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明日に向かって走れ-Singer×Song×Runner-  作者: 早見綾太郎
~第一章「明日なき道を走れ」(東京編)~
3/20

第2話「明日なき道を走れ(Ⅱ)」


                 ♪♪♪


 ――深夜のファミレスというのは、明るい中にもひっそりとした趣があって僕は好きだ。

 客も少なく、この時間帯に料理を注文する人はあまりいない。大体みんなドリンクバーを頼んだあとは、そのままダラダラと長時間の雑談に耽っている。間延びした空気が流れていた。

 僕らのシフトは夜十時から早朝六時までの八時間。

 この時間帯、アルバイトは僕と鮎川しかおらず、あとは社員のおっさんが一応一人いるが、今はスタッフルームに引っ込んで業務用のパソコンをいじっている。

 キッチン担当の僕は暇なので、ホールの鮎川とカウンターの奥で駄弁り、今日のライブの良かったところ、悪かったところなどを振り返っていた。

 呼び出しがかかり、ホールの鮎川が愛想よく対応に向かう姿を眺めながら、僕は他の二人も今頃はアルバイトに勤しんでいるのだろうなと他人事のように思った。

 まひるは二十四時間営業のカラオケショップ、剛田は風俗街の客引きをやっている。

 僕らは四人とも深夜から早朝にかけての仕事を選んでいた。

 理由の一つは深夜帯の賃金が割高であること。もう一つは、昼間の時間をバンドの活動にあてるためだ。

 注文を受けたハンバーグを黒々と焦がしながら、僕は足先でリズムを取り、頭の中で音を掻き鳴らす。僕の頭の中は、いつだって音楽とバンドのことで一杯だった。

 夜明けとともにバイトを終えると、廃屋寸前のねぐらに帰り、昼過ぎまで眠る……。

 ……夢を見た。

 そこには僕達の、将来の姿が映っている。

 いつまで経ってもプロになれず、根無し草のような生活を続けた僕らはすっかり歳を取って老人になっていた。ぼろぼろの格好で公園のトイレに住み、ハイエナのような目をして日夜、街のゴミ箱を漁っているという夢だった。

「――っ!」

 目が覚めたとき、全身からは大量の汗が吹き出していた。唇はカサカサに乾いてひび割れている。ふと顔に手を当てると、目の端からは何故だか涙がこぼれていた。

 寝起きの気分は、最ッ悪だった……。

 こんな夢を見るくらいだったら、グロテスクな幽霊に廃墟で追いかけまわされた方がよっぽどマシだ。願わくばこれが予知夢でないことを祈りたい。大丈夫だ、僕に霊感めいたものは何もない。

 ――しかし、実際のところ僕は最近、焦りを感じていた。

 僕らの『HAPPY★RUNNERS』は、もちろん世界最高峰のバンドだ。

 しかし、どうにも最近は、以前のような勢いが感じられない気がする。

 決して気持ちを失くしてしまったわけではない。音楽に対する愛も、このバンドにかける情熱も何一つ変わっていないとそこは自負している。

 ただ問題なのは上京から一年、今この状況に(断じてダジャレではない)僕も含めメンバーの皆が慣れてきてしまっているということなのだ。

 アルバイトに追われ、日々の生活に四苦八苦しながらも、少ない時間をなんとかやりくりして、月に一度はライブを行う。そんな状況に、図らずとも身を委ね始めている。

 人間というのは慣れる生き物だ。そして、習慣というものは恐ろしい。どんなことでも一度慣れてしまえばそれが当たり前のこととなって、もう何も感じなくなってしまう。そして一度習慣になってしまったものを覆すことは難しい。

 つまり、売れないアマチュアバンドであることに慣れてしまったら、もう一生ここからは抜け出せなくなってしまうということだ。そうなれば僕らに待っている顛末は、最悪の場合……。

 さっき見た夢を思い出してしまい、背筋にぞわりと悪寒が走った。

 慣れてはいけない。満足するだなんて、もっての他だ。人間を突き動かす最も大きなエネルギー源は、抑圧や不満に対する激しい怒り・反発なのだ。

 そのためには今のスタイルを変えなければいけない。

 この生活を始めてから一年、まだ間に合う。間に合わせなくては。今すぐに。

 アルバイトなんてしたくない。こんな生活はもうごめんだ。プロになりたい。早くなりたい。絶対なりたいと自己暗示をかけ、僕は来るべきデビューに向けての曲作りに取り組んだ。

 しかし、どうにも集中できない。なんとなく頭の中にモヤモヤとした煙が篭もっているみたいで閉塞感がある。経験から分かるのだが、こういった気分のときというのは、まぁ、まず良い物を作ることは出来ない。僕は一旦気持ちを切り替えるため、思い切って部屋を出てみることにした。

 薄いTシャツとジーンズ、ポケットには煙草と小銭だけを突っ込んでドアを押し開く。

 かあっと外から差し込む光が、僕を包み込んだ。――

 狭く暗く薄汚い部屋の中から一歩外に出るだけで、世界が随分と広がったような心地になる。見上げる空は今日も快晴で、お天道様がギラギラと輝いていらっしゃった。

 うーん、いい感じだ。

 僕はそのまま、辺りをしばらく散歩してみることにした。

 やはり外の世界と触れ合うということは、創作に良い刺激を与えてくれる。

 曲がりくねった道の角、住宅街の様相やベランダに干された洗濯物の生活臭、街灯や電線の上にとまって羽を休める小鳥達の囀り、そんな何気ない日常の中にも閃きの種はぬくぬくと眠っているものである。

 僕はそれらのすべてを吸収するように首を左右に動かし見渡しつつ、のんびりと道を行く。

 近所にある神社までやって来た。鳥居を潜って境内へ。ひんやりとした空気が辺りを包んでいる。蝉の歌声はまだ疎らに届き、仄かな風にカサカサと揺れる木々の枝葉。

 鬱蒼と生い茂った深緑の葉を透かして、木漏れ日が揺れている。スピリチュアルな雰囲気が僕を浮遊感へといざなう。

 神社を出ると、日差しの強さがさっきよりも増したような感覚になった。

 額から汗が吹き出し、首元を滴る水滴がTシャツの襟首を色濃く濡らしている。

 のどが渇いたので、近くの自販機で缶コーラを買った。

 プシューッと景気よくプルタブを起こして、一気に喉の奥へと流し込む。

 キンキンに冷えたしゅわしゅわの液体が、からっと乾いた暑さに気持ちいい。

 自販機の脇に灰皿が設置されていたので、そこで一服。舌を痺れさせるような煙草の苦味と芳香が、鼻腔を突き抜けてゆく爽快感。

 僕は再び歩き出し、川原に向かう。ガードレールの脇でタンポポが揺れていた。

 自然と笑みがこぼれる。

 夏の香りを胸いっぱいに嗅いでみようと、僕は深呼吸をする。

 川原に赴くと、ベンチに腰掛け、一人ギターを奏でている後ろ姿を見かけた。

 鮎川だ。日除けに帽子を被り、眼鏡をかけている。年代物のギブソンを爪弾きながら、時折、スヌーピーのノートになにやら書きとめている。

 僕は近寄って声をかけた。

「鮎川」

 僕の声に振り返った鮎川は、いつものように柔らかく微笑み、

「あ、ケンちゃん」

 広げていたノートを退けて、横にスペースを作ってくれる。僕はそこにお邪魔した。

「鮎川も曲作り?」

「うん、ケンちゃんも?」

「まぁ、ちょっと気分転換に散歩でもと思ってさ」

 二人で並んで、キラキラと日差しを照り返す川面を見つめながら、言葉を交わす。

「どう? 進展の方は?」

 うーん、と鮎川は曖昧に首を傾げた。

「ちょっと、聴いてみてくれる?」

 目を細め、ちょっぴり物憂げな表情でアコギを奏でる鮎川はすごく絵になる。

 肝心の曲も耳に心地良い。鮎川の作る曲はどれもコードは簡単ながら非常にメロディアスなものが多かった。

 彼女はもともと幼少期から中学の頃まで体が弱く、学校も休みがちな少女だったそうだ。

 出席日数が他の子の半分程度しかなく、そのため、あまり友達も出来なかったらしい。

 家にいることが多かったため、父親の持っていたギターを譲って貰い、よく一人で暇を潰していたという。そんな生い立ち上、楽器経験はメンバーの中で一番長く、その音楽性や演奏技術に関しても僕らの中では頭一つ飛び抜けている。『HAPPY★RUNNERS』の要だ。

 しかし、こうして聴いていると、やはりギターも上手いなぁ。

 僕なんかよりもよっぽど上手いものだから少し困ってしまう。

 彼女のお父さんはやはり世代なのだろうか、『吉田拓郎』の大ファンらしく、若い頃は自身もシンガーソングライターを志していらっしゃったそうだ。譲って貰ったギブソンは、どうやらその頃の思い出の品だということで、鮎川も大事にしていた。

 またお父さんの影響で、小さい頃から七十年代のフォークソングを聴く機会が多かったという彼女は、拓郎の曲であればほとんど譜面を見なくとも弾くことが出来るという特技を持っていた。実際に練習の合間や、こうしたプライベートな場では、生ギターとハーモニカ一本で彼女に弾き語りを披露してもらうことが少なくないのだけれど、これがまたなんというか、すごく上手い。彼女の容姿や人柄、本来の声の質などから考えてみても、やっぱり鮎川には、もともとロックよりもフォークの方が似合っているのだと思う。

「どうかな?」

 曲を弾き終えた鮎川が自信なさげに感想を求めてくる。

 僕は素直な気持ちで言った。

「いいと思う。やっぱり鮎川はすごいね」

 僕なんかとは持って生まれた才能が違う。嫌味ではなく。

「歌詞は? もう何か考えてる?」

「ううん、まだ何も」

 詞を書くのが先か、曲を作るのが先かという部分は人それぞれなのだが、僕の場合は何かワンセンテンスを思いつき、そこから物語を広げてゆくというパターンが多い。

 たとえば、〝風に吹かれて立っている〟というサビの一文を思いついたとしたら、その場面に至るまでの物語を逆算して組み立ててゆく。物語が程よく広がれば一曲として完成するし、広がらなければそのアイディアはボツという風になる。それが僕のやり方だ。

 鮎川にも質問したところ、彼女の場合は結構まちまちだそうだ。

 先に詞のテーマを決めてから曲調を選ぶこともあれば、なんとなく曲を思いついてから、それっぽい詞をつけることもあるらしい。

 今回の場合は、昨日僕が言った『売れる曲を作ろう』という無茶な注文に沿ってくれたらしく、〝とにかくキャッチーなメロディーを〟という部分を念頭に置いて作ったのだという。

 せっかくなので二人で少し、歌詞の内容を話し合うことにした。

「大衆性を意識するなら、やっぱり恋愛物かなぁ」

「だけど、私そういうのはあんまり得意じゃなくて……」

「うん。それはまぁ、僕もそうなんだけど」

 ラブソングを書くというのは、やっぱりこっぱずかしいものである。

 なんか、自分の浅い恋愛観が剥き出しにされるみたいでさ。

「恋愛物がダメなら、何か多くの人の心を掴むような普遍的なメッセージを歌うしかないと思うんだけど、そっちはどう?」

 鮎川はそこでまた、うーんと唸って小さく苦笑する。

「今の私にはあんまり語りたい衝動がないのかも。どうしても陳腐な表現になっちゃいそうで」

「……うーん、そっかぁ」

 僕も少し考えてみるが、どうにも浮かんでくる言葉に真実味が感じられない。なんというか白々しいのである。触れればほんのりと体温が伝わって来るような生々しさに欠けている。

 二人して、うんうん考え込んでいると不意に鮎川の携帯電話が着信を知らせた。

「あ、剛田くんからだ」

 僕は一旦思考を打ち切って、電話口の会話に耳を傾ける。

「――はい。……うん、うん。……ケンちゃんなら今、一緒にいるよ? うん……。そう、わかった。うん……。それじゃあ、またあとで――」

 通話を終えた鮎川に僕は用件を尋ねる。

「あいつ、なんだって?」

「よくわからないけど、大事な話があるから今すぐいつもの喫茶店まで来てくれって。あとケンちゃんの携帯にも電話したんだけど、繋がらなかったって言ってたよ?」

 そういえば部屋を出る際、携帯電話を持って行くことを忘れていたな。

 いやはや全く、現代の若者としてはあるまじき失態ですなぁ、と鮎川に言ったところ、おじさんくさいと笑われてしまった。

 僕はひとまず鮎川と一緒に、ケイタイを取りに戻ってから、指定された場所に向かう。

 履歴を確認すると、剛田からの不在着信が間隔を一分と置かず、十五件も入っていた。

 まぁ、別に今さら驚くこともない。あいつは昔からこういう奴だ。

 剛田の相手をするのは体力・気力ともにかなりのマシンパワーを消耗するので、たまに疲れているときなどは居留守を使おうとするのだが、僕は結果的に居留守を使えたことなど一度も無い。そのあまりのしつこさに参ってしまい、無視をするくらいなら相手をしてやったほうがまだマシだと思ってしまう。それほどまでに、奴のゴリ押しは強力なのだ。

 電話は相手が出るまで掛け続けるし、好きな女の子には相手が呆れ果てて思わず頷いてしまうまで猛烈にアタックする。口論になれば、相手の意見が正しかろうがなんだろうが、とにかく滅茶苦茶に喋り捲って圧倒し、相手を黙らせる。心身ともに並みの図太さではない。本人に悪気はないようだが、四捨五入したら犯罪者みたいな奴だ。

 剛田はゴリラみたいな顔、ゴリマッチョ、ゴリ押しと三拍子揃った男なのである。

 僕と鮎川は駅前にある待ち合わせ場所の喫茶店までやって来た。僕らはよく溜まり場としてここを利用する。

 店に入ると、剛田が軽く手を挙げて、こっちだと合図した。

 まひるも既に来ており、チョコレートパフェを夢中で貪り食っていた。

 僕らが席に着くと、剛田は妙に意気込んだ面持ちで話を始めた。

「今日みんなに集まってもらったのは他でもない――」

 そのとき、話の腰を折るように、パフェを食い終えたまひるが呼び出しボタンを三三七拍子のリズムで連打し、店員を呼びつけた。そして「おかわりッ!」と空になった容器を威勢良く突き返す。……まぁ、こいつはこいつで通常営業だ。好きにさせておこう。

 剛田は咳払いを一つ、話を再開した。

「――俺たちがこっちで生活を始めて、早一年余りが過ぎた。しかし現状、俺たちを取巻く状況は一年前と何一つ変わっていない。『HAPPY★RUNNERS』は売れないアマチュアのままだし、メジャーデビューへの糸口は一向に掴めていないといえる。そうだろう、姫?」

「え? あ、うん……」

 可哀想に、急に方向性の見えない話を振られた鮎川は少し気圧されている。

 僕が暢気に鮎川の心配などしていると、剛田はキッとこっちを睨み付けた。

「ケンイチも、このままでいいと思うか?」

「いや、それは……」

 その問いに対する答えはもちろん『NO』であるのだが、正直な話、急にどうしたのだろうという疑問の方が先行してしまう。

 まぁ、これもこいつの特徴の一つといえるのだが、剛田は何をするにも、いつだって唐突なのだ。思い立ったが吉日というか、物凄い見切り発車というか、やりたいことは今すぐやらなければ気が済まないといった具合に、何の計画性も持たないまま、考えるより先に行動を起こしてしまう。そもそもこのバンドが結成される切欠を作ったのもこの剛田なのだが、そのときもある日突然「よし、バンドをやろう!」といきなり言い出し、やっぱり当時の僕も今とまったく同じ疑問を抱いていたと思う。

 一体何を言い出すのかと不審に思っていると、剛田は力強く熱弁を振るった。

「このままでいいはずがない! 俺たちの『HAPPY★RUNNERS』は世界最高ロックバンドだぞ! こんなところで終わっていいような器じゃないんだ!」

 それに関しては僕も大々的に賛成の意を表明する。

 馬鹿といわれようが、身の程知らずといわれようが、逆に言わせて貰えば、それくらいの自信がなければ本気でプロを目指そうなどとは思わないだろう。自分たちの音楽に自信と誇りを持っていること、それがプロになるための最低条件だと思う。なんちゃって。

「さて、みんな去年のことは覚えているな?」

 いきなり話が飛んだ。まぁいつものことだ。こいつの話はちょくちょくワープする。

「俺たちは春に上京してすぐの頃、いくつかの新人オーディションに応募した」

 ……あぁー、苦い思い出だ。

 結果はどれも一次選考で落選。思えばあれが僕らの経験した初めての挫折であった。

「その散々たる結果を受け、俺たちはその後一年に渡って、機会を窺いつつも地道な潜伏活動に徹して来た。しかしそろそろ、反撃に転じてもいい頃合だとは思わんか?」

「またオーディションにでも応募するのか?」

 剛田はにわかに首を振る。

「俺なりに前回の敗因を分析したんだがな、やっぱり俺たちのバンドが最も実力を発揮できるのはライブだ。演奏を生で聴いて、音を、雰囲気を、直に肌で感じてもらわなければ、俺たちの本当の魅力というものは伝わらないと思う」

 なるほど……。確かに新人オーディションの一次選考というのは、ハッキリ言って書類審査だ。一応、演奏を吹き込んだデモテープを送付することにはなっているものの、やっぱり目の前で実際の演奏を聴いてもらわないうちから切り捨てられることには、僕もつくづく不満を感じていた。しかし……。

「じゃあ、具体的にどうするんだ?」

 僕の問いに、剛田はニヤリと至極不気味な笑みを浮かべた。

「実はな、話というのはそのことなんだ。――俺たちの演奏を、とあるレコード会社の音楽プロデューサーが直接聴いてくれることになった」

 僕と鮎川は思わず目を丸くして顔を見合わせる。剛田が挙げたレーベルの名前は、およそ一般人でも知っているくらいの大手企業だった。驚愕だ。ふと隣を見ると、まひるがアイスを溢してベトベトになった手のひらを美味しそうに舐めている。お前はなんでここにいる?

「でも、よく引き受けてくれたね……」

 鮎川の言葉に僕も同調する。

「ふつうなら門前払いだろ」

「ああ、もちろん最初はにべもなく断られたさ。だけどめげずに何度かコールしていたら、もうお前うるさいからって、オーケーしてくれたんだ」

 それを聞いて僕は理解した。

 こいつの言う〝何度か〟とは、たぶん二桁いっている……。

 とまれ、これが僕らのバンドにとって類稀なる好機であることは間違いない。

 僕も最近ちょうど同じようなことを考えていたとはいえ、ここまでやれるだけの行動力は持ち合わせていなかった。申し訳ないがその音楽プロデューサーには迷惑を被って貰うこととして、やはりここは不屈の精神を持った(言い方次第)漢・剛田篤志に賞賛を贈るべきであろう。

 ――よくぞやってくれた剛田! お前は素晴らしいよ!

 ただ、当の本人が物凄く得意げな面持ちで鼻の穴を膨らませていることが癪に障ったため、口には出さないでおく。

「それで、約束の期日は?」

「今週の土曜だ」

 ちなみに今日は水曜日である。このあと少し練習するとしても、夜にはバイトが控えているため、実質的に猶予はあと二日しかない。

「そりゃまた随分と急な話だなぁー」

「うーむ、その辺りは向こうの都合に合わせてあるからな。しかし文句は言えんだろ? こんな機会、貰えるだけでも有り難いと思え」

「うん。そりゃまぁ、わかってるんだけどよ……」

 残念ながら新曲の方は間に合いそうにない。そう思っていたところ鮎川と目が合って、僕は思わず会釈してしまった。鮎川もちょっとびっくりした顔で会釈を返してくる。なんだこれ。

「なにやってんだお前ら?」

 と、剛田につっこまれてしまう始末である。

 僕は誤魔化すように咳払いを一つかましてとりなした。

「まぁとにかく、時間もあんまりないことだしさ、演奏する曲目は昨日のライブでやった中から一番自信のあるやつを選ぼう。それなら少しの調整を加えるだけで済む」

 僕の提案は受け入れられ、その後みんなで話し合って勝負曲を決めた。


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