第18話「夢に向かって進め(Ⅴ)」
♪♪♪
翌日から、僕たちは四日間ほど休止していたバンド活動をようやく再開した。
色々あったせいですっかり忘れていたが、約一週間後にはライブが控えているのだ。
遅れを取り戻すべくメンバー一丸となって音合わせやミーティングに打ち込む傍ら、僕は近所の市民プールへと足繁く通い、そこで鮎川に手を持ってもらいながら泳ぎを教わった。
剛田とまひるからは、やっぱり散々馬鹿にされたけど、終始笑顔で優しくコーチしてくれる鮎川のためにも、僕は真剣に練習した。そうして最終的にはなんとかバタ足で二十五メートルを泳ぎ切ることが出来、そのときは剛田とまひるも一緒になって喜んでくれた。
あの頃から置き去りにしていた夏の宿題を一つ片付けて、僕はライブ当日を迎えた。――
眩しいステージの上から、客席を見下ろす。
一番後ろの方に父さんと母さんの姿を見つけた。慣れない状況に戸惑いながらも、僕らの方を楽しみに見ている。傍らには、姉ちゃんの姿もあった。気合を入れて来てくれたのか、ロックっぽい服装の姉ちゃんは既にはしゃぎまくっており、ライブハウスの熱狂的な雰囲気にもすっかり溶け込んでいる。
笑顔でぶんぶん手を振ってくる姉ちゃんの隣には、旦那さんの姿があった。少々破天荒な姉ちゃんとは対照的に、旦那さんの方は終始真面目くさった顔で静かにステージを眺めており、僕と目が合うと、ご丁寧に小さく頭を下げて会釈してくれた。僕は目立たない程度に軽く頷いて返事をする。
親しくしているオーナーからの計らいで、今日のライブには僕たちそれぞれの家族を招待していた。他のメンバーたちもそれぞれ演奏のポジションについて、機材をセットしながら、客席のどこかにいるのだろう各々の家族と目線でコンタクトを取っている。
剛田ンとこの親父さんとおふくろさん、お兄さんが来ているのを僕はさっきたまたま発見した。まひるンとこと鮎川ンとこは残念ながら見つけられなかったが、それでもきっとこの会場のどこかにいるはずだ。
なんだか小学校の授業参観みたいだなと、隣に立った鮎川と一緒に苦笑する。
人前で演奏することには慣れているつもりだったけど、やっぱり自分の家族から見られるというのは気恥ずかしいものだ。
準備が整い、僕たちは視線を交える。
まひるのドラムカウントから、一曲目が始まった。
カクテル光線が次々と移り変わるアップテンポのナンバー。
音のノリも、観客のノリも良好で、実に好調な滑り出しだった。
そこから二曲目、三曲目と、途中にMCを挟みながら順調にレパートリーを消化していく。
そうして僕らの演奏も残すところあと一曲となり、そこで打ち合わせ通りステージの照明が一斉に落ちた。客席からの拍手と歓声も、どこかこちら側の意図を察したようにすっと立ち消え、完全な沈黙とまではいかないが、会場内は幾分ひっそりと静まり返った。
これからラストを飾るのは、鮎川が仲直りの印にと言って作って来た新曲である。
暗闇の中、ステージの中央に一筋の光明が舞い降りる。照らす者のいないスポットライトというのはやけに神々しく、ひらひらと純白の羽毛でも降って来そうな雰囲気だ。
温かみのあるアコースティックギターの旋律とともに、鮎川がその下に現れる。
エレキをギブソンに持ち替え、ハーモニカホルダーを首から提げたフォークシンガーのスタイルは、今時のライブハウスではかなり珍しいはずだ。
さーっと拍手が鳴り響く中、鮎川一人の弾き語りから、この曲は始まる。――
『ひとりぼっちの夜に』
作詞・作曲 鮎川由姫乃/編曲 HAPPY★RUNNERS
ボクはひとりで歩いてきました 寂しいことなどありません
人と話すは面倒です 気疲れしたくはないのです
いつもひとりで歩いてきました ボクはひとりが好きなんです
冷めた心と裏腹に いつも調子を合わせてる 人の気持ちがわかりません
眩暈がするような人込みは がやがやうるさく気が滅入り
慌てて逃げ込む夜の底 枯れ葉が黙って通り行く
ふとした瞬間目の前に キミは突然現れて
ボクの手を引き連れ出した 「こっちの世界は楽しいよ」
扉を一つ開けたなら 向こうの世界が待っている
不意に感じた人の温もり 光がとっても眩しいよ
歌詞に合わせ、ステージ上の照明が一気にフェードインする。
まひるのドラムカウントとともに、剛田のベースと僕のギターがようやく演奏に加わった。
しかしまだまだ控え目だ。まひるのドラムは気だるげに、剛田のベースも終始抑え気味に鳴りを潜めている。
溢れる人と溢れる声との 大きな流れに戸惑いながら
みんなと一緒に生きてはみるけど ひとりに慣れてるボクはまた
明日になってもいつもの通り 心を閉ざしているのでしょう
そこから僕のギターソロに入った。
過ぎ行く時の流れを感じさせる、めまぐるしくもやるせないメロディー。前傾姿勢を保ち、長い前髪で表情を隠しながらロングトーンを多用して隅々まで奏でる。
それが終わると、再び僕ら三人はフェードアウト。
暗闇の中にぽつんと浮かび上がった鮎川一人の弾き語りに戻る。
日々が色あせ崩れ去る もうやめようよと手を振って
キミの姿は人込みに消えた 疲れた吐息がとっても白いよ
ボクはひとりが好きなんだ やっぱりひとりは落ち着くな
星が降るようなひとりの夜は 大好きだったはずなのに
〝Why Will I Be So Sad……〟 何故だか瞳が濡れています
鮎川が感情の堰を解き放ったようにアコギの弦を掻きまわす。
ここからいよいよ、曲のフィナーレに入るのだ。
僕らは溜め込んだ衝動を爆発させるように、それぞれの楽器を思いっきり鳴かせてやった。
腹が立ったり喧嘩をしたり 人ってとっても哀しいね
だけどひとりじゃツマラナイ ひとりじゃやっぱり寂しいよ
――激動的な曲展開。
朝焼けを思わせる真っ赤なライトの光が、かあっとステージの上に差す。
ひとりぼっちの 夜にさよなら
心を閉ざして塞ぎこみ ときには泣く日もあるけれど
傷つけ合って温め合おう それは素敵なことだから
『AH…AH…』と、僕たち三人のコーラスが加わった。
今にも消え入りそうな鮎川の声を、優しく厚く包み込み、強く高く押し上げてゆく。
人の心は温かいんだ もっとずっと触れていたいね
暗い路地から人込みへ 道行く人に笑顔を振り撒き
――目蓋を下ろした鮎川の苦しそうな表情に胸が疼く。
彼女のこめかみに光った汗が、美しく繊細な髪の毛の一本を伝って、ツーと流れ落ちた。
ボクはやっぱり うるさい中で……
――沈黙の刹那、咽び泣くようなその力強い叫びが、曲のラストを一繋ぎに引き結んだ。
〝みんなと一緒に、生きるんだ。――〟
その瞬間、僕たちの音は一つになった。
眩しすぎて思わず視界のすべてが真っ白に染まるほど、ステージを照らすライトの光が一斉に強まる。まひるが渾身の力を込めてドラムを打ち出す。剛田のベースは低く強く唸りを上げ僕もすべての力を注ぎ込むようにしてギターの弦を掻き鳴らした。畳み掛けるような後奏。
熱の入った僕らの伴奏の上を、鮎川のハーモニカが高らかに越えてゆくのが心地良い。
これで最後だと思うと、なんだか無性に込み上げてくる想いがあった。
東京を出発して、名古屋、大阪、広島、福岡と、思えばずいぶん遠くまで来たものだ。
晴れの日があれば雨の日もあり、曇りの日や風の日だってあった。成功も失敗もたくさんしたし、泣いたり、笑ったり、怒ったり、落ち込んだり。
それぞれの場面で見つめた景色と、そこで出会った人々の顔が、まるでスライドショーのように浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返す。大変だったけど、最高だった。
こいつらと肩を並べて、これからも歩いて行きたい。
僕はステージという場所に潜む魔物にそう願った。
ふわりふわりと、ハーモニカの音色がちょっぴり切ない余韻を残して、静寂が訪れる。
直後に見舞われた熱烈な歓声と鳴り止まぬ拍手の中で、僕たち四人は無邪気に笑いあった。
鮎川を真ん中にして、四人でしっかりと肩を組む。
客席の方を振り返り、心からの感謝を込めて僕たちは深々とお辞儀をした。
こうして僕たち四人の、一夏の波乱に満ちた冒険の旅は幕を下ろしたのだった。――
第四章「夢に向かって進め」おわり