第039話 かつてない厳しさ
「アカーン!」
怒声が飛ぶ。愛美が思わず肩をすぼめた。大地が苛立った様子で指揮棒をパシパシ!と指揮台に叩きつけた。
「ペット! ミュート付けて吹いた途端に音程狂う! しっかり息入れて、音程取れぇ!」
「はい!」
5月初めとはいえ、沖縄県の気温は既に高めだ。集中して練習を始めてから2時間。合宿二日目にして、既に雰囲気はコンクール直前といった様相を呈している。
「各パートでの繋ぎが全然うまいこと行ってへん。もっとしっかりと周りを聞いて。合奏やで? わかってるんか? 『合』わせて『奏』でるんや。お前ら、演奏もバラバラやし気持ちもバラバラ」
本来いなければいけない部員たちの席も、用意してある。空しい空席が目立つ。なぜこんなことになったのか、愛美や大輝、洋平たち幹部は悔しい思いすらしてくる。
今年こそは関西大会を突破し、全国大会へ行きたい。3年生は個々人でそのような想いを抱いているが、それをハッキリと口にした部員は少ない。思っていることも口に出せないようでは、まだまだ部の雰囲気が変わったとは言えなかった。
「パーリー!」
パーリーとは、パートリーダーの省略形である。
浜唯高校では、下記のようにパートリーダーが選任されている。
フルートは照。ダブルリードは実香子。クラリネットは将輝。サックスは優花。トランペットは愛美。トロンボーンは利緒。ホルンは洋平。ユーフォニウムは大輝。チューバは未樹。パーカッションは悠馬だ。
しかし、大地が来るまでは妙な派閥ができていて、まともに部の方針などを話し合ったことのない学年でもあった。
「ちゃんと、部の方向性決まってるんか? 課題曲と自由曲はもう、ほぼこれで行くんやぞ? 自由曲のソロは誰が吹くねん。自由曲にしても、課題曲にしても、曲を引っ張っていく人がいるやろが」
「はい……」
全員が俯く。大地は大げさにため息を漏らした。
「もうえぇわ。とりあえず、課題曲に関して言いたいこと言わせてもらうわ。スネア! 立花!」
「は、はい!」
「最初ノロいねん! もっと、機敏な速さをくれ。ノロノロしたんはいらん!」
「はい!」
「フルート、ピッコロ!」
「は、はい!」
「音程グシャグシャ! 揃うまで吹くな!」
「……。」
照が唇をかみ締めている。
「サックス!」
「はい!」
「音が飛び跳ねてる! 安定させろ!」
「はい!」
「低音!」
「はい!」
「全員モゴモゴしてる! 出直して来い!」
「はい!」
「もう課題曲いらん。合宿では合奏、もうせぇへんからな!」
「……。」
「返事!」
「はい!」
「よし。休憩」
大地は苛立った様子で合奏部屋を出て行く。
「……はぁ」
周平が落ち込んだ様子でため息を漏らした。
「パーリー。ちょっと集合。廊下に」
「はい」
愛美に集合をかけられ、パーリーたちが移動していく。それを見送ってから、周平がそっと華名の横に立った。
「ちょっと、ここのサックスアンサンブル部分、吹いてくれん?」
「え?」
「早く。いくで。1、2、3、4」
音は綺麗だが、どこかフワフワとした音になっている。周平は目を閉じてその音を聞いていた。
「うん。音は綺麗ねん。せやけどな、一個一個の音が飛びすぎ。特にEの音やな。それとF。このふたつが飛びすぎ。それに対して下のFに下がるやろ? そこが重い」
「は、はい」
周平の的確なアドバイスを華名は一所懸命メモしていく。
「せっかくクラリネットが上手いこと吹いてくれてんのに、サックスが潰してるねん」
「すみません……」
「ついでに、いい?」
周平が振り返ったのは、トランペットのほうだ。
「その後のトランペット。なぁんかザワザワして、落ち着きがないねん。原因はまず、サックスが音飛んでるからっていうのがあるねんけど、その次はやっぱりトランペットパート内で原因があるねん」
「は、はい」
「っていうても……木下さんだけにそんなこと言うたかて、かわいそうやねんけど……」
「い、いえ! もっと言うてください」
「あ、そう? ほな遠慮なく。ついでに言えば、もっとブレスちょうだい。吹く直前。休みやろ?」
「はい」
「それから、全部確かに同じ音やねんけど、そのペペペペーペペペっていう吹き方、やめてくれへん? なんかすっごい不愉快」
「はい!」
美里の目の輝きが断然変わった。
「あのさ……」
未央が手を上げる。
「ん?」
「クラは、どう?」
「……言うていいん?」
未央がうなずく。
「ほんじゃま。とりあえず、サックスの音とフルートの音の割に綺麗に個々人では鳴ってる。せやけど、その鳴ってる音が綺麗にミックスされてへんねん。せっかく5度差でハモるんやから、綺麗に響かせようや。ノリはそれでオッケイやからさ」
クラリネットの合宿出席率は良いほうだ。全員が周平のアドバイスに耳を傾け、メモを取っていく。
その頃、大地は少し離れた廊下で頭を抱えていた。浜唯高校は一時期、全国大会常連校であったので、ある程度は期待して赴任した。しかし、部員たちのレベルは予想以上に低下しており、これまであれば中学生に説明するようなことも、イチから説明しなければならないような、そんな状況であった。
それに加えて、成長しない自分の性格が一番嫌いであった。何かと音楽に対しては熱くなるのだが、それがどんどん熱さを増して行き、やがて爆発してしまうのだ。
大地は首を左右にブルブルと振った。
「これじゃアカン……。顧問がこんなんでどないすんねん。頑張れ、俺!」
そう言って自分に気合いを入れなおし、大地は立ち上がった。そして、合奏部屋に戻っていく。しかし、部屋に入る少し手前の廊下で足を止めた。
誰かが合奏練習をしているのだ。
大地はそっと確認する。しかし、パートリーダーではなさそうであった。なぜなら、愛美たち幹部とパートリーダーたちは大地の視線の少し先で、話し合いをしているのだから。
そのパートリーダーたちも、聞こえてきた音に話をストップさせた。誰がやっているのか。それが気になるようだった。
大地が部屋を覗き込もうとやってくると、愛美たちと鉢合わせになった。
「先生ちゃうかったんですか?」
「俺もビックリしてるとこや。一体誰が……」
すると、その人物の声が聞こえてきた。
「そーそー! クラさん、その感じ!」
嬉しそうに指揮台で指示をしているのは、周平であった。
「森田くん……?」
「森田が?」
その指示は、実に的確であった。
「そうやんな。どっちが聴かせたいほうか言うたらさ、そりゃ上の人やんな。ってことは、下の人は目立ちすぎたらアカンわけよ。今ぐらいのバランス。ほな、もう1回」
「はい!」
その周平の統率力と、優れた指導力に廊下にいた大地とパーリーだけでなく、練習室内にいた部員全員が戸惑いすら覚えていた。
聞こえてくる音色を邪魔しないように、大地がパーリーたちのそばへ寄る。
「ちょっとえぇか?」
「先生……」
「大事な話がある」
そう言って大地はパーリーたちを練習部屋から離れた場所へ連れて行った。