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明日に向かって走れ-Singer×Song×Runner-  作者: 早見綾太郎
~第一章「明日なき道を走れ」(東京編)~
5/20

第4話「明日なき道を走れ(Ⅳ)」


                 ♪♪♪

 ――そして、土曜日。

 僕らは気合を入れて、都内の某レコーディングスタジオを訪れた。

 受付を済ませて待つことしばし、ラフな格好をした四十代半ばくらいの男性が、僕らのところにやって来る。代表の剛田が先陣を切ってハキハキと挨拶を述べた。こいつは馬鹿だが、何気にこういうところは非常にしっかりとしていて好感が持てる。社交的で礼儀も弁えているので、顔も広い。剛田のリードに従って、僕らも滞りなく軽い自己紹介を終えた。

「ふぅむ、君たちか……」

 佐山と名乗った中年の音楽Pは、なんだか怪訝そうな顔をして僕らの容姿をじっくりと観察する。まぁ、迷惑は承知の上で頼んだのだから仕方がない。

「これ、つまらないものですが」

 剛田が持参していた菓子折りを差し出した。

「困るんだよ、こういうことされると」

「まぁまぁ、ほんの気持ちですから。お納めください」

「いや、あとで問題になるから。とにかくこれは受け取れない」

「……あっ、そうか。これは気がつきませんで、どうもすみません」

 何かに納得したらしい剛田は菓子折りを引っ込め、代わりに財布から一万円札を抜き取って声を潜めた。

「やっぱり、こっちですよね?」

「余計まずいわ!」

 さぁ、これで一杯やってください、とポケットに金をしのばせようとする剛田。こら止めろと、それを押し返す佐山氏。なんだか早速、面倒くさいことになってしまったな。

 と、そこへ話を更にややこしくするべく、まひるが佐山氏の袖口を引いた。

「んっ……? 何だい?」

 ふと振り返った佐山氏に、まひるはポケットから取り出した何かをぎゅっと握らせる。

「これ、ふつつかものですが」

 当然この状況で〝ふつつかもの〟は誤用だが、そんなことなど霞んでしまう。

 まひるが佐山氏に手渡したのは、駄菓子の酢昆布だった。

 え、なにこれ、って顔をする佐山氏にまひるは声を潜め、

「海藻は髪の毛に効きますよ?」と――。

 その哀れむような視線の先は、佐山氏の後退した前髪を捉えていた。

「可哀想に……お疲れッス」

「ナメてんのか!?」

 ――あー、もう駄目だ。やっぱりこいつらの好きにはさせておけない。僕たちは演奏をしに来たのであって、決してコントをやりに来たわけではないのだ。

 僕は鮎川に目配せをしたあと、ハゲオヤジ……もとい佐山さんにとりなし、みんなで頭を下げ、ひたすらに謝り倒すことで、なんとかその場は怒りを静めていただいた。

 そうしてようやく本題に入る。

 僕たちは空いていたスタジオの一室に案内され、早速、予定通りオリジナルを一曲演奏するようにと命ぜられた。プロのミュージシャンが実際に使っているスタジオの空気が、否応なしに気分を高揚させる。

 僕たちがこの日のために用意したのは『‐明日に向かって走れ‐』という曲である。

 パンクロックを基調としたアップテンポのナンバーで、これまで行ったライブの中でもとりわけ人気のあった自信作だ。何を隠そう、僕らがはじめて創作したオリジナル曲でもある。

 四年前、大学の文化祭でこれを演奏したのが、僕らの始まりだった……。

 僕らの原点であり、『HAPPY★RUNNERSのテーマ』と副題をつけてもいいかもしれない。

 いそいそとセッティングに勤しんでいるみんなの表情を、一足先にチューニングまで済ませた僕は感慨深く見つめていた。みんな口には出さないが、もう一度この曲から新たなるスタートを切るんだという強い気持ちが伝わってくる。

 全員が準備を整え、鮎川がマイク前に立った。

「それじゃあ、始めます……」

 瞬時に交わされる短いアイコンタクト。

 まひるのカウントから、曲が始まる。――

 ……うわ、やべっ。

 まひるのドラムはパワフルで基本的にいつも走りがちだが、それにしても今日は一段と飛ばしている。っていうか、ちょっと飛ばしすぎだ……。あいつ、完全に舞い上がってやがるな。

 こうなったら、しゃーない。始まってしまった以上は、あわせながらやるしかないのだ。

 剛田のベースは快調に音を立てていた。

 こいつの力強いチョッパー(指を弦に引っかけてはじく奏法)から繰り出される音は、ぽんぽこと活きが良く、なんだか太鼓みたいである。褒め言葉かどうかは、聴く人に任せよう。

 鮎川はテレキャス(エレキギターの名器)でリズムを取りながら、歌い出しまでのタイミングを計っている。彼女はもともとフォーク畑の人間だからか、ハンドマイクを嫌っていた。

 少し緊張しているのかな? 鮎川の表情はいつもより若干硬い。

 などと、リードギターの僕は他人のことを言っている段じゃない。

 予想以上の速さに少々焦りながらも、今日はとにかく丁寧に、ミスをしないようにと心がけながらコードを押さえてゆく。

 イントロダクションが終わり、鮎川の颯爽とした声が僕らの上を勢い良く滑り出す。



『‐明日に向かって走れ‐』

 作詞 篠原健一/作曲 鮎川由姫乃/編曲 HAPPY★RUNNERS


薄っぺらな箱の中 馬鹿どもが騒いでる


いつも意のまま操られてる 事さえも知らないで


見かけ倒しの正義をかざし 笑ってる奴がいる


心を殺し負けるが勝ちと ほざく臆病者たちよ


傷つけられることを恐れ 逃げまわるような日々なら


耳を塞いで何もしないで 過ごした方がマシかい?


拳を握って一歩踏み出し 飛び出してゆくんだ


夢に敗れていじけ続ける 人生から今すぐに――


(サビに入ると、僕は鮎川に調子を合わせながらコーラスを入れた)


〝走れ走れ 道なき道を〟 


静かに笑う花じゃなく 叫び続ける風になれ


〝走れ走れ 果てなき旅路を〟


光り輝く明日を目指して 走り続ける馬鹿であれ。――……




 一番が終わると、矢継ぎ早に二番へと突入する。

 二番のサビが終わったところで僕のギターソロだったのだが、逸るテンポに合わせきれず、若干グダついてしまった。これは減点対象かな……。こんなことだったら調子扱いてアレンジなんかせず、いつもの通りのフレーズをやれば良かった。読みが甘かったな。

 あと、二番目のAメロのところで鮎川が一箇所歌詞を間違えていたが、こちらは不自然に聞えなかったのでセーフだろう。

 ちなみに鮎川は意外とそういったポカをすることが多い。歌詞を間違えてしまったり、僕のハモリにつられて下を歌ってしまったり。本人は至極申し訳無さそうに謝ってくれるのだが、そういった姿も愛嬌があって可愛いと思う。

 ――さて、僕の微妙なソロパート以外には取り立てて大きなミスもなく、なんとか無事に演奏を終えることができた。まずまずの出来ではなかろうか。決して悪くはなかったと思う。

 佐山さんは少し難しい表情をして考え込んでいた。

 僕らは息を呑んで、彼が口を開くのをただじっと待つ。

「……うん」

 長考の末、佐山さんは小さく頷いた。

「他に演奏できる曲とかある? よかったら、聴かせてくれないか?」

 僕たちは思わず頬を綻ばせて顔を見合わせた。どうやら好感触みたいだ。

 いくつか予備に練習して来た曲があることを伝えたら、是非やってみせてくれと言われた。

 願ってもないことである。

 僕たちは意気揚々と、その後二曲のオリジナルナンバーを演奏し、すっかり慢心していた。当然のようにこれでデビューは決まったものだと思い込んでいたのだ。

 そんな僕たちに、佐山氏は柔和な笑みを浮かべて告げた。

「――駄目だな」

 〝え……?〟

 そのときの僕たちこそ、まさしく阿呆と呼ぶに相応しい表情をしていたことだろう。

 僕たちは決してコントをやりに来たわけではなかったはずだが、ここに来て今日一番のコントみたいなリアクションが素で飛び出してしまう。だって本当に予想とはまるっきり反対の感想を言われたんだもの。期待はずれなんてもんじゃない。

「どうしてですか……?」

 気がつけば、僕が真っ先に疑問を発していた。

 俄かには信じがたい。今の流れはどう考えたってOKするところだろうに。

「何がいけなかったんです?」

 僕の切実な問いかけに、佐山氏は腕組みをして意見を述べた。

「技術的なことをいえば、ボーカルの子以外はあまり見るべき点がないな。はっきり言って、君たちの演奏は彼女の歌唱力に頼りきっている」

「……」

 それに関しては反論の余地もないというのが正直なところだ。僕たちのバンドが鮎川を中心にまわっているということは、もはや誰の目から見ても明らかだろう。

「しかしまぁ、それは大して重要じゃないんだ。個人の性能に頼りきったバンドってのは、プロの中にも結構いるからね。それよりも、もっと大事なことがある……」

 佐山氏が続けて述べた一言は、更に辛辣なものだった。

「僕が駄目だと言ったのはね、単純に君たちの音楽が面白くなかったからだ」

 音楽をやる人間にとって、これ以上に屈辱的な言葉が他にあるだろうか。

「なんというかさぁ、君たちの曲はアマチュアのくせに小さく纏まり過ぎていて、つまらないんだよ。小手先の技術だけを使って書いたような印象を受ける。白々しいというか、情熱が感じられない。だから聴く人の心を揺さぶらないんだ。僕はね、もっと荒削りでもいいから、リアルな君たちを見せて欲しかったんだよ。ぐちゃぐちゃに屈折しながらも必死で尖ろうとしているような心の叫びをさ? アマチュアというのはもっと自由で、創作に対して衝動的でなきゃ駄目だ。君たちにはその為の飢えというものが決定的に足りない。それにバンド自体が妙に出来上がっちゃってるものだから、伸び代が少ないっていう側面もある。剛田君が僕のところにしつこく電話をかけて来たときには、さぞかしとんでもない奴らなんだろうなと、内心楽しみにしていたんだが……正直ガッカリだな。しかしまぁ、ある程度楽曲としては完成しているから、ライブハウスやなんかではそれなりに受けるだろう。あくまでも〝それなり〟だが、何もプロになることだけが音楽の道じゃないことは知っておいて欲しい。ひとまずは真っ当に就職をして、それから趣味としてバンド活動を続けるというのも一つの手だと思うが?」

 気の短い剛田やまひるに答える隙は与えたくない。

 僕はにべもなく首を横に振っていた。そして毅然とした態度で告げてやる。

「僕たちはプロになりたいんです。単なる趣味で終わらせるつもりはありません」

 しかし佐山氏の態度は何一つ変わらなかった。所詮は青二才の戯言としか受け止めていないのだろう。すべてを達観した物言いで即座に切り返してくる。

「君たちはプロとしてデビューすることをゴールのように考えてはいないか? これは若いミュージシャンにありがちなことだから断っておくがね、プロデビューはゴールなんかじゃなければ、通過点ですらない。文字通り、スタート地点なんだよ。僕は立場上、そこを履き違えた連中をたくさん見てきた。そして事実としてその九割以上が、挫折して辞めて行ったよ。こう言っちゃあ何だが、プロとしてデビューすること自体は実際それほど難しいことじゃない。プロであり続けることの方が何倍も難しいんだ。それからプロになれば、百パーセント自分たちの趣向だけで曲を作ったり、演奏したりということが出来なくなる。下世話な言い方をすれば、プロのミュージシャンっていうのはある種の商売人だからな? 時と場合によっては、自分たちの信念やスタイルとは本来百八十度異なったことを要求される場面だってあるだろう。つまり、どうなるのか。――音楽をやることが楽しくなくなってしまうんだよ。苦痛すら感じるようになる。その結果せっかく念願叶ってプロになれたというのに、自ら進んでアマチュアに逆戻りして行った奴らのことを僕は大勢知っているよ」

 確かに佐山氏の言うことはもっともだ。僕も不安を感じないわけではない。しかし。

「現アマチュアの僕たちにそんなこと言われたってわかりません。それを知る機会は、とりあえずプロになってから得るものだと思います」

 生意気に思われるだろうか。だけど正直言って、僕だってちょっとムカッ腹が立っているのだ。それでもまぁ、剛田やまひるに何か言わせるよりは百倍マシなはずだ。

「そうか……。だったら君たちにもわかるように言ってやろう――」

 何故かいやらしく不敵な笑みを浮かべた佐山氏は、僕たちのことをビシッと指差し、洒落と皮肉たっぷりにはっきりとこう断じた。


「このまま行っても、――君たちに明日はない」



                 ♪♪♪


 僕たちは重たい足取りを引きずるようにして建物入り口の自動ドアを内側からくぐった。

 皆がっくりと肩を落とし、その表情は一様にして暗い。

「あ……」

 何か思い出したように口を開いた剛田が、「ちょっと待っててくれ」と僕らを残して再び玄関口まで歩いて行く。センサーが起動して扉が開くと同時に、剛田は咆哮していた。

「なぁあーんてこったぁああーいぃッ!!」

 受付にいたお姉さんをはじめ、エントランスホールに居合わせていた人々が突然、頭からぶん殴られたみたいに驚いて振り返る。プチパニック状態となった人々を尻目に踵を返し、剛田は薄気味悪くニヤニヤしながら戻って来た。

「ふんっ、これでよし……」

 なにがだよ。

 僕たちは無言のまま、とぼとぼ歩いて帰途に着いた。

 夏の日差しと生ぬるい風が、後ろ髪を引くように纏わりついて鬱陶しい。思わず溜息が漏れた。するとそれを聞きつけたのだろう、鮎川が申し訳なさそうに口を開いて、

「ごめんなさい……」

 と蚊細い声で謝った。

「いや、別に鮎川のせいじゃないだろ?」

 はっきり言って、謝るべきはこっちの方なんだ。

「まぁ、実際あのハゲも、姫のことだけは認めてたしなぁ」と剛田。

「許してやる!」

 まひるは口元をへの字に曲げて、偉そうに胸を張った。何様のつもりだこのチビ。

「しかしよぉ、ケン」

 歩きながら、剛田が僕に話を降って来る。

「お前もなかなか言うじゃねーか。ちょっとは見直したぜ?」

 あぁ、僕が佐山さんに食って掛かったことか……。

「ケンイチは昔っから、能書と屁理屈だけはお達者だもんなー」

「うるせーやい」

「まぁ、あそこでお前が言ってなかったら、今頃はこの俺様が大暴れしているところだ。あのハゲめ、命拾いしたなぁ! ガッハッハッハ!」

 剛田は笑いながら僕の肩をばんばん叩いた。痛いってぇーの。

「けっ、あのクソオヤジ! 偉そうなことばっかり言いやがって! 残りの髪の毛も全部毟り取ってやろうかってんだぃ! ちっきしょうめぇえー!」

 まひるは佐山氏から受けた酷評を思い返しては地団駄を踏んでいる。

 なんだかんだで、結構元気じゃないか。それほど落ち込んでいる様子もないし、これなら大丈夫かなと僕は苦笑して、みんなに先の事を尋ねた。

「これからどうする?」

 ――――。

 途端、つい今しがたまで大声で騒いでいた剛田とまひるが、急にしゅんとなって黙り込む。

 どうやら空元気だったみたいだ。なんだか気まずくなってしまった。

『……』

 僕らはそのあと一言も話さず、ただただ地面だけを見つめて歩いた。


                 ♪♪♪


 なんとなくその場の流れで解散になったあと、僕は廃屋寸前のぼろアパートに帰るとそのまま布団の上に転がった。

 正直、ショックだった。

 剛田の奴は僕の事を見直しただなんて言っていたけど、それは大きな間違いなんだ。

 酷評を受けたのは実質僕ひとりなのだから、僕がレスポンスをするのは当然のことだったんだよ。佐山さんの指摘を噛み砕いてみれば、それはよくわかるはずだ。

 ――なんというかさぁ……つまらないんだよ。小手先の技術だけを使って書いたような印象を受ける。白々しいというか、情熱が感じられない。――

 つまり、これは。

 ――言葉に真実味が感じられない。触れればほんのりと体温が伝わってくるような生々しさに欠けている――

 僕自身がつい先日、感じていたことだったんじゃないか?

 佐山さんは演奏技術の未熟さについては大して重要じゃないと言っていた。

 そして鮎川の曲に罪はない。悪いのはすべて、僕の詞なんだ。

 今回演奏した三曲は、すべて僕が作詞をしたものだった。

 まひるの台詞を借りて言えば、能書と屁理屈ばかり達者な僕のやり方が、結局はバンドの足を引っ張ったのだ。思えば鮎川に言った「売れる曲を作ろう」という考えこそが、まさしく今回の敗因だったのではないか?

 ――アマチュアというのはもっと自由で、創作に対して衝動的でなきゃ駄目だ。君たちにはその為の飢えというものが決定的に足りない。――

 そしてそれは詞の内容だけに留まらず、演奏にも表れていたように思う。

 今になって考えれば、ミスをしないようにとそればかりを気にして、つまらない演奏をしてしまった。佐山氏の最後に言った一言が、脳裏にべったりと張り付いて離れない。


 ――このまま行っても、君たち明日はない。――


 …………。


 僕はいつの間にか眠りに落ちていた。瞳の中は真っ暗で、夢は見なかったと思う。

 目が覚めると、酷く頭が重かった。体中の血液が泥に変わっているような気分を抱えて、バイトに出る。

 今日は鮎川と一緒じゃなかった。

 たまにシフトがずれることもあり、そんなとき僕は酷く退屈なのだが、今日だけは少しほっとしている自分に気づいて、嫌悪感に苛まれる。

 朝方アルバイトを終えると、部屋に帰って寝る。昼頃に一度起きて食事を取ったが、すぐにまた床の上に転がって惰眠を貪った。楽器に触わる気力はなかった。別に、気持ちを失くしてしまったわけじゃないのだけれど、どうにも気が進まない。気分がモヤモヤとしていてすっきりしない。こういうときは、誰とも会わず、何もせずに、眠ってしまうのが一番だ。

 昨日と同様、アルバイトの出勤時間ぎりぎりに目を覚ます。ずきずきと頭が痛い。

 人間は睡眠を取りすぎると逆に疲れるのだという。十時間以上の睡眠は寿命を縮めるという話をどこかで聴いたことがある。僕は実質半日以上の時間を寝ていたので、何もしていないというのに体調は最悪だった。食事もあまり喉を通らず、それでも生活のため、アルバイトには出なければならない。空虚なサイクルだ。

 今日は鮎川と一緒だった。昨日は公休だったそうな。

 いつもだったら暇な折、鮎川と雑談を交わして盛り上がるのだけれど、今日はどうにも話が広がらない。理由はわかっていた。お互いになんとなく、音楽的な話題を避けていたからだ。距離感を掴みあぐね、ただひたすらに上っ面を撫でるような会話ばかりした結果、なんだかギクシャクしてしまう。正直、気まずかった。

 アルバイトを終えると、部屋に帰って寝るだけだ。

 寝る、食う、寝る、食う、バイト、寝る、食う、寝る、食う、バイト……。

 僕から音楽の二文字を取ると、本当につまらない人生しか残らないのだなと実感した。

 しかしやっぱり、まだギターを弾く気にはなれない。本当にメンタルが弱いと自分でも思う。それにここ二日ばかり寝てばかりいたせいか、体中に妙な浮遊感と気だるさが染み付いていた。生活習慣に変な癖がつきはじめたのか、なんだかもう、常に眠たいと感じるようになっていた。不思議なもので、寝れば寝るほど、もっと眠たくなるのだ。一向に意識がはっきりする兆しがない。

 そんなこんなで、あれから三日が過ぎた日の夕刻。――

 枕元に置いあった携帯電話が突然けたたましく鳴り響いた。寝惚けた目をして画面を見ると、着信中の二文字。剛田の名前が表示されている。

 面倒臭ぇな。無視しよう……。

 僕がシカトを決め込んでいると、しばらくして着信音が途絶えた。

 ふっと息を吐いて、これで静かに眠れるなと僕が再び目を閉じようとした時、空かさず着信音が。チッ、しつけーんだよあのバカ。今度のコールは実に一分近く続いていたと思う。

 イライラしながらもなんとか耐え抜いて、再び着信音が途絶えるときが来る。

 しかし今度は息を吐く間もなく、三度目の着信。しかもワン切りだった。そこからは一回一回ワン切りでコールを掛けてくる。それが妙にポップなリズムに聞えてなんだか腹が立った。

「――お前うるさいよッ!!」

 僕は思わず、通話ボタンを押して叫んでいた。

 ラインの向こうから不躾な声が返って来る。

『おい。今すぐ駅前の喫茶店に来い。大至急だ』

「はぁ……? なんで?」

『いいから来い。大事な話があるんだ』

 どうせロクなことじゃないんだろう。僕は断るための口実を舌先で転がし始める。

「いや、今日はちょっと体調が……」

 するとガサゴソ音がして、鮎川が電話に出た。

『ケンちゃん? だいじょうぶ? 体調悪いの?』

「いや、凄くいいんだよ、うん」

 僕は鮎川に弱いのだ。お姫様に嘘は吐けない。

 再びガサゴソ。今度はまひるが出た。

『――三分間だけ待ってやる!』

 まひるはそれだけ言って、剛田と代わった。なんなんだお前は。

『ん。まぁ、そういうわけだから』

 いや、何がどういうわけなのかさっぱりわからないけど。

『お前も早く来いよ? 四十秒で仕度しな?』

 果たして三分間待ってくれるのか、それとも四十秒しか待ってくれないのか。まぁ、どっちにしたって無理だけど。とりあえず全員揃っているなら行くしかないだろう。

 僕は適当な服を着て、部屋を出た――。

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