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明日に向かって走れ-Singer×Song×Runner-  作者: 早見綾太郎
~第一章「明日なき道を走れ」(東京編)~
6/20

第5話「明日なき道を走れ(Ⅴ)」


                 ♪♪♪


 ――夕方の駅前は帰宅ラッシュで非常に混み合っている。

 喫茶店に着くと、窓辺に席を取っていつもの三人が座っていた。

「んんっ? おめぇ、何しに来たんだ?」

 剛田は僕の顔を見るなりとんでもなく失礼なことを言う。

 テメェが来いって言ったんだろうがよ!

「はっはっはっ、冗談だ。まぁいいから座れや?」

 僕は鮎川の隣に座らせてもらい、テーブルを挟んで、剛田とまひるに向かい合う。

「よし、これで全員揃ったな」

 剛田はなにやら薄っすらとその口元に笑みを浮かべていた。おおよそこれは何かよからぬ事を企んでいるときの顔だな。注意しておかなくちゃ。

「今日みんなに集まってもらったのは他でもない。話というのは、俺たちの今後についてだ。俺もここ二日ばかり色々と考えていた。もちろん俺たちに先がないなんて言葉を信用したわけじゃないが、あそこまで言われた以上は、何か策を弄する必要があると思ったんだ」

 うん。まぁ、ここまでは一通りまともな思考の流れといえよう。

「そこで昨日、まひると相談して具体的なことを決めた」

「相談されたー」

 コップに吸いついて遊んでいたまひるが、口の周りにまぁるい跡をつけて手を挙げる。

 ちょっと待て。何故、まひるなんかにそんな大事なことを相談した? 

 なんだか、嫌な予感する……。

 僕は尋ねた。

「それで? 今度は何をしようってんだ? また新しい売り込み先でも見繕って来たのか?」

 剛田はいやにゆっくりと首を横に振ってから、こう言った。


「――旅に出よう」


 ……はあっ??


「俺たち、『HAPPY★RUNNERS』の全国ツアーをやるんだ」

 待て待て、いきなり話がとんでもないところにぶっ飛んだぞ!?

「ぜ、全国ツアー?」

 呆気に取られた鮎川の鸚鵡返しに、剛田は力強く頷いた。

「題して、『日本縦断チキチキツアー』を開催する!」

 ――それは全国各地を放浪しつつ、行く先々の土地柄、人々、出来事を通じてインスピレーションを養い、僕たちのバンドに新たな境地を開拓しようという旨の内容だった。

 なんだかやたら壮大な風に聞えるが、これは所謂、傷心旅行というやつではないだろうか? 自分探しの旅ってやつだ。言い方を選ばずに言えば、単なる逃避行である。

 ……まぁ、色々とその他にも言いたいことはたくさんあるのだが、まずはそう、根本的なことを一つ質したい。


本気(マジ)で?」


 短く簡潔な僕の問いに剛田は、


本気(マジ)で」


 真顔で即答しやがった。

 鮎川が控えめな声で口を挟む。

「でも、費用はどうするの?」

 そう、一番の問題はそこだ。

 僕たち四人は、とてもじゃないが旅行に行けるような身分じゃない。

「貧乏だろ」

「おぅ、そのことについては、これから相談しようと思っていたところなんだ。みんな、貯金は今どのくらいある?」

 そう言われたって、少し答えにくい質問である。

 お前はどうなんだよと訊き返したら、剛田の奴は臆面もなく「十五万ちょっと」と答えた。僕はこのあいだ給料が出たばかりなので二十万弱ある。鮎川もそうらしい。まひるは一人だけ「ゼロ!」と答えていたが、まぁ、それは論外として……。

 なんというか、みんな涙が出るほどリアルな数字だなぁ……。

 やっぱり旅行なんて行く余裕はない、と僕は思ったのだが、剛田の奴はまるっきり逆のことを思ったらしい。

「そうか。それなら、とりあえず一週間くらいはなんとかなるな」

 いやいや、よしんば一週間どうにかなったとして、その後はどうするんだよ。旅行ともなれば当然アルバイトだって休むことになるのだから二重の意味で苦しい。というか、もう生活が成り立たなくなるだろ。

 そう言ったら、〝HAHAHA〟と笑って一蹴された。

「何言ってるんだお前? 旅から帰る頃にはデビューしているんだから、そんなこと心配する必要はないだろ」

 ウゥム、悔しいがそれは否定できない。ぐうの音も出ないな。

「それじゃあ、途中で旅費が尽きたらどうすんの?」

「路上ライブでもチンドン屋でもやって稼げばいいだろ」

 無茶苦茶だ。向こう見ずにもほどがある。

 そう言ってやったら剛田の奴は嬉しそうにしやがった。

「それ、ロックをやる人間にとっては最高の褒め言葉だぞ」

 はぁ……。もう付き合ってらんねーや。

 僕がすっかり呆れていると、剛田は口調を変え、囁くように語りかけてきた。

「――なぁ、きっと最高に楽しいぜェ~……? なんたって旅の間中、俺たち四人はいつも一緒だ。そして四六時中、音楽のことだけに没頭できる。しかも、全国津々浦々の壮大な風景をバックにっていう超・贅沢仕様なんだぞ? こんな機会、滅多にあるもんじゃねえやな。たぶん一生に一度っきり、あるかないかの冒険なんだぞ?」

 僕は思わず、ごくりと喉を鳴らしてしまう。なんて魅力的なんだ……。そんなの、楽しいに決まってるじゃないか。しかしその分、リスクは大きい。

「なぁケン~、面白いことやろうやぁ~?」

 剛田はニヤニヤしながら、僕の肩をちょこちょことつついてくる。

 無骨で厳ついこの大男が、子供みたいに笑っているのを見ると、なんだかひどく懐かしい悪戯心というものが沸々と蘇ってくる。

 まひるはニシシと笑って、白い歯を見せていた。

 隣を向くと、鮎川も優しげに微笑んでいる。

 なんだなんだ。僕以外のメンバーは、皆もうとっくに乗り気らしい。

 まったく馬鹿ばっかりだな、本当に……。

 おかげで最近モヤモヤしっぱなし気持ちが、すっかりどこかへ吹き飛んでしまった。

 苦い嘲笑で唇が歪む。僕は言った。

「……どうなったって知らねぇぞ?」

 その瞬間、剛田がぽんと手を打って晴れやかに言う。

「へへっ、そうこなくっちゃ! 決まりだなっ!」

 僕は馬鹿なのだ。僕は流されやすいのだ。

 ――こうなったらもう破れかぶれである。なんだってやってやろうじゃねーか。

 テンションが跳ね上がった僕たちは、それから大騒ぎで出発の日取りや細かい打ち合わせをはじめ、行きつけだった喫茶店を出入り禁止にされてしまった。なーんてこったい。


                 ♪♪♪


 出発の日時は来週の金曜日、七月十九日の夕方ということで決まった。

 僕たちはそれまでに各々で旅の準備を整えておく算段だ。

 それからの一週間、僕は完全に浮かれきっていた。なんだか目に映る物すべてが輝きに満ちて見えるのだ。そして、そういう気分のときは、えてして創作の調子もすこぶる良い。

 昼間はウキウキで近所を散歩しながら曲を書き、夜は意味もなく走ってアルバイト先のファミレスに向かう。浮かれているのは僕だけじゃない。

 鮎川は仕事の最中であっても、小さく足元を跳ねさせて、鼻歌なんかを口ずさんでいた。

「ご機嫌だね」

 僕がそう言ったら、鮎川は少し照れくさそうに、けれども嬉しそうに笑う。

「なんだか落ち着かなくって。すごく胸がどきどきしているの。こんな気持ち、本当にいつ以来だろう? 早く明日にならないかなぁーって、そればっかり考えちゃうよ」

 鮎川はその高揚する気分に駆り立てられ、新曲作りに励んでいるのだと教えてくれた。実は僕も今日、鮎川に見てもらおうと思ってノートを持って来ていたのだ。その旨を伝えたら、実は自分もだと言って鮎川はキュートに微笑んだ。

 二人で「気があうねー」なんて言いながらお互いにノートを見せ合い、すっかり盛り上がってしまう。仕事中に。

 当然、僕たちは店長にこっぴどく叱られた。しかし何故だか、全く気分が暗くならないのである。二人で調子乗って「なんてこったい」を言ったら、「お前らいい加減にしろよ」と無茶苦茶に怒られ、結局、僕たちは上がりの時間を待たずして叩き帰されてしまった。それでも全然、気分は沈まない。二人で手を繋ぎ、底抜けに明るい歌をうたいながらスキップして帰った。こんな調子じゃあ、クビになるかもしれないな。

 実際、まひるはアルバイト先のカラオケショップをクビになった。 

 お客さんが気持ちよく歌っている最中、店員であるまひるがとつぜん部屋に乱入し、勝手に一曲歌って去って行くという斬新なパフォーマンスが、このたび問題視されることとなったらしい。お前、貯金もゼロなのにこれから先どうやって生きていていくんだよ。僕が笑って尋ねたら、まひるの奴もやはり笑いながら「なんてこったい」と言って解決した。

 ――出発前日の木曜、剛田が今回の旅で足に使うと言っていたワゴン車を転がしてきた。

 風俗街のポン引きをやっている剛田が、仕事仲間から五万円(費用は四人で分担)という破格で譲り受けたそのワゴン車は、予めボロだとは聞いていたものの、いざ目の前にしてみれば、本当に廃車寸前という凄まじい様相を呈していた。車体は傷だらけであちこち凹んでいるし、明らかに何か事故を起こしたような痕跡もある。車内はヤニ臭く、シートや天井はすっかり黄ばんでいて、これはもしかして、五万円の価値もないのではないかと一瞬疑ったが、「なんてこったい」ということで万事は解決だ。

 そもそもこの車はデリバリーヘルスのチェーン店が所有していたものらしく、元来お女郎さんたちの送り迎えに使用されていたという経緯があるそうだが、鮎川とまひるには今のところ内緒にしてある。たいへん不健全な話だからだ。

 僕たちは色とりどりのスプレー缶を手に、四人で車のお化けみたいなそのワゴンをお洒落に変身させてやった。両サイドには僕が代表して『世紀のスーパーバンドHAPPY★RUNNERS』ときったねぇ字で書かせてもらい、鮎川は赤とピンクで可愛らしいハートマークをたくさん描いていた。まひるはまひるで、何だか良く分からない絵を一生懸命に描いている。剛田はフロントの部分に『剛田篤志♂イイ男』と書き、一人で慢心していた。

 とまれ、それぞれの個性がぶつかり合って、なんだか物凄く派手でファンキーな車になったな。うぅむ、これは目立つぞ。悪い意味で。

 ついでに大きな荷物は今日のうちに積んでおこうと、まひるのドラムセットやアンプ、アウトドア用の発電機なども先に運び込んだ。細かい手荷物は明日、出発の直前に積めばいい。



 ――そうして、あっという間に一週間は過ぎ、いよいよ出発の日が訪れた。



 僕は朝からすっかり目が冴えてしまっていた。実際にこっちを発つのは夕方なわけだし、車の運転は僕と剛田の交代で行うのだ。今のうちにしっかりと休んでおいた方がいいことはわかっている。だけどなんだかソワソワしてしまって、じっと横になんかなっていられないのだ。 結局ゆうべも、ワクワクしてあまり眠れなかったな。一人部屋で缶ビールを飲みながら、一晩中ニヤニヤしていた。

 子供の頃、遠足や修学旅行の前日に感じていたこの胸の高鳴りを、二十歳過ぎてからでも味わえる僕はなんという幸せ者だろうか。

 薄いカーテンを透かして、白い光の幕が垂れていた。

 窓を全開にして、爽やかな朝の風を部屋の中に招き入れる。

 夏の日差しは朝から強く、空は見渡す限り雲ひとつ無い快晴だった。

 開放感に満たされつつ、僕は大きく伸びをして深呼吸。

 世間では学生たちが、今日を持って授業過程を一旦終了とし、明日から夏休みに入るという頃。学生たちの中には、今の僕と同じように晴れやかな気分でいる奴も多いはずだ。

 携帯電話が鳴った。相手は剛田である。僕は笑顔で電話に出た。

「よう、早いな。どうした?」

『起きてたか?』

「ああ、ちょっと昨日からテンション高くってさ、眠れないんだよー」

『はは、そうか。実は俺もなんだ。それならちょうどいい、これからちょっと車の芳香剤を買いに行こうと思うんだが、付き合わないか? ついでにそのあと飯でもどうだ?』

「おっ、いいねー。だったら鮎川とまひるも誘おうぜ? どうせあいつらも起きてっからさ」

『よし。それじゃあ二人にも電話して、十分後に迎えに行くから。準備して待ってろ』

「おう!」

 ――思った通り、鮎川とまひるも朝早くから起きていたらしい。

 四人でドンキに行って買い物を済ませたあと、少し早い昼食を取る。

 それからみんな、もう待ちきれないという満場一致の意見で、夕方の予定だった出発を少し早めることにした。

 一旦部屋に帰った僕は大急ぎで荷物を抱え込む。別に急ぐ必要なんかどこにもないんだけどとにかく気が急いているのだからしょうがない。

 ギターケースを背負い、着替えやタオルなどが入ったスポーツバックを肩からかけ、お気に入りのCDなんかもみんなまとめて紙袋に詰めて行く。

 時刻はちょうど、お昼の一時を過ぎたところ。

 ぎらぎらと輝く夏の太陽は天辺に張り付き、その日差しは、ともすれば視界が白みかけるほどに強烈だ。むわっと立ち昇る陽炎の中、汗が吹き出す。しかし、全く苦にはならない。むしろ清々しいくらいだ。

 メンバーそれぞれ、ありったけの私物を持ち寄って、車にどんどん詰め込んでいった。

 楽器の類や生活必需品はもちろんのこと、海やプールに行く機会があるかもしれないと浮き輪やビーチボールを乗せ、変わった物でいえば、何故かまひるが持ってきた虫取り網や虫かごなど。車内は実に様々な物で溢れかえり、オモチャ箱の中みたいになっている。

 しかし、これだけの物を詰め込んでもちゃんと座るスペースがあるというのは、この車の利点だな。まぁ裏を返せば、車内の広さ以外は何一つ良いところがないということなんだけど。

 剛田がその巨体を颯爽と運転席に構え、僕は助手席に乗り込んだ。

 鮎川とまひるが座る後部座席は、二人が持ち込んだぬいぐるみやクッション、タオルケットなどがリラックス感を誘い、とっても快適そうな空間である。

 夏らしく麦わら帽子をかぶったまひるは、窓のところに取り付けたカーテンが気になるのか、しきりにそこをいじっていた。開けたり閉めたり、興味津々の表情である。

「――準備はいいな?」

 剛田の問いかけに、僕たち三人は声を揃えた。

「ああ!」「うん!」「オッケー!」

 まぁ、言葉ヅラは見事に揃わなかったが、テンションの高さだけは息ピッタリである。

「よっしゃああッ、行くぜぇええーっ!!」

 僕たちはにこやかに目線を交わしながら呼吸をあわせ、拳を突き上げた。

『おおーっ!』

 うん、今度はバッチリ揃ったな。

 剛田が勢い良くアクセルを踏み込み、僕らと夢を乗せたおんぼろワゴン車が走り出す。


 かくして僕たち四人の、一夏の波乱に満ちた冒険の旅が幕を開けるのだった。――……



                  第一章「明日なき道を走れ」おわり


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