第004話 思わず出た感情
「……ビックリした」
周平は部室に駆け込んでから、スコアをもう一度抱き締めるように胸元に寄せながら呟いた。まさか、自分の気持ちがあれほど率直に言葉になって出てくるとは思わなかったのだ。
この部活に入った頃は、あまりに異様な状況に閉口してしまったが、状況を変えようと必死に頑張ってきた周平。自分の気持ちを率直に言葉にして、先輩や同級生に訴えかけてきた。しかし、それが何をどう頑張って訴えても裏目になって返ってくる。それが辛くなり、次第に周平は自分の素直な気持ちを部活では吐露しなくなってきていた。
今となっては、ただ楽器が好きなので辛うじて部活に在籍できているような状況だった。それにもかかわらず、久しぶりにあのような気持ちが、まるでバケツから溢れかえるように一気に湧き出てきたのだ。
ノックの音がした。
「森田?」
大地の声だった。
「は、はい」
「入ってえぇか?」
「はい。あ、いま開けます」
周平が慌ててドアを開けると、すぐに大地が入ってきた。
「良かった」
第一声がそれだった。
「泣いてへんねんな」
カァッと周平の顔が赤くなった。
「な、泣いてはないです……」
「だってお前、泣きそうな顔して出て行くんやもん。ビックリするわ」
「す、すみません! そういうつもりじゃなかったんですけど……」
周平は恥ずかしくなって大地の顔を見ることができない。
「ゴメンな?」
大地がそう言ったのを、周平はもう一度聞きなおしてしまった。
「へ?」
「あ、だから……スコア、放り投げたりして、ゴメン。お前の言うとおりやから……」
「……いえ」
周平は少し嬉しくなって、笑顔が久しぶりに出た。それを見た大地が笑いながら言う。
「笑ったら可愛いやんけ。ブスッとしてんと、笑ってたらえぇのに」
周平が苦笑いする。
「や……まぁ、いろいろあるんスよ」
「いろいろ?」
「……じきに先生もわかりますよ」
周平はハッキリ言わずに言葉を濁しながら部室を出ようとした。
「あー! ちょい待ち。これ、持って行って配って」
大地は『ウィークエンド・イン・ニューヨーク』の楽譜が入った封筒を周平に手渡した。ズッシリとした重みが、周平の両手に圧し掛かる。
「……。」
周平はその封筒をジッと見つめた。
「どないしたん?」
「先生」
周平の目つきが突然真剣になったことに、大地は少し戸惑いを覚えた。
「なんや?」
「俺たちね……ここんとこ、関西大会突破どころか、県大会突破すら危うい感じなんですよ」
「そうなんか?」
周平は小さくうなずいた。
「先生」
今度は周平の目が、大地に対する希望のようなものでいっぱいになった、少し潤んだ目になっていた。
「俺……先生を、信じてます」
「……。」
「課題曲変わってもいいです。自由曲も変えてください。お願いです! 俺を……」
俺を、と言いかけて周平は訂正した。
「俺たちを……全国大会に連れて行ってください!」
「……。」
返事の代わりに、大地はスッと手を差し出した。
「よし。その話、しっかり受け止めた」
周平が笑顔になる。
「その代わり、ビシバシ行くで? キツいことも言うし、キツいことさせるし。ハッキリ言うて、今のお前らの雰囲気じゃ、俺に明らかに反感持ってるヤツが多いやろうと思う。それでも、俺は俺の姿勢を貫くからな」
「……!」
周平はその言葉に衝撃を受けていた。
「お前は、俺にいま、全国に連れて行ってくれって言うた以上は、俺の練習にしっかり、ついてきてくれるな?」
「……。」
大地が右手を差し出した。
「もしも、ついて行ったろうやないか、って言うんやったらこの手を握れ。そんなもん、やってられるかいアホ、言うんやったら、握らんでいい。10数えるから……」
しっかり考えろ、と言おうとした大地の右手に、周平の意外と大きな手がガッシリと交わった。
「え?」
そのあまりの速さに、大地も思わずキョトンとして間の抜けた言葉を出してしまった。
「よろしくお願いします!」
「……よっしゃ! お前ならそう言うと思ってた!」
大地と周平は笑い合い、ガッチリと握手を交わした。
「じゃあ俺、この楽譜配ってきます」
「おう。よろしく頼むで」
周平は『ウィークエンド・イン・ニューヨーク』の封筒を抱えて、音楽室へと向かって歩いていった。
再び開いた音楽室のドアを、部員全員が凝視した。思わず怯みそうになるが、周平はその気持ちをグッと堪えた。
「島崎先生から、新しい楽譜預かりました。これが、今年の自由曲に正式に決まった、曲です」
「……。」
誰も何も答えなかったが、周平は続ける。
「えっと、楽譜配るんでパートリーダー取りに……」
ガタン!と音がしたので、未樹は驚いてそちらを見た。クラリネットの竹中将輝だった。将輝は立ち上がり、そのまま周平のほうへ近寄った。そして思い切り周平の襟を掴み上げたのだ。
「何言うてんの? お前」
「あ、新しい自由曲配るって言うてる」
「フザけんなや。あんなワケのわからん顧問とかいう兄ちゃんに急に自由曲も課題曲も変えます言うて、お前ははいそうですか、ほな頑張りましょうって言うたんか?」
周平は小さくうなずく。
「先生は、これで全国連れて行ってくれるって言うた……」
「アホらしくって付き合ってられへんわ!」
思い切り将輝が周平を突き飛ばした。思わぬ衝撃に周平はそのまま尻餅をついてしまい、封筒を一緒に落としてしまった。将輝は気にも留めず、そのまま音楽室を出て行った。その後も後輩や何人もの同級生が出て行ったが、誰も周平に声もかけないまま出て行ってしまった。
「森田くん……」
見かねた未樹が声をかけようとした瞬間、周平は勢いよく楽譜をかき集め、そのまま音楽室を飛び出してしまった。
「……。」
未樹はどうすることもできない自分に複雑な感情を抱きながら、寂しそうに走っていく周平の背中を見送ることしかできなかった。