE‐』のアウトロから、そのまま繋いで次の曲のイントロに入る。
スタッカートの利いたカントリー調のメロディーが、ぽんぽろぽんぽろと前曲の刺々しくアナーキーな雰囲気を中和してゆく。
再び鮎川をボーカルに据えての第五曲目。
ひょっとすると続いてのナンバーは、脳みそお花畑の男がプライベート用に作った、あの童謡(?)ではないだろうか。
『‐歌姫‐』
作詞・作曲 篠原健一/編曲 HAPPY★RUNNERS
蓮華みたいに桃色の 頬にぽっかりえくぼの似合う
小唄の上手なお姫様 あなたの名前はなんですか?
白詰草の首輪をあげよう 長い髪には良く似合う
たんぽぽ色したお姫様 あなたの名前はなんですか?
春の眩しい陽気の中で チョウチョを相手に歌ってた
菜の花畑のお姫様 あなたの名前はなんですか?
綺麗な声に誘われて 僕もついついフラフラと
甘い蜜に飛んでゆく まるで間抜けなチョウチョみたい
菖蒲の花が咲き誇る 小川のほとりへ散歩に行こうよ
ちょっぴり困った笑顔の可愛い おひさまみたいなお姫様
あなたの名前はなんですか?
鮎川が歌いながらニコニコと笑って、こっちを見てくる。それがとっても面映くて、僕は後ろを向きながらギターを弾いた。顔が熱い。ホントに火が出そうだ。
――実はこの曲『歌姫』こそ、僕が作詞・作曲の両方を手がけた最初の作品であり、大きな声じゃ言えないが、鮎川のことをテーマにした曲なのだ。
製作の経緯としては、大学二年の春、鮎川が二十歳の誕生日を迎えるにあたって何か曲をプレゼントしようと思い立ったことに由来する。なので、最初から鮎川に向けて歌うということだけは決めていたのだが、あまりストレートな詞じゃ恥ずかしいからと、捻りに捻った結果、こんなふわっふわの砂糖菓子みたいな曲になった。正直、完成した時点で、これは違う意味で恥ずかしいぞと思ったのだが、せっかくだからと鮎川のお誕生日会で披露したところ、同席していたまひると剛田から気持ち悪いという意味で爆笑された。それでも当の鮎川は気に入ってくれたみたいだが(少なくとも表面上は)僕はそれ以来、この曲を半ば封印気味に扱っていて特別なとき以外は歌わないことにしている。ちなみにその特別なときというのは、年に一度開かれる鮎川のお誕生日会だ。あれ以来毎年、鮎川のお誕生日会では僕が弾き語りで『歌姫』を披露することが恒例行事みたいになっている。もちろん今年もやって、散々ネタにされた。
そして今回、まひると剛田の悪ノリによって、どうせのことならこの曲もバンドのレパートリーに入れてしまおうよという話になり、当然のことながら僕は猛反対を示したのだが、お姫様こと鮎川たってのご希望により、実現することと相成った。
僕が絶対に歌いたくないと言ったら「それじゃあ、私が歌うならいいでしょ?」と、鮎川が言い出したのだ。そりゃあ、もともと鮎川にプレゼントした曲だし、そんなふうに言われたら駄目とは言えない僕である。
しかしあれだな。僕が歌うと馬鹿みたいに聞えるが、鮎川が歌うとほのぼのとしていて普通に可愛い曲だ。まぁ作った本人としては、鮎川のことを想って書いた曲なのに、それを鮎川本人が歌っているという若干複雑な面もあるのだが、聞いているお客さんたちにとっては与り知らぬことであろう。……――
その後も順調にレパートリーを消化し、第三部もいよいよ終盤に差し掛かった。
時刻は現在、午後八時五十分。
フォーク調の第十一曲目を終え、メンバーを代表して僕が挨拶を述べる。
「えー、次の曲でラストになります。本当に今日は皆さん、僕たちの演奏に付き合ってくださってありがとうございました」
お客さんは大体二十人ちょっとといったところか。一度立ち去ったあと、買い物などの用事を済ませてから戻って来てくれている人もいた。本当にありがたいことだと思う。
鮎川が水を飲んで喉を休めている間、三人で少しだけMCを挟む。
「みんな、ちゃんと『HAPPY★RUNNERS』の名前、覚えてくれた?」
剛田がラフな雰囲気でお客さんたちに話しかけている。
「帰ったら明日にでも、友達なり、家族なり、恋人なりにちゃんと言っておいてくれよ? 『HAPPY★RUNNERS』っていう面白いバンドがいてねぇ~、これがもうすっごい良かったんだよぉ~、つってさ?」
面白そうだったので僕も乗っかることにした。
「そうだね。一人につき、最低三人はノルマですからね? 宜しくお願いしますよ?」
お客さんはぱらぱらと笑っているが、僕たちとしてはわりとガチなお願いである。
そこで一つ剛田が提案した。
「なんだったら、動画に撮ってユーチューブとかにアップしてくれても」
「あー、それいいね。是非とも皆さん、今すぐお手持ちの携帯電話を取り出していただいて」
僕が言ったら、ノリの良いお客さんが四、五人ほど、本当に撮影を始めてくれる。
「アリガトねー」とまひるが手を振り、「あとでしぇんいぇん(千円)ば、やるけん!」とドギツイ博多弁で実にいやらしいことを言った。おい、カメラ回ってるんだぞ。
「おぉ、そうかぁ。じゃあ一万円です」
「そういうことを言ってるんじゃないよ!」
どっと笑いが起こる中、鮎川からオーケーサインが出た。
僕は気を取り直して、半歩前に出る。
「――それじゃあ最後の曲です、聴いてください……」
半日にも及んだ怒涛の如き野外ライブ。これが有終の美を飾る一曲だ。
僕は小さく息を吸って、短い言葉と一緒にそれを吐き出した。
「明日に向かって走れ――……」
タイトルを告げると同時に、猛然とイントロダクションが走り出す。
あれだけ酷評を受けたにもかかわらず、最後はやはりこの曲しかないだろうというのが僕たちの総意だった。佐山さんにはあんなふうに言われてしまったけど、この曲イイよねー、なんてゲラゲラ笑いながら自画自賛である。
人間だから悲しいことや辛いことがあり、落ち込むときだってある。だけど僕たちは馬鹿だから、大抵のことは忘れちゃう。それでいいんだ。人間だから。
底抜けにパワフルなまひるのドラム、剛田のベースには鋭い切れ味があり、僕のギターも今日は一段と冴えている。
しかし伴奏が好調な分だけ、鮎川の喉には負担がかかる。案の定、歌い出しから鮎川の声はかなり苦しかった。朝から既に五十曲近くを歌い続けた彼女の喉は言うまでもなく消耗していた。そこにこのパンクロック調のメロディーはさすがに厳しいのだろう。伴奏の音に、ボーカルの声量が負けている。
正直言って、僕の声も相当掠れているのだが、それでも鮎川と二人で歌えば、一人分くらいにはなるだろう。
「っ――」
僕が咄嗟の思いつきで主メロに加わると、その瞬間、鮎川と目が合った。小さくウインクを決め、呼吸を合わせながら即興のツインボーカルで歌い上げる。
重なり合う声と声、音と音とが、ひとつひとつの確かな存在を感じさせながらも完璧に溶け合っていた。ボーカル、ギター、ベース、ドラム、今まさにすべてが一体となって飛び上がっているかのようだ。音がノリにノッている。これはもしかしたら、今までで最高の演奏かもしれない。……そうして、楽しい時間はあっという間に過ぎた。
午後九時。――
僕たちの半日に渡る野外ライブは、盛況のうちに幕を閉じる。
演奏のあと、僕たち四人は一列に並んで手を繋ぎ、深々と頭を垂れた。
「「「「ありがとうございましたー!」」」」
集まってくれたお客さんたちが一斉に温かな拍手を送ってくれる。感無量だった。
ちゃりーん、ちゃりーん、とおひねり用のギターケースに次々と小銭が投げ込まれる音。
四人で分担して、なるべく一人一人に声をかけ、短く挨拶を言ってまわる。
ボーカルの鮎川は男女を問わず、たくさんの人に声をかけられていた。「感動したよー」と時には握手を求められたりなんかもして、鮎川はにこにこと愛想良く応じている。
おもしろキャラのまひると剛田も人気者だ。
他の三人に比べると僕は些か地味な扱いだったが、それでも適度にユーモアを交えつつ、見ず知らずのお客さんたちと行きずりのふれあいに興じる。
五分も経つと、僕たちの周りに出来ていた人だかりはすっかり霧散して、夏の夜の落ち着いた空気だけが辺りを漂っていた。
「はぁ~、終わったなぁ~!」
脱力して、服が汚れるのも構わず、その場にへたり込む。
開放感からか、今日は一段と星の張り付いたあの空が高く感じられた。
「意外とやれば出来るもんだなぁ~」
僕が独り言のように今日一日の感想を漏らすと、スカートの裾を気にしながら隣に座った鮎川が小さく微笑んだ。
正直、剛田が十二時間ぶっ続けでライブを行うと言い出したときには、己の限界に挑む気持ちでいた。実際、第二部の終盤辺りからは声も厳しくなり始め、体力的にも最後まで歌いきれるのかと不安に思っていたのだが、いざ終わってみれば、なんということはない。なんなら、あと三時間は歌えるんじゃないかと思えるくらい、余力が残っている気がした。
人間の限界ってやつは、本人が思っているよりも遥か高みにあるのだなぁと強く感じる。いわばそれが今回のことから学んだ教訓である。
まひると剛田はおひねり用のギターケースを抱えて、じゃらじゃらと銭勘定をしていた。
千円札や五百円玉も中にはあるようだが、まぁ、ほとんどは百円玉と十円玉である。そんなに大した額じゃないだろう。
計算を終え、まひるが僕たちにも聞えるように収益結果を告げた。
「全部で九千八百四十円なり!」
うーむ。正直言って、多いのか少ないのかはよくわからない。そもそも半日路上ライブを行って大体いくらくらい集まるものなのかというデーターがないのだから。
まぁ、お金なんてどうだっていいんだ。いや、本当にさ。なんと言ったって、僕ら自身が楽しんでやったことなんだから、この充足感と幸福感だけでも十二分にその甲斐はあったと言い切れる。むしろ、それでお金まで貰ったとなると、申し訳ない気分にすらなるというものだ。
僕の言葉に、剛田とまひるも「そうだな」と言ってニシシと笑った。
「よしっ! それじゃあこの金で酒でも買って、パーッと打ち上げやるか!」
剛田はそう言って、山ほどある小銭をポケット一杯に詰め込み始めた。まひるも真似をしてズボンのポケットをぱんっぱんに膨らませている。レジの人、大変だろうなぁ。きっと大混雑になるぞ。
――と、そこへ近寄って来る人影が見えた。
根中さんだ。
僕らが気づいて立ち上がると軽く手を上げてやって来る。
「いやぁ~、お疲れさん!」
根中さんはなんだか少し興奮しているのか声が弾んでいた。僕たちは笑顔で「どうも」と挨拶を返す。
「今朝、剛田君から電話で聞かされたときには半信半疑だったんだがね、まさか本当に半日やり切るとは正直思わなかったよ。まぁ曲数が多いから演奏は荒削りだったけど、君たちのパフォーマンス力には目を見張るものがあった」
「見に来てくれていたんですか?」
「ああ……。まぁその、最初から最後まで全部というわけにはいかなかったが、ちょくちょく様子はね?」
「気がつきませんでした。こちらから誘っておいて、どうもすみません」
「いやぁ、いいんだよ。あまり知った顔があるとやりにくいかと思ってね、少し遠巻きに観させて貰っていたから、無理もない」
あっ、そうだ、と根中さんはおもむろに財布から一万円札を抜き取って、僕らに差し出してきた。
「これ、僕からの気持ちだ。少し離れた位置から見ていたものだから、ギターケースに入れるタイミングを逃してしまってね」
「えっ、いやっ、こんなにたくさん……!?」
「遠慮はいらない。受け取ってくれ」
「いやいやっ、お気持ちだけで結構ですよ!」
さしもの剛田も少し慌てている。普段押す側の剛田が押されているというのは、なかなかに珍しい光景だ。まぁ、おひねりに一万円っていうのは、確かに少々度が過ぎていると思う。
しかし、根中さんは穏やかに笑ってこう言った。
「誤解しないで欲しいんだが、僕は別に気前の良い真似をしているつもりはないんだよ? これは純粋に、僕の気持ちに見合った額なんだ」
根中さんはそれからふと夜空を見上げて、しばし思いを馳せる顔つきになった。
「――実を言うと、僕も若い頃はバンドをやっていてね、一度今の君たちみたいに、メンバー揃って旅に出たことがあったんだよ。アルバイトで貯めた僅かなお金を旅費にあて、ギターケースと薄っぺらな鞄だけを持ってさ……」
ライブハウスのマスターが元バンドマンだというのは良くある話だが、しかし、そうだったのか……。根中さんが僕たちに好意的だったのは、そういう共感材料があったからなんだなと少し納得がいく。
「――だけど、僕たちは上手くいかなかった。旅のあいだじゅう喧嘩ばかりしてしまって、結局は何もしないままに終わってしまったんだ。君たちを見ていると、ついつい当時のことを思い出してしまってね……。ちょっぴり後悔したよ。ああ、なんで僕たちもあのとき、こういうふうにやれなかったんだろうって……。四人で力を合わせて楽しそうに演奏している君たちを見ていると、なんだか無性に涙が溢れてきた。堪らず当時のバンドメンバーだった奴に電話をかけてしまってね、さっきまですっかり話し込んでいたところなんだ」
根中さんの熱の篭もった瞳が僕たちを捉える。
そして、心の篭もった言葉が僕たちの胸に届いた。
「素晴らしかったよ。どだい音楽をやっている連中なんてのはさ、いつまで経っても子供のままなんだと僕は常々思っていたんだけれど、君たちはその中でも特に突き抜けている。これは是非とも褒め言葉として受け取って欲しいんだがね、君たちは馬鹿だなぁ~! 本当に見ていて気持ちがいいくらい馬鹿だ! このクソ暑い中、誰に求められているわけでもなく十二時間も永延歌い続けるなんて、まったくもってその根性とパワーには感服したよ。若いってのは素晴らしいね。僕もあと二十年若かったら、もう一度バンドを組んで君たちのようにやってみたいと思っただろうになぁ……。フフ、こんなことを言うようになったのも、僕がおじさんになってしまった証拠なんだろうね」
僕たち四人は曖昧に首を振ってから、少し照れくさくなってしまって思わず顔を見合わせた。
そしてお金のことだが、ここまで来て断るのは逆に失礼だろう。きちんと御礼を言って、ありがたく受け取らせてもらうことにした。
「ところで君たち、今週一杯はまだこっちにいる予定かい?」
そう尋ねられたので、「いや、まだ何も決めてません」と正直に答えたら、根中さんは何やら含みを持たせた笑みを浮かべ、話を持ちかけてきた。
「だったらこれは、僕からのお願いなんだけどね……?」
「はい?」
「――今週の金曜日、うちのハコで演奏してもらえないだろうか?」
僕たちは少し驚いて、〝えっ……?〟とすぐさま聞き返す。
「だけど、出演予定はもう埋まってるんじゃ?」
僕が尋ねたら、根中さんは少々申し訳無さそうに頭を掻いた。
「うん、もちろんそれはそうなんだが、それでも何とか十分程度だったら、都合をつけることが出来そうなんだ。尺は短いが、どうだろう? よかったらウチでやってみないかい?」
そんなの、相談するまでもない。
僕たち四人は嬉々とした表情を交し合い、即座に声を揃えて返答した。
『――はいッ!! 喜んで!!』
根中さんは柔和な笑みを浮かべて、「よし、決まりだな」と頷いた。
詳しいことは決まり次第、剛田君のケイタイに連絡するよと言い残して、根中さんは早々に去って行った。きっと、これから打ち上げをやろうという僕たちのことを気遣ってくれたんだと思う。本当に素晴らしい人だ。
人気も疎らな夜の公園のベンチ、ひとまずは今日一日の健闘を称え合い、僕たちはコンビニで買って来た缶ビールと缶チューハイで乾杯した。
今日だけで、一体どれくらいの人が僕たちの演奏に耳を傾けてくれたんだろう。そんなことを考えているだけで自然に頬が弛んでくる。今なら箸が転がっただけでも心から笑えそうだ。
半日やり遂げたことから来る達成感と高揚感に加え、副賞的にライブハウスへの出演依頼まで受けた僕たちのテンションは上がりっぱなしだった。まさしく順風満帆の心地でいるところに陽気な酒まで入って、みんなもう滅茶苦茶である。
すっかりわけがわからなくなってしまい、居ても立ってもいられない僕たちはアホみたいにおどけてはしゃぎまくった。「鬼ごっこをしよう」と夜の公園を大騒ぎで走り回って、丸いジャングルジムのような遊具をくるくると回して遊び、ブランコ漕いで靴を飛ばし、四人でその距離を競ったりなんかもした。
しかし、疲れというものは忘れた頃にやって来る。
よくよく考えてみれば、僕たちはもう丸一日以上一睡たりともしていなかったのだ。
四人ともヘロヘロになって車に戻り、それから泥のように眠った。
♪♪♪
翌日、目が覚めると喉の調子が大変なことになっていた。
がらがらで物凄く渋い声になってしまっている。銭形のとっつあんみたいだ。
しかもそれが僕だけじゃなく、鮎川もまひるも剛田も、みんなとっつあんなのだ。
昨日の夜の段階ではここまで嗄れていなかったはずだが、まぁ、一晩置いてツケがまわって来たということであろう。なんだか自分が喋っていても、これが自分の声だという実感があまりなくてちょっと面白い。この声でブルースなんて歌ったら格好良いだろうなぁ、という話でひとしきり盛り上がる。
それからふと思い出し、携帯電話から動画サイトを覗いてみた。僕たちのバンド名で検索をかけると三件ほどヒットする。どうやら昨日のお客さんの中で、本当に僕たちの動画をアップしてくれた人がいたようだ。まぁ僕たちは全くの無名なので再生数こそ少ないが、それでもたまたま観てくれた人がいたのか、一件だけコメントがついていた。
――『ボーカルの子かわいい』
同感である。
とりあえず僕たちは動画のコメント蘭に『すっごく良い曲!』『聞いていると元気が出ます』『是非ともCD化して欲しい!』『ベースの人かっこいい!』などと、歯の浮くようなコメントを山ほど書き込んでおいた。宣伝工作である。
すると早速効果があったのか、新しいコメントが一件書き込まれた。
――『自演乙』
「なんだとっ!? おい、こいつら意外と鋭いぞ!?」
鳩が豆鉄砲食らったような剛田の一言に、僕たちは爆笑した。
それから一つ良いアイディアを思いつく。それはこれから先、僕たちの演奏を動画に撮って逐一サイト上にアップしていったらどうかというものだ。どうせだったら演奏以外の様子も撮影して、旅番組仕立てにしたら一層面白いんじゃないかという話になり、早速、専用のアカウントを作った。
そして、まずはガラガラの声で歌ったブルースを、動画投稿の一発目として上げておくことしよう。