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明日に向かって走れ-Singer×Song×Runner-  作者: 早見綾太郎
~第一章「明日なき道を走れ」(東京編)~
4/20

第3話「明日なき道を走れ(Ⅲ)」


                 ♪♪♪


 アルバイトを終えて帰宅し、いつものように朝方就寝した僕は、蒸されるような寝苦しさに魘され目を覚ました。

 時計を見ると時刻は既に昼の一時をまわっている。

 汗でへたれた前髪が額にまとわりついて気持ちが悪い。

 それからやけに体が重いなぁと思っていたら、隣でまひるが寝ていた。

 全くいつの間に潜り込んだのだろうか。ただでさえこのクソ暑いのに、ぴったりと体を密着させてきているものだから、お互いの汗と体温で不快感指数はえらいことになっている。

 僕はとりあえず窓を開け、それからスクラップ同然の扇風機をまわして換気を促した。

 洗い物の溜まった流し台に赴き、蛇口から直接水を飲んで喉を潤す。ついでにじゃぶじゃぶと脂ぎった顔を洗った。

「ふぅー……」

 手元にタオルがなかったので、Tシャツの裾をめくり上げて顔を拭く。しかしTシャツにはたっぷりと汗が染み込んでいたので、せっかくの爽快感が台無しになった。

 振り返ると未だ眠ったままのまひるが少し苦しそうに呼吸を荒くしている。熱中症になるんじゃないかと心配になって、扇風機の送風を向けてやったらその寝顔はわかりやすく穏やかになった。

 こいつはバイト帰りに、自分の部屋まで帰るのが面倒だからと言って僕の部屋で勝手に寝て行くことがしょっちゅうある。というのも、まひるのバイト先からは僕の住まうこのおんぼろアパートが距離的に一番近いのだ。

 ちなみにドアの鍵はちゃんとかけていたはずだが、まぁこの部屋のドアは、ノブのところをガチャガチャやっていると外からでも簡単に開錠できる仕組みになっている。防犯だのプライバシーだのと神経を使うこのご時世、大変におおらかである(僕の心が)。

「……」

 寝癖のついた頭を掻き毟りながら、僕はだらんと足を伸ばして座り込む。煙草に火をつけ、そのまま何の気なしにまひるの寝顔を眺めていると、つくづく思うことがあった。こいつは本当に僕と同い年なのだろうか。まぁ、こいつとは小学校時代からの付き合いなので、今さら年齢のことなど疑う余地もないのだが、そうとわかってはいても軽く十は年下に見えるあどけなさを有しており、その筋(幼女愛好家)の人たちからは合法的だと大変好まれるであろう。

 が、しかし、老婆心ながら一つだけ忠告しておきたい。

 ――父性溢れる紳士たちよ、決して見てくれに騙される事なかれ! 

 こいつはその実、猛烈な毒舌家であり、当バンド切ってのトラブルメーカーである。

 自身に何かしらのコンプレックスを持つ御仁が気安く声などかけようものなら、心に深い傷を負うことは不可避といえよう。(※実際に僕は、幾度かそのような場面に立ち会いました)

 とにかくこいつは露骨な表現をオブラートに包む、もしくは胸の内に留めておくということを知らない。頭皮に深刻な砂漠化の問題を抱えていらっしゃる方を見れば、すぐ「ハゲ」って言うし、少しお腹まわりがふくよかな人を見つけると瞬く間に「デブ」と断じる。

 歯に衣着せぬその言動と奔放な態度が原因で、他者とのトラブルを引き起こすことも多々あり、先日、深夜のコンビニにたむろしていた世紀末覇者のような格好の若者たちに向かって「おい。お前たちみたいなのを〝でぃーきゅーえぬ〟っていうのか?」などと投げかけ、僕が殴られている間に逃がす羽目となったことはまだ記憶に新しい。

 嵐を呼ぶ女・珠紀まひる。

 社会不適格者という側面においては、剛田をも凌ぐトンデモ人間といえるだろう。

 しかし、不思議なことにそれだけ問題を持った性格でありながら、まひるのことを本気で嫌う人が少ないのもまた事実である(僕らバンドメンバーも含めて)。

 なんだかんだと口を開けばいつも憎たらしいことばかり言っているようだが、時折コロっと表情を変えて甘えたように擦り寄ってくるその人懐っこさが、まひるの評価・通常マイナス百点のところを、マイナス二十点くらいにまでは好転させているのだ。

 その点、こいつには魔性の女になれる才覚があるよな、などと僕なんかは思うわけである。

「ん……っ」

 僕が少々寝惚けた頭でそんなことを考えていると、まひるが不意にムックリと僕の万年床から起き上がった。寝起きなので人相が悪い。

「よう、目ぇ覚めたか?」

 まひるは僕の挨拶を軽く無視して、一方的な要求だけを伝えた。

「ハラ減った。メシ……」

 まったくこいつは。

 色々と言いたいことはあるのだが、どうせ何を言ったって無駄だということを僕は疾うに心得ているのである。ハイハイと適当にあしらって、台所へ赴いた。

 炊飯器におとといのご飯が残っていたので、あとはこれに味噌汁でもかければよかろう。

「こらーっ! 早く食わせろー! ばかたれぇーっ!」

 まひるは卓袱台をバンバン叩いて催促してくる。好きにさせておく。

 鍋に水を入れて火にかける。具は冷蔵庫にあった物を適当に。

「うわぁー、大変だぁー! ケンイチ急げーっ! お腹と背中がくっついてしまうぅぅー! なぁーんてこったいよー!」

 うるさいことこの上ない。寝起きからどんだけ元気なんだこいつは。この分じゃ、あと三日は飲まず食わずでも到底くたばりそうにないな。

 まひるはその後も、僕が味噌汁を作り終えるまでの間大騒ぎ、暴れるだけ暴れて空腹を訴え続けた。余計、腹も減るだろうに……。

「けっ、しけてやがるぜ。おまえのツラと一緒だぃ」

 出来合いの汁かけご飯を出してやったら、そう悪態を吐かれた。

「なんだぁ? 嫌なら別に食べなくてもいいんだぞ?」と返してやったら、「口答えをするんじゃない!」と物凄く怒鳴られた。どうすりゃいいんだよ。

「へんっ、食ってやるだけ、有り難く思うことだなァ!?」

 無茶苦茶なことを言ったあと、まひるは手を合わせ『いただきます』をした。意外と礼儀正しいなと思った矢先、今度はべちゃくちゃと音を立てて味噌汁とご飯の濁流を掻き込み、締りの悪い口から米粒やよだれをそこいら中に撒き散らす。もうどうなってるんだこいつは。

 あっという間に自分の分を平らげたまひるは「まずいッ! もう一杯ッ!」と空になった茶碗を突き出して来る。自分で行けと言ったら鍋ごと持ってきて食べ始めた。ちったぁ遠慮しろ。

 ――こいつはこんな性格をしているので、普段から何を考えているのかサッパリわからない。まぁ、たぶん何も考えてはいないのだろうけど。

 せっかく二人きりの機会なので、僕はいくつか気になっていることを質問してみた。

 自分の将来について不安は感じないか、だとか、僕らは本当にプロになれると思うか、などと、まひるなりの見解を求めてみる。

 するとこいつは、こっちを見もせずに。

「――プロ? なるよ?」

 あっけらかんと、あたかも最初から決まっていることのように言い切った。逆にそんなこと訊いた僕に対して、わかりきったことを聞くんじゃねぇと失笑しながら突っ返してくるようなそのパワー、何の疑いも感じさせないその態度が、最近どうも弱気になりがちだった僕を思い切り打ちのめしてくれる。なんだかわからないけど、ちょっと感激した。

「えへへ~。テレビに出たら、放送禁止用語はいっぱいゆってやるんだぁ~」と。

 そんなまひるの野望はともかく、僕はなんだか嬉しくなって思わず笑みがこぼれてしまう。

「おぉっ? なにニヤニヤしてんだ? きもっちゃりぃい!!」

 …………。

 今日はこのあと三時から音合わせだ。



 昼食を取ったあと、僕はまひると一緒に近所の河川敷に向かった。

 鮎川と剛田は先に来ていて、既にセッティングを終えていた。

 僕らも合流して、早速、曲の調整に入る。

 一応、今度の売り込みで演奏するのは一曲ということらしいが、何かの拍子に他の曲を求められることがあるかもしれないので、予備に二三曲、練習しておくことにした。

 僕らは専ら河川敷や公園を練習場所にしている。毎回スタジオを借りて練習するだけの余裕がないというのが一番の理由だが、こうして外の景色と触れ合いながら音楽に興じるというのもなかなかに乙なものだ。なんというか開放感があってさ。

 それに、たとえ練習途中の曲であっても、とにかく自分達の奏でる音を人の耳に触れさせておきたいという気持ちもあった。まぁ、この辺りを通りがかるのは、おおかた犬の散歩か、ジョギングか、川釣りに来る人たちなので、ほとんど奇異な視線しか向けられることはないのだけれど。

 いやぁ、それにしても暑いな。立っているだけで滝のように汗が吹き出して来る。

 僕らは少し練習をするたび、橋の下の日陰に入って休憩を取った。

 近くの自販機で買ったスポーツドリンクを飲みながら、軽くミーティングをする。

 演奏の出来は概ね良かったので、せっかくだから少しアレンジを変えてみようかという話になった。やっぱりいつも同じじゃつまらないし、なによりもやっている僕たちの方が飽きてくるのだ。モチベーションを維持するという意味でも、ある程度の新鮮味は必要だろう。

 本番まで時間もないし、全体を通しての大幅な変更は無理だが、細かい部分でなら融通も利くだろうということで、とりあえずは僕のギターソロをちょっといじってみることになった。鮎川と二人で考え、リズムベースとドラムのことの意見も取り入れつつ、技巧的にちょっと難しくしてみたのだが、即興のわりには上手くいったと思う。

 鮎川もロングトーンのところにしゃくりを入れて短く切ってみたり、逆に短いフレーズを溜めてビブラートを利かせたりと、歌い方に変化をつけている。全体的に垢抜けた感じで、一層曲の格好良さが引き立った気がする。

 その後、何度かアレンジしたバージョンを合わせてみて、本番もこれで行くことになった。


                 ♪♪♪


 翌日は昼過ぎからスタジオを借りて、明日に向けての最終調整。

 一時間半ほどでつつがなく音合わせを終えた僕たちは、それぞれ機材を撤収したあと、みんなでお風呂に行こうかという流れになった。

 タオルと着替えを持ち寄って、雑談を交わしつつ近所の公衆浴場にふらっと立ち寄る。

 みんなでお風呂なんていうと、なんだか物凄く楽しそうな響きに聞えるのだが、まぁ当然のことながら入浴の際は男女に別れるので、良いことなんか何一つ無い。

「あ~あ、男の裸なんかみたくねぇなー」

 豪快にタンクトップを脱ぎ捨てた剛田が、鎧のような胸筋を見せつけながら心底嫌そうに言った。ちぇっ、そりゃこっちの台詞だっつーの。僕は辟易してしまう。

 僕と剛田は部屋に風呂がないので、ここでバッタリと出くわすことがよくあるのだ。鮎川とまひるの部屋には、さすがに風呂もトイレも付いているらしく、まぁ、なんだかんだ言って二人は女の子だ。両親から毎月いくらか仕送りも貰っているようだし、僕ら二人に比べると、まだ若干生活に余裕がある。その点、僕と剛田なんか、ほとんど勘当されたも同然の身なので、仕送りはもとより、連絡すらまともに取っていない。

 親不孝だなぁー、と思いつつ、まぁいいやと入浴。

 体を洗って汗を流し、広い湯船に浸かる。

 思う存分、足を伸ばして入れる風呂というのは気持ちがいいものだ。

 しばらくすると、女風呂の方からまひるの声が聞こえて来た。

「ばばんばばんばんば~ん♪」と、上機嫌に歌っている。

 定番だなぁ、と思っていたら、「ハァア~ン、ビバ~ドンドンっ!」と、隣に居た剛田が突然合の手を入れて一緒に歌いだした。何をやっているんだこいつらは。

 公衆浴場で恥ずかしげもなく一曲を歌い上げた剛田は、なんだか知らないがやり遂げましたみたいな顔をして満足そうに頷く。たぶん、向こうではまひるも同じような顔をしているはずだ。あとで鮎川に聞いてみよう。

 この銭湯には打たせ湯があるので、僕と剛田はいつものように修行僧のポーズで頭からお湯の滝に打たれつつ、今後のことなど少し話し合った。しかしあれだな。剛田と話していると、なんだか世の中が馬鹿馬鹿しくなってしまう。いい意味でも、悪い意味でもさ。

「なぁ、ケン。インタビューの答えはもう決めたか?」

「インタビュー?」

「ああ、俺たちもデビューが決まったら雑誌とかでインタビューされるだろ? 格好良く答えるためには、今のうちから考えておいた方がいいぜ?」

 そういうのを取らぬタヌキの皮算用というのだ。

 呆れ半分、オモシロ半分に僕は訊き返す。

「お前はもう決めたのか?」

 剛田はフッと不敵な笑みを浮かべて「もろちんだ」と答えた。

「俺はこのバンドの発起人だからな。結成の理由を尋ねられたら、こう言ってやる。――あぁん? 決まってんだろ、働きたくねぇからよ。たかが音楽だ……」

 知らない人のために解説するが、これは『ラモーンズ』のギタリスト・ジョニーが、バンド結成の理由をインタビューされた際に放った一言である。今のご時世にこんなことを言ったら袋叩きに遭いそうな気もするが、思わずニヤリとしてしまう駄目な自分がいた。

 僕と剛田が不気味な笑みを交わしつつ修行僧をやっていると、女湯の方から、再びまひるの声が届く。

「おーい、お姫ー! なんかこっちに滝みたいなのあるよ! 修行しよ、修行!」

「あんまり走ったら危ないよ?」

 つくづく思った。僕たちは馬鹿だ。そして気持ち悪いくらいに気が合う。

 風呂から上がった僕と剛田は瓶の牛乳を飲みながら、鮎川とまひるが出てくるのを待つ。

「ごめん、お待たせ」

 頬と耳を上気させ、鮎川はとっても色っぽい姿でやって来た。しっとりと濡れた栗色の髪からほのかに甘い香りが漂う。うーん、いいねぇ~。

「うーん、いいおっぱいだ……」

 剛田がぼそっと呟いた。そのせいで、僕の視線もついついそっちに行ってしまう。うぇっへ、ほんとうだ……。僕が変態として当然のことをやっていると、女湯と書かれた赤い暖簾を勢い良く叩き払って、まひるが現れた。

「くぉらぁーっ! お前らちゃんと大人しくしてか!?」と偉そうなことを言いながら、僕の牛乳を山賊の手つきで奪い取って飲み干してしまう。こいつはまぁ、元気そうでなによりだ。

 学校帰りの学生や夕飯の買出しに来た主婦の方々で賑わう夕暮れの道を、四人並んで歩く。

 生暖かな風が風呂上りの肌に心地良く、僕らは明日の売り込み、ひいてはプロデビューに向けての意気込みなんかを語り合いながら、帰途に着くのだった――。

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