第005話 数少ない味方
「くっそ~……ドイツもコイツも俺をバカにしおって~」
周平は泣きそうになる気持ちを堪えながら、ブツブツと呟きつつ廊下を歩いていた。しばらくすると、パート練習が始まったのか、各部屋から楽器の音が響いてくる。
「……。」
本来なら、パートリーダーに選任されている周平もサックスパートの部屋へ行って練習を開始するべきなのだが、今日の周平はとてもではないがそんな気分になれなかった。まだ、サックスには自分に対して異様な敵対心を持っているような部員は少なかったため、気持ち的にはずいぶんと楽なほうだった。しかし、今日ばかりはキツかった。
周平は黙って屋上への階段を上がり、ドアを開けて屋上に出た。春の匂いがする風が、周平の頬を撫でる。
グラウンドでは運動部が準備体操をしていたり、既に練習試合を開始している部もあった。どの部も本当に楽しそうにしている。本来、部活動というのはああいう具合に協力し合い、ひとつの目標に向かって進んでいくものなのだろう。
しかし、現在の吹奏楽部はもはや、バラバラもいいところであった。正直なところ、周平が感じているのは去年から吹奏楽部は破綻状態にあったということである。
周平が夢に見た関西大会での出来事。あれは一昨年、周平たちの学年が1年生だった頃のことだ。それ以前から、既に浜唯高校は関西大会突破もできない状況に陥っていた。そしてとうとう、昨年は県大会突破すらかなわなかったのだ。これが部員たちには大ダメージとなってしまった。
関西大会出場経験があるのは、周平たちの学年だけになってしまった。そのせいか、今年もダメなんだろうという雰囲気が新入生の間にもなんとなく広まっていて、それがいつの間にか波及して、部員たちの士気も低下していた。
「なぁんかもう……いろいろアカンなぁ」
ハァ、と周平がため息を漏らしていた時だった。
「セーンパイッ!」
明るい声が聞こえたので振り返ると、バスーンの八木沼 久美がいた。
「おう。八木沼ちゃん」
久美はこの部活の中で数少ない周平と親しい部員の一人である。快活な性格で、誰とでも分け隔てなく接することができる。やや天然なところがあり、それが何かとストイックで真面目な園田実香子をイラつかせることもあるようだった。しかし、周平にとっては彼女のようなキャラクターはとても安心させられる。
「あたしにも、その新しい曲くださいよ」
「え? ウィークエンド・イン・ニューヨークのこと?」
「それ以外にないでしょ!」
久美は嬉しそうに周平の横に立った。
「早く、早く!」
「はいはい」
周平はガサガサと楽譜の入った封筒を探った。ピッコロ、フルート、エスクラリネット、オーボエ、トランペットの楽譜が出終わった後ようやくバスーンが出てきた。
「うひょー! すっごい! なんか冒頭からめちゃ忙しいですねぇ!」
久美は思い切り嬉しそうに楽譜を見つめた。周平も改めてアルトサックスのファーストの楽譜を見てみる。すると、冒頭に近い部分にソロがあるのだ。それだけではない。ソプラノサックスもあり、かなり目立つ動きをしているところがあるのだ。
(他の部分はどないなってんねんやろ……)
周平は好奇心から、他のパートの楽譜も引っ張り出して見る。すると、ホルンにもメロディがある。バスクラリネットにはソロがある。ウッドブロック、グロッケン、シロフォンも大活躍。珍しくトランペットはどちらかというと裏方に徹する部分が多かった。
「へぇ~」
後ろから別の声がしたので振り返ると、ホルンの相内 良輔がいた。
「あいうっちゃん」
「スゴいですね~。これが新しい候補曲ッスか?」
「あぁ、うん」
「どれどれ」
良輔も楽譜を手に取ってみる。久美も良輔も真剣だ。
「なんか、実感湧かへんよね」
急に久美が良輔にそう言ったのだ。
「そうやなぁ……。やっぱ、少人数でもいいから吹いてみんとわからへんわ」
良輔もすぐに同意する。周平だけはいまひとつ、意味がわかっていないままだった。
「ねぇ、先輩」
良輔が再確認する。
「今年、自由曲コレでしょ?」
「あ、まぁ多分……」
「ほんなら話は早いですね! オレら、遅れ取ったらアカンし練習しましょ!」
「あ、あぁ、うん」
「先輩! 早く早く!」
久美に引っ張られるように、周平は屋上からの階段を駆け下りていった。
階段を降りて音楽室に戻ると、心配した表情をした洋平が待っていた。
「どこ行っとってん! 心配したやんけ」
「ゴメンゴメン。ちょっとまぁ……オセンチになってたんや」
周平は苦笑いしながら答える。洋平はしょうがないな、というような表情を浮かべながら言った。
「頼むで。自由曲候補持ったまま、失踪すなよ」
「あ~……でもさぁ、さっきから聞いてたら、ペットとかは相変わらずノートルダム吹いてるけど?」
周平が心配そうに聞くと、洋平は「顧問の島崎先生がウィークエンド・イン・ニューヨーク」を正式な自由曲にする言うてたんやろ?」と聞いた。
「うん」
「ほな、別にアイツらが勝手に前の自由曲にこだわってるだけやんけ。気にする必要なんてないし」
「そういうもん?」
「そういうもんや」
何のためらいも無く洋平は答えた。
「ま、今ここにおる部員は少なくとも、ウィークエンド・イン・ニューヨーク賛成派ってこっちゃ」
周平がふと気づくと洋平、久美、良輔以外に部員の姿がチラホラあることに気づいた。松本 弓華、三沢 大輝、立花 悠馬、七瀬 猛、藤田 光晃、山口 華名の姿があった。
「結構多いやろ?」
「……。」
周平は言葉が出なかった。既に9名が自由曲変更に対し意外にもあっさりと賛同してくれていたのだ。もちろん、賛同しないということはコンクール自由曲を変更するという顧問の意見に反対することを意味しているのだ。しかし、この4月に入って自由曲を変更し、課題曲も変更するというのはかなり危険な行為だとも言えた。
しかし、それを承知でここにいる部員たちは曲目変更を受け入れてくれたのだ。
自分は一人ではない。60名ジャストの部員のうちの6分の1だが、賛同してくれている部員がいる。それだけで、周平は思わず胸が熱くなってしまった。
「あー!」
洋平が突然叫んだ。
「周平涙目なってるー!」
「ア、アホか! そんなこと……」
我慢ができなくなった。いつの間に自分はこれほど涙腺が緩くなったのかと周平自身驚くほどだった。
「……先輩っ!」
猛が周平の肩を叩く。
「頑張りましょうね!」
「……うん!」
周平は満面の笑みで強くうなずいた。