第003話 述べよ!
「何よ、これは」
愛美に分厚い封筒を渡した。
「知らんがな。島崎先生から渡されたんや」
周平は呆れた様子で楽譜を愛美に手渡し、自分のパートのロッカー前に立つ。
「何やの。渡されたから受け取るだけ? ちゃんといつどこでどういう理由で吹くんか、聞いてくるのが筋やんか」
愛美はブツブツ文句を言いながら封筒を乱暴に机の上に置いた。
「そんなもん、オレが聞かんでも今から島崎先生が来て直接説明してくれはるわいな」
「そうなん?」
「そう。そういう指示もろて来た」
「あ……そう。じゃあ、みんなにそうやって指示するわ」
愛美は適当に聞き流し、部員たちに島崎が来る旨を伝え、着席を指示した。周平も面倒そうに着席し、島崎の登場を待つ。
5分もしないうちに、島崎はペタペタとスリッパの音を派手に立てながら音楽室に登場した。部員たちは一応、私立高校に通うお嬢様、お坊ちゃまが大半だ。挨拶なら手慣れたものである。
「こんにちは!」
あまりに揃った挨拶に島崎は驚いていたが、すぐに笑顔になった。
「初めまして。今日から、この吹奏楽部の顧問になりました、島崎 大地と申します。これから、どうぞよろしくお願いします」
「お願いします!」
周平は優しそうに話す島崎を見て、職員室で何事か喚き散らしていた時とのギャップの大きさに少し、違和感を覚えていた。
「さて……と。まず、聞いていいかな?」
いきなりフランクな喋り方になったので、少し戸惑う部員たち。とりあえず数名が「はい」と答えた。
「金管セクションリーダー、誰?」
「はい!」
福崎 利緒が手を上げた。トロンボーンのパートリーダーも務めるしっかり者で、常に動きがテキパキとしている。
「うん。まず、自己紹介頼むわ」
「はい。福崎 利緒、3年トロンボーンです」
「うん。福崎さんね。福崎さん。聞きたいんやけど」
「はい」
「君ら、自由曲で『ノートルダムの鐘』やるんやんな?」
「はい!」
利緒はこの曲をできることをかなり嬉しく思っており、人一倍練習に注力していた。そのため、今から急に合奏と言われてもほとんどミスなく吹ける自信があった。
「ほんなら聞きたいんやけど。このノートルダムの鐘。ディズニーで映画になってるな?」
「は、はい」
利緒は予想外の質問に少し戸惑った。
「いつ公開?」
「え?」
「西暦何年公開?」
「え……っと……」
利緒は答えに詰まってしまった。5秒経つとすぐに島崎は「もうえぇわ」と遮ってしまった。
「木管セクションリーダーは?」
「はい」
和泉 朋子が恐る恐る手を上げた。
「うん。君は?」
「和泉 朋子、3年クラリネットです」
「できれば、手を上げた時に名前と学年、パート言うてな」
島崎は少し不機嫌そうに言った。
「は、はい」
「はい。西暦何年公開?」
「せ、1996年です」
朋子の声が震えていた。島崎はニッコリ笑い「正解」と優しく言った。朋子はホッと胸を撫で下ろす。
「ほんじゃ和泉さん。ノートルダム大聖堂が舞台の作品やけど、ノートルダム大聖堂ってどこにあんの?」
「え!?」
朋子はオロオロした様子でキョロキョロしていた。
「もうえぇわ。はい、次。君は?」
ビクッと震えたのは、朋子と同じクラリネットの竹中 将輝だった。
「えっと……えーっと」
「名前」
「あっ! た、竹中 将輝です!」
「はい。竹中くん。場所は?」
「えっと……えぇっと」
「はい次。君」
続いて当てられたのはフルートの大平 菜々香。
「はい。フルートの大平と申します」
「はい、太平さん。どこにある?」
「フランスはパリです」
「正解」
菜々香は自信満々と言う様子で笑う。しかし、島崎の質問は容赦なく続いた。
「じゃあ大平さん。ノートルダム大聖堂の最終的な竣工はいつ?」
「えっ……?」
菜々香も黙り込んでしまう。その後、何人もの3年生が当てられたが、誰も答えることなどできなかった。
周平はなぜかスルーされてしまったのだが、結局2年生も誰も答えられず、嫌な沈黙が起きた。
不意にドサッ!と音がした。クラリネットメンバーの目の前に『ノートルダムの鐘』のスコアが放り投げられていた。
「お前ら、ホンマにこの曲吹く気あるんか?」
「はい」
あっさりそう答えたのは、朋子だった。
「へぇ~」
島崎は笑顔で答える。そして、その笑顔のままで続けて言った。
「その割に、この曲のこと全っ然知らんねんな」
「……。」
「ノートルダム寺院のこととか、そもそもこの『ノートルダムの鐘』の物語とかを知らんで、よくもまぁノウノウとこの曲吹いてられるわ。その神経にビックリやな」
誰も何も答えられなかった。
「主人公は? どういう職業に就いてるん? そもそもの物語の大筋は?」
「……。」
周平がそっと手を挙げた。部員全員と島崎が視線を周平に移す。
「はい、森田」
「え……なんで?」
愛美が声を上げた。
「ん? あぁ、俺が森田を知ってる理由?」
愛美が驚いた顔をしてうなずいた。
「さっき、部長の代わりに指示聞きに来た時に仲良くなったよな? 森田」
「へ?」
ニコニコと笑う島崎の目を見て、周平は恥ずかしそうに笑った。
「それで、森田。主人公は?」
「はい。カジモドと言って、ノートルダム大聖堂で、鐘つきをしています。容姿は良くないそうですが……。捨て子だったところをフロロに拾われ、育てられた人物です。ヒロインはエスメラルダ。美しいジプシーの娘で、フェビュス、カジモド、フロロの3人から思いを寄せられています」
「うん! もうそこまででいい。それだけ知ってるだけでも十分だ」
それから全員を一瞥した。
「しっかしまぁ……お前ら、曲の中身を知らんとホンマに吹いててんな。ビックリするわ」
誰も返す言葉がない。島崎はさらに続ける。
「ま! 言うとくけどもうこの曲、コンクールでは吹かへんからな」
一気にざわつく音楽室内。島崎は気にせずどんどん話を進める。
「まぁ心配すんな。新しい自由曲候補は持ってきてる。それから、課題曲も変更するからな」
「ちょっと待ってください!」
愛美が怒った様子で立ち上がった。
「もうコンクールまで3ヶ月程度しかないんです! ムチャクチャ言わんといてください!」
「は。ムチャクチャ?」
「3ヶ月で曲が全部仕上がるとは思いません!」
「やけど、お前ら今の自由曲と課題曲、いつから練習始めたん?」
「1月ですけど……」
「なぁんや! 3ヶ月しか経ってへんやん! 一緒一緒! それに1年がこれから入ってくるんやから、結局ふりだしに戻るようなもんや。気にせんと、気持ち切り替えていこう」
しかし、まだ納得の行かない愛美は食い下がる。
「待ってください。ホンマ無理です。私たち、もう『ノートルダムの鐘』でコンクール進む気満々でいてるんで」
「はぁ……」
島崎がため息を漏らした。
「あのさぁ。お前らの3月の市吹奏楽連盟の定演の音源、聞かせてもらったんやけど」
次の言葉に全員が真っ白になった。
「サイテーの演奏やったで」
「……。」
サイテー、という言葉が周平の胸に突き刺さった。
「ど、どのへんがですか!? あたしらをバカにすんのも、やめてください!」
ピッコロの氷室 照が激怒して立ち上がった。
「全部や!」
島崎の大声に照が驚いて座り込んでしまった。
「何の表情もない! フォルテもピアニッシモもあんまり差がない! ただ譜面の音符をそのまま吹いてるだけ! 物語を思い出させるような雰囲気が全然ない! 冒頭の重々しい雰囲気も全然出てないし、そもそもホンマにコイツらノートルダム大聖堂を思わせるような曲やって理解して吹いとんか!?って思わせるぐらい、ヒドい演奏や!」
もはや、言い返せる者はいなかった。
「自由曲はさっき、森田が持ってきた楽譜を使う。『ノートルダムの鐘』のことは忘れる。同じく、課題曲は『オーディナリー・マーチ』から『うちなーのでぃだ』に変更するからな」
「……。」
「返事は!?」
誰も返事をしない。その代わり、周平がそっと立ち上がった。そして、そのままクラリネットメンバーの間を縫って歩き、そっと、先ほど島崎が放り投げた『ノートルダムの鐘』のスコアを拾い上げた。
「……。」
周平はジッと島崎を見つめる。
「なんや?」
周平は深呼吸をして島崎に言った。
「先生の言うとおりです……。俺も、音源聴いた時にそう思ってました」
その言葉に未樹や大輝が目を丸くした。
「でも先生」
周平が寂しそうな目をして訴えた。
「俺らが演奏下手なだけなんです……。スコアを……こんな、床に放り投げんといてください」
「……?」
島崎も目を丸くしている。部員たちは呆然と周平のほうを見ていた。
「この曲作った人と……編曲してくれた人に、申し訳ないやないですか」
周平はギュッとスコアを抱くように胸元へ寄せた。スコアがクシャッ、と音を立てて丸くなる。
「……すまん。悪かった」
島崎が素直に謝った。
「俺……さっきの新しい楽譜取って来ます!」
周平はバタバタと慌てて音楽室を出て行った。
「……。」
島崎も愛美も、未樹も洋平も、誰も何も言えず周平の背中を見送ることしかできなかった。