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明日に向かって走れ-Singer×Song×Runner-  作者: 早見綾太郎
~第一章「明日なき道を走れ」(東京編)~
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第1話「明日なき道を走れ」

――……


第一章「明日なき道を走れ」

                 ♪♪♪


 むせ返るようなライブハウスの熱気と振動の中、滝のように吹き出した汗が目に沁みる。喉の奥は渇き果て、薄いTシャツは水気を吸ってべっとりと素肌に張り付いている。しかし不快感はこの際二の次だ。ラストを決める。

 まひるの激しいドラムロールとともに僕らはタイミングを合わせ、ばっさりと余韻を切り裂いた。終焉とともに拍手喝采が起こる。

 今月のライブも、そこそこに盛況だった。

 演奏予定曲を無事に終え、僕は光り輝くステージの上から暗い客席に向かって小さく頭を下げる。鮎川も柔らかく微笑みながら、手を振って歓声に答えていた。

「せんきゅーばいばいまたねー!」と元気一杯のまひる。

 演奏で心身ともに熱くなった剛田の馬鹿はすっかり大物気分で客との別れを惜しんでいた。

「お前らぁーッ! 今日は元気で帰れーっ! またみんなで会うんだぜーっ!? 約束だぞーっ! みんな元気で帰れ! 元気で帰れよーっ!! またなー! また会おうなーっ!」

 ちなみに僕らの出番は二番手である。まだこのあとに五組のバンドが演奏を残しているというのに、こんなお別れムード作ってどうするというのか。

 照明が落ち、僕らはステージを降りた。



 ペットボトルに入った水をごくごくと一息に飲み干して、

「くぅあ~っ! この為に生きてんなぁ~!」

 と、髪の毛をくしゃくしゃにしたまひるはオヤジ臭くのたまった。

 剛田は大木のような腕をがっしりと組み、深く共感するように頷いている。

「これで今月の山も越えたな」

「次はもう来月か」と僕。

「待ち遠しいね」

 本来透き通って綺麗な鮎川の声は激しい歌に消耗して、少し擦れていた。

 達成感に包まれた空気の中、『それじゃあ、これからみんなでパーッと打ち上げにでも行こうか!』と言いたがる口を、僕はもどかしい思いで固く縫い付ける。

「さっ、俺バイト行かなきゃ」

 剛田はいつものことながら、あっさりとそう言った。

「ウチもー」と、まひるも早々に帰り支度を始める。

 熱くなっていた胸の奥が急速に冷え込み、寂しい気分になる。

「なぁ、もう少しくらいいいだろ? まだ対バンの連中だってやってるんだしさ?」

 僕は駄目元で言ってみたが、剛田の返答はいやにきっぱりとしていた。

「別にいつものことだろ。こっちは生活がかかってるんだ。第一、お前らだってこのあとシフト入ってんだろ? シャワー浴びて飯食って、気持ちを切り替えなきゃ差し支えるぞ?」

 わかってはいるが、なんというか身も蓋も無い。

「よし! それじゃあ仲良し四人組、解散ッ! さよならっ!」

 清々しく宣言して、剛田はずかずか楽屋を出て行った。

「ばいばいきーん」とまひるもあとに続く。

 夢に現を抜かしていた僕らの間を、現実の冷たい風が吹きぬけた。

「はぁ……」

 僕は嘆息して、鮎川を見る。視線が合うと、鮎川もまたどこか切なげに微笑を浮かべた。

 まぁ、このやるせなさはみんな同じか……。

 ギターケースを背負った僕は、鮎川と並んで帰路に着く。

「あーあ、これが学生時代だったら、ライブのあとは朝までドンチャン騒ぎやったのになぁ」

 僕がそうぼやくと、鮎川は少し困った顔をして唇に手をあてた。

「うーん、でも仕方ないよ。これも私たちの選んだ道だし」

「まぁ、それはそうなんだけどさ……なんだか最近、虚しくって」

 ――福岡の大学を卒業後、上京して一年。すっかり錆びついてしまったような心地だった。

 僕ら四人がバンドを組んだのは今からかれこれ四年前、大学一年の春だった。

 キッカケは他愛のないものだったと記憶している。ほとんど遊び半分にバンドを結成した僕たちは、そこから約半年間、和気藹々と練習を積み重ね、初の舞台であった学園祭のステージで一躍、脚光を浴びた。僕たちのバンドはなんだかよくわからないが、非常にウケが好かった。鮎川の持つ音楽性の高さ、まひるや剛田のキャラクター性など、理由はいくつか考えられるのだが、まぁ一番の理由は、そういった運命の風向きというものに偶々上手く乗っかっていたということだろう。

 たちまち校内の人気者となった僕たちは、男女を問わずたくさんの人たちから囲まれて毎日を過ごすようになり、何かあるたびに色んなところへ招かれて演奏した。

 自分達の音楽が拍手喝采を浴びたときの恍惚感と優越感、人から求められるということに使命感と充足感を覚えた僕らは、もっと自分たちの音楽をたくさんの人たちに届けたいと思うようになる。それからはオリジナル曲作りにも、精力的に取り組んだ。

 そして大学二年目の夏には、初めてライブハウスでの演奏に臨む。

 初の本格的な舞台を前に緊張もしたが、大学での知り合いがこぞって応援に駆けつけてくれ、結果的には大成功を収めることが出来た。対バン(同じステージで演奏するバンド)の人たちや店のオーナーとも仲良くなり、ハコ(ライブハウス)での演奏も、その頃は回数を重ねるごとに熟成していったものだ。

 一日一日がとてもめまぐるしく濃密で、正直あまり詳しいことは思い出せないくらいにキラキラと輝く恵まれた日々を送っていた。

 しかし時は立ち止まることを知らない。

 楽しく華やかな学生時代にも、とうとう終わりのときがやって来た。

 卒業を控えた年の秋、僕らは一つの決心を固める。

 それはメンバー四人で、本格的にプロのミュージシャンを目指そうというものである。

 結成当初はそんなこと思いもしなかった。学生時代の思い出作りというのが最初の認識だったはずである。しかし、この三年間で実に様々なことを経験し、たくさんの人たちと知り合い、 絆を深め合った僕ら四人は、いつしかすっかり、このバンドへの愛と音楽の魅力というものに取り付かれていた。そして自信もあった。

 雲の上の見果てぬ〝夢〟は、いつしかもうあと少し手を伸ばせば届きそうな域にある〝目標〟にまで迫っている気がしたのだ。

 バンドの躍進のため、ドメスティックにやっているだけでは駄目だろうと、僕らは大都会・東京への進出を決意する。そしてその旨を公表すると、両親からは物凄く反対されたが、かたや大学の知人たちからは生ぬるい羨望の眼差しを注がれた。

『いいなぁ~、うらやましい……』と。

 そのとき僕らはすっかり熱くなっていて気づかなかったのだが、今思えばあのときの彼らの瞳には、些かの諦念と、冷めのような兆しが含まれていたように思う。

 無理も無いことだろう。その頃といえば、他の皆は就職活動に勤しんだり、内定を得たりとそれぞれが今後の将来に向けて現実的な設計を立て、妥協を繰り返しながらも邁進してゆく時期なのだ。

 社会の枠組みに片足を突っ込んだ彼らの目にはきっと〝プロのミュージシャンになる〟などという非現実的なことを憚らず公言する僕らのことが若々しくも滑稽に映ったはずだ。

 いつまでも夢見心地でいる僕らを羨む心と、相反するように僕らの行く末を冷ややかに達観するような複雑な心境があったに違いない。

 それに気づくことなく、満を持しての東京進出を果たした僕らは、果たして幸せ者というべきか、愚か者というべきか……。

 どちらにしたって、僕らの前にも等しく現実という名の壁が立ち塞がったことだけはハッキリしている。これまで僕らを後押ししていたはずの運命は、ころりと手のひらを返したようにその風向きを変えた。今までは順風満帆にスター街道を突き進んで来ていたように思われる僕らの状況は、そこから一変して、苦しくなったのだ。

 一つは金銭面。大学生で実家住まいだった頃は考えもしなかったが、人一人が何不自由なく生活していけるだけの金を稼ぐというのは、実に大変なことだ。

 何の資格も持っていない僕らがアルバイトで稼げる月々の金額というのは大体、十二~十四万程度。そこから家賃に加え、光熱費や水道代、ガス代、食費、その他諸々の生活費だけでも最低十万が消える。そして手元に残った僅か数万円も、大体すべてバンド活動の経費にあてられるため、貯蓄など出来るはずもなく、この一年、常にギリギリの生活が続いていた。

 自分一人食っていくのもままならない状況にある僕みたいなクズからすると――何十年にも渡って家族を養い続けられるサラリーマンのお父さん方って、ああ、本当に立派だなぁ、と痛切に感じられるわけだ。

 さて、僕らが食うや食わずの生活を続けている理由であるバンド活動の方なのだが、こちらもあまり芳しくない状況だった。

 こっちに出てきてから一年、定期的にハコへの出演は続けていたのでそれなりにファンはついたのだが、どうにも物足りないのだ。贅沢な悩みだということは重々承知している。

 やはり大した苦労もしないうちから持て囃されることに慣れてしまったのがいけなかった。

 所詮は僕らも井の中の蛙だったのかという思いを払拭できないでいる。

 出身校の野球部が甲子園に出場すると、ほとんど今の自分とは関わりがなくとも、皆なんとなく応援してしまう気持ちにたとえれば解りやすいかもしれない。

 やはりそういったドメスティックな贔屓目というものは確かに存在する。

 去年までの僕らには同じ大学であるという括りがあった。学生の横の繋がりというものは、なかなかに綿密なところがあり、僕らの人気の秘訣は無意識のうちに上手くそこを手繰っていたことにあるような気もする。

 その点、今の僕らにはそれがなく、また何か大きな団体に所属しているわけでもないため、横の繋がりが乏しいのだ。人気を得るためのネットワークから些か漏れてしまっている。

 自由とは孤独なものだと聞いたことがあるけれど、なるほど、その性質をよく考えれば納得がいった。人間同士の親交の種は、共通認識の中にこそ芽生えるものだからだ。

 なんだかくどくど哲学的な話になってしまいがちだが、つまり僕が何を言いたいのかといえば、それはもちろん、一刻も早くプロになりたいということである。

 それさえ叶えば、すべてが解決するのだ。

 無論プロデビューがそう容易くないことはわかっている。数多き志望者たちを振り切ってその狭き門を潜るためには、攻めて、攻めて、攻め落とすしか道はない。

 これからはデビューに向けてのアプローチに力を注いで行こう。

 僕はその旨を、隣を歩く鮎川に説いた。

「なぁ鮎川、売れる曲を作ろう」

 僕が決意を込めてそう告げると、鮎川はちょっぴり自信なさげに頷いてくれた。

「……うん、頑張ってみるよ」

 そうこうしているうち、分かれ道に差し掛かる。

「それじゃあ」

「うん、またあとでね」

 アルバイトの出勤までにはまだもう少し時間あったので、僕は鮎川と別れて一旦帰宅することにした。

 僕の住まいは築四十五年・風呂なし・トイレ共同・家賃二万六千円という今時珍しいというか、おもいっきり昭和時代の風情漂うおんぼろアパートだ。

 足をかけるたび、ギィギィと軋んだ音を立てる錆びついた鉄階段を上り、部屋に入る。

 狭く、汚く、汗臭い。不快感数え歌が作れそうな僕のプライベート空間。

 畳は日に焼け、壁や天井は煙草のヤニで斑に黄ばんでいる。

 僕らのやっている『HAPPY★RUNNERS』はロックバンドのはずだが、これではまるっきり四畳半フォークの世界観だ。かぐや姫の『神田川』に代表されるような、暗くて貧しい四畳半フォークの世界が僕は苦手である。フォークロック系はむしろ好きなんだけどね。ちなみに僕が一番嫌いなのはラップなどのヒップホップ系だが、まぁそんなことは今どうでもいいのだ。

 汗を流してサッパリとしたいのだが、近所の銭湯はもうとっくに閉まっている。流し台で髪を洗い、体は濡らしたタオルで拭く。夕食はコンビニで買ったカップメンとおにぎり。適当につけたテレビを呆れた眼差しでひややかに眺めながら、添加物たっぷりの非健康食品を胃の中に落し込む。ダラダラとした夕食を終えると、全く面白味の無いテレビを切って、僕はぼんやりと新曲のアイディアを練り始めた。

『HAPPY★RUNNERS』内におけるオリジナル曲作りは、基本、鮎川がまず原曲となるメロディーを書き、そこに僕とまひると剛田の三人が、それぞれのパートアレンジを加えてゆくというのが大体の流れだ。しかしまぁ、僕が作詞・作曲を担当した曲もいくつかあるし、中にはまひると剛田が作詞をした、いわく付きの一曲というのも存在する。

 ――あるとき、偶には自分達にも歌を書かせろと二人が言い出したので、僕と鮎川は「どうぞ?」といった具合に席を譲ったのだ。しかし、まひる&剛田の珍獣コンビには、お世辞にも音楽性があるとはいえず、作曲は面倒なのでお前たちがやれというのだ。パンク調にしてくれという要望に沿って、曲は僕が作った(鮎川の曲をこんな珍獣どもの餌食にするのは勿体無いから)。二人は意気揚々と創作に取り掛かり、そして完成したものを見た僕はぶっ倒れた。

 まひると剛田が書き上げたのは、パンクロックの元祖といわれる『ラモーンズ』の楽曲から影響を受けたと思わしき内容で、それはもう毒の塊みたいなとんでもない歌詞だった。

 まぁ、個人の趣向に口を挟む気はないが、それを歌うのは鮎川なのだ。

 鮎川のルックスと声で、〝シンナーをやらなきゃ生きていけない〟などと歌われたんじゃ、いくらなんでも衝撃的過ぎるだろ。その後僕らは、よせばいいのに一度だけライブハウスでその曲を演奏したことがある。思ったとおり客はドン引き、ハコを氷河期のような空気に変えてしまったその問題作は、以降、厳重な警備のもと封印されることとなったのだ。――

 部屋の壁はかなり薄いのでボリュームには気を遣いつつ、適当にギターの弦を弾いて〝おいしいメロディー〟を模索する。しかしどうにも好い感触は得られなかった。

 インスピレーションを高めるため、自分の好きな音楽をかける。

 僕がよく聴くのは『THE BEATLES』や『ローリング・ストーンズ』といったまさしく王道。

 鮎川は『吉田拓郎』や『ボブ・ディラン』などのフォークロック系に精通し、まひると剛田は、前述の『ラモーンズ』や、『SEX PISTOLS』『ザ・クラッシュ』『ダムド』といったオールドパンクを好んで聴いている。

 まぁ、近年のアーティストや流行のポピュラーソングなども、全く聴かないというわけではないし、別にその人たちの音楽を否定するつもりもないのだが、ただ、なんとなく癪に障るのだ。こんなんだったら僕らの方が全然上手いじゃんと思ってしまう。つまるところ、ひねくれたアマチュアの嫉妬と意地である。

 まぁ言い訳をさせてもらえば、僕らは本気でプロを目指しているのだ。既にプロとして活躍している方々のことを尊敬はするべきだが、慕うのはちょっと違うと思う。同じ舞台にあがる人たちからは影響を受けたくないし? 真似もしたくないみたいな? 誰かのコピーではなく、オリジナルでありたいんすよぉ~……と、格好つけてみるが、現実的に考えて誰からの影響も受けずして文化活動などやっていけるはずがないわけで。

 どうせ影響を受けるなら、偉大なる先駆者から教えを受け賜ろうと言うのが僕の考えだった。実際、前述した方々の音楽は今さら僕なんかが語るまでも無く素晴らしい。芸術性と大衆性を併せ持ち、時を経ても色褪せない、なんというか普遍的なエッセンスがあるのだ。

 それに、今後プロデビューしてインタビューを受ける際、『影響されたミュージシャンは?』と尋ねられて近年のアーティストを挙げるようじゃ、なんだかミーハーな感じがしてあまり格好が良くない。その点、先に挙げた方々のような名前を述べると、おぉ、なんだか〝俺は本当の音楽を知っているんだぜ?〟的な、崇高な感じがしてちょっとカッコイイじゃないか。

 とまれ、僕が今かけているのはビートルズの『Abbey Road』というアルバムである。

 何度も聴いた名盤だが、何度聴いても凄いの一言に尽きる。

 同じビートルズでも、初期の頃の雰囲気を持ったバンドは他にも沢山いた。しかし中期から後期にかけての、このサウンド・雰囲気を持ったバンドは僕の知る限りいないように思える。

 どうやったらあんな雰囲気が作れるのだろうかと考えつつ、僕はバイト先のファミリーレストランに向かうのだった――。

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