第13話「逆境の中で叫べ(Ⅴ)」
♪♪♪
そして迎えた日曜日――。
リハーサルを終えた僕たちはそのまま楽屋に篭りきり、演奏の最終確認を行っていた。
口を閉ざしたまま一言も交わさず、笑みすらも漏らさない。
ただひたすらに集中して塞ぎ込み、各々自分の担当する楽器を手に最後の最後まで確認を続ける僕たちの姿は、さぞかし異様に映ったことだろう。事実として対バンの連中は誰一人として近寄って来なかった。まぁ、僕たちの悪い噂が広まっていることもあるのだろう。遠巻きにちらちらと見られているのを肌で感じる。だが、そんなことに構ってなどいられない。
コードを、リズムを、音を、すべて体に覚えこませるんだ。たとえ感覚を失ったとしても、自然と演奏が出来るくらい、完璧に……。
壁際に背中を預けて立った井上さんは、そんな僕らの姿をじっと静観していた。
――定刻通りイベントが開幕され、順調に本日のスケジュールが消化されていく。
スタンバイを促され舞台袖に移動すると、ちょうど井上さんたち『THE YELLOW SWAN』の出番が終わりを迎えるところだった。
首元の汗を拭いながらマイク前に立った井上さんは客席に向かって告げる。
「えー、本来ならもうちょっと長くやるはずやったんですけど、ワケあって今日、ウチらの出番はこれで終わりです」
〝え~っ!?〟という観客の声が一丸となってホール中に響き渡る。
井上さんは「まぁまぁ」と苦笑しながらそれを制した。
「実を言うとな? どうしても今日ここで演奏したいっちゅうバンドがおって、ウチらの出番を半分譲ったんですよ。せやからみんな、期待しとってください。すごいもん見せてくれるっちゅう話やさかいな?」
まったく、ひどい人だなぁ。何もここまで来てハードルを上げることもないだろうに。
「――そういうわけで、今日はホンマにありがとうございました!『THE YELLOW SWAN』でした~」
歓声と拍手喝采の中を、井上さんたちが小走りに退場して来る。
すれ違い様、井上さんは僕たちの方にさらっと流し目を送り、悪戯っぽく含み笑うような表情を見せた。彼女の悪趣味な計らいに、思わず溜息が漏れる。
薄暗い舞台袖から眺めるステージの上は、光に満ちていた。
激しいヤジの飛び交う騒然としたあのステージで、僕たちの心は一度砕け散ったのだ。傷つき雨に打たれ、その果てにあった再起……。そして今、前回よりも遥か高みまで聳え立った逆境がそこにある。越えられるだろうか、僕たちは。
僕は今一度瞳を巡らせて、隣に立った三人の様子をしっかりと確かめた……。
「お、おい、お前ら!」
振り返ると、安斎さんがやって来ていた。彼は急いで僕たちの元に駆け寄って来ると、肩に手を置いて何か言葉を咀嚼していた。
「あ、あのなぁ? その……」
僕は微笑んで、それを遮る。
「大丈夫ですよ、僕たちは」
鮎川、まひる、剛田。みんなの表情を見て、確信したんだ。
ここに来て、一切の言葉は無用である。今の僕たちに語れることなど何も無い。あったとしてもそれはすべて、演奏の中で伝えるべきことなんだと。
「だから、見ててください」
小さく頭を下げてから、僕たち四人は裸足のまま、堂々と胸を張ってステージに出た。
頭上から燦々と降り注ぐ眩しいライトの照明が、曙光の如く感じられる。
僕たちの登場と同時に、客席がざわめき出した。「ちぇっ、またあいつらかよ」「何しに来たんだまったく」という呆れた声がところどころ耳に届く。やはり前回のイベントで僕たちのステージを見たお客さんが今日も相当数いるらしい。
僕は早速ギターのチューニングを始める。他のメンバーも各自楽器の調整を始めていた。
MCを一切入れずに淡々とセッティングだけを行う僕たちを前にして、客席のざわめきは大きくなる一方だ。そして――。
「帰れー!」
客席のどこかから、嘲笑の入り混じった野次が飛ぶ。それを機に、面白がったお客さんたちが次々と囃し立てるように「帰れ帰れ」と叫び出す。調子に乗った人々が酷薄に笑いながら手拍子を刻み出し、やがてあのときと同じように、盛大な〝帰れコール〟が完成した。
セッティングを終えた僕たちは、激しい野次を浴びながら静かに正面へと向き直る。そうして高いステージの上から、今一度じっくりと騒ぎ立てる客席を見渡した。
「……」
震えはない。心の中は波風一つ立たない湖面のようにしんと静まり返っていた。そしてそれが、嵐の前の静けさであることを僕たちは知っている。――
僕たちなんか誰からも期待されていない。
僕たちなんか誰からも望まれていない。
帰れと言われ、やめちまえと罵られ、ダサいと鼻で笑われる。
だから……。だからこそ此処は……。
――最ッ高の舞台なんだ!
素早く交わされるアイコンタクト、堰を切ったようなまひるのカウントから曲が始まる。
僕たちが来るべき〝帰れコール〟に備えて用意した一曲目は、吉田拓郎の『人生を語らず』
かつて吉田拓郎は、出演した数々のコンサートで〝帰れコール〟を浴びていた。
当時は学生運動などが盛んに行われていた時代で、所謂フォークソングというものは政治批判的意味合いを強く帯びていたため、それをあてにして来る客の層というのは、それもう半端じゃなく硬派だったらしい。ポップでメロディアスな拓郎の楽曲は軟弱だと口々に揶揄され、飛び交う罵詈雑言で演奏が聞えないほどだったという。
実際、拓郎は幾度となく演奏を中断し、舞台を降りた……。
既存のやり方に囚われない彼のスタイルは、革新的であるが故に保守的な連中からは目の敵にされ、マスコミや音楽業界からも攻撃されることとなった彼は徹底的に吊るし上げられた。
しかし、それでも拓郎は諦めなかった。
自らの音楽がポピュラリティーを得る為に、幾度となく押し寄せる逆境の中で歌い続けたのだ。そして彼の孤軍奮闘はそれまでマイナーな存在であったフォークとロックを、一気に日本音楽界のメインストリームに引き上げることとなり、数多くの後継者を生んだ。
やがて彼らの音楽はニューミュージックと呼称されるようになり、そして、それが現在まで続くジャパニーズ・ポップスの始まりであったとされている……。
偉大なる先駆者のパワーを少しでも分けて貰おうと、僕らが用意した『人生を語らず』は、光の差すようなメロディーラインに、躍動感溢れる力強い歌詞を乗せた、まさに渾身の一曲。
より熱く鮮烈に、攻撃的なアレンジを加えパンクロック風に仕上げた。
まずはこれで、ほざく観客たちを黙らせる。そして、トドメは新曲だ。
「――っ」
〝!!〟
歌い出しから、鮎川の物凄い声量に建物の壁がびりびりと軋んだ音を立てて振動するのがわかった。客を頭の上から怒鳴りつけるかのように、喉がはち切れるんじゃないかと思うくらい声を張り上げて、文字通り吼える鮎川の姿は、僕の目から見ても相当に鬼気迫っている。彼女はいま、命を削って歌っているんだと切実に感じた。その凄まじい覇気と溢れ出す情熱の奔流に、心が芯まで揺さぶられ、全身が一気に総毛立つ。
『人生を語らず』
作詞・作曲 吉田拓郎/編曲 HAPPY★RUNNERS
朝陽が昇るから 起きるんじゃなくて
目覚めるときだから 旅をする
教えられるものに 別れを告げて
届かないものを 身近に感じて
演奏を強行したことで観客は怒り狂っているのだろうか。カラフルなライトが一斉に交差するステージの上からでは、暗い客席の様子はよくわからない。
つい今しがたまで盛んに飛び交っていた罵詈雑言も、伴奏の音に負け、既に聞き取れない。
迸る力の大波が、足元からみるみるうちに全身の筋肉を伝って這い上がって来る。
――今この瞬間、僕たちはきっと無敵なんだ。
〝越えてゆけそこを 越えてゆけそれを〟
今はまだ人生を語らず
僕らの叫びは一つの大きな塊となって天井をぶち抜き、空高く駆け抜けて行った。
ギターソロパートがやって来て、僕は二歩三歩と足を前に踏み出し、ステージの縁に立って思い切り弦を掻き鳴らした。自分でも信じられないくらい高らかにギターが啼いている。
血肉が沸き立つとは、こういう心地のことを言うのだろうか。
スピーカーを通じて僕たちの奏でる音が巨大なエネルギーの塊となって空間を埋め尽くすその中で、胸の内側がぐんぐんと広がっていくような快感と興奮の坩堝に頭の先まで埋もれる。
嵐の中に 人の姿を見たら
消え入るような 叫びを聞こう
わかりあうよりは 確かめあうことだ
季節のめぐる中で 今日を確かめる
鮎川の爆発的なシャウトから、一気にサビへと翔び上がる。
僕たちは声を揃え、拳を突き上げ、逆境の中で叫んだ。
〝越えてゆけそこを 越えてゆけそれを〟
今はまだ人生を語らず
心も身体も、すべてが今一つの音となって眩い光の中に溶けてゆく。
飛沫となって飛び散る汗が、赤や青、黄色やピンクの光に照らされて、色とりどりの宝石みたいに輝いていた。身体が焼けるように熱い。僕は今、本当は火だるまになっているんじゃないだろうか。こんなに熱くて苦しいのに、何故だか無性に笑顔があふれ出しそうなこの心地を皆にもわけてあげられたら、それはどんなに素晴らしいことだろう。
今はまだまだ 人生を語らず
目の前にも まだ道は無し
越えるモノはすべて 手探りの中で
見知らぬ旅人に 夢よ多かれ
まひるの激しいドラムがラストに向かっての助走をつける。
全身を駆け抜ける膨大なエネルギーの流れが、その一瞬のためだけに集積されていく。
瞬間、僕たちは持てる力のすべてを解放して大きく飛翔した。
〝越えてゆけそこを 越えてゆけそれを〟
今はまだ人生を 人生を語らず――。
「……ッ!!」
後奏の目まぐるしいフレーズ進行に指がちぎれそうだ。
顔中から汗が吹き出し、僕はギリギリと奥歯を噛み締めながら眼を見開いた。
光よもっと、もっとこっちの方に差せ。まだ足りない。まだまだ足りないんだ。
最高の演奏が出来るのであれば、死ぬまでやってやるから――。
曲の終わりに鮎川が振り返り、腕を広げてテレキャスターを大きく振り被った。
それに合わせて僕も思い切りギターの頭を後ろに下げる。
剛田もベースを目一杯掲げ、まひるはスティックを頭上まで振り上げた。
「「「「――ッ!!!!」」」」
目を合わせ、呼吸を合わせて炸裂する豪快な一閃。音の奔流を袈裟懸けにブッタ斬る。
途端、すべてのステージライトが一斉に落ち、突如として茫然とした沈黙が訪れた。
暗闇の中、激しい息遣いと、バクバクと脈打つ心臓の鼓動だけがやけにはっきりと聞えてくる。ステージの魔法が解け、僕たちの体を重たい脱力感が包み込んでいた。しばしそのまま、ぼんやりと放心する。
「……」
不意に静まり返った客席から、何かパラパラと乾いた音が立った。
少しずつ大きくなっていくそれが、僕たちの渇望していたものだと気づいて振り返ったとき、盛大に巻き起こった拍手喝采は瞬く間に会場中を埋め尽くしていた。
惜しみない賞賛を意味する口笛の音が、客席のあちらこちらから高らかに響き渡る。
思わず胸が熱くなって、じわじわと視界が滲んでった。
耳を澄ませて一頻り心を満たしながら、僕たちは密かに顔を見合わせて、頷きあう。
そうだ、まだ終わっていない。ここからが本題だ。
僕たちが立ち上がり、再び楽器を構え正面を向くと、ステージを照らすライトの光が、深海の底を思わせるような青一色に変化した。退き際を悟った拍手の音が消え入るように途絶え、凛と澄んだ空気の中で、そのイントロダクションは始まった。
僕のギターは気だるげに、剛田のベースは寂しげに儚げな旋律を奏で、まひるのドラムは淡々と落ち着いたリズムを取っている。
マイク前に立った鮎川はそっと目を閉じ、両手を胸の前で重ね合わせて静かに歌い出しのタイミングを待っていた。僕の位置から、彼女の姿は濃い影になっていて、それが空に向かって懇々と祈りを捧げる聖女のようにも見えた……。
僕たちの新曲・『夢追い人』。
これはお世話になった安斎さんや、井上さんたちに宛ててのメッセージでもある――。
出だしから鮎川の伸びやかな歌声が、透き通るようなブルーの空間いっぱいに反響して、美しく幻想的な雰囲気を醸し出す。
僕は一緒に演奏している立場でありながら、胸が苦しくて涙が出そうだった。
切なく穏やかなメロディーが情感を誘うというのももちろんあるのだが、歌っている鮎川の声が、少し疲れているのだ。本来もっと綺麗に澄み渡っていて、魅惑的な揺らぎを持つ彼女の声は、先ほどの激しい歌唱で消耗し、今はひどく掠れがちだった。
力強く躍動的な、あの『人生を語らず』の後に聴く、このささくれ立った鮎川の歌声は、どこか心の奥底に簸た隠した、誰にも言えない本音のような響きを持って胸に染み渡る。
まるで力に満ち溢れた一人の若者が、どうしようもないくらい大きな時の流れに呑み込まれ心と体を擦り減らしながら歳を取って来たかのような……。そんな哀しくも熱いドラマが切々と脳内に浮かび上がり、ひいては走馬灯のようにそれぞれの人生を振り返らせる。――
『夢追い人』
作詞 篠原健一/作曲 鮎川由姫乃/編曲 HAPPY★RUNNERS
どれだけ遠くを見つめても 辿り着けない場所がある
伸ばしたその手は空を掻き 今日も届かぬ彼でした
出会いと別れを繰り返し 多くの誘いに手を振った
譲れぬ想いを抱き締めて 歳月だけがあとずさる
〝追いかけて追いかけて、掴めそうで掴めない……〟
友や家族の面影は あの日に残した罪の中
夕闇せまる畦道で 愚かさだけが影を踏む
声を嗄らして叫んでも 求むる愛には程遠く
固く閉ざした瞳まなこに 熱い涙が揺れている
〝追いかけて追いかけて、届きそうで届かない……〟
寂しさ握って小さく震えて 空も飛べずに地を這って
泥にまみれて傷ついて それでも先を行くんだね
闘い続ける人の心に 帰るところがあるならば
いつかはきっと夢を追う 人たち同士で逢えるでしょう
僕も今はまだ風の中 くじけぬようにと肩を抱き
〝追いかけて追いかけて、負けそうで、負けないで……〟
泣きたい気持ちを噛み締めて 昨日を越えてきた人よ。――
人間には誰にだって、それぞれのドラマがある。
明るい人、暗い人、優しい人、ひどい人、この人は苦労してるけど、この人は楽してる……。人は人に対してそんなふうに勝手なレッテルを張りたがるけれど、人間はそんなに薄っぺらなものじゃない。一見軽そうに見える人にだって、そこにはその人が生きてきた歳月の分だけ、ずっしりと何物にも代えがたい重みを持った〝人生〟と言う名の物語が必ず存在する。
喜びや悲しみ、成功や挫折、深い苦悩と葛藤、そして後悔に満ちた、長く険しいその人だけの道のりがある。
しかしそれは多くの場合、決して誰にも語られず、誰に理解されることもないのかもしれない。それはきっと、その人本人の胸の内側にだけ秘められた、壮絶なる闘いの日々なんだ。
だから僕たちは何も知らない。けれど僕たちはこうして歌をうたう。
歌なんて所詮はまやかしだと言う人がいる。その通りだとも。歌に本当の意味で人を救う力なんてない。されども今この瞬間、たとえ少しの間だけでも心の拠り所になることは出来る。いいんだそれで。だって僕たちは、それがやりたかったんだから。
――美しく煌びやかな余韻を残して曲のラストが結ばれると、長い長い上映を終えた映画館みたいに、まっさらな照明が戻ってきた。人の温かみを帯びた純粋な拍手に抱かれながら、僕たちは客席に向かって深々と一礼し、そのまま舞台を降りた。
その際、ふと鮎川の方を見て、彼女の持っているギターの弦が、六本中、四弦と六弦の二本しか残っていないことに気づく。やっぱり、相当緊張していたんだな。
袖の方からずっと見守ってくれていた安斎さんは、僕たちが近寄ると、何故かツイっとそっぽを向いてしまった。それから短く痰の詰まったような咳払いを一つして、
「まぁまぁやったな……」
と、丸みを帯びた背中越しに、ぼそぼそとそんなことを言う安斎さん。
しかし僕たちはそのとき気づいていた。素っ気ない態度を装っている安斎さんが、ズボンの横をきゅっと握り締め、真っ赤に目を腫らしているということに。
僕たち四人は気づいていない振りをしながら、こっそり、してやったりのふてぶてしい笑みを交し合った。
ふと気づくと、僕たちの次に演奏するはずのバンドの人たちが、袖のところでホールの方を眺めながら困った顔をしていた。どうしたんだろうと思っていたら、僕たちが退場する際に起こった拍手がいつまでも鳴り止まないので、次のバンドが出て行けないのだ。
「おい、お前らどうにかしてくれよ」と言われ、僕たちは嬉しくて苦笑する。
光に満ちたステージと薄暗い舞台袖との境目に立って耳を済ませると、アンコールを叫ぶ声が聞こえて来て僕たちは驚いた。
普通ライブハウスのイベントで最後でもないバンドにアンコールが掛かることなんてまずない。僕たち自身初めての経験で感激する一方、少し戸惑ってしまう。
「何をモタモタやっとんねん。はよう行けや」
安斎さんの刺々しい言葉が、否応無しに僕らの背中を押す。
「でも時間が……」
僕たちが言わんとせんことを遮って、安斎さんはちょっぴり涙の滲んだ目を細めて優しげに微笑んだ。
「アホか。お客さんが望んでんねや。それ以上に大事なものなんてあるわけないやろ」
――それはまさに、僕たちが憧れて止まないエンターテイメントという世界の魅力を、すべて集約したような一言だった。
勢いで再びステージに飛び出した僕たちだったが、もちろんアンコール用の楽曲なんか用意していない。せっかくなので、前回やり損ねた『夏時間』をやってみようということになった。
観客の温かな手拍子とともに「せーの」で曲に入り、みんな程好くリラックスした状態で演奏することが出来た。今回はミスをすることもなく無事にやり遂げられて、本当にこれで思い残すことは何もない。もしかしたら僕たちは今、世界で一番の幸せ者なんじゃないかと思うくらい、最高の気分だった。
♪♪♪
イベントの終了後、僕たちはこのような機会を与えてくださった『THE YELLOW SWAN』の方々に改めて挨拶を通した。彼らが自分たちの出番を割いてくれたおかげで、僕たちは今回出演できたのだ。本当にいい経験をさせて頂きましたと、心からの感謝を伝える。
「いやぁ、ええもん持っとるやんけ自分ら! 悔しいけど、ちょっと感動したわ!」
井上さんは終始笑顔で僕たちの肩をバシバシと叩きながら、とても機嫌が良さそうだ。
「今日のあんたら、最高に輝いとったよ。ウチらも始めたての頃は散々言われて来たけどな? 正直な話、あそこまで真摯にお客さんと向き合って、真っ向から勝負することは出来んかった……。せやからホンマようやったわ。大したもんやで自分らは!」
話しながら感極まった井上さんは僕たち一人一人をぎゅーっとハグして、くしゃくしゃと頭を撫でていく。井上さんって、見た目はギャルギャルしいけれど、本当は情が深くて、なんだかお母さんみたいな人なんだなと思った。嬉しいけど、やっぱりちょっと恥ずかしい……。
「ゴメンな? 初対面で色々キツイこと言うて」
僕たちを抱きとめながら、彼女は申し訳なさそうにそんなことを言った。
「いえ、そんな。もう気にしてませんよ」
剛田が笑ってそう答えると、「ちゃうねんちゃうねん」と井上さんは首を振り、そこで一つ知られざる真実を明かした。
「安斎オーナーがな? 『なんや若くて活きのええバンドがこっちに来るみたいやから、お前ここは一つ先輩として厳しく揉んでやれ』なんて性根のひん曲がったこと言い出したんや。ウチはそもそもそんな人間やないし、反対したんやけど『そいつらの為になることや』とか、至極もっともらしい顔で言われてな? 仕方なくやらされとったんや」
結局のところ、すべての黒幕は安斎さんであり、井上さんは僕たちと同じく彼の悪戯に巻き込まれた被害者の一人だったというわけだ。まぁ、その分の借りは今日のステージで返せたと思うし、今さら怨む気はないけれど。……ったくあのおっさん、いい加減にしろよ。思わず苦笑が漏れる。
それからすっかり打ち解けてしまった僕たちは、メールアドレスまで交換する仲になった。
そして別れ際、井上さんは去り行く僕たちにこんな言葉を掛けてくれるのだった。
「――あんたらのバンド、絶対成功するよ。ウチが保証したる。これからも頑張りぃや? ウチらも頑張るから。次は絶対、プロのステージで会おうな?」
「はい……!」
友人として、良きライバルとして固く握手を交わし、僕たちは何度も振り返って手を振りながらその場をあとにした。
♪♪♪
「東京に飽きて、名古屋にも飽きたら、次は大阪で暮らそうか」
賑々しく華やかな夜の大阪市内を横目に走りながら、運転席の剛田はそう言った。
「それもいいかもしれないなぁ」と僕。
食いもんは美味いし、住んでる人たちもまぁクセは強いけど、付き合ってみればみんな面白くて、とってもイイ人たちばかりだった。それにしても、僕たち四人が大阪で暮らしている光景なんて、想像するだにカオスで楽しそうだ。たぶん次から次に大変なことが起こって、それはもうお祭り騒ぎの毎日になると思う。うるッさいだろうなぁ~。息をつく暇もなさそうだ。
僕がしみじみ言うと鮎川は微笑み、まひるは「せやな、せやな!」とこいつ引っ叩いてやろうかと思うくらい自慢げな顔で覚えたてのエセ関西弁を披露していた。
爽やかな心地に包まれた車内は相も変わらず賑やかで、窓の外に見える景色は移り変わり、次第に遠ざかってゆく。そこで経験した出来事の一つ一つに今一度改めて思いを馳せ、出会った人々に感謝の念を捧げつつ、僕たちは短くも濃密な日々を過ごした思い出いっぱいの大阪に大手を振って別れを告げるのだった。――
第三章「逆境の中で叫べ」おわり