第9話「逆境の中で叫べ(Ⅰ)」
――……。
第三章「逆境の中で叫べ」(大阪編)
♪♪♪
名古屋西ICから東名阪自動車道を走り、三重県にある亀山JCTで新名神高速道路に入る。
途中のサービスエリアで剛田と運転手を交代、一時間ほどで大津連絡路を経由して草津JCTから接続する名神高速道路に入った。
エンジン音はうるさいが、それも慣れてくれば逆に静かだと思えてくるから不思議だ。深夜の高速道路は景色も単調であり、どこか深く意識を沈ませていくような雰囲気がある。視界はむしろ凛としてクリアーなのだが、思考の方はどうにもぼーっとしてしまいがちだ。
「ケンちゃん、ガム食べる?」
「……ん、ああ」
助手席に座った鮎川は僕が眠たくならないようにと、色々世話を焼いてくれた。肩を揉んでくれたり、時折こうして水分やお菓子を僕の口元まで運んでくれる。二人で他愛のないことを控えめなトーンで話しながら、夜のハイウェイを走る。ちなみに今、車内に音楽は流れていない。それというのも、騒ぎ疲れたまひると剛田が後部座席ですっかり眠りこけているからだ。
岐阜県、滋賀県、京都府を経由して、いよいよ大阪府に入る。
しばらくして、沈黙が続いていることに気づいた。
「……」
ちらりと横を見れば、鮎川も落ちていた。きっと疲れていたのだろう。ちょこっと開いた瑞々しい唇の間から、穏やかな寝息が漏れている。
時刻は既に深夜の二時をまわっていた。予定の吹田ICまではもうあとわずかだ。
近くのパーキングエリアに車を停め、今日はここで明日の朝まで休むことにした。
公衆トイレと自販機しかない小さなPAであり、時間帯が深夜ということもあってか、車の出入りは少ない。エンジンを止めると途端に静寂が辺りを包み込んで、物寂しい気持ちになる。
僕もそのまま仮眠を取ろうと思ったのだが、なんとなく眠れなかった。疲れていないことはないはずなんだが、妙に頭の中がすっきりとしてしまっている。
一人車を降りてトイレで用を足したあと、自販機で冷たい缶コーヒーを買って、近くの段差に腰を下ろした。煙草に火をつけ、ゆっくりと燻らせながら夜空を見上げる。
そのまましばし拠り所のない瞑想に耽っていると、不意に足音が近寄って来た。
「眠れないの……?」
振り返ると鮎川がいた。どこかうっとりとした目つきで僕のすぐ横に座り込みながら尋ねてくる。そう言う鮎川の方はかなり眠そうだな。少し鼻にかかった声がやけに生々しくて艶っぽい。
「大阪に入ったんだね」
「うん……」
僕はまたぼんやりと夜空を見上げていた。鮎川も隣で同じようにしている。それ以降、お互いに言葉はなかったが、それでも気まずさは感じない。
深い夜の静けさと、バケツをぶちまけたような星空だけがあって、自然とそのなかに溶けていくような心地だった。不意に浮かんだメロディーが、吐息と共に口をついて出る。
〝流れる星は、今が綺麗で……ただそれだけに、悲しくて……――〟
吉田拓郎の『流星』という曲の一節だ。鮎川も野外ライブのときに歌っていたっけ。
〝流れる星は、微かに消える……思い出なんか、残さないで――〟
ぽすんと肩に軽い感触があった。体の右半身が柔らかくて温かい。
「……」
隣にいた鮎川がそっと僕に寄りかかって、肩に頭を預けていた。何故か驚きの感情はなく、睫毛の長い目蓋がそっと下ろされているのを見た僕は、再び顔を上げて広い空を見つめた。
さっきの曲の続きが、浮かんで、消える。
〝キミの欲しいものは、何ですか……僕の欲しかったものは、何ですか……――〟
♪♪♪
翌日の午前中には起きて、大阪市に隣接する吹田ICからハイウェイを降りる。
その際、横手にかの有名な〝太陽の塔〟を拝むことが出来た。芸術は爆発だ、で知られる芸術家・岡本太郎がデザインした大阪万博のシンボルだ。
「おおっ! これしんちゃんの映画で見たやつだ! ホントにあったのか!」
と、まひるはいたく感激していた。「再現率たけぇーな」と剛田も同調している。
いや、まさかとは思うけど、こいつらしんちゃんの映画を元にあれが作られたと思っているんじゃねーだろうな。僕が尋ねたら、案の定「「えっ、違うのか?」」と真顔で訊き返してきやがった。どんだけ教養ないんだこいつら。歴史の教科書にもちゃんと写真付きで出てただろ。
「いやぁ~、俺たちゃあ学がねぇからなぁ~。HAHAHA!!」
一応、大学まで卒業した身でありながら学がないってどういうことだよ。まぁ、僕も馬鹿なのは認めるけどさ。
――吹田市を通って、大阪市内に入る。
さすがは首都・東京と並ぶ大都市。人も車も、向こうと変わらないくらい多い。
混雑した市街の中心部を走りながら、僕たちは話の種に、大阪と言って思いつくものを順番に挙げていく。みんなでイメージを膨らませ、テンションを上げていこうというのだ。
まひるは「お笑い! 関西弁! たこ焼き!」と鉄板の三つ答え、剛田もまた「阪神タイガース、お好み焼き、新喜劇」とこれまた有名どころ。でも新喜劇は、お笑いの範疇だろ。
僕の番が来た。先に出たものを除けば「くいだおれ、通天閣、道頓堀」かな。
最後の鮎川は他に思いつかなかったのか「グリコの看板……」と天然っぽいことを答えた。まぁ確かに、イメージあるけどね。あの川っぺりにあるネオンのでっかいやつな。
ちなみに、僕とまひると剛田は中学時代、修学旅行で一度だけ大阪に来たことがある。もっとも、そのときは京都・奈良が中心の観光で、大阪は最終日にUSJで遊んだだけなので大阪自体をじっくりと観光したわけじゃない。そういう意味ではほぼ初心者といってもいい。鮎川はまったくの未経験だそうだ。中学の修学旅行は沖縄、高校はシンガポールだったという。なんか、豪華だな……。僕らの高校は島根にスキー旅行だったぞ。ある意味、京都・奈良の仏閣巡りよりも地味だ。まぁその際、僕とまひると剛田が雪山で遭難し、大騒ぎになったというエピソードがあるのだが、それはまた別の機会にでも話そう。
とまれ、今は大阪である。――大阪に対する僕の個人的なイメージとしては、やっぱりみんなノリが良くて、お笑いが好きで、面白いおっさんやおばさんがそこら中にたくさんいるような……まぁ、テレビやなんかから植えつけられた偏った認識だろうというのは重々承知なんだけど、それでもやっぱり〝熱い〟というイメージはあるなぁ。そしてその点に関してはたぶん間違っていないのだと思う。
「んがぁ~、ハラ減ったぁ~い!」
まひるが剛田の座席をばんばか叩きながら訴えかけてくる。
「それじゃあ、昼はお好み焼きでも食うか」という剛田の提案には一同大賛成だ。
しかしその前にひとまず、僕らはライブハウスの方へ挨拶に行かなければならない。
昨日の電話で教わった住所を頼りに、少し迷ったが、なんとか約束の時間までには辿り着くことが出来た。こんなこと比べたら失礼かもしれないが、根中さんのところよりも一回り以上大きなライブハウスだったので、モチベーションも高まる。
いつもの通り、営業役の剛田を先頭に立て、僕らは店内に入った。
受付のカウンターのところで、中年の男性と若い女性が何やら話していた。
「あのぅ、すいません、昨日お電話したバンドの者ですけど……」
二人が会話を中断し、ちらりと僕らの方を振り向く。少しギクリとした。
「おっ、噂をすればなんとやらってかぇ」
椅子に腰掛けていた男性の方がのっそりと立ち上がった。
ツヤのある黒い髪の毛をオールバックにした強面の中年男性は、にやりと鋭い笑みを浮かべながら僕らに近寄ってくる。男くさい煙草のニオイがツンと鼻についた。背は僕と変わらないくらいだが、体格は非常にがっちりとしていて、指に填められた金の指輪がギラギラと輝いている。なんだか迫力のある人だ。軽くビビる。
「――オーナーの安斎や。君らが、根中の話しとった例のグループか?」
安斎さんの問い掛けに、剛田が臆せず「はい」と答え、四人それぞれ名前を言って、よろしくお願いしますと挨拶をした。
「おい、井上」
安斎さんの呼びかけで、さっきまで一緒に話していた若い女の人がこっちにやって来る。
金髪のロングヘアーで化粧は濃く、顔立ちは整っているがなんというか、見るからに性格のキツそうな人だなと僕は思った。
「オーナー? この子らが?」
「ああ。今回飛び入り参加の『HAPPY★RUNNERS』や」
なんだかよくわからないが、とりあえずもう一度、よろしくお願いしますと頭を下げる。彼女はそんな僕たちを冷ややかな目つきで上から下までじっくりとねめつけ、「ふぅーん……」と鼻を鳴らした。……なんなんだ、この人。ちょっと感じ悪いな。
「――彼女はうちの常連で、看板バンド『THE YELLOW SWAN』のボーカリスト・井上亜美この界隈じゃあ、ちょっとした有名人なんやで?」
「オーナー、いらんこと言わんといてください」
呆れたように言って安斎さんを窘めた彼女、井上さんは、眉間にしわをよせた表情のまま腕組みをして僕らの方に向き直る。
「なんや、見た目あんましパッとせぇへんようやけど、こんなんで大丈夫なん?」
いきなりのことで少し驚く。そして理解が追いつく同時に、ちょっとムッとした。
隣にいる三人の様子をちらりと窺う。鮎川は畏縮している様子だったが、剛田とまひるに関してはかなり腹を立てているなというのが付き合いの長い僕にはわかった。
「まぁ、大丈夫かどうかはこれからや」
そう答えた安斎さんは意地悪く笑って、今から持ち歌を何曲か試しに演奏してもらうぞと言ってきた。それである程度の実力を見たいそうだ。まぁ、僕らは出演させて頂く立場なんだし、もとより断る理由などないのだが、なんか、癪に障るな……。
ホールに移動し、ステージに上がって機材をセットする。昨日、名古屋でやったばかりの『明日に向かって走れ』と『Overflow music』を演奏した。
――一通り聴き終えた安斎さんは、短く唸ってあっさりと一言だけ感想を吐く。
「ん、まぁこれなら及第点やろ」
それから隣で終始不機嫌そうに僕らの演奏を聴いていた井上さんの方をちらりと見やる。
「お前はどう思うた?」
金髪ビッチ女……もとい井上さんは、僕らのことを完璧に見下したような態度で、静かにかぶりを振った。
「イマイチですねぇ。見た目どおりパッとせんわー」
まぁ大方予想はついていたけど、言われた瞬間、こめかみのあたりで血管がぴくりと動くのを僕は感じた。くたばれぇ……。
「へへっ、相変わらず厳しいなぁ、お前は」
他人事のようにせせら笑う安斎さん。このおっさんも大概だぞ。
「正直言って、ウチはそもそも反対ですからね? 大体、明日のイベントはここの十周年記念の催しですやん? お客さんかて、みんな馴染みの人たちばっかりで埋まるはずやのに、そこへこんな、余所から来たなんやようわからんバンドがいきなりポンと出たって、ウケへんと思うわ。シラケさせるのがオチなんとちゃいますか? そんなんやったらもう、その分の尺をウチらのバンドにまわしてもろうた方がよっぽどええですって」
けっ、偉そうに言いやがって。このクソ女め……と思ったが、もちろん僕は常識を弁えているので口に出すことはない。ただし、世の中みんながみんな、僕のように出来た人間だと思ったら大間違いだぞ。たとえば今まさに沈黙を破った、この剛田篤志のように――。
「すいません、ちょっと今のは訂正して欲しいっす」
そう言った剛田の声はいつもより低くて硬い。これはもうキレる寸前だとわかった。
「はぁ? 何をや?」
「俺たちのこと、しょーもないバンドみたいに今言ったでしょ?」
「ふんっ、そう思うってことは、自覚はあんねんなぁ?」
「……てめぇ、調子のんなよ」
その場の空気がさっと凍りつく。
剛田が井上さんに詰め寄り、安斎さんは歪んだ笑みを消し去って猛禽のように目を眇めた。
鮎川がおどおどと僕の袖を引く。確かにちょっとヤバイ雰囲気だな。っていうか、この三人が睨み合っている光景は絵的にかなり恐い。ここが往来だったら、すぐにでも近くの交番から警官が駆けつけて来ただろう。一触即発のムードが漂う中、僕がどうやって止めに入ろうかと策を練っている間に、もう一人のトラブルメーカーが先に動き出してしまった。
「おい!」
まひるがすくっと前に出て、三人の輪の中に堂々と割って入る。忘れてた、なんだかんだでこいつが一番ヤバイ。
「何や?」
まひるが正面から向かい合った相手は井上さんだった。
おいおい、一体何をする気なんだ。まさかいきなり殴りかかったりはしないだろうな……と思っていたら、奴の行動は予想の遥か斜め上を行った。
「ばーん!!」
まひるは指をピストルの形にして、いきなり井上さんを撃ったのだ。
全員が一瞬「……はっ?」ってなる。
するとまひるは、頬を風船みたいに膨らませて文句を言い始めた。
「大阪人は鉄砲で撃つ真似をしたら死んだフリするって聞いたぞ、なんでやらないんだっ!!!」
怒鳴ったまひると、怒鳴られた井上さん以外が、みんなブッ飛ぶ。
「やるわけないやろ!! 状況考えろや!! 関西人ナメてんのんか!?」
今回に限っては井上さんの言い分が正しい。しかし、まひるの馬鹿はお構いなしにもう一度指鉄砲を構え、井上さんを撃った。
「ばぁあーん!!」
「――うわぁ、っはぁ~、ヤラレたぁ~、……ってアホかぁあ!!」
おおっ、これが本場のノリつっこみというものか! 僕と鮎川は思わず拍手をしてしまい、「拍手なんかすな! 恥ずかしいやろ!」と切れ味のいいつっこみをもらった。なんだかんだで、ノリは良いんだな。しかしまひるの奴は何故かまだ不服そうだ。
「なんでだよぉ」
「あんた、何が気に入らんのっ!?」
「なんでちゃんと〝なんじゃあーこりゃあー〟までゆわないんだっ!!」
「なんでやねんっ!!」
うわっ、とうとう出たぞッ、本場のなんでやねん。僕と鮎川は思わず拍手をしてしまい、「拍手やめい言うとるやろ」とめっちゃ怒られた。
「早くやってくれよぉ~!!」とまひるはしつこい。
「いや、それもう大阪と関係ない! ただのムチャ振りやんけ!!」
突然ころっと態度を変えたまひるは、物凄くふてぶてしい顔をして挑発に切り替えた。
「ビビっとーとや、このおっぱい野郎ッ!!」
「ホンマええ加減にせぇよ、このチビ!!」
まひると井上さんはそのまま引っ張り合いの大喧嘩になる。
その際もまひるはずっと井上さんのことを『おっぱい野郎』と連呼していた。何だよ、おっぱい野郎って……。しかし、まひるの発音のせいだろうか、不思議と楽しい語感がある。妙なところでツボに入ってしまった僕は、込み上げて来る笑いを堪え切れなかった。
「うぇえっへっへっへっ!! イ~ッヒッヒッヒ!!」
「おいコラ、ナニ笑うてんねんそこ!!」
まひるの頬っぺたをつねりあげながら、井上さんが檄を飛ばしてくる。
なんかもう、メチャクチャになっちゃったな。
「――お前ら、コンビ組んで吉本にでも入れ! このアホンダラ!!」
呆れた様子の安斎さんが一際大きく吐き捨てて、なんとかその場は収まるのだった……。
最後に、確認事項を告げられる。
「とにかく、一応明日のライブについては出演オーケーや。ただし、イベントの趣旨からして君らにとっては多少アウェーな空気になるかもしれん。その点に関しては覚悟しといてや? あえて君らのことをこっちから紹介したりはせんからな? それでもええか?」
剛田は己の意地もあるのだろう、きっぱりと頷いてみせた。
「構いません。必ず成功させてみせますよ」
「……フフ、そうか。ほんならなんも問題はない。よろしく頼むで?」
安斎さんの薄笑いが気になりはしたが、僕らは頭を下げてから早々にこの場をあとにする。
「覚えとけよ!」「こっちのセリフやボケぇ!」
まひると井上さんは髪の毛を千々に乱れさせて最後まで罵り合っていた。
♪♪♪
ライブハウスを出たあと、僕らは適当なお好み焼き屋さんに入って昼食を取った。
せっかく本場・大阪で食べる、関西風お好み焼きだというのに、はっきり言って味なんかほとんどわからなかった。昼間からビールを飲んで、物の見事に悪口大会である。
「ったく冗談じゃねーよ、なんだあいつらは!」
中でも剛田は特に荒れていた。まぁ、こいつにしてはよく我慢した方だと思う。
「特にあのクソ女、一瞬本気でぶん殴ってやろうかと思ったよ!」
確かに剛田の性格からしたら、いつ殴りかかっていてもおかしくなかったからなぁ。その天ちょっと褒めてやりたいくらいだ。
「俺たちがウケねぇだとぉ? よくもまぁ、あんなこと言ったもんだ! 何にも知らねぇくせして分かったような口利きやがってよぉ、何様のつもりだってんだぃバカヤロウ」
だよなーと僕が煽り、鮎川は終始苦笑していた。
「ホントにあと一歩で手ぇ出すところだったよ。その点に関してはありがとな、まひる?」
まひるは「神に感謝しろ!」とまたわけのわからんことを言ってケラケラ笑った。
でも確かにあそこでまひるが先制したからこそ、なんとなくギャグみたいな雰囲気で済んだのかもしれない。あれが剛田だったら洒落になってないからな。
「なぁ、ケン。俺はさ、間違ってねーと思うんだよ。そりゃあ暴力は駄目だよ。それは俺にだってよくわかってるんだ。けどさ、納得のいかねぇことや、違うと思うことにはやっぱり噛みつくべきだと思うんだよ。たとえ俺が間違っていたとしてもだ、それを訊くことによって自分のどこがいけなかったのか分かるじゃねーか。こういう考えはガキみたいだって馬鹿にされるかもしれないけど、やっぱり気に入らねぇことは、言わなきゃ気が済まねぇんだ俺は……」
いや、それは立派なことだと思うな僕は。確かに大人としては駄目なのかもしれないけど、剛田は間違ってないよ。何も間違ってない。
「――あー、それにしてもあの女、ムカツクなぁ!」
ちょっとしんみりしかかったところで、剛田は話を悪口方面に戻してしまった。
「へへっ、あの顔は絶対ビッチだぜー。大体ちょっとこの辺りで有名だかなんだか知らねぇけど、あんなんだったら、うちの姫の方が全っ然上だよなぁー?」
それに関してはもう、全くの同意見だ。少なくともルックスに関しては間違いないよ。
僕が言ったら鮎川は恥ずかしそうに顔を伏せた。剛田がしれっとした顔で言う。
「まぁ、俺はビッチもいける口だけどなっ?」
何を言い出すんだこの男は。頼むから死んでくれ。
♪♪♪
昼食のあと、ちょっと酔っ払ってしまった僕たちだが、近くのスタジオを借りて明日のライブでやる内容を確認した。
曲目に関しては『明日に向かって走れ』と『Overflow music』が既に決定している。まぁこの二曲は昨日の名古屋ライブでもやったことだし、ついさっきも確認が済んでいるので、ほとんど練習の必要はない。
ただ、昨日に比べて明日は少々長めに尺を貰えるようなので、MCの時間を考慮しても、あと一曲は演奏できる。過去のレパートリーの中から『夏時間』という曲を演奏することに決めた。これは一昨年の夏、連日続く猛暑に参っていた僕がさっぱりとした爽やかな曲を作ろう、と思い立ってなんとなく出来た曲だ。
『夏時間』
作詞・作曲 篠原健一/編曲 HAPPY★RUNNERS
水も滴る綺麗な晴れ間に どいつもこいつも浮かれてる
蝉の鳴き声 浜辺のパラソル 今年も夏がやってきた
寄せては返す波風に レースの裾を翻し
笑う君を僕は見ていた 気だるくうちわを扇ぎつつ
レモン味のかき氷 頬が冷たく蕩けてる
やりたいことだけかき集め 二人で一緒に計画立てよう
あれやこれやと騒ぐうち あっというまに過ぎてゆく
夏の宿題山積みで 最後はいつもドタバタさ
夏時間よ、もう一度 やっぱり夏は短すぎるから
自転車の後ろにキミを乗せ 防波堤の向こうまで駆けて行くよ
唇に浮かんだ潮の味 もう一度チャンスをくれないか
胸に秘めてた「好きだよ」は 去年の夏の忘れ物。――
「なーんか、ケンの作った曲って面倒くせぇよなー」
音合わせを終えた際、剛田が辟易したようにそんなことを言った。
「ん? 面倒くさいか?」
「まぁお前は作った本人だから気づかないかもしんねぇけどさぁ、お前の曲って、なんとなく神経質なんだよ」
剛田は譜面を掲げて、具体的な箇所を指摘した。
「こんな細かいところまでわざわざコードつけなくてもいいんじゃねーかって、俺なんかは思うわけ。イントロや間奏なんかも、やたらと凝ってるしさ?」
なるほど。言われてみれば、そうかもしれない。
「う~ん、でも曲自体はそんなに悪くないだろ?」
「そりゃあ、聴いてる方にとってはいい曲だと思うぜ? ただ、実際やってる方としては面倒くせぇんだよー。あんまりやりたくねぇーなぁーこれ」
ったく、ワガママばっかり言いやがって。
「その点やっぱり姫の作る曲はいいよなぁ~。コードはシンプルで簡単なんだけど、メロディーはすごくキャッチーで耳に残るんだよ」
それはやっぱし、才能の差だよ。だって鮎川には勝てないもん。
大して才能のない僕なんかは、技巧に頼り、曲を複雑化することで本質的な部分を誤魔化してるんだろうな。
「私はケンちゃんの曲、好きだよ?」
気を遣ってくれてありがとう、鮎川。お世辞でも嬉しいよ。
「まぁ曲は姫が作って、詞はお前ってのが一番バランスいいな」
「詞は僕でいいのかよ?」
「おう、詞はお前でいいんだよ。言葉巧みに人を騙眩かすから」
なんてこと言うんだ。人聞きの悪い。
まひるが剛田の意見に便乗する形でのたまった。
「やっぱりお前めんどくさいんだよ」
それはもう僕の人格批判じゃねーか。
まぁ、いろいろと文句もあるようだが、とりあえず今回はこれで行くことに決まった。
ライブではあまりやらない曲だが、先週名古屋で野外ライブをやったときに一度演奏しているので、それほどの心配はいらないだろう。実際一通り音を合わせてみたが、特にこれといって問題はなかった。不平不満が多いだけで、やれば出来るんだよ。
適当なところで練習を切り上げ、それから僕たちは観光に繰り出した。
正直な話、みんな練習の最中からそっちにばかり気が行ってしまって仕方がなかったのだ。
くいだおれ太朗を囲んで記念写真を撮り、通天閣を見学し、アメリカ村やヨーロッパ村でウィンドウショッピングに洒落込んだ。もちろん、道頓堀で鮎川の好きなグリコの看板もちゃんと見たぞ。鮎川は別に好きなわけじゃないよぅ、と懸命に言い訳をしていたけれど、そこは僕が気を利かせてこっそりと単体の記念写真を撮ってあげた。
大阪弁もたくさん聞いたし、たこ焼きも食べたし、大満足だ。
そんなとき――ぽたりと、鼻の頭を水滴が濡らした。
なんとなく立ち止まって見上げた夜空。忍び寄る黒い雲の影が、月の光を翳らせている。
すぐ横を通り過ぎて行った人たちの会話が耳に入る。
どうやら、台風が近づいて来ているらしい。
なにやら波乱の予感が、不意に僕らの胸を過ぎった……。